おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2015年9月20日日曜日

【混声合唱団VoxMEA第7回演奏会】

2015年9月20日(日)於 電気文化会館 ザ・コンサートホール

しまかぜ良かったわぁ……
いやね、昨日伊勢詣でに行ったんですけどね(行った、というより付いて行ったという方が正しいか←)、近鉄特急しまかぜに乗ることができまして。全面ガラスの抜群の眺望で眺める車窓と、地上波放送も楽しめるテレビモニターでゆっくりと眺める前面展望、そして掘りごたつ風の和室で戴くケーキとアイスティー……もちろんお値段張りますしなかなか予約も取れないと噂ですが、いやぁ、これは乗る価値ありました。皆様も是非。そして、伊勢は何度いっても素晴らしい神宮ですね。神宮御料酒「白鷹」も買うことができて(何故かお神酒でないのはその点、どうぞお察しいただければ←)、満足の日帰り旅でした。
というわけで、今日はVoxMEAの演奏会でした。え、伊勢と何が関係あるかって? はい、みなさまのご想像の通り、何も関係ありません←

・ホールについて
そういえばこのホールを取り上げるのもはじめてだ。名古屋を代表するコンサートホールのひとつです。念のため言いますが、ザ・シンフォニーホールのパクリとかでは断じてありません、ええ← ところで個人的には、同じ中部電力系だからか、名前に「電」と入っているからか、中電ホールとよくごっちゃになるんですけど、これは僕だけですかね……?笑
大体400から500席程度の席数で、合唱のほか、声楽やピアノでの利用が多い印象のあるホールです。予ベル、本ベルが非常に現代的な響きを持っています。その、幻想的で、浮遊感漂うようだけれども、邪魔になることもなく……キレイなんだけど(その分?)音量の小さいことがちょっとした難点か笑
個人的には、名古屋で一番バランスの良いホールはここだと思っています。しっかりと鳴ってそれでいて素直な、混じりけのない音の鳴る響きに加え、シンプルながらも幾何学的で面白い意匠、それに上手に組み込まれて明るくもくどくない照明、そしてイスの具合(大事!w)、全てがちょうどいい。客席規模も含めて、前述のような室内楽クラスの音楽をする上では最適なホールなのではないかなとは思います。しらかわと比肩、あるいはしらかわ以上というべきかも。
ただ、満席になると、残響が目立って落ちてしまうのもまた事実。いつもよりも、残響が少なかったような気がしました。つまりどういうことか、今日の公演は満席。いやはや、お見事。

指揮:藤森徹
ピアノ:榊原理恵*
打楽器:丸尾喜久子**

ところで、パンフレットには、アンケート記入用によくペグシルが刺さっています。アレです、先が鉛筆になってるクリップ状の筆記具。ゴルフなどでおなじみですね。そんなペグシル、今日利用されたもののクリップ部をよく見ると、何故か「ウッドフレンズ/森林公園ゴルフ場」の文字……いや、これはレアですよ、むしろ笑

第1ステージ 東西南北のうた
Réne Clausen”All that Hath Life & Breath Prise Ye the Lord!”
Felix Mendelssohn”Auf den See”(Johann Wolfgang von Goethe)
Zoltán Kodály”Esti dal”
Alexi Matchaveriani(arr. Clayton Parr)”Doluri”(Ioseb Noneshvili)
Ryan Cayabyab”Aba Po, Santa Mariang Reyna”
Beatriz Corona”Barcarola”(Nicolás Guillén)

1曲目のクラウセンはアメリカの歌なのに1ステージ目。なんで3ステじゃないんですか? と演奏会前の宣伝で伺ったところ「オープニングらしく響く曲だから」ということ、さて果たして――なんて思っていたら、なるほど確かに、合唱祭の再演曲というのもあり、バッチリと決まってくれました。しっかりと鳴る中に自然に和声が組み込まれているアンサンブルが印象的でした。2曲目はドイツより今年のG2。したがってこれもコンクール以来。メンデルスゾーンは音符を書き込む作曲家。ともするとこの音符についていくためにゴミゴミとした表現になりかねないのですが、この団は軽い。そう、この軽さがいいんです。3曲目コダーイは、もう少し女声がしっかり歌えるとよかったでしょうか。ボリュームというよりは、声の芯の問題。ともするとこの曲だけの問題とも言い切れないものがありますが、特にこの曲では目立ってしまいました。全体としてのアンサンブルは十分。特に最後のベースは美しかった。4曲目はグルジア改ジョージアの曲。なんと出だし音を出したら、前代未聞の「やり直し」! 一体何事だと終演後に問い合わせたら「失敗したから」笑 そうです、確かに一回目に出した音は崩れていたのでした。否しかし指揮者みてないと出来ないし、やり直しってすごいな笑 そんな感じで、音はよかったけれども、少々勢い不足が露骨に出てしまったでしょうか。あっという間に終わる曲。もっと華々しくやってもよかったと思いました。5曲目はフィリピンより。弱音の部分をより豊かに表現したいところでしょうか。/a/母音で開いた時の音が落ちたのも、タイトルにある通り、よく出てくるだけに気になりました。ゆったりとした中に「急」のモチーフが挿入されるつくり。だからこそ、「緩」のつくりをより鮮明にみせたかったところでしょうか。最後にはキューバから。ちょうど、ユーラシア周りで地球一周した感じですね笑 早いパッセージで音が滑るのが非常に惜しい曲。1曲目もその傾向はあったものの、一方でこちらはキューバの言葉。仮に言葉の意味がわからなかったとしても、言葉が滑ると拍節感にかかわるだけに、もっとしっかり聴かせたかったところです。
しかし、全体として、1ステージ目から非常に多彩な響きを聞かせてくれました。国も豊かなら、ジャンルも豊か。いやぁ、最初っからなんかお腹いっぱいって感じですね、もう、いい意味で笑

