おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2019年3月24日日曜日

【近大混声合唱団第3回演奏会】

2019年3月24日(日)於 西宮プレラホール

大誤算でして、この演奏会行ったの。ってか、行けたの。
当初。団員が知り合いなものだから、チケット買えと言われ続けていて。
今年こそ行けるなと思ったら、結婚式二次会に呼ばれて、それが被ってるってなもんだから、しゃあなし、そちらへ行こうということになり一度は断念。
で、直前になり、結婚式二次会って何曜日だっけと手帳を見る。
……あれ?
二次会と演奏会、全然被っとらんやん爆

ということで、一度はお断りした演奏会、なんだかそのまま、やっぱり行くわ、というのも癪だから、わざわざ現地で当日券を買い、現地の客席側にいる知己ともロクに挨拶もせず、お忍びで訪問笑
最初チケットを売りつけてきた団員某には多分気付かれていない……ハズ←
もうかれこれ5年位前に設立された合唱団。経緯は色々あるのですが、しかし、そんなこと気にするのは野暮でしょう(如何せん、様々なステークホルダーと知り合いである以上、私からとやかく言うのが適切ではない、とも)。眼の前にある音楽がどう鳴るか、そのことを何より意識していたい限りです。

・ホールについて
西宮北口駅すぐ近くのホール。そうそう、兵庫の芸文……の、隣にあるホールです←
プレラという、低層階が民間、高層階(といっても計6階建て)が公共施設といった趣の施設。その中核と言えるであろう施設が、このホールです。多分、一回、練習かなにかで来たことがあるんだよなぁココ……。否、実は隣の芸文のための暇つぶししてただけだったり!?←
ホールとしては、いわゆる市民ホールそのとおり。市立ですからね。床の煤けた(?)Pタイルに、明るい木目の腰壁、ペンキかクロスか、なんにせよ白い壁と天井、そしてベル代わりの「b---------------!」(今日はひときわ大きかった笑)は、なんとも情緒あふれる感じがあります。しかも、ここ、天井が低いもんだから、よけいにそんな風情が感じられる。
でもここ、日本だと割と珍しい(ような気がする)ものが見られます。名前にすると、どうも「仮設反響板」とでも呼び習わされているようです。自立するタイプの反響板で、どうやら折りたたみができるそうな。アメリカの合唱団の動画なんか見ていると、よく出てくるようなヤツです。日本だと、リッチなホールをそこかしこに建てるから、割と需要の少ないやつですが、今回は、200〜300人程度の小規模のホール。ステージも狭いから、これくらいがちょうどいいのかもしれません(もっとも、名古屋の文化小劇場はどこかしこに常設反響板を吊るしてますけどね笑)。
で、鳴りは、否、おみそれしました仮設反響板。響きはそこまででもないものの、ちゃんと、その室内の規模に応じた音量で適切な鳴り方をしている。言ってみれば、それはそれで、非常に豊かな鳴り方です。ホールのサイズに見合った音がちゃんと鳴っているから、むしろ違和感なく聞いていられるのが印象的です。とても音楽を身近に感じることのできる、それでいて、近すぎる場所で鳴っているわけでもないから、ちゃんと落ち着いて聞いていられる。こじんまりとしたところでいながら背伸びしない、非常に好印象なホールです。
ちなみに、コンビニ等ちょいちょいあるのですが、ここらへん、ガーデンズを離れると喫茶店の類は全くといっていいほど見当たらなくなります。混んでても飛び込めガーデンズ。なんなら、西北駅構内にあるタリーズで時間つぶしてたほうが賢かったりして笑

エールはなし。尤も、未だ旗揚げ5年ですからね。……なんなら団旗もないけど←
然しそれでもなお、12人程度の歌い手に対して、集客は7〜8割。大してOBもいないだろう中でその集客は、素晴らしいもんですよ。

