おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2016年3月27日日曜日

【Chor. Draft 第3回定期公演】

2016年3月26日(土)於 サンスクエア堺・サンスクエアホール

今日は一路大阪へ。なんだか随分久々な気がします。京セラドームの中日戦も、甲子園の東邦戦もスルーする中、ちょっと遅目に起きて、この前の18きっぷを消化しながらJRを乗継。気がつけば名古屋〜大阪間なぞ造作ない感じになってきました。大体14時くらいに大阪に着いたら(もう少し早めに着いときゃよかったかな?)、お気に入りのカレー店「ミンガス」(阪神梅田改札そば)でお昼を食べて、グランフロント大阪で春へ向けてパスケース(前使ってたのがボロボロで……)とワイシャツを購入。ついに鎌倉シャツデビューです笑 そして、なんやかんやでいい時間になったので、そのまま堺市駅へ。そうです。今日は久々に、大阪の合唱団を聴きに来たんです。

……「合唱団」の演奏会を。
え? プログラム? 今年は、完全事前非公開でしたねぇ……(遠い目)

大阪で活躍する注目の若手作曲家・石若雅弥氏を総合プロデュースに迎える合唱団。実は、石若先生含め、大阪府立泉陽高等学校出身の男子による、いわば高校OB団。そう、この団、必ずしも石若系とはひとくくりに仕切れぬ面もあるんですね。とはいえ、去年には石若作品個展演奏会を主宰するなど、コテコテに石若作品を歌う力を持っていたりします。団員の出身は必ずしも音楽部というわけでもなく、体育会系から文化会系まで多岐にわたっているとか。
2013年に大阪府連加盟。しかし、この団何よりの特徴が、「合唱しないこと」。いや、確かに合唱してるんですけど、その多岐にわたる出自も相まってか、サイドビジネスがあまりにも充実しすぎているんです。過去の定期公演でも、コントやバンド、朗読は当たり前、果ては自前の YouTube チャンネルをもってアップするのは、バンド系の演奏動画や、「乗ってみた」系、果ては東京の某作曲家が作ったマリオメーカーのステージのプレイ動画に至るまで、合唱に留まらず、なんでもかんでもやってしまうスゴい集団です。どれくらいスゴいかというと、以前バッカスでご紹介したどぶろっくの「もしかしてだけど」、その後大阪府合唱祭でやったものを YouTube に上げたら、日テレ系「スッキリ!」で紹介されたとか、そんなレベルです。もう意味分かんないです笑

《なお、この記事のアップ後、石若先生からコメントを色々頂きました。その内容を反映した修正・加筆をこちらに掲載させていただきます。先生のリアクションに深謝いたします。》

ホールについて
大阪は堺にあるホール。天王寺でお乗り換えです。駅の周りには美術館や、なんならイズミヤもあるみたいですね笑 梅田からはちょいと遠いですが、かといって30分強もあれば十分たどり着ける距離にあります。
ホールの中は、落ち着いた木目調の意匠に、シンプルな長方形の構造。500席ほどある椅子は少し狭めですが、それでも、十分ゆったりとすることの出来る柔らかさです。否、今日は公演時間も長かったし……笑 見るからに芸術系ホールという雰囲気を湛えていて、実際、美しい意匠なのですが、それでも、まさかの開演ブザー「b------!」には少々面食らわざるを得ない面も笑
さて、このホール、見た目はいいんですが、実はかなりの曲者。どういうことかといえば、鳴らない上に、そこまで残響が長いわけでもないのです!爆 否、今日は響きについては、お客さんも文字通り満員でしたし、何やらステージに色々置いてあったので笑、そこまで目くじらたててアカンという話なのですが、それ以上に気になるのが、鳴り。どうも、ステージ上に留まってしまうのでしょうか、最後列正面までうまく届いてこないのが気になりました。すり鉢状の形をしていて、S席相当の良席は割と低いところにあったので、そういうところで聴くとちょっとは聴取環境が変わるのかもしれない。
でもなんにせよ、今日はアンプを使ってたからその点特に問題無いですね!……え、合唱の時はアンプラグドだろうって? ご名答!笑
《どうも、今回の公演では、ひな壇を可能な限り奥につけて演奏していたそう。実際、ドラフトが上げている写真を見てみると、ステージ後の壁にベッタリとひな壇がついていました。だから鳴りが悪かったんじゃないか、と。そんなこともあるのか……笑》

ちなみに、プログラムは全員に配られましたが、パンフレットは1冊250円。ディスカウントで、バックナンバーも販売中。そして、ロビーでは、ドラフトのキャラクター「どらふとん」(デザイン=石若雅弥)があしらわれたTシャツやうちわ、クリアファイル、キーホルダーなどを販売中、さらに今回は新作・フェイスタオルもお目見え……って、ポップスもビックリのオプション商法グッズ戦略! なんだこれは! 本当に合唱団なのか!?笑 しかも、前説では、「写真撮影可能なステージ」があるとかいう、不思議な説明……一体何が起こるのか、本当にわからない演奏会でした。
ちなみに、どらふとんと一緒に写真も撮れる等身大(?)パネルも置いてありました。結構高かったらしいです笑

ポップス曲のアレンジはちょいちょい不明ですが、たぶん多くが石若先生によるもの。っていうか、そんな瑣末なこと気にならなくなるレベルです笑
《実際、公式のもの以外は大部分を楽器パートに投げているみたいです。その点、ポテンシャルの高さが伺えます》

