おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2015年12月6日日曜日

【第19回名古屋混声合唱団演奏会】

2015年12月6日(日)於 三井住友海上しらかわホール

「名混」といえば。
――否、若手世代的には文句なしで「名古屋大学混声合唱団」なのですが(マテ
今日は、「もうひとつの名混」(←)、名古屋混声合唱団の演奏会を聴いてきました。実は今日は電文では、名古屋ビクトリア合唱団の演奏会があったりもしたのですが、ハシゴはせずに、ひとつの演奏会に集中する形で。実はハシゴも出来るという時間、ハシゴした人もいっぱいいたんだろうなぁ……。
第1回演奏会にペンデレツキ・芥川也寸志・武満徹・三善晃を一堂に据えてしまうあたり、創団当初から、ぶっ飛んだプログラムを単独でやってしまう「実に」意欲的な合唱団。今回は、いぶし銀に光る小品を取り揃えた、コンパクトながら面白いプログラムで聞かせてくれました。

・ホールについて
皆様、本当に長らくお待たせしました!!!!
なんとこのホール、当ブログ始まって以来、初めての登場です! これまで幾度と、名古屋の演奏会もさらって来たのに、気がつけば、なんとこのホールで書く機会というのを逸しておりました……なんということだ。これまで散々機会があっただろうに。
名古屋人にとっては言わずと知れた、合唱をはじめとする室内クラシックの殿堂のようなホールです。特に合唱人の間では、「ホールといえばしらかわだよね」と言わんばかりに有名な聖地。とはいえ、最近このホールは自主公演をやめてしまいました。合唱関係なく、いちクラシックファンとしては悲しい限り……いいハコだけに、もったいないことこの上ない。
かれこれ結構な年数の経ったこのホール。いずみホールやサラマンカホールと同系統のホールといって差し支え無いと思います。典型的なシューボックスタイプのホールで、結構高めの響きがホール全体を包み込むように優しく広がります。そのためか、2階席だろうと、真上に天井があろうと関係なく、どの席でも割と良好な聴取環境を得ることが出来ます。届かないことはないし、かといってうるさすぎるなんてこともない。いろんなホールをこの3年で廻ってきましたが、否、やはりこのホールの響きは、完璧とこそ言えずとも、聞いていて本当に落ち着くものです。家に帰ってきたかのような。そして開演ベルのこの音! まる2年半はしらかわに行っていなかったことになるだけに、もう懐かしさすら感じてしまう、この鐘の音声(おんじょう)――って、違うわコレ←
ちなみに、クロークとラウンジも完備です。ラウンジって今でも営業出来るのかな? 基本的に10分〜15分とインタミの短い名古屋の合唱ではあまり使われませんが。あと、椅子が、座面がまるごと跳ね上がるわけではなく、座面真ん中あたりで折れ曲がる、特徴的な形をしています。ちょっとハンドバッグを置いておくのに大変使いやすい構造。名古屋市各区にある文化小劇場と、中電・電文、ウィルあいち、市民中、宗次、そしてしらかわ。名古屋の小・中規模の文化は、こんな恵まれた環境で育まれています。

指揮:大橋多美子(1, 3, 4)、小泉孝(2)
ピアノ:森恵美子(1, 4)
ヴィオラ:吉田浩司(3)

第1ステージ
萩京子「五つの混声合唱曲『飛行機よ』」(寺山修司)

萩京子の代表作。意外と演奏される機会が少ないような気もします。作曲家にして言わしめるように、全体として爽やかながら、寺山修司の繊細な心情を描き分けた佳作でもあります。しかしながら、萩京子の作品にひとつ特徴的なのは、その独特の空気感。ただ歌い流しただけでは流れ去ってしまうようなシンプルかつ静謐なメロディの中に、心に迫るいくつもの感情が去来する作品です。
ともすると、この心情表現、とてもさり気なく歌われていくため、それぞれの感情に「くさび」を打つかが結構重要な課題なように思います。メロディをメロディとして流すのもまた一興、しかし、例えばその子音に重きを置いて、歌詩の一言一言を飛ばすような表現ということもまた考えられます。今回は割と一貫して、すんなりと流していく演奏だったように思います。例えばそれは、1曲目や3曲目ではハマりますが(しかし前者はノンビブラートで聞きたかったし、後者は他方、今日は響きが暗かった。残念。)、2曲目の熱情的な少女への感情や、4曲目の祖国という言葉のねじれを表現するのには少々不十分だったようにも聞こえてしまいます。また、曲調としてはよく合うはずの5曲目でも、テキストが長い分だけあって、言葉でしっかりと押して行かないと漫然としてしまう、というのは、個人的な印象。手厳しい言い方でこそあれ、確かに1ステとしてはよかったけれども、あまりにも1ステ然と歌いすぎてしまったか。もっと歌い込んでもよかったし、もっと歌いこんだモノを聞きたかったというのもある。
しかし、いい曲ですね、この曲は。高校時代からちょろっと触っていた合唱を大学のサークルで本格的に初めて、一番最初にステージに上がった時の曲が、この組曲3曲目の「ぼくが小鳥に」でした。