指揮:脇坂典佳

第1ステージ・ルネサンスの響き
Hassler, Hans Leo "Cantate Domino"
Victoria, Tomas Luis de "Pueri Hebraeorum"
- "Inproperie-Popule meus"
- "O vos omnes II"
Palestrina "Sicut Cervus"

まずはルネサンスから。なんとなく、医混を思い出すような、そうでもないような笑
否、まずなにより印象的なのは、端正に整理されたアンサンブル。ルネサンスにして、とても清潔な感じがするのが好印象です。そう、ここは関西。関西の学生団は技術的・楽典的基礎がしっかりしているから基本どの合唱団も取りこぼしが少ない、と書きました。まさに、そのお手本のような合唱団。抑えるべきところをちゃんと抑えている響き。それでいて、自己主張がしっかりしているのが、音をしてよく分かる。
尤も、まだまだ、という場所もあるんです。特に、経過音やメリスマの部分にあって、一部で芯のない、無神経な音が返ってくることがある。そこから、アンサンブルがわずかにほころびを見せるということがあるのが、どうしても気になってきます。また、ブレスが雑、というか邪魔だな、と思わされる部分が、特にフレーズの終端に見られる。そろそろローテーションブレスを意識してもいいかもしれません。
で、何が言いたいかって言うと笑、こんな込み入った話を書くつもりなかったんですよ。それくらいに、上品な、言ってみれば、「オトナな」アンサンブルができている。その中に、自分たちの主張を十分に混ぜ込んで、こんな音楽をしたいんだ、というのが、音ににじみ出てくる。
なんだか細かいことで、言いたいことがたくさん出てくるっていうのが、まさにその象徴のような気がします。ここをこうしたら、この団はもっと良くなる、そういうことをたくさん言いたくなるアンサンブルが、ちゃんとできている。方向性を見いだせないようなアンサンブルしているところって、結局この団は何がしたいんだということになり、コメントすることもなくなってきますからね。
最後、"Sicut Cervus"の和音がピタッと決まるのが象徴です。聞いていて非常に胸のすく演奏でした。

第2ステージ・近混アラカルト
三宅裕太「緑の中へ」(新川和江)
Elder, Daniel "Twinkle, Twinkle, little star"
- "Star Sonnet"
Rutter, John "A choral Fanfare"

プログラム曰く、1曲目が今回のプログラムの中で唯一の日本語なんですって。……あれ?「おらしょ」は?ひとつ歌いましょ?爆
さっきの1ステのメリスマ、もしかしたら音が崩れる原因は、勢いの持って行き方がわからなかったってだけかもわかりません。フレージングの問題。長いですからね、フレーズ自体が。その一方、「緑の中へ」は、馴染みのある言語によるフレージングだから、音もしっかり、ちゃんとした音が返ってくる。勢いだけで解決できることって、やっぱりあるんですよね←
一方で、このステージ全般的に、勢いだけでなんとかしようとしてしまったというのも、相反的ながら事実で。「緑の中へ」も、勢いは良かったもののパート間のまとまりはいまいち感じられなかったし、「Twinkle〜」も、残念ながらその傾向が見られてしまった。それで中途半端に、和音だけ合わせようとするから、テンションコードで決まるはずの場所が「ものすごくキレイに」聞こえてしまったりした。「Sonnet」も、そういった意味では、細かい世界観のかき分けは十分にできていなかった印象です。繊細な曲の表現の機微を描写するなら、もっと、1ステのときのような緊張感を持ちたかった。1ステのときのテンションで行けば、もっとキレイに決まったはずなんだけどなぁ。もっとじっくり歌い上げてほしかった。若さゆえの過ち。惜しい。
逆にでも、勢いでなんとかしようとしたステージだったからこそ、「Fanfare」はバッチリいったのかもしれませんね。もっと無声子音目立たせると、よりゴリゴリできて面白かったと思いますよ笑