・オープニング
「会場マナーコント」

ほら、以前、会場マナーがどうこうっていろんなところで話題になりましたでしょう? 前説だったり、パネル使って提示したり、いろんな解決策がなされる中で、たぶん、この提案は、どこも出してこなかった。そうです! コントという手があったんですよ皆さん! どれくらいコントかって?……そこじょいらの演出付きステージを想像してもらっちゃ困ります。大道具込み・笑い込み・ネタ込みの、ガチもののコント! 石若雅弥プレトークも含めるとその公演時間、なんと20分!w ココらへんで既に悟るわけです。いつものテンションで聴いていちゃ、否みていちゃダメだと……笑
親友の結婚式を舞台に繰り広げられるドタバタ劇、の中に見られる様々なマナー違反を、石若センセが笛を吹き吹き、動きを止めて解説とお願い。途中は石若センセ35歳独身ネタをブチ込まれて、福山雅治に希望を見出す一幕も笑 いやもう、これは、この前の東混とは別の意味で、言葉にするには惜しいステージ。しかもこれ、毎回やってこれで3回目とか、そういう話だそうで。なんてこった笑 そして最後は合唱と、全力のフリ付きで「会場マナーの歌」。オリジナル曲、だと思います。
《コントレパートリー、これ以上にもっとあった様子笑》

・第1ステージ・LIVE DRAFT! ~part 1~
暗転の中、エレクトーン調の、何かライブが始まりそうな音楽とともに、メンバーの5人が登場してきて、始まったのは……本当に5人によるアカペラライブでした!w

SMAP「らいおんハート」
中島みゆき「麦の唄」
あんしんパパ「はじめてのチュウ」
DREAMS COME TRUE「うれしい!たのしい!大好き!」

アンプに繋いだマイクを片手に、5人によるポップス曲のアカペラアンサンブル。もちろんボイパ付き。5人の男によるアカペラというだけあって、ゴリゴリとハモるのがなかなか気持ちのいいステージでした。内声がある程度不安要素になるのはこの手のアンサンブルではよくあること。しかしそれ以上に、しっかりと一人ひとりが目的意識をもってアンサンブルを繋いでいるのが印象的なステージでした。そう、仮にもこれは合唱団笑 ハモると本当にスゴいのです。縦が合った瞬間の気持ちよさは、学祭ライブで聴くアカペラなんかでも中々感じることの出来ない完成度の高さ。中でも、ドリカムは、その縦の揃いと、いい意味で前のめりなアンサンブルがとても気持ちの良い仕上がりになっていました。

・第2ステージ
arr. 石若雅弥・女声合唱のための童謡唱歌編曲集『移りゆく季節』w/ pf.,「Strings. Draft」& Reading
「春の小川」(朗読:谷川俊太郎「はる」)
「われは海の子」(朗読:千家元麿「海」)
「赤とんぼ」(朗読:工藤直子「秋のまんなかで」)
「紅葉」
「雪」(朗読:金子みすゞ「淡雪」)
「みかんの花咲く丘」
指揮:坂井威文
ピアノ:石若雅弥
弦楽器:Strings. Draft

やっとこさそれっぽいステージです笑 同声の石若作品を、弦のアンサンブルに朗読を添えて。朗読は、前々から独立ステージで立てていたものを組み込んだ形のようです。団員の中には放送部出身者もいるそうですからね。同じく放送部出身者としてシンパシーを感じざるを得ません笑
しかし、この朗読がどれも本当にうまかった。特に「はる」や「秋のまんなかで」は、今や合唱で聴くことの方が多くなっただけに、なるほど、読みの文節だとそうなるよなぁ、と、感心させられる表現力の高さでした。「秋のまんなかで」など、本当に見事。
《朗読をした方が放送部出身者であったわけではない様子。だとしたら……余計スゴいわ!w》
曲もはじめて聞いた曲ですが、和声が本当におしゃれでかっこいい曲。どうだこれスゴいだろう、とばかりに怪しい和音を鳴らすというわけでもなく、典型的な進行の中に、時折混ぜられるさりげないテンションコードに思わずニヤリとさせられる。しっかりと作曲を学んできたからこそ出来るであろう、さり気ない仕掛けが聴いていてワクワクさせられる曲です。特に、「みかん〜」の最後含め、しっかりハモるところも用意されているのが、この曲のオイシイところ。幸せな気分にさせてくれます。ミカニエさんとかおやりにやらないかしら、というのは安請け合い?笑
演奏面では、どうしても、合唱が弦に負けてしまっている点があったのが残念か。それも相まって、頑張って鳴らそうとするのか、少し無理の出た部分も否定出来ないところです。しかし、それ以上に、このアンサンブルは、フレージングを豊かに、よく繋がった演奏を見せてくれたのが印象的でした。ウタゴコロ満載なんですね、どの団員も。所謂愛唱曲の揃った曲集を、老若男女揃いも揃った聴衆を笑顔にさせてくれるような優しい演奏で決めてくれました。「雪」で坂井さんが「ニャー!」なんてやってのけてしまうのも含め、あったかい気持ちにさせてくれる演奏でした。

インタミ15分、と、先ほどの結婚式コントで登場したイタリア人神父さん(?)がイッターリアン!な発音でご案内してくださいました笑 その間、楽器が揃います。えっと、アレとかありました。なんていうのアレ。「jubeat」みたいに手でタップするとドラムの音が鳴らせるアレ←無知を晒していくスタイル
そうそう、この演奏会、最初にリクエストカードなるものが配られていまして。それに好きな曲書いて、インタミ中に回収されていました。この次、なんと、「リクエスト披露」です笑