インタミ10分。4ステ構成。なのになんでこのタイミングでインタミかって?……当座のピアノをしまうためです笑

第2ステージ
三善晃「混声合唱曲『小さな目』子どもの詩による13の歌」(作詩情報省略)より
「先生のネックレス」
「せんせい」
「いもおい」
「みそしる」
「ひろちゃん」
「やけど」
「あさ ないたこと」
「けんか」
「ピアノ」

当時の小学生たちによる詩に三善晃が付曲した小品集。日唱の立ち上げの際に委嘱された作品とのこと。それも、三善としてもかなり初期の作品。『五つの童画』とほぼ同時期。ということは、難易度についてはもちろん……笑 同じく、こと此度の三善晃再演の流れの中でもなかなか取り上げられなかった曲。とはいえ、かなり古いものでこそあれ音源化はされている、割とよく知られた曲でもあります。その意味、長らく現代音楽と馴染みの深い名古屋混声ならではの非常に優れた選曲眼が光ります。
子どもたちの独特な感性を写実するかのように活き活きと描かれた音の世界。三善独特のヴォカリーズが和声をめくるめく変えていく中に、音楽として見いだされる感情は、聞いていてとても楽しくさせます。実際、周りにいた、団員のお知り合いと思しきオバサマ方の笑いを誘う程、でもって、それが特に嫌になるということでも無いくらい、諧謔に満ちた、可愛らしい楽曲たち。
なにかといえば、この団は、それを表現するだけのポテンシャルを持っているということです。むしろこの団は、現代音楽寄りの楽曲の方が豊かに表現できるんじゃないかしら笑 何がスゴいって、言葉と楽曲の収め方が、唸るくらいに上手なんです。経過音をしっかりとはめながら、その和声が自然と詩の表現に繋がっていき、最後のトニックを可愛らしく、時におどろおどろしく、時にしんみりと決めていく。その一つ一つにおける楽曲への理解、いうなればさり気なさのようなものが、聞く人を自然に惹きつけ、そして、心の底から共感できる原体験への結びつけていっているように思います。何より、仕上げ方が、三善と思えないくらいに軽いんだ――。
ところで、「けんか」聞いてて思ったんですが、三善センセってホント、喧嘩周りの曲に名作多いですよね、ほら、「格闘の場面」(『クレーの絵本第1集』)とか、組曲『決闘』とか……なんて笑

第3ステージ
一柳慧「混声合唱とヴィオラのための『ふるさとの星』」(谷川俊太郎)

珍しくビオラが編成に入る曲。否単純に、ビオラが単独の弦で入るのって珍しくないですか?……スミマセンね、ビオラ弾きの皆さん……笑
うって変わってガチガチの現代を覚悟していたら、アレ、意外と1曲目は馴染み深そうな曲……ヤ、待てヨ、ビオラはなんか妙なメロディを鳴らしているゾ……あれ2曲目は、何だこの妙なメロディラインは……などなど、特に中間楽章でその化けの皮を剥がし(?)、4曲目は再びさわやかな空気の中に去っていく曲。3曲目の「ほほえみ」などは、むしろその雰囲気の中によくハマる、うまくやれればとてもおもしろい曲のように思います。
そう、「うまくやれれば」。この曲、傍目に見ているだけでも難しいんです。例えば「ふるさとの星」なんて、その言葉のアクセントと逆行して上行音型だし、2曲目なんて長7度跳躍がどしょっぱから出てくるし、3曲目は音高いし、4曲目こそ割と歌いあげられるものの、そこに至るまでがひたすらに難儀なんです。そうなると、たとい現代音楽をよくやってきてたとしても、振り回されるものは振り回されるもの。なかなか曲が全体としてまとまりきらない。長7度にかぎらず跳躍がおおい曲。音量というわけでもない。ただただ、この跳躍に耐えうる、力を。
しかし、この曲もまた、和声がめくるめく変わる曲。その点、音が取れている、というだけの次元にとどまらず、和声を柔軟に鳴らせているというのは、相変わらず、この団の強みなのだなぁと思いました。4曲目のビオラとの絡みとか、結構好きです。軽い響きを当てられると、単純に、もっとよく聞こえるような気がしました。しかし、そのために必要なのは、力……力こそパワー……笑

インタミ10分。ピアノが戻ってきました。両インタミとも、アナウンスはなし。まぁ、それも一興……?笑
ちなみに、インタミといえば、このホール、かなりちゃんとしたアーティストラウンジが舞台下手側にある(もちろん団体のセルフサービス)んですが、あのアーティストラウンジをアーティストラウンジとして使っているアマチュアの団体を、自分が関わってきた中ではみたことがありません笑 自分が演者たる時には、舞台裏アーティストラウンジ近接のエレベーターホールにあるドトールのカップ自販機が大好きだったりします……笑 スープおいしい……笑
さらに演奏関係で言えば、リハーサル室のほか、ひとつだけ、グランドピアノが設置されている楽屋があるので、ピアニストの皆さんも、身体が冷えることなく本番に備えることが出来て、大変充実した環境です……ですよね?笑
なんでこんなに詳しいかって? 散々いろんな団で使ってるからですよ! 毎度お世話様です!w