インタミ10分。否、ここまで40分くらいしか経ってなかったけど、それにしたって、随分短い休憩時間だなおい笑

第3ステージ
Rautavaara, Einojuhani "Suite" de Lorca

何より、この合唱団の規模で、かつ、学生だけで、この作品を取り上げたことに心から敬意を表したいです。……くらいのコメントから、なにか御託を並べようかと思っていたんですよ、本来は。そんなこと許してくれないみたいで、今回の演奏笑
否、エルダーのときよりも遥かにキレイにぶつかっていて、面白い演奏に仕上がっていました。この団幸いに、各パートの、響きに対するイメージがちゃんと一致しているから、同音から分離していったり、ヘテロフォニックな表現をしたりすると、存外にキレイな音を決めてくれるんですね。
非常に音に対しての集中力は良かったと思います。鳴っている最中の、ある程度自由で、コミュニケーションを感じられる、力の抜けたいい音が鳴っていました。2ステにおける若さも、いい意味で少し抑えられていて。否、よく練習したのだなぁと思わされました。
あえていうなら、無音のときの集中力はもっと磨くことができたかしら。「動いていない」状態から、いきなり「動き出す」、その瞬間の描き分けがもっとできると、より引き締まった演奏になったような気がします。
でも、それくらい要求を高くするくらいには、素晴らしい演奏でした。どれくらいって、演奏が終わった後に、会場がざわつくくらい。否、お見事。

第4ステージ
千原英喜・混声合唱のための『おらしょ』―カクレキリシタン3つの歌―

どうしても、聞き慣れた曲って、色々書きたくなっちゃいますよね?笑 そいういう意味では、私のブログの目をごまかそうとするのなら、知らない曲馬かすかやっていただければそれで十分だったりして爆
おらしょはねぇ、色々なところで色々なところが触れていますから。何なら所属団だって。細かいところが色々目につく演奏でした。あえてまとめるなら、先程のステージにおける集中力が裏目に出た、とでもいいましょうか。
集中しすぎだったんですね。いかんわけでもないんだけど、おらしょをそういうアプローチで演奏するには、この団は、あまりにも若すぎた。例えばで取り出せば、1曲目の「Alleluia」を引き出すための主題。確かに、静かに、静謐で、隠れた祈りの中にアレルヤを見出す部分ではあるものの、それを生真面目にやりすぎると、フレージング自体が失われてしまって、ただか弱い音が鳴っているだけになってしまう。それくらいならば、まだ隠れることを知らない天真爛漫な感情をチラ見せしたほうが、音自体が整うことだってあるかもしれない。
2曲目の「あんめ、いえぞす」だって同じことが言える。その直後のマリア賛歌を美しいものとして聞かせる前段階として対置される関係と捉えるならば、ここのボリュームは少々大きくてもまだ許される。まして学生団だし。3曲目の「マエロヤナ」は、もうその意味では、宴会芸の狂乱の縁にいてもおかしくないはずなんです。
若さを武器にせよ、というつもりもないですし、そんなこというおっさん嫌いですが(否、自分のことです、なにより)、とはいえ、勢いをつけて鳴らすこと自体の価値を軽視してはならないと思います。そればっかりだと確かにガキなんだけれども、それを少しずつコントロールできるようになっていくのがオトナ。2ステでなにより、そういう音使いができる、その片鱗を見せているのだから、せっかくだしそれを武器にして、やんちゃに闘ってみてもよかったのかなと思います。
まぁとはいえ、学生団の最終ステージですからね。意外とそんな感じになっちゃうのも納得かも。しんみり終わりたい向きもありますもんね。

enccore
三宅裕太「おやすみなさい」(長田弘)

で、これまた難しい曲をアンコールにおやりになる笑 否知っている曲だから余計にそう感じる笑
中間部の主題設定はややトチってたかも。多分「フクロウ」あたりは男声がもう少し立つべき場所です。とはいえ、フィナーレの前とか、もっとごちゃごちゃしちゃってもおかしくないくらいに難しいのに、よくまとめていましたよ。