・第3ステージ・LIVE DRAFT!~part 2~
合唱すると思った? 残念でした!(?)笑 リクエストから、1曲目、この曲を演ります、と発表された途端、近くに座る若い女の子たちが「キャー!」と黄色い声……黄色い声!?(本当に黄色い声なんだってば)
《THE ALFEE「星空のディスタンス」》
このステージは一貫してバンドサウンド。さっきの弦楽隊も参加して、圧巻のバンドサウンドを聞かせてくれました。ボーカルはリード隊が。コーラスは?……否そりゃ、いるでしょう、合唱団が爆
しかし、この演奏会、「今度は、……踊ります」とか言ってしまう。「最近、動きをつけたりする合唱団が当たり前の中、これくらいやって当たり前、というのを見せたいと思います」などと石若センセが宣言する中、5人出てきたメンバーの「担当」を紹介したと思ったら……そりゃ、演るしかないでしょう!
《嵐「Love so sweet」》
総フリ! 完コピ! 曰く「これは嵐を超えている!」笑 5人共キレッキレの、少なくとも宴会芸やそこじょいらのダンス付きステージのクオリティを完全に超えたカンペキなライブステージ! Bメロ独特の拍手も勿論再現です!笑 これはヤバい! 合唱団を見に来た、という観念はここらへんで完璧に捨てるしかないでしょう! これは最高のエンタメだ!笑
息を切らしながらも「余裕です……」と豪語し? リクエストコーナー。第1位は、やはり、この曲でした。
《AKB48「365日の紙飛行機」》
非常に手慣れたアンサンブル、穏やかに、しかし気持よく流れていく時間……この曲、この団における YouTube 動画事業最大のヒット作。累計再生回数は、なんと50万回(!)。曰く「便乗商法」とか。ま、まぁ、確かに……?笑
引き続きリクエストコーナー。初見でももちろん対応します。どれくらい初見かといえば、ケータイで歌詩やコードを見ながら演奏するとか、そういうレベル……爆
《レミオロメン「3月9日」》
卒業シーズンだから、ということでリクエストの多かった曲。勿論、ストリングスも腕の立つ2名が残ってなんとか対応しにかかります。否なにかって、その意欲が何よりすごいよ……
《秦基博「ひまわりの約束」》
こちらもリクエストから。リードの人は「声がよくあっていると言われて嬉しい」とのこと。確かにその通り、とてもよく声が合った、上手い歌声でした。
《オリジナルメドレー》
毎回恒例だそう。曰く「うちわとかタオルとかもそうですが、サイリウム持ってる人は是非振って頂いて」……って、そんなもの持っとる人いるわk……おるんかいッ!爆 なんと、サイリウム持参者が数名……さすがにスゴい……笑 こちら、ケータイ撮影OKゾーン。サイリウムの他にも、ケータイのライトもつけながら、団員の歌いまわしを楽しみました。最後は勿論、プロデューサーが歌います笑 そうして、華々しく、このステージも終わりを告げていくのでした……笑

第4ステージ前の転換を使って、石若センセと、代表の「がもう」さんが場繋ぎトーク。「電子ピアノが壊れた」なんていうトラブルもあったそうですが、なんだか、とある演奏会を思い出してハラハラしちゃいますね……笑 この団長が中々のヤリ手で、プロ顔負けのパンフを幾夜の徹夜を経て作り上げた超人。曰く、卒論より書いて、その文字数は一説には3万字とか爆(参考:この記事は約8,000字)他、グッズの宣伝など。タオルでは、最近出来た姉妹団「Diva. Draft」の意見も参考にして作り上げたとか。ちょっと今家にタオルダブついてるくらいなので、僕は買いませんでしたが……笑

第4ステージ
信長貴富・二部合唱のための6つのソング『うたうたう』(宮本益光)
指揮:石若雅弥
ピアノ:吉村莉沙

お待たせしました、こんどこそ合唱です!笑 女声合唱では人気が高いというこの曲。男声でやられているのはあまり聞かないとのこと。確かに聞かない。そんなわけで、僕も初めてお目にかかる曲でした。たとえどんなにネタに走ろうとも、このプログラムセンスのよさなどが、この団のスゴいところです……笑
「空の端っこ」から、この団の声によく合ったアンサンブル。軽快な曲調が、軽快なアンサンブルによくあいます。歌心あふれる豊かな表現力の中に、小技が光るのは、やはりよく訓練された石若サウンド。簡単な曲が並びますが、最初から、しっかり歌える団であることをよく感じることの出来る出来。「残したいもの」では、1曲目とは声をガラリと変え、メロウなジャズをしっとりと歌い上げます。この雰囲気で聞かせるためには、やはり肝となるのはフレージング。その意味で、緩急をうまくつけたこの団の小技はさらに生きてきます。「雑草(ななし)」でも、長いフレーズを歌い切る力が、やはりこの曲をよく表現します。「うたうたう」は、早いパッセージという新たな課題を提示。もう少し丁寧に歌えると良いか。然し、最後の音も、縦は非常によく響きます。「たとえば君が歌うのも」では、歌もさながら、間奏に入る、「思い出すために」を髣髴とさせるブルースチックなピアニカがタマラナイ! 石若センセのアドリブも効果的に、これまでのステージすら回顧するようなおしゃれな音響が本当にホールの雰囲気にもよく似合って、ドラマチックに響いていました。その余韻のまま、「行方」。最後の最後まで豊かに響くその音は、たった2ステージの合唱ステージだけで魅せてしまう、この団の魅力が詰まっていたように思います。簡単な曲ながら、ここまで聴かせるのは、本当にお見事です。
このステージで、この団の技術的な本領がよく発揮されていたように思います。よく声を出し、よくハモる。そして、そのままに気持ちよく旋律を聴かせてくれる、典型的な、しかし要諦をしっかり掴んだ演奏。小技もしっかりこなすのは――やっぱり、お笑いやってた成果ですかね?笑

・アンコール
相澤直人「ぜんぶ」(さくらももこ)

実は「マリオメーカー」で繋がりの深い相澤直人先生から、未出版譜を借りての演奏。――否、事実なんですよ、「マリオメーカー」なんです笑 実は合唱面での繋がりあったんだ、くらいの笑 高い方で響くのが特徴的な混声・女声の「ぜんぶ」に対して、低い方で、落ち着きながらも情熱的に響く、しっとりとした作り。「うたうたう」の興奮そのままに、キレイなアイスブレイクでした。

最後に、遠方状態となる団員たちの紹介。実はこの団、学生が沢山いるそうで(そりゃそうか笑)、4人が紹介されました。なんとその中には前述の「がもう」代表も。おおう……。答辞とばかり、愛唱曲の演奏。

三木たかし(arr. 石若雅弥)「心の瞳」(荒木とよひさ)
所謂、坂本九の「心の瞳」。歌詩の意味がこんなにも染み渡るこの曲は、初めてかもなぁ……最後までしっかりと聞かせてくれました。

最後は、全員がステージ一列になって一礼。拍手喝采。……絵面は、ポップスのコンサート、ですねw

・ロビーコール
筒美京平(尾崎紀世彦・歌)「また逢う日まで」(阿久悠)
ギター:石若雅弥、蒲生脩人(がもう)
カホン:肥子谷拓矢(マスター)

