おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2021年12月19日日曜日

【大阪大学混声合唱団第63回定期演奏会】

2021年12月19日(日)於 東リいたみホール 大ホール


実に驚くべき事態です。

え、2週連続で伊丹にいるって点? うんまぁ、それは、伊丹も近いし、そういうこともあるかなって思うんですよ。先週も今週も、午前中に予定があったから、午後に向けて新幹線(ぷらっとこだま)、帰りは近鉄在来線って感じだから、名古屋からのアクセスでも平均して片道3,500円くらいですからね。名古屋でプロ聞きに行くのとたいして変わらないっすわ。

え、エゴラドじゃないのかって点? うんまぁ、いろいろ考えてね。エゴラドも行きたかったんだけどね。ライブでは聞いたことないんじゃないかな、筑後川。でも、やっぱりききたかったんだよね、たまんなくいいよね、星の旅。

え、弊団初演作を見届けに行ったんじゃないのかって点? うんまぁ、そういうこともあるよね。でも確かに、初演した後すぐコロナだったから、再演回数少なかったし、演奏していただけてありがたいなとは思うよね。


……そうです、そういうことじゃないんです。それだけじゃないんです。

なにかって、この、前週にアポロン行って、翌週に阪混行く流れ、

2014年12月とほぼ同じ流れなんですわ。

いやぁ、成長してないなぁ、自分笑


 そんなわけで、三つ子の魂百までを身にしみて思い知らされる阪混。昨年度来の学生団、このコロナ禍にあってなかなか活動が難しいこともあり、ステージ自体縮小傾向。否、それ自体を悪くいうつもりは一切ないのですが、何がおかしいかといったら、逆にこの団。なんともりもりフルボリュームの4ステ構成。もうね、馬鹿かと(褒め言葉)。

 やりゃあできるじゃん!って他の団に申し上げるつもりはさらさらないですが、やっちゃうところはやってしまうというのが、こういった活動の機微というところ。こうやって、ムードって作られていくのかなって感じがします。

 並んでいる曲たちも、歌い慣らされた定番の名曲(と、この曲をいうべきか1ステよ……)から最新の合唱事情まで幅広く、まさに、この時代の合唱事情を照らす、お手本のようなステージ構成です。東のクライネス(東工大)、中のグランツェ(名大)、九州の九大に並ぶ、団員数四天王とでもいうべき中にあっても、今年のオンステは100人を切り(それでも72名)、1回生は各パート1〜3人と、団員獲得に苦労しているのは間違いないようです。とはいえ、各パート15人以上はいるというこの規模感が、4ステを支える力にもなっているかもしれません。否、人数が全てじゃないけどさ、こういうとき人数が力になることは否定できない事実でもある。


・ホールについて

 これまでも何度も書いているホールですね。条例は廃止になっていないものの、コロナ禍だからか日本酒の提供はありませんでした(違)。

 便利だった角のミスドが賃貸屋さんになって久しいですが(住むにも良い土地ですからね!笑)、それを差し引いてもやっぱり使いやすいホールであることにかわりはありません。舞台もホワイエも広いし、それでいて極端に客席数が多いわけでもなく。よく響くけれども響き過ぎず、それでいて舞台の音はちゃんと聞こえてきて、かといって生声が届くわけでもない。この絶妙なバランス感をして、長きに渡り関西合唱コンクールの舞台となっているだけはあります。ここで演奏できることもひとつのステータス、まさに、関西合唱の登竜門とでもいうべきステージです。

あと、反響板が白色なのも、ローホリで色々遊べていいですね。うん、アタマ2ステージでは色々遊んでいて面白かったです。


・オープニング

「大阪大学学生歌」

「萬葉歌碑のうた」


 ホントこの学生歌、聴いたのいつぶりだったかなぁ……そんなに聞く回数が目立って多いわけではないのに、妙に懐かしくなる曲です。いろんな気持ちがないまぜになる曲でもありますね……笑

 たかが学生歌と侮るなかれ、よくよく聴いてみると非常に無声子音が多い曲でもあります。いつもだったら、それがどうした、ってことでいいのだと思いますが、今回は、特にマスクもあったりして、飛んでこない子音が余計に気になってしまいました。あと、少し息の勢いを考えあぐねたか、今ひとつ音が低かったような気もします。

