おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2019年9月14日土曜日

【劇団四季「パリのアメリカ人」名古屋公演】(ネタバレなし)

2019年9月14日(土)夜公演
@名古屋四季劇場


 パリの都は美しい、と誰もが宣う。

 そんなパリの都に憧れて、多くの人が夢を求めて身を置いた。そして、大きな夢が叶う中で、多くの夢が散っていった。歴史に語られることではないが、美しさの影に潜む、曲げようのない真実だ。パリの都は美しい。その美しさを光らせる多くの影が、かの街には横たわっている。
 何も、今に始まった話ではない。あるいは、多くの夢が生まれ育ち始めていた時代にあっては、その影の大きさは、今よりも甚大なものであったかもしれない。多くの人は、散った夢を語らない。その大きな影の上に横たわり、私達は大きな光に万雷の拍手を送る。
−−故に、どこのどんな夢にしたって、そうかもしれない。叶えられない夢を噛み締めて、叶えられた大きな夢を称える人の、生々しい命の輝き。

 二度の大戦のあとという時代は、どんな場所にあっても、大きな喪失の中にあった。我々の先祖が経験し、そして語り継いできた喪失、そしてそこからの恢復と、二度の大戦に渡り物質的にも精神的にも一度崩壊した大陸ヨーロッパの風景が重なり合い、舞台は、あっという間に立体感をなしていく。−−崩壊と混乱の中で見つけたささやかな希望が大きく膨らみ、虚無から一歩踏み出す力を得ようとするまさにその時、時代はその力により、大きく美しく輝き始める。
 誰もが、夢を見る時代だった。何もないのだ。生きていくためには、夢を見るほか仕方ない。何もないのだ。それらの夢は、多くの希望を生み出した。何もないのだ。ささやかなことから、期待が、希望が、たちまち踊り出し、小さなところから、大きく時代が動き出していく。
 誰もが、価値観を疑った時代だった。多くの物質が崩壊するのと同時に、多くの価値観が崩壊していった。昨日まで世の中の常識だったものが、時代の名の下に簡単に破滅させられる。誰もが疑いを捨てられない。その中で、ささやかな真実を見つけるために、心がざわめく。
 誰もが、新しさを求める時代だった。疑われた価値観のもとに新しいものを生み出すためには、その疑問を顕在化するにはとどまらない。時代は、縁となる新たな世界を追い求め、描き、奏で、作り、見せていった。

 夢は、少しずつ形となり、新たな価値観が生まれ、新しさがニュー・スタンダードを生み出した。人々の意識は少しずつ変わり始め、育ち、大きな希望が光となってもたらされていった。でも、何も、なにか騙るわけではない。プロセニアムの中が燦然と輝くためには、舞台機構には大きな闇が必要である。私見に過ぎないが、素晴らしい演劇空間は、漆黒の闇の中に生まれる(時折、私達もまた、その闇の中のひとりである)。
 希望という光を願うものをも、誰もが輝けるわけではない。ときには、美しく輝くもののために、闇の中に模索する時間が必要なこともある。否、もっと言うなら、誰かの光のために、ある者はその場所では永遠に輝けないものだってあるかもしれない。だから、スターダムの物語は、その反動に、ときとしてとても残酷な闇をもたらす。
 誰もが、輝くために精一杯の努力を惜しまない。太陽になれないなら、月になっても構わない。それでも、光り輝くものに憧れ、美しさを追い求めるのは、人の性なのかもしれない。

