おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2014年12月24日水曜日

【大阪大学混声合唱団第56回定期演奏会】

2014年12月23日(火・祝) 於 高槻現代劇場・大ホール

チケット代1,200円也
(内・チケット代本体500円、ビラ込みのために勝手に持ってきたスーツケースをいれるためのロッカー代700円)

最近にしては更新が遅れ、申し訳ありません。さて、昨日は2年連続で阪混でした。ちょっと、選曲で、気になる点がありましたので。しかし、相変わらず今年もビラ込みからのスタートである。
しかしまぁ、去年の演奏と比べてどんな音が鳴るだろうか、という比較にも興味がありました。……嫌がらせじゃないよ?w ホールも違いましたし、去年は、ある意味、初演と大々的な合同に色々持ってかれたって思いは素直にありますし……とはいえ、今年も団員数134名という大所帯みたいですけどね笑すごいわこれ笑団員だけで圧巻の5列オーダー。
しかし、大阪では間違いなく偏差値第1位団の一角だろうと思われるこの団(他、阪大男声、フロイント、テンペスト)、何かこう、色々とスペック高く見えるんですよねぇ……いろんな人見てると(完全に個人の印象ですw)。しかも噂話に、阪混の中にミス阪大がいるという電波話題をキャッチ。一応照会しましたが、事実は確認できておりません……笑

・ホールについて
久々?のはじめてホールですね。この前、あましんアルカイックホールを「ザ・市民ホール」と形容しましたが、なんてことはない、こちらは、それを凌ぐほどの「ザ・市民ホール」。ベルは安定の「B--------------------------」笑 タイル貼りのステージ周辺と、何やら丸い意匠。なんだろう、この、丸いの。そこから出てくるエアコンの送風音が、いつまで経っても、切りたての水銀灯のような音を立てて邪魔してきました← しまいには、非常灯が電球切れ近いのかチカチカしだす始末。どうにかしてくれ!w
そしてこのホール特徴的なのは、絶壁ホールと「真逆」な点。1階席の座席が、いつまでたっても低いんです。最初から最後まで、ほとんど角度がついていない。多分5度とついていない。否、1度といっていいかもしれない(あくまで目算)。そりゃその分、天井は間違いなく高いのですが、それにしてもまぁ、段差が「ある」ホールは数あれど、こんなに段差が無いホールははじm……そういえば、しらかわホールは段差がないホールですね←
そして、多目的ホールにしても、これはすごい。実に響かない。所謂「デッド」と表現されるホールの響き、まさに、ここにあり。高槻をして、「ザ・市民ホール」の名に相応しい……ちなみにいうと、決して馬鹿にしているわけではなく、音圧を十分高めた上でなら、1960−70年代の邦人作曲作品は基本的に「デッド」な方が表現が豊かになるのではないかと踏んでいます。器楽でも、合唱でも。是非皆様、トライしてみてください笑
ところで、この「ザ・市民ホール」、花道がありません。歌舞伎等の代替公演や歌謡曲系のコンサートに備えて、こういう多目的ホールは大体1本は花道を持っているものですが……(1本という例も、東京エレクトロンホール宮城くらいと珍しいものですが)

全体として、ステージの入退場が恐るべきスムーズさでした。100人以上が動いているとは思えないほどの軽快さ。見てて美しかったです。

・オープニング
吉本昌裕「大阪大学学生歌」(立山澄夫)
黛敏郎「萬葉歌碑のうた」(志貴皇子)

さてオープニング。散々語った学生歌への思いと「萬葉歌碑のうた」の成立史については、去年の記事を御覧ください←露骨な誘導
やはり、団旗ピンスポ、指揮者ピンスポ、そして曲の始まりでステージ明転。明転のスピードが早かったか。「朝影さして」あたりでピークが来るとちょうどいい気がする(妙なコダワリ)。
演奏は、全体として滑ってしまったか。惰性で歌ってしまった、といったほうが近いかもしれない。確かに散々歌ってきた曲とはいえ、いずれも歌詩に美しい曲。その良さを活かせるだけの言葉をしっかりと出すべきだった。具体的には、文節の切れ目でちゃんとフレーズを設計する、それだけのことで、この曲の表現は、もっともっと豊かになったような気がします。「萬葉」なら、途中のsub. pをもっとしっかりと示すだけでだいぶ印象が変わったはず。他、細かいことで、「学生歌」おそらくベースの、第三音の合流の仕方をもっと丁寧に(他三声に原因ありやも)、「萬葉」、テナーのノド鳴りが気になった点。
普段から歌っている歌にこそ落とし穴。気をつけたいことです。もっとじっくり聞きたかったなぁ。テンポもちょっと早かった?

第1ステージ
瑞慶覧尚子・混声合唱組曲『あなたとわたし』(みなづきみのり)
指揮:鈴木敬史
ピアノ:山本亮

これが聞きたくてやってきたようなもん。所属団初演曲です。なんという私的事情(そりゃそうか笑)、初演団体として、再演詣では出来る限りしたいものです(意見には個人差があります)。3曲目がヒッジョーに好きです。とても好きです。刹那と孤独の中に潜む感情の発露、あるいは咆哮。もちろん他の曲も大好きですよ、ええ笑 パンフレットの曲紹介が見事でした。ものすごくこの曲を読み込んでいる。キーテキストに据えられたのは、「あなたとわたしは ふたりでひとつ はなれてうまれて ぶじにであえた」。ここでこれだけ読み込める、もしやお主は文豪か←
さて、「終わりよければすべてよし」!? 4曲目はとても良かったです。他、1曲目の「グッピー」の言い方、あるいは鈴木くんの指揮など、とても好印象な点がおおい演奏です(実際、この指揮好きやで!)。逆に、特にベースが語尾を投げ捨てがちだったのと、1回しか出てこない、パートソロで奏でる「生と死の反復」が埋没してしまったこと、あるいは、全体的に母音や有声子音が出だしに来る単語の飛び方がイマイチだったことが課題として挙げられます。とはいえ、各パートの音もしっかり揃っていて和声もしっかりしている。対位の部分も各パートちゃんと歌えていて、聞いていてとても気持ちのいい演奏。でもどこか、窮屈というか、表現の自由度がとても低く思えました。なんというか、周りに沿って歌うことは十分なものの、じゃあ、各個人の歌がちゃんと歌として機能できているか、勘ぐってしまうものがありました。みんなが自由に声を出して、それが支えあっているというのが、特にこういった曲の理想であるような気がします。お互いがしっかり歌い切ることをベースとしないと、ただ旋律をなぞるだけになってしまう。したがって、楽譜という決められた範囲内で、もっと動いていい!それゆえか、良かった4曲目も、クラップはおとなしすぎたか。
……もっとも、初演も中々表現が浅いものでしたけれども←