ロビーコールもなく、1時間17分という、鬼のような早さで終演笑
壇上では、今年で卒団する指揮者へ、団員から花束贈呈。どうやらサプライズのようで。もしかしたら、まだ卒団の制度も定まりきってないのかも。でも、この、用意された花束に、この団の未来を感じずにはいられません。

・まとめ

なんだか、むかし聞いた、最初期のころのハルモニアアンサンブルの音を、大袈裟に言うなら思い出すんですよね。
否、実は今も昔もハルモニアを録音でしか聞いたことないんですけど爆、声楽家集団とはいえ、アンサンブルの麺においては荒削りな部分も見られる一方で、アンサンブルが確固たる意志を持っていて、その意志が音を鳴らす、そんな様子がありありとみえる演奏。
いわば、"Nicht diese Töne!"とのたまって、某団を抜け独立した、というのがこの団設立の経緯(結局いっちゃったよ←)。そんな団が永続していくために必要なことといったら、確固たる制度でも、組織的な裏付けでも、そんなのなんでもなくて、理想の音を鳴らしたい、そんな、危ないくらいに真っ直ぐな情熱にほかならないのかもしれません。
情熱の中に駆け抜けていった5年間だったと思います。まっさらな状態から団を立ち上げて、ひたすらに突っ走って、100人規模でお客さんを集めて、3回も演奏会を行った。それだけで、もう、どんと構えていい。誇るべき実績を、この学生団は作り上げたのだと思います。
もっとも、学生団です。人を入れ替えながら、続いていくのが学生団。だからこそ陥るジレンマというのが、皮肉にも学生団のほうが重くのしかかります。
学生団という立場にあって、正直、これから先、情熱だけで乗り越えられない壁というのは、どうしても出てくるのだとおもいます。創立当時の情熱というのは、まして入れ替わりが必定の学生団にあって、絶対に薄れるものです。でも、相反するように、そんなときに必要になってくるのは、創団時以上の、音楽に対する熱い情熱なのではないかと思うのです。
そのときに、また、音楽に対する情熱を、例えば今日のように、再び燃やすことができるか、その時こそ、正念場だと思います。――だからこそ、有志を持って、この、今日の日の情熱を、絶対に忘れないでほしいと思います。忘れなければ、また思い出すことができるから。
団の記憶って、そうやって、語り継がれていきます。それが積み重なると、伝統となります。――だから、伝統というのは、よかったころの記憶を回顧することではなくて、良かった記憶をもう一度作り出す、そのためのデータベースのようなものなのだと思います。
色々書いても、とどのつまり、何も意識しなくてもいい。ただ、情熱のあるうちは、その赴くまま、ただ突っ走ればいい。それが、伝統を作っていってくれるから。そして、情熱が空っぽになりそうなときは、少し振り返って、過去の伝統に少しだけ目を向けてみてほしい。そして、そこに内在する情熱を勝てにして、また突っ走って欲しい――多かれ少なかれ、続いている団体、続いているスタートアップって、そういうもののような気がします。

