おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2015年2月25日水曜日

雑感:「よくわかんない曲」と付き合う7つの方法

 さて今回は、Nコンの課題曲についての話です。「NHK全国学校音楽コンクール」では、毎年、課題曲を旬の作曲家・作詩家の先生に書き下ろして貰って(「委嘱」と、慣例的に呼んでいます)、課題曲とすると同時に、新しい作品を世に問うて合唱音楽の境界を広げてきました。
 今年は、「SEKAI NO OWARI」が曲を手がけるということで、果たしてどんな作品が出来上がるかと興味が持たれてきましたが、蓋を開けてみると、どうも「SEKAI NO OWARI」よりもぶっ飛んだ作品が高校の課題曲で出来上がった、と評判のようです。

NHK全国学校音楽コンクールの課題曲が突き抜けてる感がスゴイ」(Pouch, livedoor)
http://news.livedoor.com/article/detail/9781578/

 課題曲発表前に穂村弘による歌詞が発表され、その内容について、合唱を(たぶん)クラス合唱以外経験したことがない人が「突き抜けてる」と表現したニュースが話題になりました。で、当の高校生、それも合唱をやっている人たちの中にも「何この課題曲!」「歌いたくない!」なんていうことばがTwitterでみられたりします。もっとも、松本望作曲の作品演奏を聞いたところでは、評判は決して悪くないようです。しかし、曲も歌詩も、内容はぶっ飛んでいる(と、されている)。
 実際、過去数年の高校課題曲を見てみると、2014年「共演者」(小林香・詩、横山潤子・曲)、2013年「ここにいる」(文月悠光・詩、新実徳英・曲)、2012年「明日へ続く道」「もう一度」(星野富弘・詩、千原英喜・曲)、2011年「僕が守る」(銀色夏生・詩、上田真樹・曲)……など、いずれも、素直な歌詩と素直な曲で、仲間の大切さや、希望、共存の喜びなどを歌うものが多い傾向にありました。曲としても、「素直な名曲」といえるような、難易度さえ気にしなければ、学校の合唱コンクールでそのまま歌っても十分マッチする曲達ばかりです。
 では今年は、というと、実はこの曲、僕は大好きで仕方ありません。「ピース♪」というテーマに対して、「日常における透明な戦い」、つまり「日常におけるハッキリとはしないが何となく迫る不安」を堂々と取り上げ、漠然とした不安、それとハッキリと「戦って」いる風景が活写されている。そして、その詩に対して、反旗を翻すように、どこか牧歌的な、しかしその中に不安を覗かせるような曲が付けられている。その、潜在意識に覗く末恐ろしさと、しかし平穏に日々を過ごしている日常の姿、そしてそこに潜む日常の奥深さ――読めば読むほど、おっかなさだとか、美しさだとか、その他色々な感情が呼び起こされる。間違いなく、この曲は現代に光る名曲です。
 僕自身、この曲に対する解釈というのは言語化出来る形で持っています。しかし、かりにもこれは課題曲。その解釈をありのまま披瀝するというのは、あまり賢くはありません(それでも結構書きましたけど)。でも、この曲を「なんだかよくわからないけど、タラコおにぎり食べながら猫の名前をメイプルシロップって名付ける曲」っていう風には思ってほしくないんですね(そもそも論ですが、多分この主人公たちは猫を飼ってないと思います)。自分とて、大学から合唱の世界に入った身。実際、なんか凄い歌詩だな!?と、初読から三秒くらいは驚いていたのは事実です。しかし、読めば読むほど、この曲のことが大好きになっていった。是非、取り組まれる皆さんには「好き」とまではいかずとも「案外やるじゃん」程度には思って頂きたい。
 そのためのヒントになるかどうかはわかりませんが(そもそもこんなウエメセなことばがどこまで響くことやら)、この曲を含めた、所謂「難曲」と呼ばれる曲との付き合い方について、自分のアプローチの仕方を、考え方をまとめておきたいと思います。「ふうん、まぁ、こんな考え方もあるよね」という程度に思っていただけたら幸いです。

1. 「この曲、好きになれなさそう」と思わない
 不思議なもので、「好きになれない」と思ったら、本当に好きになれない可能性が高くなる。「絶対好きになってやる」とは思わなくても「もしかしたら好きになれるかもしれないなぁ」って思っておきましょう。「でも不思議だなぁ」という気持ちとともに。

2. とりあえず音読してみる
 どんなに不思議なこといってようと、合唱曲になる以上は、それは日本語であり、言語(ごくごくたまーに、言語でないこともありますが)。声に出して読むことは誰にでもできることです。あらゆることばには、それぞれ固有のリズムがあります。そのリズムを捉えるために、いちど音読してみる、それか、音読している気分でじっくり読むことをおすすめします。特に、今回の詩人は、短歌の歌人である穂村弘。この詩は七五調ではありませんが、ことばと音のリズムが聞いていて気持ちいい。その気持ちよさは、詩を音として感じないことには得られません。

3. 好きな言葉を抜き出してみる
 意外と軽視されがちですが、その詩の中で好きな言葉というのを、その詩の解釈の取っ掛かりにするのは、案外解釈への近道のような気がします。たとえば、「ホットケーキにメイプルシロップ」ということばが好きだったとします。そうしたら、そのことばがどうして好きなのか、あるいは、そのことばと対になることばはないか、さらに、この曲において「ホットケーキ」や「メイプルシロップ」と同じ意味を持つことばは他にないか、と色々考えることが出来ます。想像しているうちに、楽しくなってくるかもしれません。

4. 身近な思い出と引きあわせてみる
 どんなに難しい詩であっても、基本的に、詩人の経験からしか出てこないことばたちばかりです。ということは、その人は、変態だろうと犯罪者だろうと普通の人だろうと、そういう経験をして生きている。詩の世界に生きている人というのが、この世の中には一人はいるということです。だったら、自分たちが、その経験を理解できないとも限らない。共感は出来なくとも、なんとか、ああ、そういう人はいるのかもね、と思うことは出来るかもしれない。そのために、自分なら、こういう状況でどうするのかな、と考えてみる。ひとまず、取っ掛かりに、「コンビニの棚は空っぽ」だったあのときのことを思い出してみるといいかもしれません――とはいえ、高校生は、あの時中学生だったかぁ。あのときのテレビの様子、あるいはその当時の現場の様子、という方もいるかもしれませんね。辛いかもしれませんけど、なんとか思い出してみて。「目覚めたいのに目覚め」られなかった、あの悪夢のような日々のこと。

5. 曲から解釈してみる
 詩に付けられた曲は、その作曲家が詩を読んで感じたことの成果です。時に難解な、メロディなんだかよくわからないような曲がついていることもあります。しかし、それも、その作曲家がその詩を読んだ印象の塊。だから、曲を理解することは、作曲家がその詩をどう思ったかの理解につながります。なんでここで、こういう和音が使われているのか、なんでココはしゃべっていて、あそこはしゃべっていないのか、なんでここはヴォカリーズ、つまり歌詞がついていないのか、などなど、難しいことから簡単なことまで、いろんなことから、この曲の理解についてのヒントが見えてくると思います。