インタミなしでこのまま暗転、舞台転換。3ステ構成の場合、最近、特に愛知県だとここに10分休憩を入れて、次に15分休憩を入れることが多いものの、ある人曰く、嘗てはこちらのほうが普通だったとのこと。なるほど、ここの10分休憩は、次の演出ステージに備えた着替えの時間という意味合いも強かった点、そういった大事がない限りは、ここの休憩はない方がテンポがいいかも。4ステ構成なら、ここでインタミないのも慣れっこですからね。

第2ステージ
千原英喜・混声合唱のための『おらしょ』カクレキリシタン3つの歌
指揮;馬場麟太郎

またしても演奏したことのある曲。ここまでそういう曲が続くことは、いろんな演奏会へ伺いましたが、さすがにそう滅多あることではありません。最近、何かとクラシック界隈を騒がせた「おらしょ」再評価の流れ。合唱界隈だと、おらしょと言えば、なみいる作曲家たちの作品を抑え、圧倒的人気を誇る千原おらしょ。徹底的に世俗的な流れの中に、ひっそりと、まさに「カクレ」ている、グレゴリオ聖歌による祈り。認められなかった聖を、なんとか俗の中に根付かせ、溶けこませ、そして隠そうとする、その努力が、表面上の音楽と内面の静かな祈り。最後、終止しないのもまた、この曲が生活の只中に根拠を求める一つの所以……とまで言うと、言いすぎかしら。並びは女前男後でしたが、男声の旋律が結構あることを考えると、素直にSATBでよかったような気もしました。好き好きですけど。
さて、この曲、上にも書きました通り、聖俗入り乱れて祈りを段々と描写していく作品です。いわば、俗に隠すようにして、禁令の聖を守るという側面を持っていると解釈しています。その意味では、この世俗的な旋律は、全く迷いのない、ピュアな世俗旋律でなければいけません。雨森文也先生などは、愛知県のワークショップで「ぐるりよざどみぬ」の部分を酒の席のひと唄のように表現せしめたこともあります。それがオーバーにしても、それくらいに、全く見えないところに祈りを隠した上で、逆に直接的にグレゴリオ聖歌を歌うところでは、全てから開放されたように信仰心をぶつける必要がある。宗教曲というよりは、この曲は、一つの戯曲的側面を持っていると言っても過言ではありません。
すると、結局、第1ステージの課題が課題として残り続けます。めいめい世俗を歌う中に、信仰という一つの目的に収斂していく、その意味では、合わせるというよりは、旋律が収束していくといった方が正しいのかもしれません。ここにおける歌詩の意味は、擬態している以上、この歌詩の意味で「なければならない」のですから、まさにそのように歌うべきです。逆にそれでこそ、静謐たる聖の部分が際立つ。やはり、綺麗なアンサンブルでした。千原和音は十分に鳴っていた。しかし、やはり、この部分を抉りにいくことが、ひとつ、とても重要なことのような気がしてなりません。
しかし、自分のメモ、「世俗性に擬態しながら神を歌う曲」って、このメモ書いた脳みそどこ行った……w
あ、そうそう、3曲目の男声ソロの入り、これ以上ないほどに最高でした。

インタミ20分。さすがに長いと思ったのか、幕間。有志(と、ねこバス)合唱でした。
久石譲(arr.若林千春)「となりのトトロ」(中川李枝子)
東混の愛唱曲でも有名……だよね?笑 さすがに人数が必ずしも多くなかったため、リズムパートがホールに負けてしまっていたようには感じましたが、そこは逆に、有志だけあって、テナーをはじめ、各パートしっかり歌えていたのが印象的でした。ただ、この曲、合間合間に合いの手を入れるのが前提となって編曲されている側面があるので(所々不自然に音が薄い部分がある)、そこでもっと遊ばないと、表現が単純になってしまう側面も。しかし、まぁ、楽しく聴くことができたのでヨシッ!
で、祝電披露、どこぞが「混声団」と呼ばれていたが……そんな団あったっけ……?笑

第3ステージ
Sir John Tavener の作品から
「FUNERAL IKOS」(作詩者不詳)
「THE LAMB」(William Blake)
「THE TYGER」(William Blake)
「TODAY THE VIRGIN」(Mother Thekla)
指揮:根津昌彦(客演)