第4ステージ
Chilcott, Bob “Jazz Folk Songs” for Choirs より
‘Scarborough Fair’
‘Hush, little baby’
’Tell my ma’
‘The House of the Rising Sun’
‘Waltzing Matilda’

このステージまでは男声礼服、女声がスカイブルーのサテン系ロングワンピース。このステージだけはお召替えで、男女ともに、所謂「黒・黒」。ジャズですからね、ロングワンピースでジャズは……それはそれでいいのかも(何
チルコットお得意のポップアレンジで、最終ステージは華々しく彩られます。そうです、この団、こんなこともできるんです、と言わんばかり笑 私事ながら、以前この団にお伺いしたのは……そうですね、単独で権代敦彦『ダイイング・プロジェクト』を演奏された時でして……笑
縦を揃え、それを横に流すのが上手い団だからこそですね、このグルーヴ感は! シンコペーションも軽く、それでいてとても十分に、鮮やかに鳴らします。課題として、子音を鳴らすのが遅くてついていけないように聴こえる部分が時折あったものの、しかし一方で、鳴らす意欲は十分なので、英語なのに言葉がしっかり聴こえてくる。ステキ。
ジャズのグルーヴって、呼吸が創りだすものだと思うんです。言ってみれば、それぞれの奏者の息遣いがそのままフレージングとなり、和声となり、リズムとなり、音楽となる。だからこそ、お互いの息が合うこと、更に言うなら、ちゃんと息を出して声を出していることが、良い演奏への条件となる。その点、この団は、しっかりと声を出している。それが、思うがまま出して、例えば1ステ1曲目のように、ビブラートが浮きすぎてしまったりして、雰囲気が壊れかねない状況にあるのかもしれない。しかしながら、それが十分に活きる場面というのは様々な機会に訪れて、そして、実際、それを元にして表現を組むなんていうことも出来る。ちゃんと声を出しているこの団、そして、この演奏。響くホールだからこそ、響く声を出せていることは、何より、強みでもある。力強いジャズに寄せて、ポツリ、そんなことを思うのでした。

・アンコール
arr. Bob Chilcott “O Danny Boy”(with Viola ad lib.)
arr. 三善晃「夕焼小焼」(『唱歌の四季』)

1曲目はビオラも加えて。独自のアレンジだそうで、団員曰く、前日までどういう風になるか全くわからなかったとか。むしろ自然だったから、ついてっきり、最初からあるものかと……笑 最初の主題独奏もキレイでした。2曲目はド定番。何より、単独の団でこの曲をやって、これだけのボリュームを以て、ついでに拍手喝采持っていくのだから、この団は強いっていうものです。でもネ、途中の男声内声部は、もっとガンガン鳴らしてもいいのよ?笑

・まとめ
常々、とても意欲的なこの団、その中でも、「割と」こぢんまりとまとまった今回の演奏会。しかしながら、とても密度の高い、ハイレベルなプログラム配置だったようには思います。全体として、ピュアな感情を如何に表現するかを考えさせられる、スッキリとした構成。意外とバラバラなように見えても、実は意外とすんなりとひとつにまとまったプログラム。見れば見るほど不思議、しかし、それもまた良い、そんな感じ。
もともと、レベルの高い団です。だからこそ見える技量、というのもいいのですが、上手い団と呼ばれるところは、往々にして、当たり前と思われていることを当たり前に出来る団です。その中で、この団は、当たり前に出来ることをちゃんと当たり前にしていきました。なにより、それは評価したいところ。実際、当たり前に出来ると思われていることが実はこぼれているというのはよくあることなのです(耳が痛い……)。
しかし、場所によっては、より多彩な音が欲しい、と思わされる場面もある。それは『小さな目』では十分なものの『飛行機よ』では不十分、というような相対的なものです。あえて一つにまとめるならば、この団に致命的に、しかし唯一足りないものは、音色の使い分けといえるのかもしれません。もっと明るい響きで『飛行機よ』を飾ればもっと違ったかもしれないし、もっと力強い響きで『ふるさとの星』を演奏すれば、また違った世界が見えたかもしれない。そういうった意味で、すごく惜しい演奏というものが何曲かあったように思います。「音の広がり」を元に今日の演奏を語った方をTwitterでみました。それもまた一興。然し、私は、そのポテンシャルを、チルコットにおけるグルーヴに見たい。
ナニ、この団は、来年も聴かせてくれるでしょう。それは、日常に対する希求であり、同時に、将来に対する期待でもあるのだと思います。また聴きに行こうと思います。

・メシーコール
「スガキヤ ニュー栄B2店」
飯食ってもこのコーナー立てないこともあるんですが、ひとことだけ。
店内掲示の味噌ラーメン、めっちゃ楽しみです!!!!!!!!
コーン!コーン!山盛りもろこし!