おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
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2022年11月6日日曜日

【合唱団MIWO 第35回演奏会】

2022年11月6日(日)於 三井住友海上しらかわホール

Opening
新実徳英「とどいてますか」(谷川俊太郎)
指揮:岩本達明
ピアノ:浅井道子

Stage 1
新実徳英・無伴奏混声合唱のための『北極星の子守歌』(谷川雁)
指揮:岩本達明

intermission 20 min.

Stage 2
G.フォーレ『レクイエム 作品48』
指揮:大谷研二
オルガン:大竹くみ

intermission 15 min.

Stage 3
三宅悠太・混声合唱とピアノのための『遠きものへーー』(長田弘)
指揮:大谷研二
ピアノ:浅井道子

encore.
首藤健太郎「ありがとう」(鹿目真紀)
指揮:岩本達明

arr.大竹くみ「ふるさと」
指揮:大谷研二
ピアノ:大竹くみ、浅井道子(四手)

監修:大谷研二

***

 かつて、日常には歌があった。ーーなどというと、何を大げさな、と笑われてしまうだろうか。「かつて」というあたり、特に、まるでこのコロナ禍にあって合唱活動が下火になったことをまだ言うか、と言われてしまいそうである。むろん、今やそれすら日常となってしまっている状況、そんな「小さな」ことを言うつもりはない(もっとも、3年経とうというところで、未だコロナのことを論じうる状況にあることは悲しい限りである)。
 ギリシャの屋外劇場で演奏されたといわれる単旋律にはじまるハレの日の音楽に加えて、音楽、特に「うた」には、日常から生まれる言葉の延長という側面があった。楽器も含め、広く「うた」を合図に、人は起き、仕事を始め、土を耕し、家を建て、戦いに赴き、豊作を祝い、子供をあやし、そして眠りについてきた。明治維新から150年を迎えた、まさにその間を思い返してみても、わが国には国歌が生まれ、学制の中に校歌が生まれ、ラジオから流れる歌謡曲が生まれ、戦争の惨禍の中に軍歌が生まれ、合唱コンクールが学校行事として定着し、喫茶店はレコードの時代から音楽が絶えず、そして、世界的な流れの中に、今や音楽はストリーミングにより、いつでも、どこでも、いくらでも聞けるような時代になってきた。
 このように定着してきた「制度的なうた」は、確かに今の時代も連綿と受け継がれている。ただ、一方で、日常的に歌い、奏でられてきた、ーー現代的に言えば「フラッシュモブ」的なーー「うた」は、幾ばくかその存在感を薄めているように思う。現業職の労働歌は機械の轟音にかき消され、子どもをあやす子守唄は、テレビのひな壇にかき消されたか、あるいは少なくとも、街中においてはマナーの名のもとに聞かれなくなった。よもや学校でみんなで歌い合う光景ですら、コロナ対策の名のもとに封じられつつ昨今である。
 一方で、ーーウクライナ兵が地下壕の国歌演奏に敬礼するようにーー現代にあっても、「うた」のチカラはなお健在である。少しずつ戻ってきたストリートライブの光景や、ときには酔客が千鳥足でがなりたてる「うた」にあってすら、それは街に彩りをもたらし、少しずつではあるが、私たちの活動に活力をもたらす。かつて「ラ・マルセイエーズ」が革命を力強く推進し、バルトにおいて「うた」が革命そのものとなったように、「うた」には社会を変革するチカラが、今もなお、たしかにある。それは何も「制度的なうた」に限らないのである。