・メシーコール
阪急そば「わかめそば」

関西初、という伝統を重ねているにしろ、たかだか阪急そば、といえば、確かにそのとおりなんです。でも、今日この時期だからこそ、この阪急そばは、意味を持つものでもあります。――多分、今日を持って、私、阪急そば「食べ納め」ですから。
4月1日から、事業者の変更に伴い、阪急そば全店屋号が変わるそうです。「若菜そば」。阪急そばの高級系列で、すでにその片鱗を見せてくれていますね。多分、いち消費者から見れば、屋号が変わる、ただそれだけのことなのかなと思っています。でも、やっぱり、そこは、記憶が根付くものなんですよね。貧乏学生時代は、空腹の中家に帰ってパスタを茹でて食費を浮かすか、諦めて駅前の阪急そばに入って腹を満たしてしまうかというのは、とてつもなく重大な決断でした。その歴史、資本、そして立地であるからにして、あるだけでシズルを生み出し、人々の空腹につけこむ駅そば、中でも関西にあっては阪急そば(あと個人的には「まねきそば」)は、まさに罪深い存在でありました。
もちろん、屋号が変わった程度で、何かが極端に変わることってないのだと思います。良くも悪くも、たかだか蕎麦ですから。でも、阪急そばという名前を失うことによって、なんだか、そこにあった思い出が、ちょこっと欠落してしまうような、そんな、一抹の寂しさを覚えるのもまた事実。今となってはこの程度の出費では財布は傷まない身、存外に、こんなもんだっけ?と思いながら、モソモソと蕎麦をすする、そんな行為の中に、ふと、記憶や伝統、そんな二文字が過る。
伝統って、その程度のものです。でも、それが、伝統ってものなんです。
若菜そばのニュースタンダードに、乾杯。ありがとう、阪急そば。

2019年3月3日日曜日

【混声合唱団愛知学院大学グリークラブ第54回演奏会】

2019年3月3日(日)於 熱田文化小劇場

私、ブログの手前もあって、最近、演奏会ははしごしないことにしてるんですね。
なにかって言うと、今日、裏でグランツェの演奏会やってるんですよ。否、もっというと、はしごできるような時間で、はしごしている人間も多かったわけですけれども。
それにしても、当方、前段の事情につき、どっちの演奏会に行こうかと逡巡していた所、どちらの側にも知り合いがいるものの、チケットを文字通り売りつけてきたのは、彼女ただ一人でありました。カネも渡す前から、ただでいいから、と受け取りを拒否する暇すら与えず、チケットをまずは渡してきた(もちろん、お金は払いました笑)。
で、今日、この演奏会に来て、まずはとばかりパンフレットを眺める。みるに、その、私にチケットを売りつけてきた某への他己紹介文、その一文目にあったのが、

「そう、誰もが知るコミュ力お化けである。」
言い得て妙、それであるからにして売りつけられたこの一席――この文才、俺に分けてくれ!爆

否、それにしても、その某の、「売りつける力」は見習わねばなりますまい笑
実はなにげにこのブログ最多登場、愛学の演奏会です。

・ホールについて
もうホント、このホール、書くことなくなって来てますね笑
否、ホールを否定するわけではなくて、単に、書きすぎて書くことなくなってきたってだけですねん笑 それこそ、愛学だけでこのホールに何回来てるんだって話ですから笑 せっかくだから、団旗とバトンのことでも書こうかと思ったら、もうこの前(というか去年の愛学で)書いたみたいだしさ爆、もうどうせいっちゅうねんと。
このホール、最寄り駅はどこと言われると、地下鉄名城線・神宮西駅という人が多いんじゃないかと思いますが、実はこれ、意外とそんなこともありません。ホールから最も近い駅は、JR東海道線・熱田駅。裏側からもアクセスできる道があるので、駅から徒歩3分は夢ではない距離にあります。最も、熱田駅は普通しか止まりませんが、名鉄名古屋本線・神宮前駅なら全種別止まりますから、名古屋・金山からのアクセスなら抜群にこちらのほうがいい。さらに、栄からなら、市バス栄21号系統・泉楽通四丁目行きの市バスが本数は少ないものの便利ですし、その他熱田巡回系統、金山19号系統、幹神宮2号系統のバスなんてのもあったりする(いずれも「熱田区役所」停留所)。加えて、基幹1号系統等停まる「堀田通五丁目」停留所から歩いても、15分程度で着きます。なんにせよ、地下鉄に限らず、様々な交通手段を検討すると、よりこのホールへのアクセスが便利で、楽しいものになる、かもしれない。
え、なんでそんなこと書いてるかって?
本当にネタ切れ間近なんですよ……笑
そういえば、このホールって、本番中ローホリ裏に仕舞えましたよね……?あと、前明かりなんかケチってない?……などと白々しく書いておきましょうか埋めるために笑

