おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2022年2月6日日曜日

【名古屋大学混声合唱団グリーンハーモニー クロージングコンサート】

2022年2月6日(日)於 豊田市コンサートホール


第1ステージ フィナーレのために

Mendelssohn, F. B.「団歌 森にわかるる歌(原題: Abschied vom Walde)」(J. von Eichendorff(津川主一・訳))

信長貴富「初心のうた」(混声合唱とピアノのための『初心のうた』より、木島始・作詩)

千原英喜「寂庵の祈り(無伴奏版)」(混声合唱とピアノのための『ある真夜中に』より、瀬戸内寂聴・作詩)

水井敦子・混声合唱とピアノのための「渚の、、、」(山田洋子、水井敦子)

新実徳英「聞こえる」(混声合唱曲集『空に、樹に・・・』より、岩間芳樹・作詩)

團伊玖磨「河口」(混声合唱組曲『筑後川』より、丸山豊・作詩)

指揮:内藤彰(1)、大西悠斗(2,3)、川口昂彦(4,5)、中村貴志(6)

ピアノ:重左恵里(2,5,6)、戸田京子(4)


Intermission 10 min.


第2ステージ 愛唱曲ステージ

団歌 森にわかるる歌<リモート参加者との多重録音演奏>

オランダ民謡(arr. 中村仁策)「サリマライズ」(森田久男)

Mozart, W. A. “Ave Verum Corpus”*

イギリス民謡(arr. 小林秀雄)「ピクニック」(萩原英一)

佐々木伸尚「夜のうた(ピアノ伴奏付)」(リモート参加者の録音と合同演奏、阪田寛夫・作詩)*

指揮:藤森徹(代:川口昂彦)

ピアノ:重左恵里*


Intermission 10 min.


第3ステージ

高田三郎・混声合唱組曲『水のいのち』(高野喜久雄)

指揮:内藤彰(1,2)、中村貴志(3,4,5)

ピアノ:重左恵里


encore

木下牧子「鴎」(三好達治)

指揮:大西悠斗


***


 コロナ禍にあって合唱活動が苦境を強いられてるというのは、当方かねてから本ブログにおいても何度も言及しているところです。また、それは、特に学生団にあっては文字通りの死活問題であるということも。

 ただ単に演奏会が開けない、というだけでなく、団員が集まらない、集まってもリモートでの活動には限界がある、集まろうとしても大学に止められる、インカレで人を集めようにも、大学がそういった活動を良しとしない、良し悪しはともかく、様々な要因が重なり合って、大学合唱団という一つの文化が消滅の危機にあえぐというのは、象徴性を通り越していよいよ現実そこに迫る危機として迫ってきています。

 そして、その危機が、いよいよ形となって表出してきたな、というのが、今回の演奏会に象徴的であると考えています。名大グリーンが昨年度で現役活動を終了し、今年度、クロージングと称して旗を畳むとの報は、名古屋にて大学合唱に関わったことのある人間としては正に衝撃というほかありません。

 名古屋大学において活動する合唱団は、随分前に歴史的趨勢の中に名大男声が活動を終えた以外は活動を休止するような縮小の動きも少なに、名古屋大学医学部混声合唱団、名古屋大学混声合唱団、混声合唱団名古屋大学コール・グランツェ、そしてこの名古屋大学混声合唱団グリーンハーモニーの4団が盤石な活動地盤を以て続けているという状況から長らく変更はありませんでした。もちろんこの間、大学合唱団の活動休止は、愛知大学男声、愛知教育大学男声など、いくつか見られたことではありましたが、よもや名大の、それも混声合唱団がこのような事態に陥っているとは、人数減少の報を聞いてこそいたものの、決して想像出来ていた事態ではありませんでした。

 名古屋大学グリーンハーモニーは、パンフレットによると、もと学生運動が盛んな1967年に、当時学生運動的な合唱曲が跋扈していた中にあって本格的な合唱をしたいという思いから集った仲間による合唱団。その際、当時のメンバー構成からか、女声は外部の大学から引っ張ってくるということが一種の伝統となっていたこともあり、傍目にはひときわ華やかな(?)合唱団という印象があります。数奇な運命の導きで、今の愛知県の合唱界を引っ張る人材を多く生み出し、果てはかの有名な合唱指揮者も一時期在団していたこともあるというのに象徴的な、非常に特異な活動で耳目を集めていた印象があります。

 そんな精力的な活動をしている団が、いくら団員減少のなかにあったとはいえ、活動休止まで追い詰められるというのは、コロナ禍においても名古屋の大学合唱において歴史の特異点であるといえます。永く歴史を持ち、多くの優秀な合唱人を輩出してきた合唱団がその歴史に幕を閉じるというのは、いよいよ、その影響が表出してきたという実感を感じさせます。ーーそれだけじゃないと思うんだけどさ、多分、いや、きっと。そう信じたい。逆に。


***


 とはいえ、この演奏会、まさに、そんな華々しい歴史を持つグリーンハーモニーのクロージングにふさわしいプログラムというべきではありませんか。文字通り愛唱曲として緩徐するのは2ステのみ(それも、演奏会の趣旨からして絶対になくてはならないものです)、それ以外は団の全力を込めて作り上げる大曲そろい、それも3ステにあっては「水のいのち」全曲。なかなか出来たものではありません。しかも、コロナは相変わらず猛威をふるい、10回もない練習が2回リモートになり、挙げ句、2ステの指揮者はコロナ絡みでオフステの由。そもそも、OVだけで1つの演奏会を組み上げるということが少ない中にあって、まずこの企画を成立させ、無事とは行かずとも、なんとか開催にこぎつけたことは、まずそれだけで称賛に値します。