第2ステージ* 日本のうた
上田真樹・混声合唱とピアノのための組曲『夢の意味』(林望)

さて、個人的に気合入れて聞きたかった曲。オーダーは、僕が勝手に「ESTスタイル」と呼んでいるオーダー。前列のピアノにかかる部分を空けて並ぶオーダーってことです。そりゃまぁ、こう言ってしまえばなんてことはないんですけれど笑 なんか1ステよりソプラノが増えた印象。実際はどうかわからないですけれども、なんにせよ、曲としても、ソプラノが増えるとメロディがつかみやすくなるこの曲としてはよかったといったところでしょうか。一方で、増えたソプラノの特に高音が最後まで当たりきらなかったのが少し残念でもありました。なにせ、高音命な曲ですからね――w
「朝あけに」は、ボリュームが大きかったでしょうか。特に最初、静かに寝てるんだか起きてるんだか、という、まさに夢のなかにいるような部分、そして、そういうモチーフへと回帰していく前に挿入される「ひっついて めをつぶって」。一方、音のハマりの良さはさすがと言ったところ、組曲中もっとも難しいこの曲をしっかりと当てていました。特に「ゆめのような うつつのような」のテナーは見事。よく女声に溶けていた。「川沿いの道にて」は、テナーソロのフレージングや、アルトソロの音量など、全体として内声を聴かせる曲の、まさに内声の表現が課題となっていたように思います。一方、最後のソロは、特に「さめてもゆめは」が非常によく響きを持っていて美しかったです。「歩いて」は、「なみだする」の寸前に挿入されたカンマの効かせ方(確か楽譜にもあったかな?)や、ソプラノソロなど、非常に表現の素晴らしいできでした。一方で、アタマの方はもう少し早いほうがピアノの裏拍が活きたかも。「夢の意味」は、アカペラからピアノソロへ行く部分に課題。ピアノの頭拍に少し合唱の響きを残すほうが美しいかも。2度が多用される曲ですが、その2度音程、上パートが目立ってしまい、よく2度の美しさが聞こえなかったのが残念かも。中間部も、もっとじっくり聞きたかった。「夢の名残」は、特に弱音の部分で高音が当たらないのが、何よりこの曲で問題となってしまう。特に主題部の後鳴りも気になったでしょうか。ベタッと大音量を、言葉のエナジーを大事にして響かせたい……というのは、主観ですかね? ただ、何よりよかったのは、「せめてはゆめよ さめるな、ゆめ」のソプラノがよくあたっていたことと(本当に!)、その先の「いましばし」以降の音量。回帰する、という意味では、この音量の中で1曲目も聞きたかった……。
なにかこう、十分聴けるのだけれども、「耽ることのできる何か」が足りなかったかな、というのが率直な印象。しかし、あくまで僕が(特にこの曲について)厳しいこと書きたがりなだけで、非常に完成度の高い、十分聴くことの出来るアンサンブルで楽しませてくれました。特に2曲目のリズム感とか、なによりソプラノソロとか笑 いくぶん、聴く分にはなんてことなさそうに聞こえますけど、この曲、聞かせようとおもったらどえりゃあ難しいんですよ……笑

インタミ15分。男性だったアナウンサーが突然女性へ交代。しかもなんと招待席に座っているスタッフの方がいて、ああ、ローテーションの都合かなと思ったら、なんとその方が件の男性アナウンサー。なんだこれは!w
あのホール、しかし、自販機とかないんですね、お腹すいたから当分でごまかそうと思ったら、見事に何もなかった笑

第3ステージ アメリカのうた
Ralph Manuel”Alleluia”
Eric Whitacre”This Marriage”(Jalal al-Din Rumi)
黒人霊歌(arr. 福永陽一郎)”Let us break bread together”
Stephen Foster(all. John Halloran)”Nelly Bly”
George Gershwin(arr. Roderick Williams)”Summer time”(DuBose Heyward)
Frank Churchill(arr. 大田桜子)”Someday my prince will come”(Larry Morey)
Elton John(arr. Fidel Calalang Jr.)”Circle of Life”(Tim Rice)