 もっとも、2曲目で特に明らかとなった限りでは、仮に低いピッチであっても、その中でよくまとまっていたってことなのですが笑 その点、さすが関西の実力とも言えそうです。


第1ステージ

信長貴富・混声合唱とピアノのための『新しい歌』

指揮:伊澤虎之介

ピアノ:竹田景子(客演)


 そうなんですよ、この曲、もう初演から21年も経ってるんですよ。信じられない。自分が合唱を始めたのが(だいたい)2007年くらいなことを考えてみても、それでも文字通り「新しい歌」だったのに、気付いたら全然そんなことない「往年の名曲」的ポジションになっていらっしゃる。歳取ったなぁ、ホント……。

 とはいえ、この曲、こういう爽やかな団に歌われてこそ真価を発揮する気がしてなりません。この点、いつまで経ってもこの曲は「新しい歌」なんですよね。なんたって、こういう状況の第一ステージがこの曲ってあたりも、とっても素敵じゃないですか。

 前述のとおり、関西の、特にKKRの合唱団は、基本については本当に踏み外すことがない優秀な音作りが光ります。その点、先週のアポロンもそうでしたが、出発点が一段高いところにいるので、その後の音作りに神経を集中していられます。なにより、その姿勢を心の底から高く評価しておきたい。コロナ禍にあっても、この良き伝統を守り抜く努力は並大抵のものではないはずです。

 でもだからこそ、今ひとつ、もっと表現に磨きが欲しかった。この曲においても、学生歌において指摘した、フレージングと子音、そして強勢にかかる課題がそのままあてはまります。特に少し残念だったのが、まさに「新しい歌」特有の高揚感がいまいち得られなかったこと。ありていにいえば、もっとはっちゃけた音作りをしても何ら問題ないところ、とてもキレイに丁寧に「まとめてしまった」。例えば、ハンドクラップひとつとっても、ただ手を左右に動かすだけでなく、(ステップ踏めともいわないけれど)胸を張って、全身の脱力を以てもっと乗って叩いたほうが、もっともっと表現として豊かになったような気がします。それはそれで良かった部分もあれば、同時に、物足りなさも感じてしまったのが正直なところ。

 この点、「鎮魂歌へのリクエスト」の口笛明けのテンションの持って行き方が物凄く立体的で良かったから、余計にそう思ってしまう。音の重ね方から、最終的なフォルテの作り方は、まるでお手本のような素晴らしさでした。これを理想のフォルテと心得た時、この団に出来たことはもっとあったのではないか、と欲を出してしまうのが正直なところ。綺麗だったからこその「リクエスト」、この点、十分及第点といえる出来だったのですが。ううむ。


インタミ15分。祝電披露にあって、とよこんからの祝電がちゃんとあるのが、阪混らしさともいえます(4団体全部だったかも……)


第2ステージ

信長貴富・混声合唱のための宮崎駿アニメ映画音楽集〈第1集〉

もののけ姫〜君をのせて〜となりのトトロ

指揮:伊澤虎之介

ピアノ:行本太陽


 パンフレットに曰く「公開から年数が経っているものも多くなってきましたが」……

絶妙に傷口を抉るのやめてくれませんか(白目)

 もはや「もののけ姫」公開時に生まれていたというのは年寄りの証なのか……苦笑

 ちなみに、指揮者はトトロの格好で登場。飛沫を飛ばしちゃいけないですからね、みんな笑いを堪えるのに必死でした。たぶん。

 さて、そんなことで、こういった曲に接するときに私たち世代(30代以上、としておきましょうか)が自然と持ち合わせていた親近感は、ともすると少しずつ薄れてしまっているのかもしれません。確かに、決して音の構成に狂いはないものの、どこか主旋律に対する意識が少ないのが気になりました。否、確かにちゃんと主旋律は歌えているんです。ただ、強い対旋律が置かれている時、主旋律を食ってしまう場面が、少なからずあったのが非常に気になりました。ポップスを歌う時によくあることとはいえ、その度、記憶で補正できるとはいえ、それに甘んじてしまうと、いよいよ将来、これらの曲で親しみのあるプログラムを構築できなくなる懸念すらあります。言い過ぎ? 否、現代人の心に刺さらないというのは、ポップスステージが持つ特有の怖さと言えるのではないでしょうか。