最後は、ストームというに相応しい、大団円の中に歌いあげてくれました。いやー、気持ちいいアンサンブル! 最初、姿が見えなくて、カホンでも叩いてるのかな、って思ってました笑
《あとで聞いたところによると、実際にカホンを叩いていたようです。よかった、ある意味、自分の耳は間違っていなかった笑 また、それに伴い、演奏者情報を正しいものに更新しました。マスターさんは、今回の演奏会でボイパやったりドラムスやったりしてたマルチ人間さんです

・まとめ
いったい何の演奏会、というかステージを見に行ったのか結局よくわかんない感じになってしまいましたが(?)、でも、見てて本当に面白いステージでした! 最初から最後まで、何があるのかわからない、でも本当に、どれを取っても楽しい、楽しませてやろう、という気概に溢れたパフォーマンス。そう、それは、面白さかもしれないし、感動かもしれないし、はたまた楽しさかもしれない。でもそれでも、全力でやる、全力でその気にさせてやる。それくらいの気合を以てポップスステージを組み上げているのは、全国探せど、この「合唱団」くらいなんじゃないでしょうか。 
全員が主役なんですよね。どのステージをとっても、誰か一人欠けたら成立しない。で、出てくるところ全てで全力でエンタメをやってやる。その思いを、団員全員が確実に共有している。確かに、技術的に及ばない面はたくさんある。でも、パンフにもある、この団の目指すものは「総合エンターテインメント集団」。合唱団、という枠を確実に広げつつ、しかし一方で、合唱団だからこそ出来るものというのを徹底的に追求しにかかっている。その飽くなき挑戦スピリッツが、この1年の YouTube での大躍進を、プログラムを公開しなくとも満席にした客席を、そして、もれなく笑顔になる観客を生んでいるのです。まさに、エンタメにおいて一切妥協していない。団員だって、心の底から楽しんでいるんだ、というのがそこかしこに伝わってきます。
そうなんです。やるなら、徹底的にやりたいんです。それは決して、演出付きステージに限った話ではない。あらゆるステージにおいて、それこそ合唱についても、自分のやりたい表現を、自分たちの作りたい音を、徹底的に極めるんです。そのためには、目指すものは何かという目標設定だってとても大事。たとえばこの団なら、総合エンタメ集団という目標を掲げて、その実現に向けて邁進している。そして、それは、どんなに拙い形でもしっかりとその姿を見せて、そして、観客の心に届くんです。抽象的な議論です。でも、それには間違いなく実態が伴う。小手先の技術だけで達成できない何かが、確かにそこにはあるように思います。
本当にすごい集団だと思います。これは見る価値ある団ですよ皆さん! でもって体感してなんぼ! 各地でのイベントで聴くほか、次は是非全国ツアーを! いや真面目に! せめて東名阪ツアーを! これからもその活躍に心から期待していきたいと思います。

《この更新作業中、家族がこの演奏会パンフレットに食いつき、大ウケでした。どういう意味で大ウケだったかは……言わないほうがいいよね?笑》

2016年3月19日土曜日

【東京混声合唱団 第239回定期演奏会】

[東混60周年前夜祭]
2016年3月18日(金)於 第一生命ホール

指揮:下野竜也
ピアノ:浅井道子*
エレクトーン:大竹くみ*
打楽器:高橋明邦**/加藤博文**

Pizzetti, Ildebrando “Messa di Requiem(1922)”
“Requiem”
“Dies irae”
“Sanctus”
“Agnus Dei”
“Libera me”

int. 15min

三善晃『トルスII(1961)』(萩原朔太郎)*,**
「殺人事件」
「見えない兇賊」

-没後120年-
Bruckner, Anton “Motetten”
“Pange lingua” WAB33(1868)
“Locus iste” WAB23(1869)
“Virga jesse floruit” WAB52(1885)
“Vexilla regis” WAB51(1892)

松村禎三「暁の讃歌(1978)」(「リグ・ヴェーダ」より、林貫一・訳詩)*

encore
arr. 松村禎三「牧歌」

 言葉をして演奏会を語らしめるのは、実はたいへん難しい。今もなお、文字をして音楽を語るのは、比喩に頼らざるを得ない状況がある。確かに音楽の世界でも打ち込みの技術は進歩していて、その意味、例えばプログラム言語なら、いまや現前する音楽のすべてを再現できるのかもしれないが、我々が普段語る言葉で、その演奏がどんな演奏だったかを表現するのには、どうしても限界がある。
 多くの演奏会を言葉にしてきた自分にとって、もはや諦念にすら似た、音楽の言語化という作業への思い。それは、特に名演になるにつれ難しくなる。変な話だが、突っ込みどころの多い演奏の場合、ここをこうせよ、あそこをああせよという表現だけで、紙面を多く割くことができる。量が稼げる、という意味では、筆者にとってはある意味ありがたい存在でもある。
 だからこそ、だ。「書く人間」を主語とした時、その力量が最大限問われるのは、素晴らしい名演に接した時、だ。突っ込むことはない、否むしろ、自分の力量で技術云々は言うに及ばない場合。愚直に、正直に、その演奏が如何に良かったかを語るとき、言葉はなんと無力なことか。――上手な演奏を上手だったと述べるのは簡単だ。だが、内在する感動をどこに、どのような言葉でぶつけるか。そこで私はたちどまる。名演だった、感動した、心からハーモニーに酔いしれた――使い古された表現は、いうに容易いが、その概念を超越した感動に対しては、幾許か、力不足に見えてしまう。