6. いっそのこと別の作品からアプローチしてみる
 例えば、私が「メイプルシロップ」を理解する上で、「なるほど!」と思ったのは、穂村弘『はじめての短歌』(成美堂出版、2014)から得た含蓄です。この本に限らず、あらゆるテーマで書かれた著者の作品は、程度の差こそあれ、何らかの通底するテーマのようなものが存在するように思います。また、逆のことを書いていたとしても、その問題意識に対して何か変遷があったかもしれないと比較する事も出来る。だからこそ、同じ著者の違う作品を鑑賞することには大きなあるのだと思います。また、例えばNコンだったら、曲の発表ページに書かれたコメントだったり、テレビ放映の際に寄せられたインタビューのコメントだったり……ヒントはたくさん転がっています。

7. 単純に音だけで楽しむ
 究極的には、曲を曲として聞いてしまう、という手もあります。歌詞が聞き取れないけど、なんか好き、っていう作品があったり、例えばバッハの平均律だったり、ベートーヴェンの運命だったり、チャイコフスキーの1812年だったり、音しか無くても、この曲最高!って思うこともある。それだったら、いっそのこと、歌詩のことは忘れて、この曲なんか好き、って思えるところにまでもっていけたら、それだけで儲けもんともいえます。それに、その曲は、作曲家が詩を読み込んで得た解釈の賜物なのですから……笑

2015年2月16日月曜日

【中部大学混声合唱団第36回定期演奏会】 


2015年2月15日(日) 於 熱田文化小劇場


さて、練習もあり、なんならもうすぐ本番もあり、ということで、名古屋におります。(少なくとも直接的には)このブログでは宣伝も身内レビューもしないつもり、ということで、中京混と「もうすぐある本番」のお話はパス。とはいえ、今週末は色々ありました……2日間連続で練習でしたし。ちなみに、今日は大学院2年間インクをつめ替えて使ってきたボールペン(原価100円程度)を落としてしまったみたいで、軽く激しくショックです……(´・ω・`)しかもこれを書いている途中も、気付いたら風呂で寝ていた。もうね、終わりはどうしようもない週末ってかんじですねw
なお、音叉もなくしたかと思っていたのですが再発見した模様です。よかった笑
その週末の終わり、ちょうど、練習場からほど近い熱田文小で中部混の演奏会があるってことで、久々に、名古屋ー!な感じの、「他団の」演奏会。何が名古屋ー!なのか、っていうのは、こう、あれですよ、色々、名古屋なんですよ(その割にあえてその点には突っ込まない←)。とはいえ、中部混、メンバー全員で頭でも打ったのか(ォィ)、名古屋でも、否、全国見回してもそうそう観ることの出来ないステージを繰り広げてくれました。

・ホールについて
名古屋では非常に有名なホール。もちろん、しらかわホールや、市民会館など、規模の大きくて有名なホールはたくさんあるのですが、このホールをはじめとする名古屋の政令区にそれぞれほぼ一個ずつある「文化小劇場」は、色んな意味で使い勝手がよくて、中小規模の大学合唱団が好んで使うのです。何がいいかって、まずは使用コストの安さ。この点の具体的なことは価格表を御覧ください←。そして、規模。たびたびこのブログに出てくる300~400人規模の客席を持つホール、というのは、これらの文化小劇場のことを指しています。これが本当に、他の地域にはなかなか見られないものです。小さくて200人規模、その次に500人規模、というのをよく見てきましたが、300人、400人というのは本当に中々見られない。そのコストの安さと規模感が、何より文化小劇場の重宝される理由といっていいでしょう。
それにくわえて、熱田文化小劇場は音楽専用ホールとして建てられ、文化小劇場の中でも響きがいいホールとして知られています。加えて、上の利便性から、場合によってはしらかわホールを上回る程の評価を受けているようにみえることもしばしば。とはいえ、そこは、多目的にも使えるように設計された市民・区民ホール。あくまで舞台と客席を分断する形で設計されているため、響きには限界があります。具体的には、残響はとても豊かなのですが、他方で、響きが舞台の方にのみ篭ってしまい、結果、音量としてはあまり返ってこないこと、また、客席側に鳴っている音も、ステージへ帰ってきた時にまた拾ってしまうようで、結果、響き方が必ずしも単一の音にならず、やや濁っているような印象を受けます。その意味で、「響いている気分」を味わうのにはいいんですが、本当に美しい響きを得るのは難しいというのが、このホールについての僕自身の感想です。やや、名古屋の学生団界隈では過大評価されている気がしてならないのでした。とはいえ、コストパフォーマンスという意味では至極まっとうなホールなんですけれどもね。抜群に安くて、気分だけでも残響は味わえる。それで、団を選ばないのもまた、このホールの特徴かもしれません。ちなみに、ロビーが大変狭いので、ロビコ如何に関わらず、終演後はロビーが混雑します。エグいです。
そういえば、予ベルを鳴らした後、普通照明を絞らないところ、7割まですべて絞っていました。回顧するに、中京混の時もそうだったような。これは、会館側の運用が変わったのでしょうか? 少し気になるところです。

指揮:山崎友花(学生)
ピアノ:近藤茂之

ほかにもうひとり指揮を振る予定だった子がいるそうですが、オンステキャンセル。あと、もう一人、団員がオンステキャンセル。ベースの、2ステではソロもやる子。そのため、演出が一部変更になった、とのこと。演出……? 本日は大体17人くらいでのステージだったでしょうか。

そして、なんと本日は奇跡の2ステージ構成! それなのに、堂々の2時間10分公演予定の案内! 何が起こるのか、もう、何が飛び出してきても怖くない、そんな気分でしかありませんでした笑 だって、2ステージ構成なのに、開場は5分遅れてたらしいし……笑

・第0ステージ
大中寅二「校歌」(佐藤一美)

さて、この団は、中々レビューが難しい団でもあります。というのも、歴代、所謂発声だとか、アンサンブルの流行という面からは「とてつもなく」かけ離れた位置にいる団だからです。団歌だけを見ても、発声はしっかりしていて、ユニゾンもいい、音圧は十分なんです。非常に響く声を出している。でも、ハモるとなると、途端に、どうしたんだ、となる。所謂、ハモってる!って感覚は正直得られないんです。各パートの出す音が対立しあっている。オペラを思い出していただけるとわかりやすいかもしれません。上手い歌手同士ではハモり合うことはあって、そういう瞬間はもちろん時折あるのですが、どうしてもコントロールし切れていないのか、完全にそういう状態に仕切ることはどうしても出来ない。他方、しっかりした発声と構築から、間違いなく音楽は進んでいく。下手にメッセージを気にするとお題目を唱えるまでもなく、全パート独唱してるので、そりゃもう、嫌でも言葉は聞こえてきます。ちなみに、以前聞いた時より上手になっているな、というイメージは持ったのですが、それにしても、他団と比べるということは上述の理由から難しい状況にあります。