客席の脇に団員が整列して歌い始めた1曲目。この団のピッチの良さに耽ることが出来るこの演出、一方で中間部、団員がステージに戻ってくるあたりでアルトがやや喉で鳴らしがちなのが目立ってしまった印象も。全体としても、中間部をもっと聞かせたかった。2曲目は曰く「パートナーがいない僕みたいな奴にも届くように」(藤森)笑 壇上で全団員で輪を作って演奏。完全に一つのアンサンブルを鳴らすその出来には感服しきり。ただ、アメリカの歌ステージというのもありますし、「メリッジ」となりがちだった「marriage」の発音はもっと研究したかった。3曲目は男声合唱。キレイでよかったものの、なんとなく、関西系のグリーのような、突き抜けて、神々しく輝く音を聞きたかった。特に、「Yes!」など顕著。また、単語の最後の音節にもっと気を遣うと、より歯切れよく進んでよかったのではないかと思います。4曲目は一方、言葉がよかった印象。「Nelly」の発音がよく飛んできていました。快活な部分における男声が特に好み。最後の音量はこれまた見事。この音量、多分もっと使いドコロがいろいろあるような気がします笑 5曲目は何より、もっともっとねちっこく聞かせて欲しかった! 特に、ソリストがめちゃめちゃウマかったので、そのソロにおもいっきり乗っかって、遊んだ妖しい音を鳴らして欲しかったです。いやでも、これは良かった。もう一度リクエストを聞いてもらえるというなら、この曲をチョイスするかも。6曲目は今度は女声で。アルペジオの音がどこか生声っぽく、丸裸な感じで響いたのが気になるところ。全体的にもっと3拍子を感じられるとよかったかも。7曲目ではカホンとマラカスのような音を鳴らす楽器が登場。ベースからテナーのアルペジオを美しく受け渡したあとは、とても豊かに、リズミカルでたのしい音。しかし、カホンに対して合唱が少々負けていたかも? しかし、段々と熱狂的に、最後にはポーズも決まったところで「foo-!」の声とともに、観客も気持ちよく拍手! まさに有終の美。否終わってないけど笑

そんなわけでアイスブレイクよろしく笑、4ステの前に、丸尾先生――否、先生と呼ばれるのは嫌だそうで、「マルちゃん」ご登場笑 生まれも育ちも豊中人ということだそうで、なにか運命を感じます(?)笑
この曲、名古屋のアクセントをつける作業は団(藤森さん)とのやり取りの中で出来ていったそうで、当の藤森さん曰く「作詞:藤森」笑 そんな藤森さん、名古屋弁と尾張弁の違いを力説。「終助詞「なも」を用いる上方名古屋弁は、若世代を中心になかなか触れる機会が少なくなっているが、京ことばと並んで美しい言葉とされてきていた言葉。例えば、「おみゃあさん」「ひゃあざら(灰皿)」などの表現も、尾張と名古屋では違う。「イ」母音が強調されるのが尾張弁なのに対して名古屋弁は「エ」母音で」云々。丸尾先生は使われる楽器について解説。「今日はいろいろ使うが、再演の際は何でも構わないように書かれている」とのこと、再演を先生も待たれているようで笑「スリットドラムは、木の箱に切れ目が入っていて、それにより音程をつけることのできる打楽器。ダラブッカは、エジプト発祥。中近東でよく使われてきた。もとは魚の皮で作られていたとか。ベリーダンスなどでも用いるようだ。プクは韓国の打楽器で、韓国に行った際に釜山から担いで持って帰ってきた。日本のものももちろん利用する」。そんなわけで「着替えのための場繋ぎ」(藤森)も終わり、最終ステージへと向かうのでした笑

第4ステージ なごやのうた**
丸尾喜久子・混声合唱と打楽器のための『なあし なあし なごやうた』[組曲委嘱初演]

いやぁ、なによりいい曲でした! いや、太鼓持ちってわけじゃなくてですね、そんなこといったら、以前聞いた「U-Wa-U-Wa」よりいい曲だった! ……だから、「U-Wa-U-Wa」が嫌いだとか、そういうわけじゃなくてですね(以下無限ループ)
3曲目、終曲など、わかりやすい形で出てくる名古屋要素もある一方で、この曲における名古屋らしさの主軸は「なあもなあも」「なあしなあし」といった言葉たち。それらがリズムパートの根幹をなすことによって、いってみれば一種、名古屋弁が再構成されているかのよう。なるほど、こういう表現もあるものだなぁと感心させられました。そして表現といえば、音楽的にも、様々な打楽器と、表現全体でみても、リズム、和声、ボディパーカッション、掛け合いと様々に、めくるめく絵巻のように聴衆を愉快な気分にさせてくれる曲。ヤ、見事。宴会芸から演奏会まで色んな所に使えそうです。
1曲目「でらでかいがや」は「なあもなあも」のリズムを軸に、勢い良く進んでいく音楽。2曲目「おみゃあさん」は、和声進行を軸に進んでいく曲。少々声が浅いと前半のうちから思っていましたが、その声の浅さが楽器により打ち消されたというのは障害か。しかし、非常にキレイに、そしてなにより重厚にハモっていたのが印象的でした。夕焼けこやけのように、安心感を与えるカデンツも心に残ります。3曲目「つぼさん つぼさん」は、丸尾音楽のひとつの特徴といっていいでしょう、サウンドスケープ。風の音、雨の音(ウシ?)カエルの音のモティーフがそれぞれ提示され、それらの音が複合的に提示される中に「なあしなあし」と聴こえるわらべうた。照明暗転の中、幻想的な風景が広がりました。終曲は、「最終章名古屋甚句」。名古屋甚句を、バッチリ聴かせながら、終曲らしくバッチリ決めてくれました。全体として、コンクールで部分初演していただけあって、非常に完成度の高い初演であったように思います。表現が単一的だったように聞こえたのは、仮に楽譜指示だったとしても少々考えものかも。否なんにせよ、再演に期待したくなる、名古屋人必聴の新曲が誕生しました。