去年逝去されたジョン・タヴナーの追悼も含めて。時代の中で、ロシア正教に改宗し信仰、脳卒中を発症して以来、途中心臓手術を挟みながら、30年以上にわたる長い闘病生活を送ってきた受難の天才。イギリス作曲界の巨匠の一として作曲界をリードしてこられたとのこと。今回は、2曲目と4曲目はクリスマスキャロル。アナウンスは英語読みでした。アナウンス技術にかかわりますが、ここはカタカナ読みでもいいような。まぁただ僕も、自分でアナウンスするとき、英語読みでやってくれ!とリクエストされたこと、ありましたけど笑
客演の根津先生は、阪大男声の出身。阪大OBです。まちづくりを本業としつつ(へー!笑)、合唱では天上花火の主宰、近グリ常任指揮者などを務められています。ところで、根津先生のこの本業の会社、どこかでお名前を拝見したような気がするんですよね……気のせいかしら笑
オーダーはBSAT。最近、これまで試みられなかったオーダーを試みる団がとても増えた印象。面白いことだとは思います。そしてやはり4年生にはコサージュ。その案内のアナウンスがあった瞬間のちょっとした哀愁のひととき。
知らなかった曲なので曲から。非常に好き。現代曲の諸技法の中に、キャッチーなフレーズがかぶさってくるスタイル。酸いも甘いもみーんな楽しめる。特に1曲目と3曲目が好き。否みーんな好き笑 うちのアラカルトに入れといたら結構映える気がする←
アレルヤの一言だけとっても、おらしょの時とは段違いで旨かったのでびっくらこいたのですが、この表現を前半にも持ってきたかったというのが素直な思い! 特に、3曲目の頭の豊かな音量は、前のステージでも積極的に使っていくべきでした。ちょっと英語がカタカナだったなぁとか、a母音の広い方が浅すぎるとか、あるいは4曲目、裏拍が多用されていましたが、その裏拍と言葉の対応がイマイチ付ききってなかったかなぁとか、あるいは3曲目中間部の女声の対位にズレが生じていたような気がしたとかいう点も見られましたが、それにしても、曲も好きでしたが、表現も好きでした。ブラボー!一歩手前!笑←

・アンコール
根津先生:ラター「天使のキャロル」日本語版
天上花火の団員の方が邦訳活動をされているとか。ラターは今度のPFKで新曲初演もあるそうです。
それにしても、名邦訳!非常に曲にあっていて、好きでした。合唱は上手でしたが、欲を言えば、いっそ、この曲のほうを日本語の方に引きつけて、日本語に合わせてフレージングしても面白かったかもしれません。うまく「手懐けたら(なんつー表現だ!w)」クリスマスの定番ソングにできそうなくらいに印象良かったです。いやもう、「きよしこの夜」に並びますよ、この曲。

馬場くん:信長貴富「青空」(『雲は雲のままに流れ』)
最後のステージの印象のまま、よく音が鳴っていました。アンコールがよく聞こえるというのは、アンコールの宿命なのだろうか笑 すごく素敵に響いていました。

そして、卒団生を前へ。アンプラグドで団長挨拶。あとちょっとまで思いが出かかって、なんとか堪えた。

・エンディング
武満徹「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」
この選曲のセンス!すごく良い!もう、タイトル含め、この歌詩に全部思いが詰まってるんじゃないかなって。こみ上げてくる思いとともに、本当によく歌い切りました。正直ねぇ、グッと来ましたし、これが一番良かったんじゃないかしら笑

さすがに、ロビーコールは出来なかった模様……「ザ・市民ホール」、ホワイエ狭いし、階段まであるしね笑

・まとめ
ここを書くのにずーっと悩んでました(あと、個人的なことで誰某と大喧嘩してちょっと書く気になれなかった……←)
とても評価に値する演奏会だったと思います。特に最終ステージのタヴナー。精緻なアンサンブルと表現の巧みさに、聞き入ることが出来ました。
しかし他方で、1,2ステージでは表現の不足感がどうしても目立った。以前どっかしかで書いた、大人数合唱のジレンマ、というのにハマってしまっている印象も拭いきれません。もちろん、人数いればそれだけアンサンブルも成立しやすくなります。他方で、音質や表現の質を揃えるのに難儀してしまう傾向にあり、ともすると、「縮小均衡」的に、小さい方小さい方にまとめてしまいがちです。それでも、聴くことはできるから。
中規模〜大規模の、現状多くの合唱団に言える。今ひとつ、アンコンの優秀団体のように、「拡大均衡」を目指されては如何でしょうか。しっかりと音を出す、そして、しっかりと表現をする。それを、クサいぐらいに追い求めて、一つの大スペクタクルを十二分に表現出来るだけの力を身につける。そうでないと、『おらしょ』のような曲を表現する時に、どうしても限界が来てしまう。
その成果の先のいいお手本が、タヴナーだったり、「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」だったりするのだと思います。今後共たゆまぬ努力を。しかし、3ステながら中身の濃い、いい演奏会でした!

2014年12月13日土曜日

【神戸大学混声合唱団アポロン第52回定期演奏会】

2014年12月13日(土) 於 尼崎市総合文化センター あましんアルカイックホール

さて、ちょいと用事がありまして、アーバンライナーの中でこの原稿を書いております。土曜日夜便だからか、いつも以上の混雑。ぶっちゃけ言うと、自団の練習がないこともなかったのですが(ぁ)、今回は帰省前に、以前弊団の演奏会に来てくれた子(と、その関係でも増えたTwitterのフォロワーの皆様)が所属している、神戸大学混声合唱団アポロン、通称アポロン(尾高型)の演奏会へ、お礼も兼ねて行ってまいりました。今年度初の学生団。『まだみぬあなたへ』の初演で有名でしょうかね。一度は聞いてみたかった神大の合唱そのイチでした。あとエルデ、そして男声。