 東混の実力の在り処は、プロとしての圧倒的な歌唱力にその根源を求められるのは言うまでもない。その圧倒的なボリュームと、何より鍛錬に支えられた迷いのない発声は、東混にとってまた大きな武器である。しかし、それだけをもってするならば――語弊を恐れずに言えば――東混でなくてもいい。全国各地にプロの発声による合唱団はあまた存在するし、東京を中心に多く結成されているオペラシンガーズは、まさにその代表格である。力強い発声をのみ聴きたいというのなら、別に東混以外にも選択肢はある。東混は、トップランナーの一角ではあるが、それは部分集合に過ぎない。
 では、だ。東混の実力の在り処は、そこだけではない。その、東混の実力の在り処を探るとき、パンフレットに寄稿された、音楽監督・山田和樹の連載コラムが示唆深い。そこに掲げられた、創団時の目標には、「一、楽しい雰囲気の演奏会を行う。/一、職業合唱団として成立させる。/一、日本の合唱曲を創る。」とある。そして、それは「今も色褪せず、東混の主目標」だという。つまり、だ。東混の魅力は、これを60年脈々と受け継ぎ、そして、継続をして、それを体現せしめている、ということにある。
「楽しい雰囲気の演奏会」とは、必ずしも、ファニーな演奏会を、ということのみを意味しているわけではないだろう。そのそれぞれの曲を、その特徴を捉え、あるいは包摂して、十分に世界観を表現していくこと。作品の背景にある世界観の表現は、それはすなわち、音楽における楽しみといって良いだろう。すると、楽しい雰囲気、とは、とりもなおさず、音楽をして楽しむ、ということにほかならない。
「職業合唱団として成立させる」とは、確かな収入を演奏活動から得ることはもちろんのこと、それに見合う経営体制・演奏体制の確立と、弛みない営業活動を両立させることもまた、その条件の一つである。現に東混は、一般の楽団同様の組織体制を持ち、パンフレットにも掲載している。公な形でコンサートマスターを置く合唱団を、私はこの団のほかに見たことがない。
「日本の合唱曲を創る」とは、まさに、この合唱団における数多くの初演活動にほかならない。その中には、まさに日本の合唱における金字塔となる作品もあれば、世界にも類を見ない、鮮烈なイメージを以て語られる独特かつ難易度の高い現代曲まで、決して耳障りの良い作品に留まらず、日本の音楽界全体を見据えた演奏・作品委嘱活動は、まさに日本の宝とも言えるような偉業である。

 この日の「東混60周年前夜祭」では、その3つの目標、そしてプロの合唱団としての実力が綜合された。作曲家自身の妻の逝去に際して作られたという、ピツェッティ『レクイエム』は、まさに1ステージ目にして、今日の演奏会の全てを語らしめてしまうような演奏。各声部の独立から始まる同曲は、平行和音を含む難易度の高い和声進行と、それぞれが主役を張って歌う旋律とが綜合された難曲。加えて、ミニマル的に展開される旋律の回帰も含め、同質性と展開力が同時に求められている。その上、トリプルコーラスの3曲目、少人数アンサンブルの4曲目などの編成の変化もある。弱音、強音、フレージング、主従の協働、あるいは対立――その全ての要素を、この団は消化仕切った――否、言葉遊びのようだが、昇華仕切っている。その表現があることの必然性を感じているからこそ、その表現は自然に、しかし、十分な印象となって、私達のもとに訴えかける。外声に留まらず、内声も能動的に機能し、響かなければならないところで響き、和声を歌わなければ鳴らないところで、控えめに、しかし、しっかりとその存在感を主張する。
 そう、今日のマエストロ・下野竜也は、どんなに複雑な曲でも完璧に整理して聴かせる達人である。難しい場所でも淡々と、しかし着実に叩き、団員を誘導する。綿密なリハーサルの上に組まれたであろう、音楽に忠実な、整ったその表現は、曲の世界のありのまま映そうとするその顕れでもある。それは、三善晃『トルスII』でもやはり明らかとなる。殺人の直後という、いうなれば三善生涯のテーマともなりうる、人間の存在理由についての主題に対して、詩の絵描く風景をなぞるように、のちの三善作品にも通じるような様々な技法を駆使して語られる。三善の実験作品群「トルス」とあって、三善が合唱で出来る全てを試したとも言える、複雑かつ充実した音像を、やはり下野は着実に捌いてしまう。下野に曰く、「作曲家の原点とも言える作品」をよく扱うという。それはいわば、作曲家の原点との対話であり、嘗て『焉歌・波摘み』に感動した指揮者にとって、その奥底に潜むテーマを抉る作業でもある。
 とすると、この作品もまたそうだろうか。ブルックナー『モテット』は、作曲家の華々しい交響曲とはいささか趣を異にし、少々小さめな、しかし、それでも十分な倍音を含む和声が随所に顕れた曲である。いわばそれは、作曲家自身の祈りであり、緩急に、強弱に、その表現を張り巡らせる。テキストの扱いという、まさに東混の鍛錬してきた事績も手中に収め、その表現をより厚いものとする。そう、ラテン語という歌い古された言葉でさえ、この日の東混にはスキがなかった。あらゆる母音のひとつひとつに対する表現は、統一した響きとして、ひとつの大きな音楽表現を根幹から支える力となる。特に難しい閉母音についても完璧に決める表現力は、日本の合唱界を牽引する所以を物語る。
 そして、だ。この演奏会では、語るのをやめたくなることがしばしばある。否、伝えたくないわけではないのだ。伝えてしまうと、それだけで演奏が色褪せてしまうような気がして、怖い気持ちにさせられる。その最たるが第1ステージのピツェッティであり、そして、第4ステージの松村禎三「暁の讃歌」である。嘗てこの団が初演した作品にして、団員の構成は当時とは違う。しかし、それでも、この団が演奏する意味性を感じさせる。器楽の通奏から始まり、歌詩の世界が徐々に持ち上がっては消えていく中に残る「闇は去り、光は満つる。」そして、興奮のままに言葉が叫びとなり、やがて静かなうちにただひとつ残るエレクトーンの和声――。合唱とともに、私が語る言葉をなくす所以はこの曲にある。アンコールの松村禎三「牧歌」に至るまで、普段のようにメモをとることすらおぼつかなかった。