・エール
「わが歌」
「愛知学院大学校歌」

否、最初から思ってたんですよ。とてもきれいに収まっている、精緻なハーモニー。非常にブレンドされていて、和音がよくハマっているのが目に見えてきて、非常に優秀なアンサンブルだと。もっと歌ってもいいんじゃないかな?とかいろいろ考えていたんです。これだけハメられるんだから、もっと歌いこむことができれば、見えてくる世界が変わってくるんじゃないかな、と、凡庸に、そんなこと考えていました。

第1ステージ・アラカルトステージ
北川昇・無伴奏混声合唱曲「歌ひとつ」(立原道造)
平井夏美(arr.源田俊一郎)「瑠璃色の地球」(松本隆/コーラスで贈る混声合唱のための『ウェディングセレクション』より)
米津玄師(arr.田中和音)「アイネクライネ」*(『合唱で歌いたい!J-POPコーラス』より)
木下牧子「はじまり」*(工藤直子/混声合唱曲集『光と風をつれて』より)
指揮:山中壱晟、今泉達矢*
ピアノ:天野穂乃果(客演)

でも、そういうふうに考えていたけれども、どうなんだろう。これはこれでいいんじゃないだろうか、なんて、ちょっと考え直してしまうのが、今回の演奏でした。
小さく収まっているだけ、とも言い切れない、スルメ的な魅力があるのが、今日の演奏でした。なんとなく音量不足なような気がしたけれども、でも、人数考えたらこれくらいがぴったりな音量な気もするし、響きも浅すぎず深すぎず、フレーズもよくつながっていて、しかもそのフレーズがちょうどいい豊かさを持って鳴っている。大袈裟な表現とは無縁かもしれないけれども、でも、確かに寄り添ってくれる表現があります。
華々しい曲をやるには、やっぱり力不足な気もします。その、「筋肉」的な意味で。でも、この曲の並びだからこそ、穏やかな響きがよくあっていたような気がしました。「瑠璃色の地球」は、その意味でとても素晴らしかった!一方で、「アイネクライネ」は、長所とも言えた自然なフレージングが裏目に出た部分もあるでしょうか。後鳴りというか、伸ばしてから音が乗り出すのが露骨に出てしまいました。逆に言えば、自然にできているフレーズを、なんとなくやるのではなくて、自分でコントロールできるようになると、それでこの団の実力はひとつ確固たるものとなるような気がします。自分たちで鳴り方をコントロールすること。もっといえば、音の最初からちゃんと鳴らそうと心がけること。
アルトがよく鳴っているのは、評価しなければなりませんね。一方で、テナーが少々力不足かも。

インタミ15分。――15分!?

第2ステージ・同声ステージ
女声)
徳永暁人「渡月橋〜君思ふ〜」(倉木麻衣)
信長貴富・二部合唱曲「未来へ」(谷川俊太郎)
指揮:今泉達矢
ピアノ:山梨晴哉(客演)
男声)
藤原基央「魔法の料理〜君から君へ〜」
野田洋次郎「なんでもないや」
三沢郷(arr.猪間道明)「デビルマンのうた」(阿久悠/男声合唱のためのアニソンフラッシュより)
指揮:間瀬奈月
ピアノ:山梨晴哉(客演)