・ホールについて
このブログを始める前に書いた(転載済み)去年のパナ・阪混・京大のジョイントでも来たことがあるホールです。何気2回目。ひとまず来てみると、そもそも尼崎駅前がイマイチ使い勝手がよくない……っていうとアレですね。単に、喫茶店に乏しいってことです。こればっかりは事実。文化センター2階に喫茶店が出来てくれて、本当にありがたかったです。
さて、ホールですが、さすが!ザ・市民ホール!笑 おしゃれな多目的ホールッて感じです。反響板がですね、なにかおしゃれなんです。ちょっと四角く装飾してあって、それだけで何か雰囲気見違えるようですが、客席は横に幅広く、席はゆったり赤色シート、そしてこのシートピッチの狭さはやみつきです←
今回私用でスーツケースを携行していたので、クロークがないのは難儀しました。ホールのロッカーでは入らないだろうと踏んで、駅で600円お布施して大型ロッカー利用。ううむ、ザ・市民ホール。しかし客席上部にはバルコニーがある。おしゃれ。しかしブザーは、あの懐かしの「B-----------------!!」しかも、反響板の舞台扉にはなぜか段差があり、出るときはそこを踏み越えないといけない。トイレがやたら広いのも含めて、うん、この感じ、ザ・市民ホール。
反響板に小細工してあるって点でお察しの通り、まぁ声はそんなに飛んできません。でもこのホール、響きという意味では結構優秀なんです。音をパッと切った瞬間に残る残響は、自然にふわっと、客席の方へ飛んで行く。確かにボリュームという意味ではもうどうしようもないんですが、音楽を楽しむという意味では、中々楽しいホールです。和音の綺麗な団が使うと、とても楽しむことの出来るホール。
ちなみに今回は、2階はカメラ用に確保、1階を7~8割埋める集客でした。そもそも、このクラスの団が、無料ですからね。

入場は前から一列ずつ。四段使っていたので、歩くスピードは快適なものの、ちょっと間延びした感がありました。団員数名簿で85人、ですからね。普通に入場するだけで結構な時間がかかります。あと、全面的に照明が安定しなかったのは少し気になる。本編関係ないんですけどね、集中するって意味でも。

0, 学歌「商神」
タイトルかっこいいですよねぇ……さすが旧高等商業学校というべきか。団旗と指揮者にピンスポ→照明約10%で演奏開始→ユニゾンを歌う間に明転、というこの一連の流れを見ると、ああ、学生団の演奏会に来たんだなあって感じがしてきます笑
作らず飾らず、素直な発声でしっかり鳴らす、ピッチもよく揃っていて印象的。ボリュームという意味では味方してくれないホールも、ハーモニーや響きという意味では相性が良かったようです。軽い響きで、前に飛んでくれるわけではないものの、明るい声によく味方していました。市民ホールとしては全然あり。
演奏面。縦はよかったものの、ここは、たかが学歌、されど学歌。演奏会ではオープニングを飾る曲。今ひとつ、フレージングに疑問です。よく言えば歌い慣れしていますが、悪く言えばやや惰性が入ったでしょうか。今一度、フレージングを見なおしてみてもいいと思いました。

第1ステージ
尾形敏幸・混声合唱とピアノのための『五つのギリシャ的抒情詩』(西脇順三郎)
指揮:鈴木勝利(学生)
ピアノ:前田裕佳(客演)

個人的にはあまり見たことのなかったこの曲。西脇順三郎の初期の詩に付曲されたものだそう。
描き分け、という意味で、もう少し頑張れたかなぁと思いました。本当に、ピッチコントロールという意味ではどのステージもこぼさない秀逸さなのですが、曲の風景がめくるめく変わる曲です、その変化の機微をもっと貪欲に表現してみたかったような気がします。緩急の入れ替わり、「急」の部分の入りは、ホールが響きづらいこともあり、もっと突き刺すような音で良かったですし、最後の曲はもっともっと歌いたかった!特に終曲の最後の縦和音も美しいのですから、そこに向かってのフレーズ設計という意味でも、もっと流れに乗ったまま最後の和音へ繋ぎたかった。一方で秀逸だったのが、組曲としても肝にあたる、4曲目「手」。この表現を他の曲でもしたかった、といったところです。
どのパートもよく歌えていました。特に、2,3曲目のアルト、5曲目のテナーは良い仕事。ソプラノは、音の跳躍が大変でしょうが、高音がどうしてもアテに言っているように聞こえたのが残念。そしてピアニスト!この複雑で繊細な曲を非常に見事に弾き分けていたのが印象的です。ベース?……うん、よく鳴っていたと思うよ←
そして、はっきり申し上げておきたい。この曲、大好きだ!すごくいい!笑

ここで小休止代わりの祝電披露。なんか懐かしくなって、全部メモっちゃいましたよ←
ただ、愛知県の合唱団みたいに、ことあるごと全部の学生団に祝電出すっていう習慣はないんですね。それぞれ仲の良い団が中心というか。まぁ、出し過ぎても仕方ないですし、関西圏広いですから、ねぇ笑
エゴラドから祝電が届いていたのが印象的でした。あちらのプログラムもよかったんですよね……興味あった。知り合いがオンステしてましたし。

第2ステージ
阪神淡路大震災20年 追悼ステージ
臼井真(arr. 松下行馬)「あじさいを咲かそう」(坂本繁)
菅野よう子(arr. 北川昇)「花は咲く」(岩井俊二)
臼井真(arr. 川上昌裕)「しあわせ運べるように」
指揮;和田爽良(学生)
ピアノ:中村一輝(学生)

もともと神大という柄からして、神戸出身が多いわけでもありませんし、まして今年の1年生は現役ならば確実に全員、震災を知らない世代ということになります。もっとも、僕とて、小さい頃からずっと名古屋にいたので覚えてないんですけどね。震度3は揺れたらしいです。この時神戸に住んでいた同期は、今でもよく覚えていると証言することが多いですね。しかし、神戸にいるからには、知っておかなければならない曲がある、ということでのステージ。時の流れと、記憶の継承。ちなみに、2曲目アレンジの北川昇先生は神戸出身だそう。
1曲目は、全体が平板な表現になってしまったか。フレーズの膨らみが均質で、どのサビも同じように聞こえてしまった、というのは残念です。その影にある心境の変化をうまく表現したかった。「あじさいコンサート」というイベントの全体合唱曲だそう。2曲目は、北川昇アレンジということ、そして、むしろ馴染み深い震災のキャンペーンソングだということもあり、とてもよくまとまっていました。美しい!ピッチが揃うことが、北川音楽の一番の表現です。3曲目は、演奏云々通り越して、しみじみしながら聴いていました。神戸が乗り越えてきたものと、これから創りあげていくもの。世代をも乗り越えて、これから、受け継がれていく思いが、この曲に描かれているというかなんというか。よく表現されていたように思います。しかし、ソプラノの旋律は、今ひとつ踏ん張りたかったか。