 あと、少しばかり歌詞に対する実感が欲しかったところ。特に、テナーの「さあ出掛けよう」をどれくらい決然と歌うか。原作を思い返せば、ここの出発は、野心的な冒険のはじまりであると同時に、もう帰れないかもしれない慌ただしい冒険の始まりでもあり、未知の世界へと足を踏み入れるまたとない絶好の機会でもあります。そんな、壮大な世界の「さあ出掛けよう」となるのはどんな音なのかを、もっと研究して見ると、この音は存外に、もっと歌い上げたほうが成立するのかもしれません。

 あとは、「トトロ」の畳み掛けとか。ーー否、トトロのところは、シンプルに難しかっただけかも……笑 特に「トトロ」はもっと口角上げて歌いたかったですね。マスクあるとずれるから大変なんですけどね笑 その点、見てる限りではアルト前列の表情が良かったなと想います。


第3ステージ

森田花央里・混声合唱組曲『星の旅』(谷川俊太郎)

指揮:行本太陽

ピアノ:竹田景子(客演)


 もうこのプログラムをめがけてきたといっても過言ではない。それほどに、2018年の再演に出会った時から、この曲の感動が頭から離れません。1曲目の和声の重なりが見せる世界観から、2曲目、3曲目の旋律が訴える世界観に至るまで、同曲のあらゆる構築が、私たちを「星の旅」へといざなう。その中にみせる、別れの寂寥感のような、しかし決然としたメッセージが、訴えかけてくるものは、初めて聞いた時から今に至るまで特別なものがあります。

 ……という思い出補正もあったりしますので、幾許か筆が厳しくなってしまうかもしれないことをお許しください笑 否、それにしても、今回の再演で特に評価されるべきは、2曲目や3曲目の訴えかける旋律線でしょう。私だけではないと思うのですが、何かとこの曲、1曲目のクラスターに注目が行きがちです。もちろん、その存在をして、この曲の世界に引き込み、「星の旅」へいざなうための重要なファクターであることは間違いないのですが、その世界観に圧倒されて、次以降を訴求することが難しい部分があるのも正直なところ(それくらいに、1曲目が傑作だということでもあるのですが)。そんな中、前のステージで少しずつ片鱗を見せていた、阪混のもつメロディの訴求力が、この組曲で見事開花するに至りました。森田音楽の持つ独特の旋律美は、それだけで圧倒的な説得力を持つものでもあります。まして、テキストだって、読んでいると、どこかコロナとシンクロしたものを感じる点、より沁み入るメロディとなってくれたのではないでしょうか。

 1曲目のクラスターはやや課題を残してしまったか。おそらくこのクラスターは、各パートができるだけ均質に音を鳴らすことが肝要なのではと思うのですが、ちょっとソプラノの先行が目立ってしまったよな気がします。各部分のデュナーミクに意識が向くこと自体は非常に良いことなのですが、それが、楽曲全体でどのような構成をしていて、その中で相対的にどのように表現されるのか、という点がより研究されていても良かったような気がします。何、この音を積むだけで非常に難易度の高いことをしているのは承知の上、だからこそ、より高いところを目指したく鳴ってしまう。全く、聞き手というのは身勝手なものですね苦笑


インタミ15分。


第4ステージ

山下祐加※・無伴奏混声合唱曲集『Ten songs ー世界のエレメントー』(みなづきみのり)

※祐はしめすへん

指揮:伊東恵司(客演)


……あ、それで、弊団初演曲ですね← 実際には初演以来、少なくとも淀混はやっていたと記憶しています(第32回の由)。文字通り全10曲。どれもだいたい2分以内に収まるとは言え、10曲あれば20分。率直に、体感以上の長さを感じました。何を隠そう、この曲を聴衆側で聞くのは初めてですから笑