さて、団長挨拶。これも珍しいのですが、この団は思い返せば、いつもこの時に団長挨拶をしていたような気がします。
運営上、中途退団者が続出したり、他色々あったりしたようで、「運営がうまくいかなかった」とはっきりと告白し、「この日を迎えられたことが本当に奇跡のよう」と表現した団長さんの姿、それは紛れも無く、1年しっかりやり通した団長さんの姿のように思います。オープニングのうちに挨拶を済ませておいたから、にっこり笑って「第一ステージの開幕です!」ってやることが出来るものの、これがエンディングに来てたら、これはもう、泣くしかなかったでしょうね……笑

第1ステージ
〜ロマン派の音楽を合唱で〜
G. Rossini(arr.富岡正雄)「信仰」(鈴木一郎訳詩)
G. Verdi「乾杯の歌」(オペラ『椿姫』より・鈴木一郎訳詩)
R. Schumann(arr.広瀬正憲)「トロイメライ」
J. Strauss II(arr. 西岡文郎)「美しく青きドナウ」(堀内敬三訳詩)

大上段にこの時代の曲をステージに上げることって、特に最近の合唱団になればなるほど少ないような気がします。そんな、数少ない機会の一つがこのステージ。今日の「まともな」合唱ステージはこのステージだけです←
ともすると、オペラが専門と見受けられるボイストレーナーの好みからこの発声を守り続けているこの団、ある意味、この時代の曲は聴かせてくれるものがあります。旋律線がしっかりしていて、表現を十分付ける必要があって、翻訳の詩とはいえ、言葉に合わせてメロディを歌い上げていく必要がある。特に、聴衆の拍手を誘った「乾杯の歌」とは、とても相性が良かったように思います。他方、良くも悪くも、周りを気にせずかっ飛ばしていた演奏でもありました。ええ、もう、音をずり上げようと他パートとピッチがずれていようと、全くお構いなしです笑 自分たちが出したい、出すべきと思っている音を思いっきり出す。前述のように、うまくハモらずアンサンブル出来ない可能性があるというのだけならともかく、「ドナウ」では、確実にこれは表現の解釈が違うだろ!という程の音量で最後までかっ飛ばしていったのが、ものすごく印象的でしたw よかった部分もあるだけに、非常に残念。ほんの少し他パートを「気にする」だけで、変わりうるアンサンブルです。また、表現が結局、個人の声域に限定されてしまい、高音を苦しそうに歌ってしまい、ハモり切れないことも相まって、表現のバリエーションが狭くなってしまうのは、やはり残念なことのような気がしてなりません。
そして、近藤先生のピアノ! 限りなく伴奏としての立ち位置を確保しつつ、それでいて主張すべきところでは控えめながら確実に主張する。前々から拝聴していても、本当に素晴らしいピアノです。特に「美しく青きドナウ」の前奏部の上品かつダイナミックレンジに豊かな演奏は、これだけでも聴く価値が十分あった。そう! だからこそ、特にこの曲でかっ飛ばしてしまうのは惜しかった! オトナなアンサンブルをするヒントは、きっとこのピアノにもあるのだと思います。

・全体合唱
滝廉太郎「花」(武島羽衣)
でもって、もう一つ。全体合唱。これも見たことない企画のような。お客様も巻き込んで歌いましょう、という、フロイント方式。フロイントと違ったのは、ちゃんと(?)“合唱”譜(2部合唱)でやったということでしょうか。段取りとしては、
団員によるお手本演奏→主旋律練習斉唱→副旋律練習斉唱→会場全員で合唱
ということでした。さすがに副旋律を1回で取り切るのはキツかったか笑、最後の合唱は団員は下パートで歌っていました。僕? 下パート挑戦しましたが何か?(聞いたらごく普通の音なのだが音感のない僕には意外と難しかった←)
団員は、こういう、主旋律のしっかりした曲はやはり上手いなと思いました。素直に上手でした。せっかくなので、全体合唱は、朝・昼とあった練習の整理運動とばかりに、出来る限り全力で歌わせていただきました笑 むしろうぃろうは色々気にしながら歌うから、こっちのほうが余程何も気にしない全力だったような気がする←

そして卒団生紹介。恐らく台本だろうという、一緒に聞いていた某氏の指摘こそあれ、問題なのは、その台本からして十二分にエグいことを聞いてくる点wさっそく女声に対してダイエットトークから展開し、その他、中国語を喋らせておいてろくに翻訳しない、果ては、ネタに走るなとネタに走ってる司会者が言い出すなど、紹介と言いながら基本投げ捨てていくスタイルの卒団生紹介。これを相手する卒団生も大変だ――w

インタミ15分。……って、そうだった、インタミって言わないんでしたね。……なんでもいいや←

第2ステージ
ミュージカル「リトル・マーメイド」
構成・演出・脚本・歌指導ほか指導:田島はるみ
配役:省略……させて……?笑
第一幕
「トリトンの娘たち」人魚姫姉妹 三重唱
「パートオブユアワールド」人魚姫アリエル 独唱
「アンダーザシー」蟹セバスチャン 独唱
第二幕
「パートオブユアワールド」人魚姫アリエル 独唱
「哀れな人々」魔女アースラ 独唱
「ヴォカリーズ」人魚姫アリエル 独唱

第三幕へ行く前に、インタミ10分。祝電披露。

第三幕
「ハーヴォイス」王子エリック 独唱
「蝶々」モラン男爵夫人 独唱
(canceled)「忘れな草」モラン男爵 独唱
→差し替え・「ピアノ独奏(曲目不明)」近藤茂之
「パートオブユアワールド」王子エリック・人魚姫アリエル 二重唱
「アンダーザシー フィナーレ」全員合唱