長いインタミを経て、このステージ。まぁ、でも、いろいろあるんですよね、ローホリ使って正反色づけたりとか笑
人数が少なくなると、どうしても、音量の問題が露見してしまうのが気になる所。
女声は、「渡月橋」はもっと、壮大な音が作れるはず。揃えるよりも鳴らすことのみを意識の中心に据えたとしても、この団の響きは、崩れず、うまく鳴らすことができたような気がします。
特に、女声は、その可能性を多分に秘めているんですね。「未来へ」のユニゾンが、特にそれを示唆している。特にこの曲の主題くらいの強さが、「渡月橋」でも欲しかった。一方で、男声も、もっとボリュームが欲しかった、その一点。女声はその点、声はうまく使えていたのだけれども、男声は、その点も、まだまだ追求できる点がある。特に、高い方の響きについて、狭いがために鳴り方が苦しくなってしまう。で、それでいてかつ、音の勢いもほしい。勢いが無いと、高音の響きが落ちてしまいますから。
男声のボリュームの理想は、「デビルマーン!」のあたり。あれでmfくらいだと思うと、ちょうどいいような気がします。でかいと見せかけて、そんなもんかな、と。個人的には。

インタミ5分。斬新だ……笑

第3ステージ・客演指揮者ステージ
横山智昭・混声合唱とピアノのための曲集『お菓子の時間』(みなづきみのり)
指揮:神田豊壽(客演)
ピアノ:吉田まつり(客演)

譜面台は客席にあるし、ピアニストは一人で出てくるし、何かあるなとは思っていたんですよ笑
もう、どこから出てくるかな、と疑心暗鬼にくれていたんですが、ステージ脇からちゃんと出てきました。チャイムのモチーフによるピアノから、かけ出てくるようにステージの上に集合、そこから、「只今からこの会場はお菓子の時間ですが、この会場は飲食禁止ですので――」という神田先生の子気味よい(?)アナウンスとともに、ステージは一気にお菓子の時間に引きずり込まれていく。
最初から、これまで聞こえていなかったような音が聞こえてきて、楽しく聞くことができました。後半に行くにつれ、体力的な問題か、タイミングや音程がずれてきたりして、技術的には、悪い面もそれなりに聞こえては来るのですが(後例えば、さっきのテナーの高音みたいなものとか)、でも、それ以上に捨てられない魅力がある。
なにかって、楽しそうなことと、楽しませようとしっかりと考えている、その二点。見せる表情が豊かで、数多くの引き出しがあるから、時間がめくるめく過ぎていく。しかも、崩れた部分があったとしても、ユニゾンがしっかりと鳴るから、しっかりと音楽が引き締まり、音楽の世界に私達を戻してくれる。
様々な工夫がこらされていて、とても楽しいステージでした。何より、心から、楽しませようという心意気に満ちていた。それを、振り付けだけでなく、音と動きで、確かに確認することができたのが、本当に印象的な、いいステージでした。

この後、神田先生がアンコール。マイクもなく、地声で挨拶された後、さぁアンコール……というところで、実は段取り上は団長挨拶だったということが発覚笑 非常にやりづらい中で笑、団長挨拶をやりきってくれました。とはいえ、やっぱり、挨拶していると、心に来るものがあるようで。笑いあり涙ありの、非常に素敵な団長挨拶でした。

encore
米津玄師「Lemon」(指揮:神田豊壽)
信長貴富「それじゃ」(木島始、指揮:村瀬輝恭)
なかにしあかね「今日もひとつ」(星野富弘、指揮:間瀬奈月)
中島みゆき「時代」(指揮:今泉達矢)

レモンは、神田先生の非常に貴重なポップスソロに続いて、卒団生ソロ回し。恒例なんですねそういえば笑
アンコールの演奏も、結構に荒削りなものが多かったです。正直。でも、そう考えると、最初の方の演奏が硬かったんじゃないかと思わされるくらい、非常にイキイキしていてよかったような気がします。
しかし、世代でもないのに、中島みゆき好きだよねぇ皆笑 若い世代のほうが積極的に取り上げているような気がします笑

・ロビーコール
「いざ立て戦人よ」
「ぜんぶ」
「遥かな友に」

最後は大団円。裏のグランツェの時間も迫っている中、皆さんよく残っていたのが印象的でした。否、グランツェだけが全てだけじゃないけどね。でも、非常にいいことのような気がします。