 チラホラと書いていた、この団が持つメロディの潜在的な説得力が非常に顕著に現れた出来となっていたように想います。特に、「波の音」「風の音」そして終曲「命の音〜歌声〜」の出来は、まさにメロディ中心の曲であるだけに、眼を見張るものがあります。オノマトペの世界観にありながら、メッセージをしっかりと伝える同曲のメロディの作り方が、非常にしっくりときて、この曲の流れとしっかりフィットしてくれていたように思います。

 でもなんだろう、もう少し「行き過ぎた」表現があってもよかったんじゃないかな、というのも正直なところ。この曲、全体としては、オノマトペを中心に、世界を構成するさまざまなエレメントを表現していく曲。そのどれもが歌を持つ一方で、要素ごとの「原音」とでもいうべき擬音が、より効果的に聞こえるためには、それぞれの音がもつ面白さを、もっと面白がれるとよかったように思います。何をしたらいいかといえば、文字通り、もっと「面白がる」んです。コントでもしろ、というわけじゃないんだけど、よりオーバーな表現が、擬音、そしてメロディを構築しない音にも込められていると、より面白い表現になったように思います。象徴的には、「時の音」でテナーが音量を特に求められていたシーン。もっとも、そこは擬音ではなかったんですけどね……笑

 否、ナンセンスなことを申しすぎている気がしないでもない。何より、この曲たちをやりきったということについては、素直に評価しなければなりますまい。伊東先生のその後の挨拶を借りれば、まさに「他の大学合唱団の励みになるような」演奏を、見事やりきったのですから。念の為改めて書いておきますと、基本的なことがちゃんと表現できていた、その上での指摘です。


・アンコール

松下耕「山と空とあなたと私〜いま、旅立ちのとき〜」(みなづきみのり)

指揮:伊東恵司(客演)


 信大混声のために書かれたという、大学合唱団のための曲。2015年の曲ということで、必ずしもコロナに直結していなかったところ、「歌を携えて 歌といつまでも」と歌うそのテキストからも、コロナに苦しむ合唱団へのエールを込めて、ピアノリダクションもされるなど、新たな展開を見せているようです。その心そのままに、実体験からか、説得力のあるメロディが印象的でした。


 指揮者のグータッチののち、拍手が途切れるのを待って、4回生がフロントロウに。拍手受けながらの転換でも良かったのよ……笑

 部長挨拶は、淀みなくしっかりと、それでも「歌を通してふたたび笑顔を交わすことができたら」という言葉にも印象的な、心の底からの思いが篭った、とても印象的なものでした。


信長貴富「それじゃ」(木島始)

指揮:行本太陽


 よくある構成でありながら、この曲、卒団生が1回生だったときのアンコール曲だったとのこと。どうも阪混ではこういった選曲をよくしているようなのですが、否それにしたって、「それじゃまた!」って爽やかに別れていくの、素敵じゃないの。何気ないひとときに、また思い出す再会を期した別離のひととき。


 最期のひとりが退場するまで拍手のなりやまない、温かいエンディングと相成りました。


・まとめ


 あまり「コロナ」関係ないように、とは思っているのですが、率直に、コロナ禍とは思えない、凄まじいボリュームの演奏会でした。思えば、4ステ構成の演奏会を聞くということ自体が本当に久々なことで、まして最終ステージは短いとはいえ10曲もありましたからね笑 本当に、まず何より、このステージをやりきった団員の皆さんに心から敬意を表したいと思います。只事ではないです、間違いなく。しかも、その演奏のどれもが、関西ならではの抜群の安定感で導かれた安定のハーモニー。どんな曲もそつなくこなし、見事に形に仕切っている。圧巻の定期です。自分達を褒めてやってほしいです。

 でも、だからこそ、そんなステージをやりきった彼らにだからこそ、もっとこうしたい、と欲を出してしまう。まだ、この団には、表現できるメッセージが眠っているはずです。美しい音を十分聴くことはできた、メロディも十分に歌われている。ではその先、歌うべきメッセージがどこにあって、どのように意識を集中すべきであるか、研究すべきことはまだあるはずです。