・アンコール
佐藤賢太郎(Ken-P)「つながり」

まぁよくある話なのですが、アンコールが一番出来がよかったような笑 言葉がとても本当によく効いていましたし、ハモリも美しかった。なにより、何か、心にぐっとくる響きで、演奏会の終わりにじっくりと今日の演奏会を振り返ることが出来ました。

・まとめ
特に近年めだって実力を上げてきている合唱団。コンクールでも今年、3団体中2位ということもあり、注目の集まった演奏会でした。もちろん、そんなわけで、パンフレットでも強調されるように、全体として、縦の響きがとても素晴らしい演奏だったように思います。特に縦を響かせる曲では、その実力が非常によく発揮されてました。ただ一方で、『夢の意味』の稿で言及したように、いまいち、何か「耽る」ものが足りないという印象。もちろん抽象的といえばそうなのですが、曲全体として、おお、と食い入るように聞きたくなる何かが、この演奏では足りなかったようにも正直に感じました。要素要素でいえば、やれハーモニーだの歌詞だの、いろんなことが言及できるとは思うのですが、でもなんだろう、何が足りない、というと、なんとも一つに絞り切れない。もしかしたら、解釈全体をどう音楽に落としこむか、なんでしょうか。要素要素の表現、あるいはフレーズなどが、なぜこの曲のこの部分で出てくるのか、その点の研究をより精緻になされると良いのではないかと思いました。
でもしかし、なんでこんな辛辣に色々書いているみたいになっているのだろう……?笑 とてもいい演奏で楽しく聴くことができました。特に何がいいって、プログラム構築。多岐にわたる様々なプログラムを、うまくひとつにまとめ上げて、一つの演奏会を構築していたように思います。こういう風に色々な曲に満遍なく挑戦できるからこそ、この団には強さがある、そう思わされるような演奏。一方で、まだまだ詰めるところがあるからこそ、逆に、これからの成長を期待したくなる、なんていうとおこがましいですが、これからを十分に期待させる、良い演奏会でした。

2015年9月4日金曜日

【東京混声合唱団いずみホール定期演奏会No.20】

[大谷研二 東混指揮者就任25周年記念]
2015年9月4日(金)於 いずみホール

行ってきましたよ!
そしてこの記事へ帰ってきていただきましてありがとうございます!笑

さて、〈前日譚〉が想像以上の盛り上がりに支えていただけました東混いずみ定期、行ってきましたのでこちらのブログにレビューをアップです。え、前日譚はどこへ行ったって? ……やだなぁ、この記事ですよ、この記事笑