何をやったかといったら……ミュージカル! それも、なんと、独唱ステージ! 衣装も照明も大道具小道具も完ぺき! おかしい! 僕は合唱の演奏会を見に来たはずなんだ! 何が怖いって、この言葉が冗談でも何でもないことだ!ww
第三幕の「パートオブユアワールド」まで、見事に合唱していないという、とてつもないステージでした。人魚たちの三重唱に始まり、蟹が出るわカモメが出るわ犬が出るわ猿が出るわの大騒ぎ……否、別に動物群像劇ではないけれど笑 突然の欠員に対する原稿・演出の変更にもバッチリ応え(そして近藤先生がその時弾いていたのは確実に歌曲の伴奏流用ではない!)、最初から最後まで、ミュージカル仕切っていました。もっとも、若干オペラぽかったっていうのはまぁいいかしら……笑 インタミも、衝撃から、休んだ気がしない笑
元々田島先生指導でむかしミュージカルをやったこともあったようです。この方、中部混のボイストレーナーでもあるわけですが、この先生の発声指導は、こういうところで全開に作用するようです。言ってみれば、独唱に限りなく近い声づくりをしているので、しっかり歌えれば独唱においてもこれ以上強いことはないわけです。歌についてはもう、多少ピッチがおかしいなと思う部分があってもそれは、ホルンをピッチ通りに吹くのが難しいようなものです。どのソロも十分歌いきっていました。個人的には、アースラを特に評価、歌と役作りがアホみたいに噛み合ってて気持ちよかったです笑
劇についても、セリフの声もよく張ってて、抑揚をつけようと努力している様子は、すごく伝わってきました。ただ一方で、いろんな団のアトラクでよく見る現象ですが、やっぱり固い。そりゃまぁ、(「それでも」)この団もご多分に漏れず合唱団なのですが、人によっては、独唱しているときの腕の動きが迷っていたり、セリフがただ声を張っているだけで会話に聞こえなかったりする。特にこの団の真面目さは、実直に歌う合唱そのものにも顕れていて、その意味で、表現者として、どこまで柔軟に考え、自由な発想で表現をしようとすることが出来るか、言ってみれば、歌以外の部分から、表現の根本について色々観察出来る部分もあるような気がしています。なんかもう、合唱団に対しての指摘ではないような気がしますが笑
大道具・小道具については特に言及しません(出来ませんw)し、衣装も含め、むしろ大変よく出来ていました。素晴らしい。一方、直近の課題としては、独唱曲にQ出し以外の指揮がどこまで必要だったのかは大変気になります。非常に頑張って振ってくれていましたが、独唱は基本ピアノとのアンサンブルと考えれば、指揮者はプロンプタ的な役割に徹すれば十分なような気がしました。あと、原作見てないのでアレですが、伏線回収が非常に強引だったようには感じましたwアレはアレで面白かったですがw
あとそうそう、これはもう言ってもしゃあないことですが、このステージは熱田文小でやらないほうが良かった気がする。否何がって、緞帳の両端が光を遮断し切れないから、照明の色で次のステージの流れが予想できちゃうんだ!w

カーテンコール:主役陣アリア・ハイライト
花束贈呈などあった後、主役陣がそれぞれのアリアの一節を歌って自己紹介。どの子も本当に良く頑張りました。もう、ここまで来ると親心ってやつです笑 最後は皆で歌って、指揮者・ピアニストが礼しておしまい!

・ロビーコール
大友良英「あまちゃんオープニングテーマ」
ストーム、と呼ぶ団がないのも名古屋の特徴かしら。もっとも、これは全国見ても傾向がなさそうであれなのですが。
一斉を風靡した例の曲で〆!非常にまとまったいい演奏でした。声にもよくあってましたね。僕自身手が塞がっていたのもあったが、手拍子が観客の間でもおこらなかったのは残念。しかし、アレンジのバージョンが多すぎて、これがどの編曲なのかまったくアテが付かない! アカペラだった! 石若版か! 石若版なのか!?w

・まとめ

本当、すごかったの一言! 喩え発声が好みに合わなかろうと、アンサンブルに難ありと言ってみようと、このミュージカルの前には何も言うことできますまい。だって、そもそも、2ステはほとんど合唱してないし←
さて、上で述べたように、合唱団としてどこまで旨かったかと言われると微妙なところでもあります。確かに前よりはうまくなった。でも、正直アンサンブルはしていない。ただ一方で、確かにこの団は音楽をしている。合唱における価値基準がどこにあるか、というのが最大のポイントであるように思います。つまり、和声であったり、言葉(主に子音)であったりといった、私たち――少なくとも僕が普段気にする基準とは違うアプローチで音楽をしている。でも確かに、音楽をしている。その点、音楽というのは定性的なものというか、一つで語り切ることの出来るものではないのだなぁと思わされました。
さらに言えば、この演奏会は中部混にとっても一大転換点となりました。これから先もこの方針を持続してくかどうかはわかりません。実際、人数だけでものを測れば、この規模であったとしても全国で金賞取れる程です。その中で、このミュージカルを今年は選択し、新しい領域をみせてくれた。来年以降どうなるかはわかりませんが、まずこの演奏会があったという事実そのものが、誇られるべき事実のように思います。学生団ですもの。自分たちのために歌ったっていいじゃない。それも、それだって、ちゃんとどのステージも堪能することが出来た。それだけで十分。いいステージでした!

2015年2月8日日曜日

【武庫川女子大学附属中学校・高等学校コーラス部第11回音楽会】

2015年2月8日(日) 於 武庫川女子大学公江記念講堂

なんだよ、周りはKGKGってよぉ……

いや、自分でチケット取ってなかっただけなんですが(ちなみに今年も安定の前売り売り切れだった模様)、どうしようかなぁと思っていたところに、先週の大久保混声とよどこんのビラ込みで発見した、武庫女の演奏会に行ってきました。いやぁ、しかし、関学グリーと武庫女中高って、完全に全国クラスの2つの団の演奏会がドン被りって、団の数からして被りの数が凄まじいことになっている関西の演奏会をしても中々聞き手泣かせな被り方ですわ……笑
さて、別に今日は音楽会のために開かれているとはいえ、そこはお嬢様校で名を馳せる女子校の門。ホールが入ってすぐ近くにあるから良かったものの、もしなかったら、守衛さんに挨拶しに行く気満々でしたわ……逆に怪しまれたかしら笑
阪神武庫川駅と阪神鳴尾駅の間に位置する大学構内ホール。鳴尾駅が最寄なのですが、武庫川駅が急行停車駅なので、そちらからアクセスしても効率がいいという立地にあります。行きは武庫川駅で降り、帰りは鳴尾駅から乗りました。ちなみに、武庫川駅は川の上にある駅として割合有名な駅ですね。兵庫医科大学の最寄はこちらです。ちなみに、鳴尾駅周辺は高架化工事中。工事も佳境なのか、大絶賛工事中な感じでした。しかし、他県民からしたら、早々に球団を手放した阪急よりも今も球団を持っている阪神のほうが路線網の規模が小さいというのが意外性高すぎてですね……そこんところ、軌道線を手放したのが影響しているのかしら、それとも、阪急が京阪から京都線を強奪した影響なのかしら

・ホールについて
……広っ! 最初は札止めなんてのがあるんじゃないかと怖がってましたが、そんな心配はなかった。それどころか、何この広さ!
この日は3〜5階席(!)が都合締切だったのですが、それでも、その幅の広さから、1階、それと地続きの2階席だけでもいっぱしのホールの集客力は十分あるホールです。名古屋・金山の市民会館顔負け。ってか負けてるんと違うか← うーん、さすが武庫女。いくら大学付きホールとはいえ、この広さは眼を見張るものがある。ちなみに、4~5階は2、3階席よりも更に奥に寄っている……と思ったら、写真見る限りではどこにあるかすらわからず。でも案内図にはちゃんと書いてある。つまるところ、3、4、5階席はあわせて1層ということなのでした。しかし、それにしてもこの広さ、ちょっとすさまじいぞこれ。あと緞帳が美しい。非常に美しい。ついでにいうと、ベルの音が予ベルと本ベル違う音を採用していたのですが、どっちも可愛らしい音でした。
ただ音としては、正直響きにはあまり優秀でない印象。例のザ・市民ホールの話を彷彿とさせる、あまり飛んでこないステージ。もちろん多目的ホールなので、残響時間もそんなにあるわけではなく。音そのものは変な響き方はせず素直な音なので、ちょっと残念かなぁ。あと、暗転すると客席が完全に真っ暗になって、レビュー用のメモ書くのはおろか、パンフレットすら見えなくて非常に大変でした笑
3階席には、書道によるバナーがステージに向かって取り付けられていました。「さくら」(森山直太朗)の一節ですね。「桜さくらいざ舞い上がれ!/さらば友よ 旅立ちの時」
公式でDVD撮影が行われており、一般の撮影はもちろん禁止。しかし、中1の保護者に限り許可・腕章着用の上でビデオ撮影が認められていたようです。そう、岡高や桜花、金城もそうでしたが、中高コーラス部の演奏会って、どんなに優秀とされる学校の演奏会でも、部の一年の締めくくり行事でもありますからね。