 おそらくですが、コロナ禍で一番不足してしまっている部分って、結局こういうところの感覚なんだと思います。特に今年度においても、部長挨拶にもあったように、今年初のステージであったということ。先週も指摘しましたが、圧倒的に本番の回数が減っている。このことが、音楽性の鍛錬に少なからず影響を与えてしまっているような気がしてなりません。

 好きな音楽を聞くとか、過去の名演を聴くとか、アナリーゼを怠らないとか、さまざまなアドバイスがあるのかと思いますが、それでも、百聞は一見にしかず、ひとつの本番にかなうものってないんだと思います。酷な話ですが。でも、フォローするためには何が大事なのかと言ったら、やっぱり本番なんですよね。本番に向けてどう表現していくか、そこに従属する要素として、アナリーゼや過去演奏の研究があったりします。

 幸いにもこの団には人数がいます。これだけの人数が一斉に表現していったら、きっとこの団は凄まじい表現を作ることができるはずなんです。でもだからこそ誤魔化せてしまうような数多くの表現の機微に、ぜひ果敢に立ち向かって、音にするよう創意工夫をひとりひとりが重ねていって欲しいと思います。こんな時代だからこそ、これまで以上に、もっと、歌い手は自立すべきといえるかもしれません。今日この機会をきっかけとして。

 とはいえ、繰り返しにこそなりますが、この演奏会をやりきったことを、何より評価しなければなりませんね。本当にお疲れさまでした。

2021年12月12日日曜日

【神戸大学混声合唱団アポロン第59回演奏会】

 2021年12月12日(日)於 伊丹アイフォニックホール


みなさん! 12月ですよ!

 ……え、それが何かって? やだなぁ、忘れてもらっちゃ困りますよみなさん。

みなさん! 大学合唱団の季節ですよ!


 若々しさ、荒削りさも時にありながら、優れた技術と、これでもか! と趣味を詰め込んだプログラム、そしてなにより圧倒的なコストパフォーマンスで私たちを楽しませてくれる大学合唱団。そんな大学合唱団ですが、このコロナ禍において甚大なダメージを受けたことは当然例外ではなく、それどころか、各カテゴリの中でも特に大きな影響を受けた部門のひとつと言われています。演奏機会はおろか、新歓で人を集めることすらもままならず、その性質上人が入れ替わることが当然視されるだけに、零細合唱団だと、このまま活動をやめてしまうところも決して少なくないのではと推察されます。

 名門といって差し支えないであろう、今日のレビュー対象である神戸大学混声合唱団アポロンも例外なく、このコロナ禍において人数を減らし、40人あまりでの活動、中でも男声に関してはわずか9名ばかりという、率直に言って悲しい現実をまざまざと見せつけられました。

 しかし、当の団員たちは、そんな中でもできる活動にはどんなものかと思考を巡らして、少しでも充実したステージを作り上げようと模索を続けています。そんな彼らが今回のメインに選んだのは、佐賀県イチの有名人(?)山本先生を招聘しての『ティオの夜の旅』……いやもう、行くしかないでしょう!(現実もこんな感じのノリで整理券取りました)

 コロナにおける臥薪嘗胆を強いられた2年目、2021年の学生団シーズンの開幕です!

(もしこれより先にやっている団がいましたら大変申し訳無い。平謝りします)


ホールについて

 実は以前にも来ているんですよね。天花でした。その時からとにかく印象深いのが、インテリアの美しさ。少しダークブラウンに酔った木質の仕上げで、決して華美に彫り込んではいないものの、天井の放射状に伸びた円の意匠が特徴的な、公共ホールでありながら作りの良いホール。派手ではなくとも、しっかりと存在感を主張するホールは、シューボックス型でありながらもステージと客席を包む空間全体が円形になっている点においても特徴的。その内装をして、ごく近くにある東リいたみホールとは対称的なホールともいえます。ベルも、ビブラフォンがほわんほわん鳴っていてすごくいい感じです。