インタミ15分。ひたすら、ロッカーの両替のために買ったりんごジュース飲んでた記憶が←

第3ステージ
Federico García Lorca の詩による合唱曲
Whitacre, E.「With a Lily in your hand」
Rautavaara, E.『“Suite” de Lorca』
「Canción de jinete」「El Grito」「La luna asoma」「Malagueña」
信長貴富『無伴奏混声合唱のためのガルシア・ロルカ詩集』(長谷川四郎/訳詩)
「1. ギター」「5. 傷口の最後の詩」「6. さらば」
指揮:和田爽良

自身のメインステージで、このような、しかも、詩人個展というステージを準備するセンスと勇気。ステージとして非常に秀逸なプログラムだったと思います。ガルシア・ロルカ、たしかに名前は聞くけれど、こうやってまとめてみると、また一つ、新鮮な感覚を覚えます。どことなく、刹那的な詩の多いような印象ですね。国籍でみても、スペイン人の詩に、アメリカ、スウェーデン、日本と、非常にバランスが良い選曲だったのでは。でもって衣装は黒カッター黒ズボン。コンクールによく出る合唱人にとっては「クロクロ」と唱えれば通るくらいに有名な組み合わせです笑
ウィテカー。またしてもピンスポでスタートです。「O, Oh my love, la la!」と歌う間に明転。にくいねこのやろう← で、ラウタヴァーラ。曲がすごくいい曲でびっくり。またじっくり聞きたい。で、信長。ああ、これぞ信長!リッチなパート構成とリッチな和音でガンガンハモる、そしてその和声を捉えるのはこのホールは上手いんだっ!
……と、演奏面について何も書いてないんですけど、どういうことかっていうと、指摘する点がもはやないなって。びっくりしましたし、感動しました。最初のウィテカーから、機動性あふれるいい演奏を聞かせてくれて、表現もバンバンうねらせて。もう外国語がカタカナとか目を瞑る(あるやん指摘するところ←)。素晴らしい。ラウタヴァーラのポリフォニーから縦に揃うtuttiへの入れ替わりの瞬間の音の鳴り方もゾクゾクしちゃいますし、そして信長を鳴らすなんてこの団は朝飯前(先生に失礼←)!次に出てくる音がこんなに楽しみな演奏、本当に久しぶりでした。某ジョブスよろしく、顎をつねりながら聴いていたら、演奏終わる頃には親指がつっているくらいにすごかった(意味分かんないかもしれないけど実話)! 演奏後ブラボーしたのは自分です←

再びインタミ10分。まぁ、次へ向けてのアイスブレイクにはおあつらえ向きです笑

第4ステージ
ヨーゼフ・ラインベルガー『Messe in Es op.109』
指揮;本山秀毅(客演)

巨匠のお出まし。曲も、このプログラムの中では古典。最近、若い世代の団がこの時代の曲やること減りましたね。気のせいかしら? どのみち、人のことは言えないが。
前半は白に黒スカートだった女声は、クロクロを経て白のロングワンピースにお召替え。あら素敵。学生団だとここまでガッチリとドレスを着ることも少ないような。卒団生はコサージュってのはおなじみですね。
もちろん、この前のステージの名演があるからして、何の心配もなく、落ち着いて聞いていることができました。ただ、二群であることに加えてミサ曲、それも、特に Gloria と Credo は長さには定評があるので、その点、中々体力を持たせるのが大変だったか。テナーが他のステージと比べて力んで聞こえた気がしたのに加え、Benedictus ではソプラノがハスキーだったか。また、Credo で特に、入りの弱さが気になりました。本山先生の指揮の含意は、もっと深いところにあるような気がします。やや反射で捉えていなかっただろうか。しかしそれにしても、/u/の深さと響きの美しさ、Sanctus の男女の交唱、そして Agnus Dei の終末の美しさなど、この団の良さは存分に出ていました。大変な曲を、本山先生にも導かれて、よくぞ歌い切りました。
更に言えば、はじめてこのホールを憎みましたね……もっともっと響かせてくれないと!笑

・アンコール
本山:「見上げてごらん夜の星を」(arr. 若林千春)
指揮者:千原英喜「我が抒情詩」(『コスミック・エレジー』)
「見上げてごらん夜の星を」は初めて聞くアレンジ。聞くところ、未出版だそう。二群のままで演奏。しかも編成も二群。アンコールであることを忘れさせるくらいの集中力の高い演奏! 特に「見上げてごらん」の中間部で、弦のピチカートを模した部分があるんですが、その表現の繊細なこと繊細なこと! ポップスで唸った作品は、どうでしょう、『アニソン・オールディーズ』以来でしょうか。で、ご挨拶を経て、団員アンコール。中間部の熱い指示に団員が全力で応えていたのが印象的です。仲がいいんだなぁと思わされます。つくづく。

・ロビーコール
「Ride the Chariot」「夢見たものは…」「狩人アレン」
最後の曲は、初めて聞いた曲。話によると、アポロンの定番曲だそう。でもって、アポロンで第1回から歌い継がれていて、おそらくアポロンオリジナルとのこと。いい文化じゃ。
らいちゃりのソロをどんどん回していくスタイル、団員のみんなの笑顔が印象的でした。そして、ここでもやっぱり音ははずさない。さすが。最後は「総員撤収!」の号令でササッと舞台裏へ。もう午後8時超えてましたからね。午後9時までに現状復帰がルールです(たぶん)長丁場お疲れ様でした。

・まとめ
団員から宣伝を受けた、また、前来てもらったお礼、っていうのは事実だったんですけど、それを凌駕して、アポロン聞けてよかった!って心から思いました。何かと、学生団で人数が多いと大体なる音に想像がいくのが普通なんですが、今回はそれをいい意味で、とてもいい意味で裏切ってくれました。心から音楽をしているその音に陶酔することが出来たのは、本当に、来てよかったと心から思えるものでした。同時に、自分も負けてられないな、と、色んな意味でギアチェンジしてくれる、そんな演奏会。なんだか歳下から励まされるっていうとかっこ悪くみえますけど、しょうがない、彼らが心の底からカッコ良かった! 今回に限らず、これからも、どんどんと躍進を重ねていってください。応援しています!