・第0ステージ
「校歌」
もうこの演奏会は、このオープニングですべての方向性が決められていたといっても過言ではない、その実力を見せるに有り余るほどの素晴らしいユニゾン。「ユニゾン上手い団は上手い団法則」の極致をいく絶品のユニゾンでした。卑近な話ですが、昔、うちの祖母が「ウィーン・フィルは他のオケと違って音がひとつに聞こえる」と言っていたのを思い出します。クラシックファンの方ならなんとなく共感される方が多いでしょうが、何か、今日になってようやく、その意味の真価を思い知らされたような印象です。そこから展開されるハモりも、まるでmidiのようにバチバチ音をはめながら、それでいて、歌詩の表現にも十分力が入っている好演でした。

司会は、武庫女高校放送部の子。恐らく放送部のアナウンサーの中でも非常に上位に位置する素晴らしい読みだったと思いますが、音程の独特のくどくどしさが、やや学生アナウンサー風情を出していたのが残念。あと、若干プロミネンスに違和感のある箇所も。とはいえ、かなりいっぱいお客さん入ってたもんなぁ。緊張するよなぁ、そりゃ。しかも影ではなくオモテに出て司会だもの。
「中学生らしい合唱を〜」というアナウンスの後に、いかにも中学生らしくないジェンジェシが来るというのは、もう様式美みたいなもんですね笑 24年連続全国の中学、そして今年の全日本では金賞を取った高校。うひゃあ。

第1ステージ
平成26年度のコンクール演奏曲
・中学コーラス
Levente Gyöngyösi“Confitemini Domino”
José Antonio Garsía(arr. Jonas Tamulionis)“RAPATA PA”
・高校コーラス
横山潤子「共演者」(小林香)〈NHK全国学校音楽コンクール課題曲〉
寺嶋陸也「めぐってくる五月には」(長瀬清子)〈全日本合唱コンクール課題曲・F3〉
指揮:岡本尚子
ピアノ:多田秀子

これが、全国か。これが、関西の誇る女声合唱の輝きか。
もう、とにかく絶品でした。最初のジェンジェシで、思わず絶句、そしてその後思わず笑ってしまうほどの圧巻のサウンド。響かないホールをものともせず、自在に自分たちの持てるダイナミック・レンジと子音と言葉の引っ掛かりを残しながら音を届けていく。中学生による無理なソプラノというわけでもなく、しかしとてつもなく明るいところにその響きを持つ合唱。ただただ美しく、その美しさにただ感嘆していたいステージでした。高校においては、しっかりとした音を鳴らしながら、かつその上澄みをとっているかのようなサウンド。この「共演者」は心の底から、宝物だと思います。
そりゃもちろん、どの曲よりもリハーサル回数の多い曲達です。間違いなく、完ぺきな音と言うに足る演奏でした。細かいところまで十分に詰められていて、隙がないのに、ちゃんと言葉も音も飛んでくる。技術点と精神面を併せ持ったその演奏、こりゃ、全国大会の審査表の順位がバラけて、まるで印象論で採点しているように見えてしまうのもわかるってもんです。その中でも、Nコンをテレビで見ていても、ずっとその素晴らしい音を鳴らしていると感嘆していた武庫女サウンド。この音を評価していたのは間違いではなかったように思います。涙腺は強く、どんな演奏でも大体泣いたりはしないはずなのですが、決壊まであと少しというところまで来ていました。危ない危ない。

第2ステージ
MIRACLE STAGE

……何がMIRACLEだったのかは、終演後もよくわかっていませんが(マテ)、要するに企画ステージです笑 中学生、高校生、そして合同と続きます。さながら、出来のいい文化祭のようなステージ笑

・中学コーラス
「ハナミズキ」
「風になる」

「ハナミズキ」は手話、「風になる」は踊り付き。向かって右が猫のバロン、左が女子高生のハル、というのを何回か強調されていましたので、こちらにも明記笑 10組くらいが前に出てメインのダンスを踏んでいました。心なしか、「ハナミズキ」の手話版ってよく見る取り合わせの一つのように思います。指揮がない分、フレーズの終わりがやや雑になっていたように思います。しかし他方で、中学における信じられないくらいのピッチの高さというのを十分堪能できたように思います。これに対して、低声の作り方が少し低めに寄っていたような……?否、これはもしかしたら、ソプラノのピッチがあまりにも明るすぎてそう見えてしまうだけなのかも。とにかく、それくらいピッチが高いんです。凄い。
最後には、「HAPPINESS」と書かれ飾り付けられた白幕を掲げおしまい。この幕、すごくキレイでした。

・高校コーラス「HEART BEAT」
「Don’t stop believing」
「I’m in the mood for dancing」
「Seasons Of Love」
「You can’t stop the beat」
「High School Musical」

海外ドラマの曲から、ダンス付きで。女子高生って、結構な確率で海外ドラマにハマってますよね。そんなことない?笑 個人的にも「You can’t stop the beat」はすごく印象深い曲。高校3年生の時、文化祭のクラス劇で「ブルース・オールマイティ」やったんですが、そのときのエンディングダンスで採用されていたのがこの曲でした。音響を一手に担っていたこともあり、僕が選曲したわけでもないはずなのに、サウンドトラック作る時に自然とかなり聴きこんでいました……笑 あと、「Seasons Of Love」は大学時代にロビーコールでやったことがあります。もちろん、アレンジは全く違う出処ですけれども……笑
動きのキレがすごかったです。なんていうの、こう、並の学校(大学含む)がとりあえず振りつけてみました〜みたいな感じではなく、全編にわたって完ぺきにキレのあるダンスを披露。とにかくステージとしては、そんな感じで明るく進行していましたので、こう、実は英語がカタカナだったんじゃないかとか、ややフレーズが短かったんじゃないかとか、そういったところはいい感じにオブラートに包まれていたんじゃないですかね←

・中高合同「ディズニーメドレー」
「ミッキーマウスマーチ」
「ジッパ・ディー・ドゥーダ」
「ホール・ニュー・ワールド」
「アンダー・ザ・シー」
「レット・イット・ゴー 〜ありのままで〜」

