おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2021年12月12日日曜日

【神戸大学混声合唱団アポロン第59回演奏会】

 2021年12月12日(日)於 伊丹アイフォニックホール


みなさん! 12月ですよ!

 ……え、それが何かって? やだなぁ、忘れてもらっちゃ困りますよみなさん。

みなさん! 大学合唱団の季節ですよ!


 若々しさ、荒削りさも時にありながら、優れた技術と、これでもか! と趣味を詰め込んだプログラム、そしてなにより圧倒的なコストパフォーマンスで私たちを楽しませてくれる大学合唱団。そんな大学合唱団ですが、このコロナ禍において甚大なダメージを受けたことは当然例外ではなく、それどころか、各カテゴリの中でも特に大きな影響を受けた部門のひとつと言われています。演奏機会はおろか、新歓で人を集めることすらもままならず、その性質上人が入れ替わることが当然視されるだけに、零細合唱団だと、このまま活動をやめてしまうところも決して少なくないのではと推察されます。

 名門といって差し支えないであろう、今日のレビュー対象である神戸大学混声合唱団アポロンも例外なく、このコロナ禍において人数を減らし、40人あまりでの活動、中でも男声に関してはわずか9名ばかりという、率直に言って悲しい現実をまざまざと見せつけられました。

 しかし、当の団員たちは、そんな中でもできる活動にはどんなものかと思考を巡らして、少しでも充実したステージを作り上げようと模索を続けています。そんな彼らが今回のメインに選んだのは、佐賀県イチの有名人(?)山本先生を招聘しての『ティオの夜の旅』……いやもう、行くしかないでしょう!(現実もこんな感じのノリで整理券取りました)

 コロナにおける臥薪嘗胆を強いられた2年目、2021年の学生団シーズンの開幕です!

(もしこれより先にやっている団がいましたら大変申し訳無い。平謝りします)


ホールについて

 実は以前にも来ているんですよね。天花でした。その時からとにかく印象深いのが、インテリアの美しさ。少しダークブラウンに酔った木質の仕上げで、決して華美に彫り込んではいないものの、天井の放射状に伸びた円の意匠が特徴的な、公共ホールでありながら作りの良いホール。派手ではなくとも、しっかりと存在感を主張するホールは、シューボックス型でありながらもステージと客席を包む空間全体が円形になっている点においても特徴的。その内装をして、ごく近くにある東リいたみホールとは対称的なホールともいえます。ベルも、ビブラフォンがほわんほわん鳴っていてすごくいい感じです。

 そんなホールは、非常に響きも美しい。残響が全てを包み込んでくれる、という類のものではなく、生の音がしっかりと客席まで届くので、ごまかしが効かない一方、しっかりと残響自体は残ってくれる。だいたい前者か後者かどっちかなのですが、それがどっちでもあるという点、とても誠実な演奏が求められるホールです。本当に、ごまかしがきかないというのはこのことをいう感じ。

 ちなみに、詳しくは、以前のレビューが非常に雄弁に語っておりましたので参考まで……笑


 今日は、団員規模を気にしてか、あるいはコロナ禍の集客を気にしてか、客席数500程度のアイフォニックホール。ただ、ほぼ満席だったところを見るに、もう少し大きなホールでも十分集客できたのではないかと思います。もっとも、これ以上大きなホールだと鳴らすのが大変なのは否定しませんが。この人数規模然り。


・校歌

「商神」

 そうですよ、これですよ。指揮者ピンスポ、拍手なしで演奏をはじめて、曲に合わせてフェードインして全照。これ見てこそ、学生団聞きに来たって感じがするってものです。コロナ禍で長らく見られなかった光景です。

 演奏は、とても端正で丁寧なつくり。推進力に少し欠ける面があったか、ユニゾンが低くなることもあったような気がするものの、このご時世、こういった内省的なつくりも又許容のうちといえるかなと思います。


第1ステージ

相澤直人・さくらももこの詩による無伴奏混声合唱曲集『ぜんぶ ここに』より

ぜんぶ

まるむし帳

言わない

やわらかな想い

大きい木

指揮:出口可奈子


 校歌からの続きでいって、そりゃ、あのように端正な演奏ができる団ですから、この曲やらせたら、きっちり決めてきますよね! 非常に期待どおりの出来といえます。関西、ことKKRらしい、和声に対して非常に忠実なつくりに、未だ変わらない伝統に安堵するとともに、どこか懐かしさすら感じてしまう面もあります。本当に複雑な音も、しっかりと整理されて聞こえてくるので、音楽のつながり自体が非常によく見えて、構成だけでちゃんと音楽自体は動いてくれていました。この点、十分及第点を取れる演奏とも言えます。

 とはいえ、そういう、ちゃんとしている演奏を聞くと、それ以上を求めたくなるのも又事実。特に気になるのは、この6曲の並びの必然性のようなものが、いまいち感じられなかった点です。この曲集、10曲(+1曲)を擁する、そのうち6曲を選んだのが今回の演奏で、その点について特段の疑義はありません。しかし、なぜその6曲を選んだのか、あるいはせめて、選んだその6曲でどのようなストーリーを作っているのか、演奏から少し見えづらかったなというのが気になりました。