***

 合唱団MIWOがコンサート中心の活動形態へ転換して早25年余りが経つという。といったところで、1982年に創団して40周年を迎えた同団の歴史を思えば、コンクールの賞を総なめにしていた時代のほうがもはや過去のことになりつつある。もしかしたらコンクール時代の記憶が団員からすら薄れつつあるかもしれない、その中にあって、連綿と歌いつなぎ、なおも名門団としての名声を保ち続けている。
 そんな経歴を持つのだから、きっとさぞかし、輝かしくギラギラとした美しい響きを聞かせてくれるものだと、久方ぶりに同団の演奏を聞く私が思っていたことを否定しない。当然、少なくともコロナ前、否、少なくとも6年は前であっただろう、最後のMIWOの記憶は、当時の私が咀嚼するにはあまりに未熟で、いわゆる「うまい団」というのは、そんな響きを聞かせる団とイコールだと思いこんでいる節があった。
 やはり、間違いなく、うまい団であったことは間違いない。しかし、この団が持つうまさというのは、日常に響く「うた」を、私たちの懐にスッと届けることのできるチカラであった。
 プログラム自体も、私にとっては、そんな「うた」の原風景そのものであった。最新曲でこそあれNコン小学生部門課題曲に始まり、大学合唱時代から慣れ親しんできた『北極星の子守歌』、数多くの憧れの団が取り組んできたフォーレのレクイエム、そして、社会人になってから何度も歌った「おやすみなさい」を含む組曲ーー育休として合唱活動を控えている当方としては、その合唱遍歴を振り返るかのような、生活の中に馴染んだ「うた」たちのプログラム。
 その実、「とどいてますか」の優しいメロディに続く『北極星の子守歌』は、私の、合唱を始めたときの原風景そのものが広がってくるようだった。思わず、その時を思い出すーー誤解しないでいただきたいのが、当時の私と比べたら(今の私と比べても)、間違いなくMIWOのほうがうまいのである。ただ、その音が、例えばかつて模範音源として聞いた東混の音、そこから想像する自分たちの理想の音に、限りなく寄り添っているのである。各個人が歌いこむことで導き出される、新実徳英によって企図された音楽の自然な流れ、それぞれのパートがそれぞれの音楽を全うすることで作り出される、まるでひとつの「うた」のような軽快なアンサンブルは、様々なジャンルと曲調が織りなす、見かけ以上に複雑な『北極星の子守歌』の曲集が持つ世界を、いともかんたんに表現する。どこが主旋律をとろうが、仮にそれがバロック調であろうが、母が子に歌う子守歌であろうが、それを我が「うた」とし、なすべき音楽をーーおそらくは無意識にーー作り出していく。
『レクイエム』にしたってそうだ。基本的には抑制的な音楽でありながら、朗唱すべきところでしっかりと歌いこむ。今回はYAMAHA STAGIAに委ねられたオケとのアンサンブルにおいても、決して規模に埋没することなく、それでいて合唱ばかりが目立つこともなく、しっかりと対峙し、否、オケとともにあるべき位置を十分に認識し、ときにアンサンブルし、ときに歌い上げられる。その自在な音楽模様は、決して統制だけで生まれるようなものではなく、各歌い手が十分なスコアに対する(あるいは耳による)理解のもとに、どうあるべきかを練り上げた結果である。それも自然なこととしてサラッと表現してしまうのが、この団の魅力そのものであるといえよう。
 その中で演奏される『遠きものへーー』は、ややもすると現代合唱に特徴的な跳躍音形とリッチな和声が特徴的な音楽であるが、MIWOはその中に確かにある「うた」を決して置き去りにしない。ややもすると、複雑な音形をもつ副旋律が主旋律以上に目立ちかねない中にありながら、複雑さを決して主張せず、その中にある主旋律をーー確かにその複雑な箇所の機能としてーー見事に歌い上げる。そうであるからして、前2曲のピアノ曲が持つ混沌とし、力強く、かつ重い言葉の世界を表現する、その後に奏でられる「おやすみなさい」が、ある種の鎮魂として、たしかに私たちの心のなかに響いてくる。

***

 恐らく、なにもMIWOは、特別なことをしていないのである。自然な「うた」を自然なままに歌い切る、そのことを徹底しているのであるーーそのことの難易度の、なんと高いことよ!ーー。MIWOのアウトリーチの成果か、あるいは団員からの伝手か、小さな子どもたちの姿も客席には目立った。中には、じっとしているのが大変そうな子達も見られたが、語弊を恐れずに言えば、この「うた」であるのなら、仮にいまその価値がわからなかったとしても、数十年後も、心のなかに残り続けてくれる、そして、ふとした時に、その豊かさにハッとさせられるーーそんな音楽が、今日の演奏会では響いていた、そう信じてやまないのである。
 本演奏会が開催された三井住友海上しらかわホールは、2024年2月、あと1年4ヶ月を以て閉館することを発表した。私立ホールにありながら、名古屋におけるクラシック音楽文化の核を形作ってきた同ホールの撤退は、マクロ的に見れば間違いなく名古屋の音楽文化のひとつの衰退であると言わざるを得ない。しかしながら、同時に忘れてはならないのは、私たちには「うた」があるということである。本日を含め、このホールで生まれてきた名演の名残を惜しみつつ、かつ、明日へ向けて力強く新たに歌い始めることーーそう、私たちには「うた」がある。これからも歌い継ぐ権利が、確かにある。
 きょうのMIWOが見せたような、あるがままの「うた」の記憶を、私たちが繋いでいくことーー無意識の中に私たちが宿すべき、確固たる決意である。