・演奏会のききどころ
 毎年、その年の東京定期や学校公演で演奏された曲から再構成する東混いずみ定期。今年は「三善晃 関西ゆかりの合唱作品」「いずみホール定期演奏会20回記念~この20年、愛された日本の合唱曲選~」と題した2本立てで開かれます。
 一つ目は、逝去直後より、東混初演曲を中心に集中的に取り上げている三善晃作品から。今回は、関西ゆかりの作品ということで、大阪朝日放送が委嘱し、日下部吉彦氏がプロデュース、東混が初演した『嫁ぐ娘に』と、もとの男声合唱版が関西大学グリークラブにより初演された『クレーの絵本第2集』が演奏されます。『嫁ぐ娘に』は、直近の豊中混声合唱団をはじめとして多くの合唱団で再演されてきている定番プログラム。なかでも東混団員からの支持は初演当初から圧倒的で、初演リハーサルでは女声が泣いて歌えなくなるだとか、今でも思わず涙が出てくるだとか、そんな伝説を色々持っている佳曲。そして『クレーの絵本第2集』は、特に混声版が音源も希少で、2014年12月に東混が再演するまで滅多に聴かれることのなかった貴重な曲。以前その模様がラジオで放送された時にもよく分かることでしたが、難易度もさながら、特に終曲「死と炎」の最後の描写が男声版と異なるなど、混声版ならではの効果的な音響を見せる名曲中の名曲。再演が(そしてなんなら録音販売が)待たれていた最たる曲の一つでもあります。
 そしてもう一つが、大田アプリコ特別演奏会で開かれた演奏会を皮切りに継続的に組まれている、合唱の名曲をたどるシリーズプログラム。8月には、その様子が収録されたCDがリリースされています。普段、近現代の大曲を取り扱うことの多い東混が、「方舟」や「聞こえる」、「信じる」、「くちびるに歌を」といった広く親しまれている名曲を、日本をリードする声楽的素養とフレーズ構築で再現するとあって、かねてから注目していた演奏会のひとつです。都合ありで聴けてなかった当方、新鮮な気持ちで、そして、日本随一の響きを持ついずみホールでこのプログラムが聴けるということで、楽しみにしていました。明日はインタビューによると、大谷先生のプライベートも交えたトークも聴けるとのこと、それもとても楽しみです。CD? その、ほら、ちょうど、会場で買おうかな、なんて←
 また、今回は、東混団員を経て合唱指揮者となった大谷研二先生が東混指揮者就任25年となる節目の年。12月の238回東京定期は、大谷先生の名前を冠にした演奏会が用意されています。20回の節目にして過去10回指揮をしてきたいずみ定期でもその流れを汲んで指揮を振ることになりました。加えて、ここ数年、山田和樹、松井慶太両先生をはじめとして若手指揮者陣が担うことの多かったいずみ定期、いまや東混を担う大御所の一角が満を持しての登場です。

・ホールについて

 いずみホール。いい加減、このホールについて書くこともなくなってきているような気がするのですが……笑 開場が18時半だったのが18時に早まりました。なんでも、ご来場いただける多くのお客様に、ホールの雰囲気をもっと楽しんでいただきたいため、とか何とか。確かに、このホールの雰囲気はいいですしね、30分じゃもったいない。しかも、今日の客入りは8〜9割と上々でした。
 大谷先生といえば、椅子。以前バイク事故で脚を悪くされ、歩かれる際は杖が手放せない身に。そんな中でも力強く指揮を続けられる大谷先生にとって、ちょうどコントラバス奏者が使うサイズの椅子は欠かせない存在。長時間の組曲を振る上では、どうしても座っていないと耐えられないということなのでしょう。でも逆に、「座っているのが耐えられない」ことがあるのが、大谷先生のアツいところ。毎回、演奏会、それも曲のピークに達したところで、すっくと立ち上がり、情熱をぶつけます。大谷先生が立った日には、演奏会も成功したというもの。さぁ、今日は果たして?笑
 他には、何か、ウィング側の雛壇の化粧板が新しくなったかな? なんていう細々とした変更点を見つけつつ、今回も贅沢に響きつつ確りと届くいずみホールの音響を楽しんでおりました。しかし、毎度毎度、申し訳なくなるほどのいい席で聴かせて頂いて……感覚が麻痺しそうだ苦笑
 あ、そうそう。いずみホールといえば、「電源をお切りください」という会場アナウンスに合わせて、客席通路をピクトグラムの看板を持った客席案内係の方が行脚されるというのがおなじみになっています(なんか以前より看板がしっかりしていたような気がします笑)。訊くところによると、今年の静岡県コンクールで、ケータイ騒動があったそう。それも、曲の弱音だかゲネラルパウゼだかの部分でけたたましくなってしまったとか。その際、Twitter を中心に「ケータイ切ってねアピールではどれが最も効果的か」ということが議論になって、その際に最も効果的とされたのが、この看板。全日本合唱コンクールでは、千葉県が主幹した時にやって効果てきめんだったとか。ところで、この看板行脚、いったいどこが発祥なのでしょうか……? 隣にいた某も、その看板を見て「そろそろ切らなきゃ」。なんにせよ、効果はてきめんのようです笑

指揮:大谷研二
ピアノ:斎木ユリ*

ちなみに、CD はちゃんとホールで買いましたよ。時間ギリギリながらサイン会にも参加。いやぁ、ミーハーの力って怖いですね……苦笑
しかしまぁ、相変わらず知り合いが多かった笑

◯三善晃 関西ゆかりの合唱作品
第1ステージ
三善晃(1962)混声合唱曲『嫁ぐ娘に』(高田敏子)