「まもなく、津、津に到着でございます。」あ、わたべは名古屋下車です。
なおこの後、更新作業の間に津は過ぎた模様←

2014年12月7日日曜日

【Ensemble Mikanier 第7回演奏会】

2014年12月7日(日) 於 エブノ泉の森ホール・小ホール

何者かに来いと脅されましたので……(九割嘘)
さて、色々やることがあるような気もする中、そんなこと忘れてしまうためにも(←)、行ってまいりました。まぁ、実際には、ちょっとした谷間期間だったこともあり、よかったのかもしれないと自己肯定しておくことにする。もっとも、直接の原因としては、お知り合いの団員の肩からお誘いを受けたので行ったわけですがね。そういえば郵送で戴いたチケットだから、チケット代お支払いしてないや← 今度払います←
年末年始の週末って大概毎週アマチュア合唱団の演奏会があるものなんです。今日1日とるだけでも、関西では神戸中央や、同グリ、豊中市合唱祭、さらには地元愛知ではCANTUS NOVAに加えて東海大学合唱祭なるイベントまで開かれていたりと、特に関西で注目の演奏会が目白押しでした。そんな中のミカニエ、それでも、しっかり7~8割客席が埋まっていたのは、さすがです。演奏会の回数でいうと、わたべ所属の弊団より歴史が長いんですね……和歌山の合唱団ですが、演奏会は大阪でやるという、豊中的何者かの陰謀を感じます。まぁ、南海沿線だし、問題ない!?笑

・ホールについて
この絶壁ホールも2回目ですね。泉佐野市にあります。これ大事。岸和田市ではありません
ただねぇ、このホール、演奏の巧拙云々じゃないよ、響かない。響かないというより、飛んでこない、といったほうが正しいかしら。きれいな音をステージの中でとどめておくっていう、そんな感じのホール。今回は、所謂審査員席の辺りに構えていたのですが、それでアレくらいしか飛んでこないのは、ちょっとなぁ。惜しいホールって書きましたけど、本当に惜しいホールと言い切って然るべきホール。場所も何とも言えない場所にあるし。うーん。
とはいえ、ギャラリー含め、近隣の芸術拠点になっていることは間違いないようです。絵画の展覧会もやってました。時間あったら見に行ったのだが、如何せん、きしわd……泉佐野は遠い。岸和田より遠い←

指揮:阪本健悟
ピアノ:佐野真弓

本日の演奏会は、〈千原英喜の宇宙〉と〈アイザワールド〉という2本立ての個展ステージが用意された演奏会でした。普段からお付き合いがあるようで、ご両者(+パナムジカ)のゲスト付きで、終了後には楽譜購入者特典のサイン会付き。あらまぁリッチ。もちろんサインゲットしてきました、はい←
しかし、以前、あい混声合唱団も第5回演奏会で同じようにハーフ個展でステージ組んでいたんですが、そういった意味では、オリジナリティの側面で少し疑問の残る構成です。もっと、なにか出来なかったのかなぁと。今回も勿論楽しかったんですけどね、色々な曲を知ることが出来て。しかし、どこか、テーマ性を見出すのが難しかったのも事実。例えばですが、何かバトル形式にするとか(ってのはいまいち幼稚ですけどw)、いっそ共作で組曲を委嘱するとか(栗友会が似たようなことやってるともいえるか……?)。もっとも、両方共2014年の演奏会なので、単に企画時期が被ってしまっただけかもしれませんが。しかし、それにしても、〈アイザワールド〉の冠の被りは、なぁ。相澤先生の好みかもしれませんので何とも言えませんが……。ちなみにあい混の折は横山潤子先生と相澤直人先生のダブルステージでした。ただ、考えてみれば、相澤先生はあい混の主催でもあるので、その意味ではなんてことなかったり笑
しかし、〈千原英喜の宇宙〉なんにせよ、このタイトルは良いですね、らしさがすごく出ている笑 なにがって、これ以上は申し上げますまいw
開演前には指揮者の阪本先生と、千原、相澤両先生が出てこられて、プレトーク。それぞれの先生方とミカニエ、数奇な縁に導かれながら団が成長していく様子が語られました。そして、この団のPRポイント、宝塚銅賞についてのお話があり、その宝塚でも演奏した千原・相澤作品とこの演奏会の関係が語られるのでした。千原先生曰く、「和歌山は外との交流という意味で刺激は少ないが、神秘性の高い場所」とのこと。

パンフレットを見ると、最近に、それも一般団に珍しく、枠広告がB5見開き2ページにわたってしっかり掲載されていました。広報セクションには4名の名前が記載。いいこった。愛されている証拠です。ところで、この演奏会、ジョヴァンニからCDがリリースされるとのこと、しかも記録はBlu-ray対応、とってもリッチな体制でやっていました。広告があったからこそできる潤沢な資金の使い方……違うか笑
それと、深い関わりを持つ伊東恵司先生からのメッセージ。本日は同グリの演奏会ということで会場に来られないということで「少し太めの指揮者に全て任せました」、「演奏会を(中略)和歌山を少しはみ出た場所で〈演奏会を企画している〉!」と、珍しく?関西ノリに満ち溢れた挨拶文を寄稿していました。
しかし、何がすごいって、テナーが名簿上も実際も2名! ベースに5人もいる男声、なんとテナーは2名!いやはや。