 それは例えば楽曲における表現の問題であったりします。構造上の和声については十分できているものの、では、その和声が持つ意味合い、あるいは(言語化できずとも)歌詞や旋律に対してそのような和声がつけられている解釈上の意味合い、どのような予備拍により、どのような歌詞が一番最初に歌われるのか――さらに言えば、曲と曲の間をどう待つか、というのも、表現のひとつであるともいえます。

 楽曲が持つ意味合いを深く理解し、それを表現しようとするだけで、信じられないくらいに、声の出し方まで変わってくる――もっとも、あえてこう言うと、「それ以前」の課題は十分クリアできているので、非常に正当に、これからの伸びしろが残っているともいえそうです。

 しかし、この時代に「たいせつなものはぜんぶここにある」と歌われると、否応なしに、感傷的になってしまうものがありますね。


休憩長めに15分。換気タイムでもありますね。


第2ステージ

Vytautas Misinis 宗教曲アラカルト

Cantate Domino

Gloriosa dicta sunt Nr.2

Dum medium silentium

O sacrum convivium

指揮:黒田聖奈


 ミシュキニスの宗教音楽。ご存知の方はご存知のとおり、詞の世界観がそのまま音になったような、時にコミカルで、時にサウンドスケープ的な美しさもある、さまざまな表現が光ります。それでいて、音自体は整頓されている美しさが求められることから、裏を返せば、まさのこの団向きともいえる曲たちでもありました。

 そんな予想に違いなく、いずれの曲も、コンパクトにまとまっていながら、演奏自体の広がりも十分感じられる、コミカルかつ機能的な音楽が光る納得のできでした。特に白眉と言えたのが3曲目。特に今回、少人数ながら非常によく鳴る男声と、集団で美しい音をしっかり鳴らせる女声というこの団のキャラクターも相まって、この曲が持つ風景描写的なユニークさが確かに表現できていました。欲を言えば、”Omnipotens” を中心にもう少し言葉が聞こえてくると良かったかな?しかし、適度な緊張感も表現から感じられ、それだけで十分聞いていられる演奏でした。

 しかし一方で気になったのが、全体の表現によるボリューム設計に音が振り回されていたこと。男声が少ない人数の中でフォルテを出して音作りとしては苦しいことになってしまったり、かたや弱勢において、全体として我慢して鳴らしているなということが顕在化してしまうこともあったり。それ自体、理想に技術が追いついていない部分であるとも言える一方、表現自体を再構築して、例えば周りを弱めてフォルテを出すとか、音自体の弱勢化ではなく、例えばテンポを落としたり声門半閉鎖でピアノを表現したりといった、(諦めではない)代替手段で表現する方法もあったような気がします。

 正面突破にこだわらず、いかにして目標にたどり着くかを考えるのも又、表現のひとつの形であると思います……とはいうものの、私自身、好きですよ、正面突破笑


さらに休憩15分。途中には祝電披露もありました。


第3ステージ

木下牧子・混声合唱組曲『ティオの夜の旅』(池澤夏樹)

指揮:山本啓之(客演)

ピアノ:内藤典子(客演)


 卒団生は慣例にてコサージュをつけてのオンステです。どうしてもコサージュ比率が高い点に、昨今のコロナ禍における団員獲得の難しさがよく現れています。

 で、このメインステージ。もうね、1曲目からやられっぱなしでした。さっきまでとぜんぜん違うんです。確かに音は破綻していないし、ちゃんと音をして表現できているんだけれども、特に1ステで指摘した表現の部分の穴埋めが、あきらかにしっかりできている。もちろんそれは、アインザッツが非常に明瞭で、その実表現に対して非常に雄弁な山本先生の指揮に、そしてそれを見事に合唱団へ橋渡しする内藤先生に導かれてのことではあるんだけれども、それ以上に、この団員の奥底に眠っていた表現に対する意欲がむき出しになった演奏でした。

 特に感動したのは2曲目。山本先生がね、容赦ないんです。おそらく体感以上に速いテンポでの進行、その中に言葉をしっかりとはめていかなきゃいけないので、非常についていくだけでも大変だったのではないかと推察します。しかし、そんな中にあっても、必死で食らいついていって、海の雄々しさを表現しにかかっていく。それを見ているだけで、表現であり、ドラマであり、これまでには十分に聞こえてこなかったアポロンの歌のもうひとつの側面がまざまざと映し出されてきました。

 これまでも見せてくれた、あんなにピュアな演奏で、あんなにガツガツと表現されたら。見事に作り出された海の諸相を眺めていて、しばらくこの世界から離れたくない、ずっとこのローラ・ビーチに没入していたいと思わされたのは、本当に久々の経験でした。