 嘗て東混が初演した曲。上述の通り、ある意味において「演奏者泣かせ」の一曲です。もっとも、難易度的な意味では、少なくともこの団にとってはたいして泣かされもしないとは言えますが……笑
 この曲、ゆったりとした部分とリズム的な交歓の部分の交叉が印象的な曲。明暗交じる様々な感情を、旋律以下の様々な和声とリズムパターンで描きます。今日の音楽作りは、総じて、しっかりと日本語の鳴る叙情性の高い作り。1曲目「嫁ぐ日は近づき」のハミングが静かに、しかし一音目から溢れ出るようにしっかりと和声を奏でる中に、そして、リズムの中に喜びを見出す場面になってなお、叙情的な言葉がしっかりと乗り、部分部分で横の流れを分解させてしまうことのなく、かつ、明確な旋律を以て、この曲の「横の流れ」を明白なものにします。そう、まさにこの曲は、「歌もの」なんです。
 言葉の作り方に加えてとても明快だったのが、曲の「頂点」について。強勢、ならびに和声について、この曲の聞き所はここですよ、と演奏が教えてくれるという構造が明白でした。例えば3曲目「戦いの日日」。最初、軽すぎるかな、と思わせる女声部が、段々と核心に近づくにつれておどろおどろしさを増していく、その、曲全体に意識が向いた立体的な曲の作りが段々と見えてくる。そして気付けば、それが全体の「やめて!」という表現を強烈に印象づけているのです。どんな部分にもその伏線たるを思わせる、そんな作り方が出来るのも、それが業に満ちていてこそのように思います。この点、もっとも素晴らしかったのは5曲目「かどで」の「やさしいひとみ」への持っていきかた。ついつい「さようなら」で盛り上げていきたいところを、まだまだ余力を残しつつ、最後の「やさしいひとみ」で十分に鳴らすことで、この曲全体の大きなメッセージが浮き立ち、そして、消え入るように終わっていく、その美しさよ――。
 加えて、先程の3曲目でいえば、男声のソロの部分に明確なように、当然のことながら、誰もがソロを取れるからこそ出来る、歌いまわしの作り! 「おれの手は」と一人ひとりが語りかける、まさにそこ自体にストーリー性を感じずにはいられません。

第2ステージ
三善晃(1980)混声合唱組曲『クレーの絵本 第2集』(谷川俊太郎)

 特に混声版は目立って再演も音源も少ない貴重な演奏です。ってかほぼないんじゃないですかね、ですから、やはりここは、早急に音源のリリースをですね笑 先程、全音旧表紙を携えたメンバーは、今度はカワイ ODP 譜に持ち替え。その意味では、アマでも演奏可能なんですけどね、その、物質的な意味で笑
 一転、牧歌的、童謡的な音楽。――5曲目までは笑「第1集」の平和的かつ諧謔と祈りに満ちた音楽を引き継ぎつつ、しかし、音楽的により洗練された形で、言葉によって観察されたクレーの絵画から、新たな「絵画」を音で現出しています。しかし、音楽的に洗練されているということは、技術的により難しいということ。――「ケトルドラム奏者」のケトルドラムのオノマトペとか「死と炎」のアルペジオとか、こんな曲、絶対にアマチュアだったら曲中のピッチの下降が問題となるのに! ズルい!笑 そりゃ納得ですよ、カーテンコールで真っ先に、功労者・ベースを賞賛するのは!笑
 割とこの曲に特徴的な部分だと思うのですが、リズムの揺らぎによる表現の深化がとても顕著です。『嫁ぐ娘に』にもあるようなリズムパートも健在ながら、一方で、このテンポ変化も襲ってきて、ヘタしたらこのリズムに振り回されたまま一曲が終わってしまいそうな感じ。しかしながら、今日の演奏は、特にこのテンポ変化へ向けた表現が見事。技術的に「あ、変化した!」と思わされることはむしろ稀で、表現として、自然に、変わってほしいように変わっている。だから、非常に心地よく、そのテンポの変化が身に沁みるのですね。さらに、和声。言葉と和声のリンクというのをひしひしと伝えるその作りは、和声による言葉の解説という観点で見てもとても明白でした。例えば、「いのちはいのちをいけにえとして」と「しあわせはふしあわせをやしないとして」の対比は、まさにそのところといえるでしょうか。
 4曲目のブルースチックな諧謔に溢れた「まじめな顔つき」。「まじめ」の3連符(ですよね?)もこれまた面白く響きます。この曲が本当によかった。しっかりと響かせながら、ピッチが合いつつ音が揺れる……わけわかんない? あるんですよ、そういうことが笑 そして、その詩の意味を引き継ぐようにして、「死と炎」。一番最初に出てくる「せめて」が少し音圧に欠けたでしょうか。それ以外は、リズムの刺さり方、明から暗へと、そして自分自身の実在へと向かっていくテーマが非常に明瞭に示されていました。この曲において、何を表現すべきか、なるほど、最後なのですよね、この曲は――よろしければ、詩集絵本で、是非笑

 インタミ20分。このゆとりがプロなのだ。違うか(何
 いやぁ、しかし、お酒飲んどけばよかったかな……いやそんなことしたら、今日こうやって電車でレビュー書いていられなかったのかも笑 しかし、このホワイエは本当に素晴らしいですよね。
 あ、ちなみに、昨日の『カンブリア宮殿』(テレビ東京系列)ではヤマハが特集されましたが、今日のピアノはスタインウェイ。しかし、このスタインウェイが、このステージで大活躍するんです……あれ?← ちなみに、ヤマハは好きですよ、ノスタルジーだけで言い切ってしまうなら、今日のステージはヤマハで演奏されるべきですしね笑