ミッキーマウスマーチ、割とお馴染みなジャズ系編曲、そして高校主導の振り付きで始まったわけですが、とたんに会場がざわつく。なんと、裏に引っ込んでいるはずの岡本先生が何やら<censored>な大きな黒耳と<censored>な大きな白い手袋を付けてステージから出てくるではないか……!しかもそのままステージのセンターを陣取り、華麗なダンスを披露する!先生、明るい人やなぁ笑
そして、作品としてはディズニーにしては珍しく発禁扱い、しかし曲は非常に有名な「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」。実は何作品か存在する版権切れの作品で、ディズニーにしてインターネット上にすら映画の動画が我が物顔でのさばる稀有な作品なんですが、どうも、その作品を見たのか、非常に原作に忠実な振付でした。ただ、あのおじいさんは残念ながら出てこなかったのだけれども……笑
「ホール・ニュー・ワールド」、客席からジャスミンとアラジン役の二人が登場して、ダンスを披露。そして、高校合唱界では安積黎明でお馴染みな(とんでもない印象論←)、ミラーボール先生堂々のご出演。
そして「アンダー・ザ・シー」、「レット・イット・ゴー」。5曲目のエルサ役の女の子の足さばきを見てようやく合点がいったのですが、もしやメインのダンスを張っている子達には、習っていたか何かで、バレエの素養があるのではなかろうか。いずれも、プロ顔負けの素晴らしいダンスを披露してくれました。……演奏は?いや、そりゃ、文句ありませんし笑
最後には上階席からバルーンサービス。もしやこのための上階席閉鎖だったのか。

そして暗転ののち、ミッキー◯ウス……じゃなかった、岡本先生の高校3年生へ向けた手紙の朗読。一応プログラム上は2ステなのですが、空気一転、しんみりした空気に。先生、手紙の読み始めから涙で詰まる。中高あわせて6年間の活動を追いかけていく内、客席からもすすり泣く声が。そして、その手紙への答辞と、客席へ移った岡本先生への感謝の合唱。

・高校3年生単独演奏
中島みゆき「糸」

先生がよく言っていた言葉から着想を得ての選曲とのこと。合唱は上手側へ整列し、岡本先生へ正対するように。下手側には、6年間のスライドが投影されました。
こんな素晴らしい合唱をする子たちでも、すべからくビギナーの時代があって、そのビギナーをイチから育てた先生と、それに応え続けてきた三年生。特に今年は、高校全日本全国金賞という快挙を成し遂げました。「第二の娘のよう」という先生のその言葉に、嘘はございますまい。
「糸」。この曲、元々は確か淀工が合唱で採用したのがきっかけと伺っていますが、全国の同声合唱を中心に、着実に、その輪を広げつつある、今や人気レパートリーの一つです。いつの日か、この曲も、これから定番を張っていくようになるのでしょうか。

インタミ20分
高校2年生によるロビーストームがありました。
〈曲目〉……なんだったかな、確かゆずの曲だったはずなんだ←
電子ピアノ持ち込みでした。ちょっとロビーが狭かったので、いっそ、ステージストームにしてしまってもよかったような気がする。しかし、演奏の終わった高校3年生の子たち(コサージュ付き)の晴れやかな顔!ほか、親と出演中の子たちの交流のある、なんとも心温まるインタミのロビーでした。
そして、ここで何故か、父母会と思しき方々が「サイリウム」(正式名称はこうではないらしいけど、要はサイリウムみたいな光を出す細い棒)を配っているのを目撃……何だ?と思いつつ、再び着席。

3ステはじまりのアナウンスは、「女声合唱とピアノのための百年後」をひとつの単語として処理してしまっていたこと、三曲読み上げるときの並列の関係が、真ん中が落ちているなど、合唱を読む上での典型的なミスが見られたのが残念。否、慣れていないだろうし、しょうがないのはわかってます笑 とはいえ、結構多いんですよ、特に慣れていないアナウンサーだと、どんなにうまい人でも、合唱の組曲の読み方は音程をミスするんです。
演奏の前に、信長先生インタビュー。「武庫女の明るい音を活かせる詩を探そうと思っていた。高校時代に出会ってほしい詩、歴史をテーマとしようとも。そこで、友人からこの詩が贈られてきて、ビビっときた。1曲目は神である光と、自分との交流をうたい、2曲目は、亡くなる直前、それでも歌を求めるタゴールの姿を描く。3曲目は、100年後の人たちへの曲で、まさに詩の内容そのものの曲になっている。3曲まとめて演奏されるのは、今日が初めて。盛岡にも聴きに行って感動した。今日もう1度聞けるのはほんとうに楽しみ。」
ちなみに、「百年後」という詩は、1896年に書かれた曲。その100年後にあたる1996年は、今の高校3年生が生まれた年とのこと。なんとも素敵な因果に導かれた全曲初演となりました。
第3ステージのはじまりに、誰よりもいち早く拍手されていたのは、何を隠そう、信長先生でした。本当に楽しみだったんですね。わかります、その気持。

第3ステージ
・中高合同
信長貴富・女声合唱とピアノのための『百年後』―タゴールの三つの詩―(ラビンドラナート・タゴール、森本達雄訳)〈組曲初演〉
「光よ」
「歌のない夜明けの歌」〈初演〉
「百年後」

曲解説は、自分のツイートが奇跡的に綺麗にまとめてましたので、そちらから。「自然からモティーフを得たというタゴールの擬態語に乗せながら音楽をミニマルに進行させつつ、かつ確固としたメッセージを持つサウンドを展開させる。同名詩による終曲の和音、そして、クレッシェンドにより、時は百年をも遡る。」1曲目は「Nコン on the Web」で誰でも聞けるとして、初演の2曲目に軽く補足。2曲目は、メモいわく「ピークを複数点持つメロディのモチーフと、「さらさら」「さわさわ」と行った言葉の舞うモチーフ、そしてピアノのアルペジオやトリルが通底している、壮大さの中に寂寥、達観のような思いの滲む曲。」……駄目だ、よくわからないぞ……?笑 組曲全体を通して、信長先生の最近の潮流ともいえるサウンドスケープ的音響空間を、実像・あるいは心象を活写するように展開させて、それでいて強いメッセージ性を持つタゴールの詩をメロディのままに載せていく、2面性をもつ音楽が同時進行している作品です。美しい、という言葉がよく似合います。ぜひ、アクセスの容易い1曲目聞いてみてください。
もう、演奏は、文句なしなんですよね。ただ、こちらも、コンクールに乗せている曲なので、全く何の心配もせずに聞いていたら、とうとう、演奏に関するメモがない。つまるところ、自分では書くことがないくらいに美しい笑 そんな人間がこんなブログ書いてていいのかと自分で突っ込みたくなるくらいなんですが、いやそれにしても、この団の、詩を伝えつつ音楽でも世界観を伝えるそのサウンドを、信長先生はよく捉えて似合う曲書かれましたし、団員も、やや難解なその曲をよく咀嚼しました。特にめくるめく世界観を一つ一つ伝えていく「百年後」の主旋律はお見事、その一言。最後のクレッシェンドに聞いた倍音と、「百年をも遡る」その言葉、決して嘘ではない、心の底から出た言葉にほかなりません。