〈千原英喜の宇宙〉
第1部:千原英喜作品アラカルト
「明日へ続く道」(組曲版・星野富弘)
「手まり」(良寛)
「夜もすがら」(鴨長明)
「みやこわすれ」(野呂昶)
「古の君へ」(平元慎一郎・坂口愛美)〈千原英喜・指揮〉

まずは千原英喜先生のアラカルトから。いずれもとても洗練されたハーモニーで聞かせてくれました。特に、「明日へ続く道」の最初の弱音の作り方は(皮肉にもホールにも助けられて)非常に素晴らしかったように思います。他にも、早いメロディで言葉が流れていく傾向にあったものの、特に縦に揃ったハーモニーには抜群の強みを見せてくれました。各パートが1つの楽器のように揃った音を聞かせてくれていたのはとても印象的です。一方、どうしても気になる部分が、表現、これが、最後まで足を引っ張り続ける事になってしまったように感じます。特に、感傷的に聴かせる曲は、その傾向が強かったようにも思います。「手まり」の「ながつけば〜」の部分のテンポの弛緩はよかったのに。とてもコンクール映えしますし、それは結果が証明しているのですが、他方、テンポは、単に叩くためのものになってしまっているような気がしました。テンポが音楽や言葉を訴える要素がイマイチ見極められなかったのは、残念なものがあります。あっという間に終わってしまったなぁという印象。じっくり聞きたかった。

第2部へ行く前に、千原先生インタビュー。「作曲とは、宇宙から飛んでくる音波を作曲家が捕まえてインスピレーションを得て音にしていく仕事のこと。過去や未来の、様々な聞こえてくる音のうち、なぜ人間は生きているのかを考えるとき、キリストの教えには考えさせられるものがある。」とのこと。パンフレットにもご本人の寄稿で「ミカニエは千原作品を歌うために熊野権現から私につかわされた、ありがたきミューズの化身であるかと思うのである―あなとうと、ありがたや、ありがたや。」とある。なるほど、千原英喜の宇宙、である。

第2部:混声合唱のための『十字架上のキリストの最後の言葉』(千原英喜/上田祥行)

割合普遍的とも言える、表題にもあるイエスの言葉に対し、ジャズや「ロック」の要素も含めてかなりラディカルな解釈をされて完成に至った同曲。もちろん、ある種の「神秘性」も忘れては鳴らない要素ですが、他方、作曲家がイエスの言葉をかくも自由に解釈したならば、歌い手も、もっと開放されてゴリゴリ表現しても良かったように思います。とはいえ、全部に劇的な要素を付ける必要もなく、例えば、縦に音が揃う部分を得手をする団であることを鑑みれば、偶数番台の曲が美しいハーモニーで聴かせる曲でした(1~4)から、1, 3番の曲を、いっそハーモニー度外視でさらにバンバン弾ませれば、2, 4番との対比がとれたでしょうし、対して、アタッカで結ばれた終曲2曲は、所謂信仰宣言の代替になる箇所ですから、もっと歌いあげてしまってよかったような気がします。ホールの返す音の細さもあり、若干疲れたような音にも聞こえてしまいました。キレイだったからいいじゃん、ってわけでもないんですよね、ここらへん。うーん、おしい。
あ、そうそう、並びが色々と変わって面白かったです。意味があるとかないとか、言っていましたが、まぁ、抽象的なオブジェクトは抽象的なまま理解するのが一番かなぁということで、あえて言語化は避けておきましょうか←

「相澤ステージは合う系か?」というメモが残されていました。執筆時に解読する時3秒を要したメモ(=字が汚い)。さて答えは。
インタミ20分。この間にサイン会用の楽譜を購入。ずっと欲しかった、千原英喜『明日へ続く道』(混声)、相澤直人『なんとなく・青空』。前者は言わずもがな(湘南コール組曲初演・珍しく千原×カワイ)、後者も、阪混初演で絶賛していた自身としては、待ち焦がれていた出版! 誰かどこかで一緒に歌いましょう!←

〈アイザワールド〉
今度は、まず最初にプレトーク。お喋りも盛りだくさんの演奏会です。『どこかで朝が』について、「委嘱元の要望もあり、じっくりかつ歌える曲を書いた。自分も千原先生みたいに宇宙から音を掴んでみたいが、出来るのはせいぜい、道端で光っている何かを磨いて世の中に届けること」と謙虚に話されていました。万物の宇宙ってやつですね、わかります(勝手な好意的解釈)。もっとも、道端で光っているものの例は大概が、ラーメンをはじめとする、食にまつわるあれやこれやでしたが――!?笑

第1部:混声合唱とピアノのための組曲『どこかで朝が』(谷川俊太郎)

ともすると、千原作品は団員の中で消化不足だったのかしら、と思わせるくらいによいユニゾンの出だしから始まり、途中の早いパッセージでの表現の滑りはともかく、中間部の弛緩の十分性も含め、表現性たっぷりな仕上がりの1曲目から始まりました。他方、2曲目の3拍子にもなると、テンポがかなり固い設計であることが嫌気して、3拍子のしなやかな表現が失われ、3,4,5曲目などは、厳しい言い方をすれば、全て同じような曲に聞こえてしまうような印象がありました。「さようなら」の最後の和声はすごく良かったのですが、では、それと歌詩の解釈を合わせた時、それに応えうる表現をし切れていたかというと、やはり疑問が残ってしまうのでした。表現による歌い分け、というとなんとも取り留めがないですが、歌詩や音型に対応して付けられたアーティキュレーションに対して、より深くアプローチする態度があってよいように思うわけです。つまり、この詩が、この音があるからこういう表現をした、というような、表現の必然性をちゃんと付けたい、ということ。その意味では、課題は同じ会場で行われた大学コンペの高知大の演奏と同じくするかもしれません。高知大にかぎらず、かなり多くの団が抱えているジレンマではあるのですが。しかも、集合的意思決定としては、ちっさくまとめることも解だから、話は厄介なんだと思います。……脱線しすぎ?笑