 素晴らしい演奏会だった。それは言葉にするまでもないのである。第1ステージから何度もカーテンコールを呼び、団員が全員ステージを去るその時まで一切止むことのなかった万雷の拍手は、まさにこの演奏会の評価そのものにほかならない。自然に出るブラボーの声に、会場を包む安堵にも似た充実感。これでこそ、一流の演奏会を聞いた、という会場の様子である。
 そして、その充実感の元はどこにあるのかといえば、まさに、そのプロとしての仕事にほかならない。今回のプログラムは特に、感情を込める、とか、そういった作業とは程遠いものである。しかし、逆に言えば、職人のように、淡々と、楽譜上の表現を確実に再現していくことが求められる。そのようなプログラムにあって――否だからこそ、下野との邂逅は僥倖であった。彼らの仕事は、まさに、プロとしての仕事に他ならないものであった。「楽しい雰囲気の演奏会」とはどのようなものか――それはもしかしたら、「職業合唱団」をして言うのなら、自らの作り上げた日本の合唱を、皆がどのような風にも受け取れるように、ニュートラルに、しかし一方で情感豊かに伝えることなのかもしれない。そういうことなのだとしたら、この演奏会は、もはや、奇跡的な、ひとつの作品であったように思う。作曲家はおろか、東混の原点を、この演奏会は引き出した。感動は、その裏打ちに他ならない。

 山田は、コラムの後半に、自身の音楽監督としての考えとして、「改革といっても(…)ヒントは全てこれまでの歴史の中にある」と述べている。その歴史を回顧し、昇華し、未来へつなぐ「東混ルネッサンス」は、着実にその芽を伸ばしつつある。
(文中敬称略)

***

ちょっと、毛色の変わったレビューを上げてみました。否、もう、感動しっぱなしで、語るに及ばないというか、どういう言葉を投げたらいいか、自分の中でも大変に迷ってしまって。本当にスキがなかった演奏会でした。下野先生は、オケの時から感じてましたけれども、本当に、完璧にアンサンブルをまとめ上げてしまいますね。それも、プロとしての実力あって初めて応えうる要求なのだと思います。少々のトラブルはありましたが(ヒントとして、インタミの場所がズレてるとか笑)、それはまたご愛嬌ということで笑
明日(ってか今日だな)、信州への道すがらでパソコンいじれそうだったら、いつものスタイルでのレビューもまとめるかもしれません。そんな余裕はこの区間にはなかった……笑 今日はとりあえず、明日に備えて寝ようと思います……って、だいたい、こんな時間だし今笑

2016年3月18日金曜日

【Farewell Concert 2016】

2016年3月17日(木)於 港文化小劇場

静岡で執筆の予定でしたが、未だ名古屋で執筆しています。
(訳・豊橋行き座れたfoooooooooo!!!!!)

さて、今日は東混の演奏会を聴くために東海道線まわりで東京へ向かっています。新幹線? なにそれ(車販のサンドイッチが)美味しいの?
じゃあ昨日はゆっくりしていy……んなわけなかろう! 演奏会があって行ける以上、私が動かないはずがない(これまで行けるのに行かなかった多くの演奏会に血の涙で土下座しながら)!
「名古屋の」フェアウェルでした。割と各地で行われているようですね。大学合唱団をその年卒団する人たちが集まり、最後にどんちゃん騒ぎともに歌い収める演奏会です。ともに過ごした日々を懐かしむのが団内の卒業演奏会(卒演・追いコン)なら、この演奏会は、上級生から下級生に向けたエールとでもいうべきでしょうか。名古屋は、連盟とは独立したイベントとして、例年この時期に行われます。大阪は府の連盟大学部会のイベントとして、でしたっけ。季節も秋に行われるイベントでしたね。そちらは残念ながら伺えていないのが心残り……。
毎年、大体文化小劇場クラスのホールで(見た中では1回だけ確かザ・コンサートホールだった)行われるイベント。今年は港文化小劇場でした。今日が早起きだとかそんなのどうでもいい! とばかり、片道1時間自転車で漕ぎまくりました。脚が……笑 電車代浮かせたお金? ぶっかけうどん(290円)に消えましたかね……(遠い目)

・ホールについて
文字通り、名古屋市港区にある文化小劇場。港区役所が近くにあります。そこまで雨が近いわけでもなかったのに、近くからは水の香り。名古屋港は商業港湾だけに、なかなか海の姿を見せないのですが、さすがにその点、港風情を感じさせるものがあります。
これまで、割と(音楽的に)質の良い文化小劇場を取り上げることが多かったのですが、このホールは、言うまでもない、「ザ・文化小劇場」。ブザーは皆様のご期待通り(?)「b--------------------」(笑)。アナウンスの方も今日は会館備え付けの原稿を読んd……あ、それは関係ないですね←
実に文化小劇場らしい、多目的ホール。比較的古めなホールに位置します。ステージが相対的に小さく、加えて舞台上部の壁がよく開けていて、ステージが小さく見えるのはひとつの特徴と言えるでしょう。しかし、何よりこのホールの特徴は、響かない、まさにその一点。これまでいろんなホールで「響かない」問題について論じてきましたが、真に響かないホールとはこのことを言うのです……本当に、まさに、目の前で歌われているような錯覚に囚われる笑 ここまで響かないと、歌詩が飛ばんだとか、フレーズのアタマが見えないだとか、そういう細かい話は特に気にしなくてもいいんじゃないですかね笑
とはいえ、こういうホールって、飛ばそうとちゃんと意識しない限り、本当に鳴らないだろうなぁ……と、プログラム中、「メイプルシロップ」を聴いていてふと思ったのですが、このホール、瀬戸に似ている。とすると、だ。皆が皆、岡高みたいに鳴らせたらなんてことはないってことだな!(暴論)

入場の歩くスピードは結構早め。さすが上回生といったところ。特に狭いホールだと、スタスタ歩くオーダーはよく映えます。
1ステの男声は、各団の団服を持ち寄って。バラバラなんだけれども、だがそれがいい。

ピアノ:野村七海、山田倖生*

第1ステージ・アラカルトステージ
松下耕「俵積み唄」
指揮:浅野景子
松本望「メイプルシロップ」(穂村弘)*
指揮:水谷尚裕
三善晃「あやつり人形劇場」(原版、谷川俊太郎)
指揮:長琢也
荻久保和明「IN TERRA PAX」(鶴見正夫)
指揮:今泉渉