第3ステージ*
◯いずみホール定期演奏会20回記念~この20年、愛された日本の合唱曲選~
萩原英彦(1971)「ふるさと」(矢澤宰)
広瀬量平(1975)「海はなかった」(岩間芳樹)
平吉毅州(1978)「ひとつの朝」(片岡輝)
木下牧子(1980)「方舟」(大岡信)
高嶋みどり(1984)「かみさまへのてがみ」(谷川俊太郎)
荻久保和明(1990)「IN TERRA PAX―地に平和を―」(鶴見正夫)
新実徳英(1991)「聞こえる」(岩間芳樹)
鈴木輝昭(1994)「きみ」(谷川俊太郎)
松下耕(2004)「信じる」(谷川俊太郎)
信長貴富(2006)「くちびるに歌を」(ツェーザー・フライシュレン、信長貴富・訳詩)

 見よ! この圧巻のプログラムを! これほどまでにないという程に、後半に10曲見事に詰め込んで、この20年、否、高度成長爾来歩みを続けてきた合唱史を見事に纏めあげたこの珠玉の曲達よ! 上述の蒲田の演奏会からの抜粋ながら、非常に肝心なところをうまく抜粋してきたなぁといった感じ。プログラムの解説には戸ノ下達也先生。ううむ、大物の解説があるからには、当方が解説するには及ばずか、なんて←
 そりゃもう、個人的な思い出はいっぱいあるんですけれども(中学1年の時3年の先輩がやっていたインテラに憧れてた話とか、くちびる演奏した時の話とか……笑)、ここではそういう話は極力排して(もう言ってしまってるやん!w)。曰く、最初は、大谷先生にとっても想い出深い曲。病床にあって夭逝した作詩家のお母様と親しくなった話から、「病床下にあって一時帰宅した際に書いた」という「ふるさと」は、明快かつ澄み切ったふるさとの情景に対する叙情、そしてそれにゆったりと寄り添う旋律が、流れてゆく音楽をしっかりと、明るい音色で彩りました。次の2曲は、いずれも大谷先生の高校時代にNコンの課題曲だった曲(曰く、年がバレる、と笑)。「海はなかった」では、厳しい曲調の中に、そっと寄り添う下部旋律。そして柔軟性の高い表現だからこそ出来る厚みのあるフレージングが語りかける中に、三和音をしっかりと鳴らし、第三音の解決も流れの中に豊かに響きました。「ひとつの朝」は、少し最初の男声は怖かったのかも、とは思いました。しかし、和声に伴うアンサンブルの展開力が、この曲に新たな輪郭を与えました。「ひとつの」の響きには、一方で、もっと力が欲しかったか。
 団員はここで一回楽譜替えのためにステージを立ち、大谷先生がお喋り。「松下耕「信じる」の初演の際に斎木先生(ユリちゃん)と初共演。いまではまるで親戚みたいな仲」。次の女性作曲家2人に対して、「80年代にとても目立っていた。木下さんは正統派、「鷗」も『ティオの夜の旅』も大好き。対して高嶋さんは豊富なアイディアの持ち主。当時珍しかった無伴奏での女声合唱曲(『待ち人ごっこ』)も印象的だった」。そんな大谷×東混の「方舟」にはビックリ。そうか、こんなにハマる曲なのかこれは!笑 ソプラノが少し軽いかと思わせる一方で、しかしそれがピッチとしては全く正しく、和声構造をして、この曲の壮大さを語りかけます。そして、第三連以降のピアノを含め、音楽がディティルにわたってヌルヌル動く、そのダイナミクス(所謂ディナーミクに非ず)に驚いてしまいます。「かみさまへのてがみ」は、このステージで最もユーモラスな曲。最初のチャイムのモチーフだけでもワクワクさせられて、リズムの絡みがとても心地よく、肩肘張らずに、チャーミングに軽く歌いながら、しかし最後の和音にしっかり含みをもたせるあたり、さすが東混といったところ。
「指揮者は――イイですよ、ずっとここで聴ける」という大谷先生の自慢話も場を沸かせつつ、「次の3曲に共通するのは、戦争や世の中に対する不安などを訴える曲」。「IN TERRA PAX―地に平和を―」は、至極あっさりとしたファンファーレが含みを持たせつつ、さわやかな情景が音として駆け抜け、そして、地球の躍動の気付きに対する早いパッセージを境にしっかりとリズムを刻みます。「鳥も木も草も」の、思わず身震いさせるくらいの豊かなクレシェンドから始まる「IN TERRA PAX」のファンファーレは、曲の後半に行くにつれ、じっくりと、豊かな音量で聴かせてくれるものでした。イヤいいわこの曲、この演奏! 納得のフライング拍手です笑「聞こえる」では、特にこの曲で顕著だったのですが、いちいち歌い上げない表現が本当に全体に亘って見事。逆に、歌いあげるべきところをしっかりと歌い上げている。だからこそ、弱音部がちゃんと映えるんですよね。「なにかできるか教えてください」、そして溶けてゆく和声の日常。「きみ」は鈴木輝昭作品。意外とお目にかかれない組み合わせのようにも思いますが、ナニ、師匠の曲はメインレパートリーなだけあって、そうだ、この団は輝昭作品も軽々と歌いこなしてしまうのだ笑 早くなったところもむしろより早く、一瞬の淀みもなく駆け抜けていくというのは、なかなか出来たものではありません。「しんだきみといつまでもいきようとおもった」の部分の響かせ方、そして、最後の畳み掛け方、なにより、斎木先生が弾く圧巻の輝昭サウンド!
 ここで、突然振られた斎木先生、大谷先生の第一印象を訊かれ、「ずっと私が Nコンを弾いていて、その中で新しい指揮者さんとして大谷さんがやってきて……異色だな、と思って……異色だな、と(笑)意外にも(?)よく怒られるけれど、素晴らしい人です」。そんな初演のコンビによる「信じる」。最初のピアノは、これは斎木先生でないと鳴らせない音! とても静かに、あっさりと、しかし、時折淀むようにして、じんわりと聴かせるピアノの前奏の後は、合唱が静かに入ります。主題まで本当に、響きで歌うように静かに歌っていきました。何かと歌い出しからボリュームが爆発してしまいがち、そうでなくても「大口あけて」で合唱団が大口を開けてしまいがちな曲(笑)ながら、この演奏では徹頭徹尾、その静かさが守られていました。そして、主題でようやく恢復のようにしてじっくりと音量をあげて、しかし最後には確実に静かな音量へと戻っていく。静かに始まり、静かに終わる、その中に溶け込んでいる内なる情熱に思いを馳せられる――これまで聞いた「信じる」の中で一番良かったかもしれない。
 最後の曲を前にして大谷先生曰く「アンコールは――否、次の曲歌った後にアンコールは、これでもう十分だな、と(笑)。サイン会を請われていますので、そちらで皆様をお見送りしたいと思います。遠方から来てくださっている方もたくさんいらっしゃるようですしね、金沢とか、名古屋とか」――ご配慮恐縮です!笑 そんな最後を飾る曲は「くちびるに歌を」。そりゃもう、この団にこの曲歌われたらタマラナイんですけど、歌った身として物凄く感動したのは、「Gedränge dich bang!」の言葉の処理! めっちゃ細かい話なんですけど、実はこの部分、無意識に歌うと「Ge / drän / gedich / bang!」になりがちなんです。音節がずれてしまう。今日の東混は、この内、本来の強勢にあたる「Ge[drän]ge」(囲った部分)の子音をかなりインテンポより前から鳴らしていたんです。こうすることで、本来の「Gedränge dich bang!」の単語・音節の通りに言葉が聴こえるようになる――少なくともそう諒解した当方、唸らされました。見事。感動が約束された曲というのは、普通感動しないところをしっかりと表現することで感動が生み出されるのですね。神は細部に宿る。先生は最後の最後、「Hab' ein Lied auf den Lippen」の応酬のくだりで立ち上がる。最後にして業の光る、納得の出来でした。