 そんなホールは、非常に響きも美しい。残響が全てを包み込んでくれる、という類のものではなく、生の音がしっかりと客席まで届くので、ごまかしが効かない一方、しっかりと残響自体は残ってくれる。だいたい前者か後者かどっちかなのですが、それがどっちでもあるという点、とても誠実な演奏が求められるホールです。本当に、ごまかしがきかないというのはこのことをいう感じ。

 ちなみに、詳しくは、以前のレビューが非常に雄弁に語っておりましたので参考まで……笑


 今日は、団員規模を気にしてか、あるいはコロナ禍の集客を気にしてか、客席数500程度のアイフォニックホール。ただ、ほぼ満席だったところを見るに、もう少し大きなホールでも十分集客できたのではないかと思います。もっとも、これ以上大きなホールだと鳴らすのが大変なのは否定しませんが。この人数規模然り。


・校歌

「商神」

 そうですよ、これですよ。指揮者ピンスポ、拍手なしで演奏をはじめて、曲に合わせてフェードインして全照。これ見てこそ、学生団聞きに来たって感じがするってものです。コロナ禍で長らく見られなかった光景です。

 演奏は、とても端正で丁寧なつくり。推進力に少し欠ける面があったか、ユニゾンが低くなることもあったような気がするものの、このご時世、こういった内省的なつくりも又許容のうちといえるかなと思います。


第1ステージ

相澤直人・さくらももこの詩による無伴奏混声合唱曲集『ぜんぶ ここに』より

ぜんぶ

まるむし帳

言わない

やわらかな想い

大きい木

指揮:出口可奈子


 校歌からの続きでいって、そりゃ、あのように端正な演奏ができる団ですから、この曲やらせたら、きっちり決めてきますよね! 非常に期待どおりの出来といえます。関西、ことKKRらしい、和声に対して非常に忠実なつくりに、未だ変わらない伝統に安堵するとともに、どこか懐かしさすら感じてしまう面もあります。本当に複雑な音も、しっかりと整理されて聞こえてくるので、音楽のつながり自体が非常によく見えて、構成だけでちゃんと音楽自体は動いてくれていました。この点、十分及第点を取れる演奏とも言えます。

 とはいえ、そういう、ちゃんとしている演奏を聞くと、それ以上を求めたくなるのも又事実。特に気になるのは、この6曲の並びの必然性のようなものが、いまいち感じられなかった点です。この曲集、10曲(+1曲)を擁する、そのうち6曲を選んだのが今回の演奏で、その点について特段の疑義はありません。しかし、なぜその6曲を選んだのか、あるいはせめて、選んだその6曲でどのようなストーリーを作っているのか、演奏から少し見えづらかったなというのが気になりました。

 それは例えば楽曲における表現の問題であったりします。構造上の和声については十分できているものの、では、その和声が持つ意味合い、あるいは(言語化できずとも)歌詞や旋律に対してそのような和声がつけられている解釈上の意味合い、どのような予備拍により、どのような歌詞が一番最初に歌われるのか――さらに言えば、曲と曲の間をどう待つか、というのも、表現のひとつであるともいえます。

 楽曲が持つ意味合いを深く理解し、それを表現しようとするだけで、信じられないくらいに、声の出し方まで変わってくる――もっとも、あえてこう言うと、「それ以前」の課題は十分クリアできているので、非常に正当に、これからの伸びしろが残っているともいえそうです。

 しかし、この時代に「たいせつなものはぜんぶここにある」と歌われると、否応なしに、感傷的になってしまうものがありますね。


休憩長めに15分。換気タイムでもありますね。


第2ステージ

Vytautas Misinis 宗教曲アラカルト

Cantate Domino

Gloriosa dicta sunt Nr.2

Dum medium silentium

O sacrum convivium

指揮:黒田聖奈


 ミシュキニスの宗教音楽。ご存知の方はご存知のとおり、詞の世界観がそのまま音になったような、時にコミカルで、時にサウンドスケープ的な美しさもある、さまざまな表現が光ります。それでいて、音自体は整頓されている美しさが求められることから、裏を返せば、まさのこの団向きともいえる曲たちでもありました。