さて、さらにプレトーク。今度は、『Missa Bravis』初演について、そして、このステージ、第2部について。トークが入った順番に紹介していきます。

第2部:相澤直人作品アラカルト
『Missa Brevis』〈初演〉
-「Kyrie」
-「Sanctus」
-「Agnus Dei」

相澤先生自身カトリックではないものの、合唱をやる上で必ず憧れる教会音楽やパイプオルガンの響きにあこがれて、そして、先生自身の現状の和声の勉強の成果を作品としてとどめておきたいという思いから作曲に至ったという曲。曰く、混6+div. という、少なくともテナー2人でやっているミカニエにとっては大編成です。ボーカルアンサンブルでもないのにテナーが2人、というのが特殊なだけかしら……?笑
作曲家の意図に従い、和声のトレーニング的な曲としても使えます。一方で、しっかりとミサ的な旋律も持ち、加えて、しっかりと響く和音だけで書かれているので、一音一音に妥協の出来ない、非常にバランス感覚の求められる曲です。その上、ディナーミクの指示もいくらか緻密なように思われます。時間も3曲で5分程度。コンクールにもピッタリです。
演奏としても、ミカニエ向きの曲だったようで、Kyrie や Agnus Dei の出だしなどは、合唱団としてもよい音が鳴っていたように思います。でも、Agnus Dei の最後はもっと倍音ならせたはず。他、細々指摘できる点はあったように思いますが、阪本先生のステージ上での懇願に従い(?)、詳しくは述べますまい……笑 曲・演奏ともに佳作でした。言っときますけど、佳作って、「賞は取ったけどアレ」って意味じゃないですからね?w

「なんとなく・青空」(工藤直子)
「チョコレート」(みなづきみのり)
「この闇のなかで」(立原道造)

引き続き、アラカルト。伊東先生に「合唱アルバム」と名付けてもらった、という曲群から(今調べたら、ちょいちょい「アルバム」からではない曲も混じっているわけですが……笑)。まずは、いずれもあい混のレパートリーであるという3曲。うち、「この闇の中で」は宝塚で演奏した曲とのこと。
もう、「なんとなく・青空」なんか、再演されたってだけで感激モノなんですが、演奏としては、いずれも、もっと表現していい!これに尽きます。なんか今日コレばっかですね、ホールのせいでしょうか← 「なんとなく・青空」はもっと歌いあげても、「チョコレート」はもっともっと可愛く歌っても、いいんです。他方、「この闇の中で」は、さすがに、ちゃんと仕上がっているなぁという印象は強く持ちました。ただ、おそらく表記上の表現は完ぺきなのですが、そうではない、いわば「繋ぎ」のフレーズがおざなりになりがちだったように思います。もっと詩が読める、というところでしょうか。

「私が歌う理由」(谷川俊太郎)
「宿題」(谷川俊太郎)
「果てしない助走」(みなづきみのり)

本演奏会の中で一番良かった部分を挙げるなら、この3曲群でしょうか。いずれも、団員たちがどこかで関わった曲達、だそうで。「私が歌う理由」は過去のミカニエ委嘱曲。
「私が歌う理由」は、三善版の曲よりもあっさりと、フレーズの美しさを聴かせる曲ではありますが、だからこそ、団員がしっかりと歌わないと表現が完成しない曲でもあります。美しさは良かったが、終始、表現に苦しんだ今回の演奏会では、美しいだけに終わってしまったか。「宿題」は上手! 表現も含めて、これは上手。普段から愛唱曲としているからでしょうか。歌い慣れたフレージングの上手さが光りました。「果てしない助走」は、accel. の加速がピッタリとついていったことに、驚きです。上手い。その加速が最後のカデンツにつながると、尚良かった。

「あいたくて」(工藤直子)〈相澤直人・指揮〉
台湾から帰国したての作曲者指揮。出だしのフレージングと最後の和音が美しく、音圧に苦しむ。表現としては、終始大人しくてよい曲とはいえ、最後に、今回の演奏会の課題がドバっと出た印象です。

・アンコール
千原英喜「アポロンの竪琴」(みなづきみのり)
相澤直人「うた、結ばれるとき」(『私の窓から』より・みなづきみのり)
〈阪本健悟・指揮〉

ぶっちゃけた話、いずれの作曲家の作品も、アンコールが一番良く歌えていたように思います。アンコールの宿命かしら。ただ、相澤先生作品の「存在」と「不在」の歌い分け、みたいな問題は、まさに今回浮かび上がった課題の核心のように思います。

・まとめ
グランツェの稿でも書いたことですが、「きれいなアンサンブル」の先に、もう一つ大事な段階が潜んでいるような気がします。そこで、どの団も苦しみ、それを乗り越えた演奏が、伝説となって語り継がれている、あくまで主観ですが、そんな印象です。その観点でいくと、ミカニエは「きれいなアンサンブル」を十分聞かせてくれる団ではあるのですが、その先の演奏をするには、今ひとつ、足りない表現の要素があるように思います。もちろん、魂で歌え、みたいなヨクワカランことを申し上げるつもりはありませんが、いうなれば、歌詩と歌、歌詩と和声、歌詩とディナーミクの対応性の部分でしょうか、それを、(魂という言葉でごまかしてもいいから)如何に表現するか、という要素は、案外見捨てられがちな、とても大事な要素なのではないでしょうか。もちろん、今の音作りを捨ててはなりません。しかし、まだできることがある、ということを常に視野に入れて、自律性の高いアンサンブルを組み立てていく工夫を忘れないことは、自戒を込めた、とても大事なことではないかと、この演奏会を通して学んだことの一つです。
割と真面目な話、来年もこのホールで演奏会をやられるとのこと、音圧を高める訓練をひたすら組んでいくのは、アリなんじゃないかと思います。お互い頑張っていきましょう!