 間違いなく傷のある演奏でした。一瞬縦がズレてた気がするし。もっと洗練された「ティオ」は、掘り起こせばいくらでも出てくると思います。でも、こういう演奏って、そんな傷、どうでも良くなるんです。嘘偽りなく。間違いなく、今年の「ティオ」の決定版と言えますし、第59回アポロン唯一無二の演奏となりました。


・アンコール

木下牧子「よかったなぁ」(『うたよ!』より/まど・みちお作詞)

指揮:山本啓之(客演)

ピアノ:内藤典子(客演)


三宅悠太「私が歌う理由」(『二つの『理由』』より/谷川俊太郎作詞)

指揮:黒田聖奈


 2曲目は指揮者挨拶の後、コサージュをつけた卒団生が前に出ての演奏。まさに「そこにある幸せ」をうたう2つの曲たち。前のステージが非常にいい意味で興奮していただけに、しっかりと落ち着く曲たちが、穏やかに私たちの心を満たしてくれました。


 少し短いものの、非常に充実した演奏会でした。とはいえ、ストームがないのは、やっぱり寂しいですね……(アイフォニックホールでできたかどうかはともかく)。


・まとめ


 このところ、学生団のほとんどは存立の危機に見舞われているといって過言ではないと思います。

 もちろん、消えてなくなろうとしている団にとって壊滅的な危機であることは言うまでもなく、それに留まらず、そこまでは行かずども、先述のとおり、ほとんどの団は演奏機会はおろか新歓の機会すら奪われてしまいました。その結果、団員数減少の未来が決定的であるだけでなく、対外的な活躍の機会、あるいはその可能性が奪われたことで、おそらくはいつになく「なぜ歌うのか」という問いを自らに課し続けているのではないでしょうか。

 一般団ならいいんです、そんなこと知ったことかと言わんばかりに自主公演を続ければいいんですから。資力・運営力の観点から、定期以外はどうしても参加型イベント(合唱祭・コンクール等)や依頼公演に比重がおかれがちな学生団は、今日のアポロンも「最初で最後のステージ」という状況にあります。大学合唱団シーズンにあって、例年と比べるとあまりに少ない挟み込みチラシに、思わず感情的になってしまいました。


 演奏機会の減少に伴い、(これまでの基準で言えば)得られる経験がかつてより減っていることも否めない事実です。私たちが想像している以上に、経験が解決してくれることが多いというのを、肌身に感じるこのところ。昨年一年ステージを組めなかったということだけで、運営の「こなれた感じ」に翳りを作っているのを、(別にライブ配信についての知見が増したとはいえ)むしろ否定してはならないように思います。

 しかし、強調しておかなければならないのは、今の学生たちがヘタになったというわけでは、決してないことです。今日の3ステ2曲目「海神」で山本先生に喰らいついて咆哮するアポロンの団員は、まさにわたしたちがこれまで見てきた大学合唱団の姿そのものでした。稚拙かもしれない、コンクールに出しても次には進めないかもしれない、しかし、そこにあるのは、まさに音楽、芸術、表現、そしていうなれば、現実に対するアンチテーゼとでもいうべきもの、そのものであったといえるのだと考えています。

 技術上の課題は間違いなくあった、構造的に経験が不足することによる稚拙さもあった。しかし、今日のアポロンの演奏会は、間違いなく、これまで何度も見てきた大学合唱団の大団円まさにそのものといえるものでした。


 聴き手の皆さんに是非お願いしたいことがあります。大学合唱団の演奏会に、是非足を運んであげてください。流石に遠征に賛否両論があるのは重々承知していますので、県内、あるいは、自分の出身団の演奏会。そして、どこかコロナを感じさせない忌憚ないコメントを、彼らに投げかけてあげて欲しい。合唱がこれまでの姿を取り戻し、あるいはこれまで以上の地平を見せるために必要なのは、目標となる路標であり、そこへの道筋であると信じます。それは決して「コロナで仕方ないけど出来てよかった」とか、そんな甘っちょろいものではないはずです。音楽の出来栄えと、感染対策に、なんの関係もないはずなのです。筋力が落ちたならまた鍛えなくてはならないし、発声が悪いなら学び直さなければならないし、音程が狂っているなら耳を鍛えなければならないし、表現が縮小するなら制約をもとに表現を考え直さなければならない。今できることを一生懸命やるというのは、以前からの縮小均衡を考えることではなく、制約を引き直した上で最適解を考えることです。そのために、私たちは歩みを止めてはならないし、その先に、コロナ前、果ては1990年代以前のような大学合唱団の新たな輝きが、再び見えてくるのではないでしょうか。


 辛く、苦しくとも、今日のような演奏を愚直に繰り返し、合唱音楽の表現の地平を広げていくーー結局のところ、それが、学生団はじめとする各合唱団存続の唯一の道であり、彼らに課せられた使命なのだと思っています。ひいてはそのことにより、学生団の伝統も守られていくのだと信じてやみません。……とはいえ、彼らが悪いわけじゃないのだけれども。


 ご盛会、本当におめでとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