引き続き合同演奏。現役部員が合計約130名(には見えないくらいにホールも広い!)、それにくわえて乗るOGがなんと約50人!じつに180人の女声合唱。そして壮大な女声合唱に映える信長貴富の曲と言ったら、やはりこれしかないでしょう。信長先生ステージで曰く「僕の中でも大切な曲になってきている。年を追うごとに様々な場所で歌って頂いているが、震災後は特によく歌われている。それぞれに歌っていただくことによって、自身にとってもその曲の意味を深めて頂いているように感じる。昨今の情勢を鑑みるに「言葉を持て」「歌を持て」という言葉に、特に深い含意を感じる。」

・現役OG合同
信長貴富「くちびるに歌を」(ツェーザー・フライシュレン、信長貴富訳)

団としても様々な場所で歌っているそうで。稲盛和夫氏にお呼ばれした時とか、マレーシア公演で歌ったりしているそうです。……って、マレーシア公演!?
感想ですが、ふとメモに残した、この言葉に尽きる。「決して楽器の数の多い団ではないが、一つの楽器をつきつめて、最高の音を鳴らす団である。」ほんとうに素晴らしい「くちびるに歌を」を聴かせていただきました。こんな素晴らしい音が当たり前にある環境というのが、つくづく、羨ましいものです。

・アンコール
「校歌」
……をバックに部長さんあいさつ。万感の思いを胸に、先生よりも気丈に(!?)堂々と挨拶を読みきっていました。立派。

「母におくる歌」
卒業生を前へ並べて。この曲の途中、青いサイリウムが光りだし、段々その光が客席を満たしていきました。なるほど、配っていたのはこれだったか……!足元に落ちていたサイリウム、くすねて来れば良かった……!(マテ
高校3年生達、さすがに、せき止めていたものが止まらなくなったようですが、それでも、しっかりとした音を届けてくれました。やっぱり、曲が曲だけに、観客席の涙も誘う。こっちももらい泣きしそうやないですか……。

「川の流れのように」
先ほどにもまして青く光る観客席。はちきれんばかりの笑顔で歌う団員たち。その音楽のまま、2番サビの途中で先生は歌い手を残して退場、そして曲の終わりに、緞帳下がり、閉幕となったのでした。

・屋外ストーム
「愛をこめて花束を」

なるほど、ロビーが小さいという問題は、自校法人の敷地だというのをフル活用して解決か← しかし、大通り近くさすがに聞こえづらいところ、それでもちゃんと演奏を届けてくる当たり、素晴らしいもんです。
ところで、「3月9日」が歌われていたっていう情報があったのですが、ここですかね?アンケート書いていたので、ちょっとホールから出るのが遅れていました。いやはや、なんとも面目ないです。

・まとめ
否ほんと、素晴らしかった!ずっとテレビで見ていて、武庫女の演奏いいなぁと思い続けていたのですが、今日を以て武庫女サウンドのファンと言って憚らない方向で行こうと思います笑 それくらい素晴らしかった。
いつもこのブログ書いてる時に書いてあるエラソーなお小言の数々って、何か無理やり捻り出してるってものが少なくて、むしろ自然に出てきたものをノートに書き留めておいた、っていうものが多いんですね。だから、結構自然にブログ記事って出来上がるんです。演奏会終わったら、大体ブログが出来上がってて、あとはそれを書くだけっていう。
でも、今回は、非常に悩みました。何に悩んだかって、演奏会終わっても、「よかった!」っていう印象しかなかったから。これは否、レビューしたくないっていうことじゃなくて、すごく良かったってことを伝えたいんだけど、ただただ演奏会に感動したっていう、その一言に尽きるからでした。それくらいに、演奏会としても、そして演奏としても完成されていた。
あえて一言、素晴らしい演奏のためにことばを尽くすなら、この団は、表現をするということのために全力を尽くしていたように思います。歌詩の読み込み、そしてその表現というひとつをとっても、歌詩をことばとして伝える事以外にも、歌詩をもとに作曲されたところの表現とか、或いは歌詩の強勢点とメロディとの連関とか、そういったところを、知ってか知らずか、自然に表現仕切っている。何かと表現というと、とかくディナーミクといってみたり、とかく歌詩を読んでみようといってみたり、と、それぞれの営為が結びつかないことが多いのですが、この団は、あまりにも多い情報処理をして、その表現すべきことを完全に表現しきっていた。まさに、聞きたかった音そのもの! これからも、最高の武庫女サウンドを届けてくれることを楽しみにしています。さながら、甲子園応援メッセージに他県の無関係な人の応援メッセージが届いている、その心がよくわかったような気がします笑

2015年2月1日日曜日

【大久保混声合唱団 淀川混声合唱団 ジョイントコンサート 大阪公演】

2015年2月1日(日) 於 いたみホール

チャリで行った。

さて、チラシ挟み込みを含め、2週連続での「出勤」でした。
本日は伊東先生関連の演奏会、それも弊団団員もオンステしているとあり、弊団団員も聞きに来ていたわけですが、わたべが弊団のチラシ込みをしているとは認知されていなかった模様笑 別の団(そんなのないけど←)のチラシ込みだと思われていた模様ですw
ともあれ、めげずに演奏会です。なにせ、全国クラスの団が2つも揃ってる演奏会ですからね。兵庫アンコン(宝塚ベガホール)と若干食い合ったようですが、注目の演奏会のひとつです。実際注目されすぎて、「紡」さんはチラシを、言われていた数の2倍超持って来ていました
上の事情から、珍しくぼっちではなかったので、今日はメモが取りづらかったです笑 とはいえ、バッカスもぼっちじゃなかったけど 9,000字近く書いてたし、これ行けるんちゃう……?(最近実は御託含め字数がインフレしているという噂)

・演奏会について
幹事はよどこん。タイトルのごとく、東京でもあったジョイントコンサートの関西公演です。ちなみに、一般ジョイントのタグが付くのは、このジョイントで2つめ。意外。
大久保混声合唱団淀川混声合唱団も、もはや説明の必要のないくらいにその名前が知られた合唱団です。どちらも豊かなコンクール受賞経験をもち、今もその実力を全国に知らしめている合唱団です。大久保混声合唱団は創立50年を超える団。辻正行先生のもとで活動をはじめ、今は田中豊輝先生が指揮をしています。コンクールの他、高田三郎先生作品のレコーディングでも著名です。ちなみに、ホンモノのアイドルが在団中。淀川混声合唱団は、大久保混声と比べたらまだ若い団。30年ほどの歴史の中で、伊東恵司先生指揮のもとで、「コーラスめっせ」を主催するなど、関西における精力的な活動が光ります。
わたべが所属している団の関係もあり、よどこんについては色々わかるところが多いものの、大久保混声が関西・名古屋で聞けるのは稀。貴重な機会です。