1曲目と2曲目の間で代表が挨拶するに曰く、「アラカルトのコンセプトがわからないとよく言われたが、特定のテーマというよりは、各団ではなかなか歌えないような曲を持ち寄った」とのこと。要するに、厨好み、ってことですねわかります!w
「俵積み唄」のはじめから、人数的な問題(ベースがやたら多い)とはいえ、女声がめだって小さく聞こえたのが気がかりでした。加えてこの曲では、曲の性質上、男声が飛び出やすいだけに注意したいところ。技術的には、ひとつ挿入される長いフレーズの箇所でもしっかりとフレージングを保持したいところ。然し1曲目からその厨好みはっちゃけぷりを存分に発揮してくれた演奏の次は、難曲が二つ控えます。「メイプルシロップ」では、ホールのせいもあるとはいえ、ダイナミックレンジがせまく感じてしまったのが残念なところ。縦の音程そのものは悪くないものの、旋律の掛け合いを中心とした箇所のパートバランスだったり、パート内の音色だったりというのが、少しバラけてしまっていたか。今ひとつ統一感に欠けた感のあるのは、ひとえに集中力の問題でしょうか。普通の曲より大きな集中力を求められるだけに、尚更。「あやつり人形劇場」は、代表さんが「ヘタだと思っても大目に見て」とエクスキューズをつける程の難曲(伝わりづらい?w)。しかしそれでも、十分聴かせてくれるいい演奏でした。ただ個人的には、もっと遅いテンポの同曲が聞きたかったか。否、このテンポでいい部分もある。例えば「あやつられていると知って君は」とか。どっちかというとアッチェレランド、かもしれませんが。ただ何よりこの曲を表現する上で大事なのは、テンポを揺らしながら曲の中を揺蕩い、哀しくも暖かく、ゆったりと諧謔に満ちた世界観を表現すること。ここから先の表現は、詩と曲の対照の中に生まれるような気がしました。「IN TERRA PAX」の最初のファンファーレは、とてもいい意味で華々しく鳴っていたように思います。一方で、Aメロ(っていうか)の先に現れる16分のマルカートなどがもっと歯切れよく鳴ってくれると、とてもよかったような気がしました。しかしながら、この課題は、マルカートにあるというよりは、それに対比されるレガートにあるような気がしました。全体的に平板になってしまいやすい曲。いかに情感的にレガートを歌えるかが勝負のような気がしました。

インタミ10分。社会人がここらへんで演奏会に到着し出しました。平日でしたからね笑
このインタミ中、カラフルな傘が刺さった傘立てが。何か演出付きかな、と思ってワクワクしていたら傘立てが一旦引っ込み……そしてインタミ終了直前にまた出てくる……なんだこれ笑
完全に余談ですが、ちょうどここらへんで東京への旅、静岡県へ突入しましたw

第2ステージ・男声・女声ステージ
女)森山至貴「傘立てに」(木坂涼)
指揮:今泉渉
男)前田憲男「いうやんか」(島田陽子)
指揮:水谷尚裕
男)木下牧子「虹」(高見順)
女)佐藤賢太郎「つながり」
指揮:浅野景子
混)Larson, Jonathan(arr. Roger Emerson)”Seasons of Love”
指揮:長琢也

真白な美しい衣装で登場した女の子たち(と真っ黒な男声指揮者)が見せるのは、美しいアカペラと、そして、傘を使ったラインダンスがカワ(・∀・)イイ!!「傘立てに」。アカペラではフレーズの収め方が絶品で、加えてジャズのテンポにもよく乗って、とても楽しく聴くことができました(とはいえ、真っ黒な指揮者が実は一番ノリノリで踊っていたんじゃないかという噂w)。いい曲だなぁ、コレ。最後、傘立て(と真っ黒な指揮者)を中心にしてポーズを取って会場拍手(を真っ黒な指揮者に煽られた)ののちに、「どけどけぇ!」と追い払うように登場する男ども。一部の男性観客からはココロの中でブーイング。「いうやんか」では、全員黒・黒の衣装に身を包み、こちらはコテコテの関西ノリでラインダンスを披露。何なら声芸もアリ。なんかこのノリ、バッカスでも見たぞ……?笑 こういう場所で生む、失笑にも似た会場の笑いは、多分ホンモノだぞッ!w 割にアッサリしたアンサンブルも華を添え、良くハマったいい演奏でした笑 演出に伴い照明が暗転した後は、そのまま「虹」へ。いやぁ、いい曲ですよねホント……ステマしたくなるくらいいい曲ですよね……ステマしなくてもいい曲ですよね……というくらいハマっている当方ですがそれはさておき笑 照明暗転の状態から生まれたあの緊張感、その中から生まれるアンサンブルの集中力。もっとゆっくりやってよかったような気がします。否、もっとゆっくり聞きたかった。例えば僕の隣で聴いていたある人は「聴きたい和音が聴けるテンポ」と表現していましたが、めくるめくあらゆる和音が、この曲の聴かせどころの一つ。1拍目のナインスの時点で、まずこの曲の雰囲気へ持って行ってあげないと行けないわけです。とすると、この曲はもっと、もっとゆったりと、それこそ「あやつり人形劇場」のようにテンポを揺らしながら表現をつけていくことで、その表現の付き方が何倍にも膨れ上がっていくわけです。こういう曲って、本当難しいんですけど、決まった時の感動って、ホントスゴいんですよね。他にも、フレーズ終端だったり、フレーズの長さだったり、細かく詰めたらたくさん出てくるんですけど、最近の僕の、この曲に対する評価基準は厳しいので……笑 十分聴くことは出来る、優秀なアンサンブルでした。続けて上手から登場した「つながり」は、高声のフレージングに低声がもっと付いて行きたかったところ。どうしてもボリュームが小さく聞こえてしまうだけに、如何に伸びやかな声とフレーズで聴かせるかが一つの大きなポイントになってきます。ちゃんと膨らませると、ホール負けもしないような気がする。最後は混声揃って「Seasons of Love」。通称「コーヒーのアレ」笑 音色の使い方に好感が持てます。曲の各所で適切な声をうまく使い分けられているのが印象的でした。曲を追うごとに英語がカタカナに聴こえてくるのは、まぁ仕方ないとして笑、せっかくなので、最後はもうちょっと盛り上がっても良かったかも。