 多くの美しいものが、この舞台では描かれた。でも、それ以上に、美しくなれなかった人々の美しさを、この舞台では見せてくれた。戦後すぐのパリの世界の、希望を取り戻そうとする人々の、輝きを求める人々の美しさ−−パリが目指した美しさそれ自体ではない、この舞台が描き出したのは、その姿そのものの美しさ、群像劇である。
 プロジェクションマッピングの波がもたらした、世界観の激動に、舞台装置そのものが世界の、時代の動きを活写する、まさに私達の感覚を刺激する展開で、私達を時代の濁流の中に巻き込んだ。その新しい価値観に翻弄される中にあって、活躍するのは、あくまで人間の美しさである。何も、それは観念的な美しさにとどまらない。確かな技術に裏打ちされた、バレエを大胆に主軸に据えた力強いダンスが、ガーシュウィンの人間的で生々しいビートに支えられて、美しくこの世界を肉付けしていく。
 新しい価値観を求めたプロデューサーと、バレエを専業とした演出家、そして舞台そのものが踊るデザインが引き出した、何よりも美しい、生々しい人間の美。その美しさが、この世界自体を、美しいものへと変えていく。その中に犠牲となって払われた、多くの「闇」に心から敬意を表したい。多くの候補の中からオーディションで選ばれ、そして、ときにスタンダードなミュージカルとは異なる制作、演出、そして、パリの初演に始まった言語の壁、さらには、時代に合わせるために再構成された世界観……。すべての努力が、この作品を美しく蘇らせた。

 戦後直後、それは、個人の情動が、たちまち世界を動かしていく時代だった。−−時代、だった? 
 そう、何も、過去に限定するでもない。今でも、一人ひとりが、夢を見て、価値観を疑い、新しさを求めていく。歴史の中に語られるミュージカル映画の名作は、我々が持つ夢を表現し、新たな価値観の中に生まれ変わって、私達の許に届けられた。なにせ、生身の人間の群像劇である。そのすべてが光を放ち、すべての物語が、美しく輝く。その結果がたまたまプロセニアムの中にしかなかったとしても、美しさをつくる原動力は、そのすべての夢の中にある。
 私達は、ときに、プロセニアムの闇になる、と書いた。一方で、私達は、ときに、そのプロセニアムの光を作るための、燦然と輝く主役に躍り出る。
 この物語は、私達の物語である。

2019年9月8日日曜日

【パナソニック合唱団第44回定期演奏会】

Panasonic Choir 44th Annual Concert
2019年9月7日(土)於 ザ・シンフォニーホール
7 Sep., 2019 @ "The Symphony Hall" (Osaka, Japan)

これは罰だ!練習サボった罰だ!
金曜日から大阪にいましてね。遅めの夏休みをいただいて、アーバンライナーデラックス席(電源つき)に乗り、北摂へ向かい能勢温泉へ(もちろん部屋には電源あり)。温泉でゆっくりしたら、季節には少し早いかもしれないけどマツタケ尽くしで今年の秋を覚え、翌日は、早4年越しの念願たる箕面大滝へ。最近買った一眼の練習かねがね写真撮ってたら汗かいて仕方なかったのでそのまま箕面温泉へ。うどん啜りつつさぁいくぞと演奏会。演奏会は存外に長いようだったので取ったバスチケット(電源つき車両)を590円のキャンセル料とともに放出し、キャンセル料が痛いなぁと思いつつ帰りの特急は普通車をチョイス。さぁ書くぞと思ったら、
PCの充電がない……しかも最後に限って電源がない……

ということで、レビューが遅くなりました。だいたい夜の演奏会に遠征して日帰りやってると、外でPC広げて書いてるんですよねぇこれが。今回は、プログラムとこの前書きだけスマホで書いて、あとは家帰ってPCで。スマホでウムラウトの変換方法知らないから、家帰ったらサンドストレムの綴りちゃんと変えなきゃとヒヤヒヤしてます←
そんなわけで久々のレビューはパナソニック合唱団。職場部門の雄ですね。関西では、いや日本の職場合唱界で、と言っても過言ではないかも、日本製鐵混声合唱団と双璧をなす名門です(決して福島県庁を忘れているわけではない笑)。職場部門の枠組みがコンクールからなくなっても、その存在を世に知らしめる優秀な団体。なんせ去年も全国銀賞団体ですからね。そんなすごい団なのにパナソニックの職場団って、もう本城センセなんか、ホントにパナソニックで勤務してるんすかね(褒め言葉)で、今回のプログラムの注目といえば、ドブロゴス初演。否もう、関西だからって簡単にドブロゴスさん呼べるわけじゃないんだからね?笑 しかもそれに方舟まで重ねてくるという、なんだもう、完全に厨好みプログラムやないか!!笑 そりゃチケット頂いた勢いで北摂旅行までしちゃうってもんですよ!(何