「予告通り」アンコールはなく、厚かましくも最初の方にサインを頂戴して、慌ただしく大阪を辞しました。――否、間に合ってよかった苦笑

・まとめ
 今日全体をして、「この曲って、こういうことだったんだ!」という発見に満ちた演奏会でした。最後のドイツ語問題こそ象徴的ですが、最初の『嫁ぐ娘に』を含めて、他団での再演も多い曲、ともすると、様々な演奏を聴いてきて、果たしてこの曲の本当の解釈は、というのがぼやけてきてしまうような錯覚に囚われます。その中にあって、今回の演奏会では、この曲はこう聞くといいんだよ、というのを演奏が自然に教えてくれるようでした。まさに、この曲の泣き所を掴む演奏。それが全く恣意的でなくて、全体の流れの中で自然に解釈の中に対置されている――そう、だからこそ、この団はプロたりえるんです。アマチュアの合唱団が最もマネの出来ない、マクロ的な曲の解釈という点について、この団を差し置いて他にないという程の圧倒的な実力を、此度もまた魅せつけられました。
 そして、この団最大の特徴の一つである、作品発掘。新作や佳作再演を通じて様々な曲を、その時々において余に提示し続けるこの団にあって、今回の『クレーの絵本第2集』もまた、そんな問いかけの一つ。三善追悼とあってもなお、再演されない曲というのも多い中にあって、この名曲を引っ張り出してきた大谷先生と東混には、本当に感謝したいところ。ヘタしたらこのまま埋もれてすらしまいかねなかった曲。再演の意味は非常に大きいトコロがあります。
 今後直近、神奈川豊田での公演を控える東混。しばらく、また「うた」を届ける日々の後は、12月には東京定期で三宅悠太と鷹羽弘章両氏による新作2本と三善晃『波』『日本の四季』というリッチなプログラムを控える東混。今後の展開も楽しみです。その、直近だと、『まどマギ』演奏会への出演とか←

……ここまで書くだけで桑名まで来てしまった……長い戦いだった……笑