・まとめ

とある人が言っていた、伝聞によるとある一言がものすごく胸の中に残っています。
この団に直結する話でもないので、あえてここで、その言葉を披露するつもりはありませんが、でも、そこから想像を重ねて、この演奏会から見いだせる、私達アマチュア合唱人の「始まり」に寄せて。

学生団って、そういうもんなんですよ。
っていうと、いきなり何かの視野狭窄を疑われてしまいそうですが笑、どの学生団も、「そういうもん」なんです。
各団独自色を信じて活動し、やれ演出だ初演だアトラクだ、アンサンブルや同声合唱に挑戦してみたり、会場一円となって歌ってみたり、全国、否、愛知県のみをしても、非常に様々な学生団のステージがあり、それぞれの仕方で私達を楽しませてくれます。本当、合唱のみならず、心から楽しめるステージがとても安価に、非常に多くある、現代はとてもいい時代になりました。
学生のうちは、――私だってそうです、ここにある活動が唯一で、絶対に自分たちの活動はオリジナリティにあふれていて、自分たちこそが、最も人を楽しませることに注力していて、特別な存在だと思っていた。
否それ自体を否定したいわけではないんだけれども、語弊を恐れずに言えば、当時はなんて傲慢な考えでいたのだろうと自省させられるものがあります。決してそんなことはなくて、もっと良い言い方をすれば、「どの団だって頑張っている」。私達だけではなくて、アマチュアであれなんであれ、同じショーマンとして、ときに孤独に、ときに賑やかに、ステージを彩るために日夜努力を重ねている。
今日の演奏だってそうです。ポップスから合唱曲から、様々な曲を網羅するだけでなく(あえていうなら外国語はなかったけど笑)、3ステではパフォーマンスも豊かなメルヘンをしっかりと表現してみせた。
誰にだって、表現する権利があり、誰にだって、表現する喜びがあります。各団のステージは違えども、そこに、優劣などあるはずがありません。ステージに立って、少々熱くて眩しい照明を浴びる時、その浴びる照明は、いつどこの照明だって、その意味は全く変わることがありません。それは、大袈裟でもなく、新しい世界の始まりであり、私達の新しい船出にほかなりません。
学生団は、そんな船出との出会いの場と言えないでしょうか。学生団からプロの声楽家・指揮者の道へ行くような人もいる。それも、決して、全国大会を出たような団ばかりではなく、様々な立場から。でも、その始まりは、そんな、ささやかな始まりからなのです。
そして、そんな日々は、四年間で幕を閉じることになります(最近つとに怪しいけれども←)。期限があるから美しい、というわけでもない。でも、期限があるから、そのステージは特別で、代えがたいものになります。――だから、自分たちは特別だって思い込むのかもしれませんけどね。まぁでも、だから、それでいいのかも。今のうちは、自分たちが一番って風で。それが、ショーを動かす原動力になるのなら。

私が言えた立場かはわかりませんが、卒団生・在団生乃至退団者いずれも、これからの皆さんの前途は、想像以上に多難です。どうしようもなく悔しいことや、胸が潰されそうなくらいの挫折、別れの悲しみに、現実を見通してしまったときの、途方もなさ。これまでの合唱団で味わったもの以上の辛さがそこに控えているのは、事実と言い切ってしまえます。でも、皆さんが今日踏んだ舞台は、間違いなく、そこにしかないもの。その事実自体に、どうぞ自信を持っていただきたいと思います。なにを言われようが、客席を随分埋めて、しっかりと演じきった演奏は、皆さんが自分たちなりに努力してきた証です。
ステージに立つ以上、私達は同じ土俵の上に立っています。そして、同じ土俵の上で、がっぷり四つを組む権利があります。その意味でも、今日はまさに、大団円でした。どうぞ、今日のステージを作り上げたことに、自信を持って、これからを過ごしていただきたいと思います。
なにせ、ここから、すべてが始まるのですから。