・ホールについて

ダークブラウンの内装に、鮮やかなステージのライトブラウンがよく映える。トイレに入ればウェルカムカードが置いてあり、ロビーの一角にはアクアクララが置いてある、相変わらず本当によく行き届いたホールです。アナウンスだって、会館が持っている自動アナウンスが、 飴やビニール袋の雑音にまで言及するくらいのきめ細やかさですからね笑
しかし木造ばかりではなく、壁はタイル貼りとなっていて、反響も抜群。ホームページをして「残響2秒にこだわった」と書いてあるだけあって、その実力は本物です。びっくりするくらいすっきりとした響きが最後まで飛んできます。しかも今回、正面は満席近かったのに、よどみなく2秒。それだけ。
今回は、ただ、ひな壇がだいぶ後ろ目でした。目一杯最後列かしら。多分、この演奏会のラストで弦楽とピアノのアンサンブルがあることによる措置だったとは思うのですが、それがちょっと響きに影響していたような気がします。後述しますが、多分ここ、一番響くのがステージの真ん中なんですね。そういった意味で、ちょっと響きが奥に引っ込んでしまって、鳴りが弱いような気がする面も。

かの有名な社歌の演奏はなく、そのままプログラムへ笑

第1ステージ:4人の指揮者によるアカペラ宗教曲
Ryan Cayabyab "Aba Po, Santa Mariang Reyna"
指揮:米澤康浩
Herbert Howells "Salve Regina"
指揮:古賀順子
Josu Elberdin "Cantate Domino"
指揮:髙木俊一
Sven-David Sandström / Henry Purcell "Hear My Prayer, O Lord"
指揮:本城正博

1曲目。一番最初の鳴りが、バランスがややアルトが大きく、大丈夫かな、と思ったものの、ピアノの繊細さ、そしてそれを表現することに徹する様が何より素晴らしいところ。そしてなにより、長調のハモりが明るく決まって美しいのが、関西の合唱を聞きに来たなぁ、と思わされる。これがすんなり決まるのが本当に爽快。でもやっぱり、ソプラノがもう少し強いほうが華々しさがあってよかったかも。
2曲目。非常に振りが美しかった。で、音楽面でも、劇的な展開がよく表現されていて、それでいて無理のない表現が出来ているのは、フレーズがよく捉えられているっていうことかしら。
3曲目。この曲、乗るとお見事! 指揮がいかんというわけでは決してないのですが、非常に良い意味で指揮を無視できています。6/8のテンポで軽やかに進んでいく主題が、歌ううちに相乗効果をもたらして、どんどんと進んでいくさまが本当に気持ちよく聞けました。カンターテ・ドミノの真髄、否、実はこの団のアンサンブルの真髄がここにあったのかも。
4曲目。何が違うって、出だしが全く違うんですよね。出る音がpianoっていうのはこのステージでは非常に多かったところ、特にこの曲の、繊細さ、集中力のもたせ方が、目に見えて違う。なるべき音をよどみなくしっかり鳴らす。確実なpianoがちゃんと鳴る。当たり前っちゃそうなんですけど、非常に難しいんですよね。そして、"cry"というテキストをきっかけに、どんどんと音圧を、凄みを伴ってましていくアンサンブル。最後は落ち着き、平穏な和音のうちに語られる"Lord"。気づいたら引き込まれていた。こういうことですよ。