 そんな予想に違いなく、いずれの曲も、コンパクトにまとまっていながら、演奏自体の広がりも十分感じられる、コミカルかつ機能的な音楽が光る納得のできでした。特に白眉と言えたのが3曲目。特に今回、少人数ながら非常によく鳴る男声と、集団で美しい音をしっかり鳴らせる女声というこの団のキャラクターも相まって、この曲が持つ風景描写的なユニークさが確かに表現できていました。欲を言えば、”Omnipotens” を中心にもう少し言葉が聞こえてくると良かったかな?しかし、適度な緊張感も表現から感じられ、それだけで十分聞いていられる演奏でした。

 しかし一方で気になったのが、全体の表現によるボリューム設計に音が振り回されていたこと。男声が少ない人数の中でフォルテを出して音作りとしては苦しいことになってしまったり、かたや弱勢において、全体として我慢して鳴らしているなということが顕在化してしまうこともあったり。それ自体、理想に技術が追いついていない部分であるとも言える一方、表現自体を再構築して、例えば周りを弱めてフォルテを出すとか、音自体の弱勢化ではなく、例えばテンポを落としたり声門半閉鎖でピアノを表現したりといった、(諦めではない)代替手段で表現する方法もあったような気がします。

 正面突破にこだわらず、いかにして目標にたどり着くかを考えるのも又、表現のひとつの形であると思います……とはいうものの、私自身、好きですよ、正面突破笑


さらに休憩15分。途中には祝電披露もありました。


第3ステージ

木下牧子・混声合唱組曲『ティオの夜の旅』(池澤夏樹)

指揮:山本啓之(客演)

ピアノ:内藤典子(客演)


 卒団生は慣例にてコサージュをつけてのオンステです。どうしてもコサージュ比率が高い点に、昨今のコロナ禍における団員獲得の難しさがよく現れています。

 で、このメインステージ。もうね、1曲目からやられっぱなしでした。さっきまでとぜんぜん違うんです。確かに音は破綻していないし、ちゃんと音をして表現できているんだけれども、特に1ステで指摘した表現の部分の穴埋めが、あきらかにしっかりできている。もちろんそれは、アインザッツが非常に明瞭で、その実表現に対して非常に雄弁な山本先生の指揮に、そしてそれを見事に合唱団へ橋渡しする内藤先生に導かれてのことではあるんだけれども、それ以上に、この団員の奥底に眠っていた表現に対する意欲がむき出しになった演奏でした。

 特に感動したのは2曲目。山本先生がね、容赦ないんです。おそらく体感以上に速いテンポでの進行、その中に言葉をしっかりとはめていかなきゃいけないので、非常についていくだけでも大変だったのではないかと推察します。しかし、そんな中にあっても、必死で食らいついていって、海の雄々しさを表現しにかかっていく。それを見ているだけで、表現であり、ドラマであり、これまでには十分に聞こえてこなかったアポロンの歌のもうひとつの側面がまざまざと映し出されてきました。

 これまでも見せてくれた、あんなにピュアな演奏で、あんなにガツガツと表現されたら。見事に作り出された海の諸相を眺めていて、しばらくこの世界から離れたくない、ずっとこのローラ・ビーチに没入していたいと思わされたのは、本当に久々の経験でした。

 間違いなく傷のある演奏でした。一瞬縦がズレてた気がするし。もっと洗練された「ティオ」は、掘り起こせばいくらでも出てくると思います。でも、こういう演奏って、そんな傷、どうでも良くなるんです。嘘偽りなく。間違いなく、今年の「ティオ」の決定版と言えますし、第59回アポロン唯一無二の演奏となりました。


・アンコール

木下牧子「よかったなぁ」(『うたよ!』より/まど・みちお作詞)

指揮:山本啓之(客演)

ピアノ:内藤典子(客演)


三宅悠太「私が歌う理由」(『二つの『理由』』より/谷川俊太郎作詞)

指揮:黒田聖奈


 2曲目は指揮者挨拶の後、コサージュをつけた卒団生が前に出ての演奏。まさに「そこにある幸せ」をうたう2つの曲たち。前のステージが非常にいい意味で興奮していただけに、しっかりと落ち着く曲たちが、穏やかに私たちの心を満たしてくれました。