インタミ10分。3ステ構成ならまぁよくある感じですね。
これまた完全に余談ですが、ここまで名古屋から浜松まで全部座れているという僥倖。問題は次からの静岡ロングシート区間……(って、このブログは何のブログだw)。

第3ステージ・メインステージ
千原英喜・混声合唱組曲『明日へ続く道』(星野富弘)
指揮:水谷尚裕

男声は正装・黒礼服へ。曲としても格式高く、自らの「明日へ続く道」を歌い上げます。
1曲目「君影草」から、全体的に、ソプラノに特に歌いあげて欲しかったというのは、全体的な課題と言えそうです。特にこの曲と次の曲は、横の歌い方が美しい曲で、実際よく歌えていたからこそ、全体的にもっとボリュームを求めてしまうと言えそうです。加えて、特にスタッカート部では、もっと母音をせまく歌うのもアリだったような気がします。全体としてボリュームが小さい、あるいは散ってしまう傾向のあった一方で、「誰かを恋しているような」のクレッシェンドは見事でした。2曲目「もう一度」のボリューム不足もやはり課題。「翼はないけれど」以降は、若干苦しそうに聞こえましたが、発声をよく流すなどして、これでも、もっと欲しいと思わせる箇所。全力で歌いあげなければならない部分です。とすると、全体的に細いところ、ディナーミクのバリエーションを増やしたいところではあります。「せめて」、フレーズをもう少し長くしたかったか。具体的には、3曲目「悲しみの意味」程度のボリュームは欲しいところなのです。この曲に加え、4曲目「明日へ続く道」のボリューム設計は良く出来ていたように思います。あえていうなら、同曲前半「すずらんの花〜」の部分は、フレージング等の問題含めもっと欲しかったか。「私にはまぶしすぎる日がのぼる」以降の部分で鮮烈に聴こえてきたフォルテ以降の訴求力は十分なものでした。もともと演奏効果の高い「改訂版」に加えて、それぞれの思いもうまく乗ってくれたのか、鮮やかなアンサンブルを聞かせてくれました。

代表あいさつ。しかし、ここまで老けて円熟味を増してくると、挨拶も手馴れてるってもんです笑

・アンコール
松井孝夫(arr. 榎本潤)「旅立ちの日に」(混声四部、小嶋登・詩)

原曲とは結構テイストの変わっている同曲四声版。三声版とは調も違い、もともと存在しなかったオブリガードもありと、とてもおもしろい仕様になった同曲。その点、この曲におけるソプラノは今日イチの出来! キレイな高音を思いも乗せてしっかりとハメてくれました。

・ロビーコール
宮城県民謡(arr. 竹花秀昭)「斎太郎節」

ロビコはない、という雰囲気の中で突然始まった男声ゲリラ! きたああああああああああっ!とばかりにウキウキで手拍子叩いていたら、誰も乗ってくれなくてひとり浮くという……おかしい……この曲ではコレがお決まりなハズ……なぜだ……というのも当然の話、愛知県の大学合唱団では、なんと男声合唱団が「絶滅」してしまっているのでした。あな悲しや……消えゆく文化に哀愁……否でも、ノスタルジー押し付けるのも良くないような気はしますけれども、それでも、なんだか寂しいような気がしました。他の地域だと、未だにこの曲と言ったら手拍子&ソロ拍手、だし……え、某録音にはそんなのないって?(てへぺろ)

・まとめ

今年もフェアウェルが終わりました。このフェアウェルを機に、名古屋の大学合唱団は本格的に新歓、そして新年度へと突入していくことになります。そうでなくても、この時期、卒演・卒業式を経て、新年度を迎えるこの頃。(おおよそ)学生生活を終えた卒団生たちは、新たなステージへと旅立ってゆくことになります。
それこそ哀愁だけでは語れないような気がします。大学合唱って、ひとつ、文化的な側面が強いですから。これまで得てきたものを還元し、そして旅立って、それぞれの立場で新しいステージへと向かう。そのエールとして、そして、宮沢賢治「告別」じゃないですけれど、最後のメッセージ、答辞として、この演奏会は位置づけられているように思います。
今回も、いつもの調子でレビューさせていただきましたが、彼らが、この団の中でそれを還元する機会はありません。しかしながら、この課題は、そしてうまくいった点は、なおも生き続けるものでもあります。ある人は合唱を続けその中で、ある人は合唱を続けないかもしれないけれど、それぞれの生活の中での細やかさとしてきっと生きてくる。そして、観客の中に多くいる下級生たちも、それぞれの思いを胸にこの演奏会を聴き、そしてそれぞれの思いを胸に、この演奏会を自分の団に還元していきます。
文化とか伝統って、そういうものなのだと思います。しっかりと文字にしなくても、あるいは、文字にしないからこそ、それぞれが、思いを、考えを付加して、引き継ぎ、発展していくもの。だからこそ、伝統の更新があり得るわけですし、だからこそ、これから先も新しい文化を創造していく大きな力になる。毎年、まるで惰性のように見えてしまう演奏会も、そうやって、観客を含めた当事者たちのココロの中で、大きく発展し、花を咲かせるものなのだと思います。
卒団生の皆さん、卒団おめでとうございます。これから先、様々な道を歩まれる皆様、苦難こそあれ、その道が晴れやかなるを祈って、否確信して、ともに、未来をつくって行きましょう。

掛川で書き終わり、金谷で編集も終わり、上梓。さて、此処から先、あと半分はロングシートってとこですかね……(白目)
なお、東混のレビューは、中央本線を経由して信州へと向かう途上で書き上げる予定です。お楽しみに!(?)wもうすぐ島田だァ(・∀・)!