第2ステージ
木下牧子・混声合唱組曲『方舟』(大岡信)
指揮:本城正博
ピアノ:内藤典子

第1ステージからそうでしたけれども、残り香のように響く和音のさりげなさが非常に美しい。残響豊かなホールに溶けていく音。だから、この曲特有のオノマトペがハーモニーを作り出していく様子も、とても美しく決まって行く。表現も、「私達、ちゃんと表現しています!」っていう押し付けがましさもなない、自然に、歌詞の表現に寄り添ってくれるから、音楽に、心の中に、すっと入ってくる。
特に2曲目は絶品でした。緩徐楽章をいつまでも聞きたいと思わせることは、本当、中々出来ることではない。
とにかく、本当に素晴らしかった!目に見えてすごい、という感じではなく、心の中にそっと入ってきて、離れない感じ。ビブラートが結構効いていたりするので、バチッとmidiのように揃っている、という感じにはならないのだけれども、実はそんなことはナンセンスなんじゃないかと思わせるような。心の機微が、こんなに、音だけでしっかり表現されている。
終曲・方舟だってそうです。最後にわずかなaccel.があって、一気に音楽が高揚していく。その高揚感は、ここまで表現できるものなのか!そして、その高揚感が突然の幕切れをより鮮やかなものにしてくれる。一種の構成美なのだと思います。こんなに風景が見えてくるなんて。なんてこった。正直、この曲で涙腺緩みそうになるなんて思わなかった(疲れ目かな?←

インタミ20分。

第3ステージ
arr. 名田綾子・混声のための童謡名歌集『日本の四季めぐり』
1. 花(滝廉太郎/武島羽衣)
2. 夏は来ぬ(小山作之助/佐佐木信綱)
3. 夏の思い出(中田喜直/江間章子)
4. ちいさい秋みつけた(中田喜直/サトウハチロー)
5. 冬景色(文部省唱歌)

2ステージ集中するステージが続くと、やっぱり、こういうのあるとホッとしますね笑
名田先生による、童謡に様々なジャンルを混ぜて遊んだ新感覚の唱歌集。本当、この団、指揮によってアンサンブルが変わる側面はあるものの、自律的なアンサンブルが本当に優秀な団。様々なジャンルを織り交ぜた曲であるからにして、音楽に対しての反応の良さが求められるところ。それに対して、非常に機敏にアンサンブルが反応してくれる。それも、大げさなことをやるわけではないんですよね。派手な表現に惑わされることもない。ちゃんと、いるべき場所に自然といる。音楽の中に、ちょうどその位置に、アンサンブルがいてくれる。ちゃんと伏線をつくってくれている。出てくるところはでてきて、ある時居残る音が朴訥に聞こえてきて、はっとする。
アレンジもそうですが、そのアレンジを十分に引き出すこの曲、この団。こんな曲だったんだっていう発見を、いくつも見せてくれる。当たり前のことをやっているだけのように見えて、でも、その当たり前が、この曲をビビッドに描き出してくれているようです。別に華やかなことやているわけでもないんだけど、それだけではないワクワクをいくつも色付けさせてくれる。本当、よく行き届いたステージです。

名田先生がお見えになっていたようです。

第4ステージ / 4th Stage
Steve Dobrogosz "MASS ROMANUM"《Premier》
'APOLLO'
'MINERVA'
'JUPITER'
'DIANA'
'BACCHUS'
'VENUS'
Cnd. by HONJO Masahiko(本城正博)
Pf. by Steve DOBROGOSZ
Strings by Ashiya Symphony Orchestra(芦屋交響楽団)