 まずは創団時の初代学生指揮者である内藤氏による団歌。メンデルスゾーンの邦訳による同曲の団歌制定史、氏に曰く「ジョイントをやるに当たりエールで使う曲がなかったので、愛唱曲の中から、緑とも関わりのある同曲を選んで以来、団歌として定着した」由。そもそも、そのジョイント自体も、ジョイントする先はおろか団員すらろくに集まっていない状態でホールだけ取ったというのだから、ぶっ飛んでいる団は最初からぶっ飛んでいるのだなぁと思い知らされます。

 そんな同曲とともに、最後の現役正指揮による2曲、同団団員の作曲から出版までこぎつけた「渚の、、、」、そして大団円の「河口」に至るまで、いよいよ同ステージの規模はわずか1ステージでありながら充実の6曲構成でありました。最初、まるで別れを惜しむかのように、ゆっくりと、包みこむようなハーモニーが印象的であったところ、「河口」に至っては(曲がそうさせた?)、充実の大ボリューム。最初、どこか鎮痛な雰囲気が漂っていた客席も、気付けばすっかり温まって、1ステからすでに、団員が全員捌けるまで拍手の鳴り止まない演奏となりました。

 第2ステージは愛唱曲集。団歌のリモート演奏というコロナに象徴的な演奏に始まり、通常と比べて非常にポップなテンポで進行する「サリマライズ」、愛唱曲として見事歌い慣らされた「Ave Verum Corpus」、新歓の賑やかしに一役買っていたであろう「ピクニック」、そして最後は、リモートと思いをひとつにした「夜のうた」に至るまで、グリーンハーモニーとはこんな団だったんですよ、というメッセージが存分に込められたステージとなりました。そう、きっと、真ん中3曲を思い起こすに、きっとこの団は、笑顔が絶えない、楽しい団だったのだと思います(そりゃ、運営に苦労は尽きないってのはお決まりなんだけどさ)。そして、指揮者もコロナの関係で代打する中、リモートの歌声と重ねて奏でる思いは、どこか磯部俶「遥かな友に」のエピソードを思い起こさせるようです。

 3ステは、不朽の名作「水のいのち」を、初代学生指揮者から、末代(とはいえ22年間!)グリーンが指導を仰いたマエストロにバトンタッチしながら。めぐる水の還流を、「たえまない始まり」を、あらゆる世代が邂逅する中で歌い上げました。これがまた、本当にいい演奏だった! しっかりと弛みなく流れていく一方で、表現ひとつひとつに同曲が持つ原風景をしっかりと描写し、まさに水がみせる生命の動きが見えてくるような、本当に心に残る演奏。どのパートもしっかりと主張しつつ(特に終曲のアルト!)、それでいて4パート渾然一体となって音楽を作り上げる、まさに最後の合同演奏にふさわしい演奏となりました。

 アンコールには、きっと、何度も歌い慣らされたであろう「鴎」を、現役最後の正指揮により演奏。こんなに名残惜しい鴎があったでしょうか。「つひに自由はかれらのものだ」というテキストが、深く深く胸に突き刺さります。

 最後まで団員を万雷の拍手で見送り、一息ついて、外を見ると夕焼け。当地には非常に珍しい雪景も気付けば晴れ渡り、寒い中にあっても美しい光景でした。いい演奏会のあとの空って、本当にきれいなんですよね。


***


 いずれにしても、このような歴史ある合唱団を、積極的な広報も少なに、このまん延防止等重点措置下において、万雷の拍手ながら、5割に満たぬ客席の中で見送らねばならぬこと、その悔しさを、我々合唱人は、否、合唱愛好家は、決して忘れてはならないのだと思います。その存在とともに。

 ーーそう、忘れていなければ、きっと私達は、また邂逅できるのです。かつて私が在団したある大学合唱団も、活動休止の憂き目に一時あいながらも、見事復活を果たした団なのですから。旗は畳めど、また広げればいい(その際の労苦こそ大変なものはあるでしょうが)。

 所属団の音楽監督が常に言い続けている言葉があります(その人、この言葉をそこらじゅうでおっしゃっているようです。同志の皆様、恐れ入ります)。「合唱は、無理してでも続けろ」ーーライフスタイルの変化によって、続けることが苦しくなる時期もあるだろう、そんな中にあっても、続けてこそ奏でられる音があり、得られるものがある、そんなメッセージです。そう、グリーンハーモニーという箱がなくなってしまっても、まだ私達には、合唱という共通言語があります。まるで何かの呪いのように歌を奪われる経験をした私達をしても、グリーンハーモニーがこの演奏会に至るくらいに、歌は結局、私達から切っても切り離せないものでした。私達には歌があり、歌がある限り、続けている限り、また巡り合うことができる。そう信じています。

 グリーンハーモニーの「たえまない始まり」に寄せて、本稿のその記録が、せめてその記憶の一助となりますことを。本当にお疲れさまでした。