 少し短いものの、非常に充実した演奏会でした。とはいえ、ストームがないのは、やっぱり寂しいですね……(アイフォニックホールでできたかどうかはともかく)。


・まとめ


 このところ、学生団のほとんどは存立の危機に見舞われているといって過言ではないと思います。

 もちろん、消えてなくなろうとしている団にとって壊滅的な危機であることは言うまでもなく、それに留まらず、そこまでは行かずども、先述のとおり、ほとんどの団は演奏機会はおろか新歓の機会すら奪われてしまいました。その結果、団員数減少の未来が決定的であるだけでなく、対外的な活躍の機会、あるいはその可能性が奪われたことで、おそらくはいつになく「なぜ歌うのか」という問いを自らに課し続けているのではないでしょうか。

 一般団ならいいんです、そんなこと知ったことかと言わんばかりに自主公演を続ければいいんですから。資力・運営力の観点から、定期以外はどうしても参加型イベント(合唱祭・コンクール等)や依頼公演に比重がおかれがちな学生団は、今日のアポロンも「最初で最後のステージ」という状況にあります。大学合唱団シーズンにあって、例年と比べるとあまりに少ない挟み込みチラシに、思わず感情的になってしまいました。


 演奏機会の減少に伴い、(これまでの基準で言えば)得られる経験がかつてより減っていることも否めない事実です。私たちが想像している以上に、経験が解決してくれることが多いというのを、肌身に感じるこのところ。昨年一年ステージを組めなかったということだけで、運営の「こなれた感じ」に翳りを作っているのを、(別にライブ配信についての知見が増したとはいえ)むしろ否定してはならないように思います。

 しかし、強調しておかなければならないのは、今の学生たちがヘタになったというわけでは、決してないことです。今日の3ステ2曲目「海神」で山本先生に喰らいついて咆哮するアポロンの団員は、まさにわたしたちがこれまで見てきた大学合唱団の姿そのものでした。稚拙かもしれない、コンクールに出しても次には進めないかもしれない、しかし、そこにあるのは、まさに音楽、芸術、表現、そしていうなれば、現実に対するアンチテーゼとでもいうべきもの、そのものであったといえるのだと考えています。

 技術上の課題は間違いなくあった、構造的に経験が不足することによる稚拙さもあった。しかし、今日のアポロンの演奏会は、間違いなく、これまで何度も見てきた大学合唱団の大団円まさにそのものといえるものでした。


 聴き手の皆さんに是非お願いしたいことがあります。大学合唱団の演奏会に、是非足を運んであげてください。流石に遠征に賛否両論があるのは重々承知していますので、県内、あるいは、自分の出身団の演奏会。そして、どこかコロナを感じさせない忌憚ないコメントを、彼らに投げかけてあげて欲しい。合唱がこれまでの姿を取り戻し、あるいはこれまで以上の地平を見せるために必要なのは、目標となる路標であり、そこへの道筋であると信じます。それは決して「コロナで仕方ないけど出来てよかった」とか、そんな甘っちょろいものではないはずです。音楽の出来栄えと、感染対策に、なんの関係もないはずなのです。筋力が落ちたならまた鍛えなくてはならないし、発声が悪いなら学び直さなければならないし、音程が狂っているなら耳を鍛えなければならないし、表現が縮小するなら制約をもとに表現を考え直さなければならない。今できることを一生懸命やるというのは、以前からの縮小均衡を考えることではなく、制約を引き直した上で最適解を考えることです。そのために、私たちは歩みを止めてはならないし、その先に、コロナ前、果ては1990年代以前のような大学合唱団の新たな輝きが、再び見えてくるのではないでしょうか。


 辛く、苦しくとも、今日のような演奏を愚直に繰り返し、合唱音楽の表現の地平を広げていくーー結局のところ、それが、学生団はじめとする各合唱団存続の唯一の道であり、彼らに課せられた使命なのだと思っています。ひいてはそのことにより、学生団の伝統も守られていくのだと信じてやみません。……とはいえ、彼らが悪いわけじゃないのだけれども。


 ご盛会、本当におめでとうございました。