で、この団にこの曲です。ジャズを第一とするドブロゴス氏による、様々なジャンルを織り交ぜた楽曲。代表曲"MASS"といい、氏はこの編成がお好きなのでしょうか。
楽曲は、ローマ神話をベースにしながら、それを様々な音楽で脚色して、独特の世界を作り出します。アポロは華々しく、圧倒的なインパクトと推進力、そしてテンポの速さに加えて強烈な協和音が鳴らされます。そのままataccaではじまる幻想的なピアノソロから描かれるミネルヴァで、世界がひらけていきます。ユピテルでは、荘厳な空気の中に壮大な世界が表現され、その後続いて茶目っ気たっぷりで奔放なゴスペルが豊かに歌い上げるディアナ。5拍子が小気味よく細かい音を叩き、技術を見せていくバッカス。そして、最後はスロージャズで、落ち着いた中に閉じられるヴィーナス。
奇しくも一番響く場所に置かれている、良い意味で遠慮のないドブロゴス氏のピアノの中にあっても、非常によく表現されていました。なにより、初演であるにも関わらず、この音楽が何をしたいかというのを十分表現出来ているのが素晴らしい。先刻までのステージで、この団が音楽をよく捉え、自発的に表現できるということが非常によく顕れていますからね。特に、ユピテルの最後、フォルテで入ったところから、最後に向けて更にボリュームが上がっていくのは、音楽が一気に立体感を見せるお見事な表現。さらに、最後、nomine amore と歌うときの男声の甘美さが、溶ける音楽の中で際立っていきます。最後、静かに溶けるように終わっていくのが印象的ですよね。
素晴らしい曲であるだけでなく、なにより、素晴らしい表現に支えられた演奏により、初演にしてひとつの完成形を見せてくれました。否、お見事。

で、作曲家コメント。通訳の団員も出てきて、何が始まるかと思ったら、ドブロゴス氏が日本語(メモ付き)で挨拶し、それを団員が英訳するという茶目っ気ぷり笑

encore.
Steve Dobrogosz "Agnus Dei" from "MASS"

そして、これがもうたまんなくよかった。ドブロゴス氏のフリーなピアノが自然に入ってきて、メロディが自然に持ち上がっていく。そういえば、もう夜も更けているのだとふと思い出す。開放感と、その中に広がる世界、演奏会の終わりを予感させるからにして、しかし、終わらせてくれるなという名残が、そこに音楽を以て横たわる。ピアノの高音が踊る。音がだんだんと遠くなっていく……
アンコールであるにして、こんなに美しいステージを見るのは、初めての経験だったと言えるかもしれません。

・まとめ

こんなに音楽の世界に浸れる演奏会、そうないなと思わされる、素晴らしい演奏でした。否、どちらかというと、音楽自体が自然に世界を作っていたというのが自然でしょうか。多分、やっていることは、当たり前のことでしかないのだと思います。記譜の内容を愚直にやる。でも、それを非常に厳密に守っている。そこの中から出てくる自然な個人の音楽性が、溢れ出てきて、音楽をたまらなく魅力的なものにする。
職場合唱団というのは、ある意味、学生合唱団並に同質的な集団です。しかし、その合唱は、どちらかというと、一般団に近い性質を持つ。これまでやってきた様々な音楽の集合体が、新たな音楽を作り出す。この時、新たな価値観のもとにまとめ上げる作り方と、個々人の音楽感を、最低限まとめる方法と、様々あると思います。どっちがいいってわけでもないけど。
自発的な表現って、それでも、誘発するのって難しいんですよね。合唱って同質性をどうしても求めるものですから。強制力で縛ろうとすると、結局、音楽が固くなってしまう。自発的な表現を保つためには、べき論ではなく、わずかなナッジで自発的な表現を守っていく必要がある。
すると、結局、合唱団員自体が音楽の幅を広げていく必要があるのだと思います。自らの知っていることの範囲内でないと、表現って出来ないですから。その、知っていることを広げていくためには、合唱団員自身の知識が広がっていくことが大事。だとすると、結局必要なことというのは、様々な音楽を知っていくこと、そのことが最も肝要なのだと思います。
今日の音楽は、本当に、自由で、解き放たれていて、美しかった。どの団員も、音楽に満ちあふれていた。その音楽の只中に、私自身も浸ることが出来たこと。ーー幸せな時間でした。