・ホールについて
2週連続の人もいれば、なんと、2日連続の人もいた模様。罪づくりなホールです笑 4回目。多分この2年間でこのホールに行っている回数が一番多い。
別にこのブログのためというわけでもなく、何か新しいことを見つけたいなと思って普段からホールとその周辺を観察するのですが、今回は商店街について。
1週間前のポストで、震災関係のお話はしましたが、その駅から今や少し南側に位置する伊丹のメイン商店街が、シャッター商店街まっしぐらなのが大変気になりました。話によると、どうも、JR伊丹駅側にイオンがあるのが影響しているようです。人の動線が変わった様子。商店街の中にも新し目のマンションなどもあり、駅から近くてそこそこ便利なのですが、商店街の中だけでなく阪急駅前にも震災後に出来た(多分)関西スーパーが食い合っているのもあるのでしょうか。商店街には、昔から残っている八百屋や肉屋、花屋などが数件、魚屋に関してはぱっと見では見当たりませんでした。時代の流れと言えばそれまでなのかもしれませんし、そもそも1995年(阪神大震災)・2005年(JR福知山線脱線事故)でそれぞれ動線が大きく変わっている都市なので、一概には言い切れませんけれども、なんともやるせない。
段々と空きテナントをチェーン店が埋める中、お昼は「カレー屋SPICE工房」店舗でカレー。プレーンカレーでしたし、若干満腹感も残っていたため少し食べきるのが辛いかなと思いましたが、付け合せで出ていた玉ねぎのピクルスが美味しかった。伊丹駅周辺の、おだやかな昼のひととき。
そういえば今はスタバでMacドヤしながら(りんご部分には「モヤモヤさまぁ~ず2」のシールが貼ってある)書いているのですが、チラシ込み前にはミスタードーナツでカフェオレおかわりしながら合計3杯。すべて砂糖入り。今飲んでいるのが、わたべ無敵の召喚呪文「アイスダブルトールホワイトモカ」。これで合計1リットルくらいオレやらモカやら飲んでることになるのか……(滝汗

今日の演奏会、アナウンサーがいませんでした。経験上、5分前アナウンスとインタミ入りアナウンス、終演案内は入れることがほとんどなので、割と不思議な感覚でした。
伊東先生、指揮者としてステージに登場するときは、前説でも全く見ないのにパンフレットをステージに持参。譜面台に、表紙をオモテにして載せて一礼。まるで演奏会全体の絵巻の始まりのように、アピールし続ける今日のパンフレットの青表紙。うーん、力入ってるなぁ笑

第1ステージ:淀川混声合唱団
松下耕・無伴奏混声合唱のための『うたおり』(みなづきみのり)より
「尾花」
「薔薇」
「戦場」
「夕餉」
指揮:伊東恵司

混声版出てたのかよ!金城の感動して女声譜買っちまってるじゃねぇか!← 「夕餉」がたまんなく好きなので、そこんところたまんないくらいにアピールしておこうと思います。
さすがの実力というべきか、1曲目では少し声が乗っていなかったような気がしますが、「薔薇」の目の覚めるような tutti からは、圧巻のサウンドを見せてくれました。もう、毎年ここで演奏されてますからね。慣れてるってもんでしょう笑 本当に、「薔薇」の出来は良かったと思います。よどこんって、なんとなく、薄めに音をあわせて縦に揃えたときのボリュームで聴かせる印象が音源からも強かったんですが、そんなことはなかった。きっと、それは過去の話であるか、池田アゼリアとの相性が悪かっただけだ(でも確かこのレビューではべた褒めしたた気がする←)
もちろん、縦も良く揃っている。なって欲しいところでバッチリ倍音が響く。この響き。関西の合唱聴いているなぁという感じがすごくする。いい意味で。さすが、関西の混声合唱界で頂点を争うだけはあります。
ただ一点、どうしても気になるのは歌詩。もちろん並の団よりは全く素晴らしいんですが、どうしても、平板に聞こえてしまう。特に、「夕餉」におえる「あなたがいて」の「あ」がちゃんと飛んでこなかったのは致命的。また、歌詩が飛んでこないことは旋律にもよく顕れています。こういう日本語によるメロディがしっかりした曲だと、ちゃんと日本語の音程(文頭から文尾に向けて音が下がり、卓立する点では音量を上げるか音程を上げる、高低アクセント)にあわせて作曲されています。すると、暗黙の了解で、それに合わせて強弱をつけるように決められています。楽曲理論上も似たようなことが言えて、超大雑把に言えば、2小説ごとにクレシェンドとデクレシェンドの波が来る。それが、どうにも弱いような、テキストがテキストとして飛んでこないのがとても気になりました。よく言えば特徴、悪く言えば弱点――考えていくべき点のような気がします。

第2ステージ:大久保混声合唱団
千原英喜・混声合唱のための『ラプソディー・イン・チカマツ』[近松門左衛門狂想]
指揮:田中豊輝

もうワックワクしてましたが、関西と関東の違いかくたるや、というのを、まざまざと感じることの出来る演奏でした。何が違うって、音楽の作り方が違う。なんとなしに、感じてるだけなんですけどね。
言葉を聞かせようとする努力が素晴らしい演奏でした。よどこんと対称的に、例えば男声特にテナーが人数制約もあって音が薄かったり、極端には、これは本当にハモってるのか?とすら少し思われるような部分があったりもしましたが、逆に、表現力という意味においては、圧倒的な実力を見せつけてくれました。指揮の僅かな振りにバッチリ音が反応するその機動性、まさに、表現的な意味で音楽をしようとする姿勢がすごく伝わってくる演奏です。顔にも、表現に対する気迫が伝わってきます。とはいえいろんな顔があるので、別に顔を何か指示しているわけではないのでしょう。
文字通り、歌っている。久々に、「上手な歌」を聴くことの出来たような気分です。そして何より、この曲の最大の特徴である、掛け声が最高に素晴らしい! なにか鈴の頭の部分が吹っ飛ぶアクシデントもありましたが、その直後の「キエエエエエエエエエエエッ!」の一声がすべて持ち去っていくそのインパクト! 一つの戯作、あるいは物語をお腹いっぱい見せてもらうことができました。

インタミ10分。10分とわかったのは、この時だけアナウンスがあったから。アナウンスはその場で緊急に入ったような印象。実はこのホール、時計は大きいものの、多くのホールで時計の下にあるような休憩時間表示場所がないんですね。今日のインタミは、プログラムが軽めだったこともあり、まぁまぁ納得の長さです。
あ、念のため言うと、インタミ=休憩、って意味ですからね。Intermission の略語です。この英語自体は、なんてことなしに、名フィルも使っている普通の言葉です。どうも僕の周りの合唱界隈では、名古屋だとまったく馴染みなく、関東や関西の文化に一度でも染まったことがあると、何故か自然に馴染んでいる様子。一体何が原因かは不明。

第3ステージ:淀川混声合唱団
アラカルトステージ「世界の愛の歌」
Héctor Steamponi“El Último Café”(Cátulo Castillo)
インドネシア民謡(arr. Ivan Yohan)“Soleram”
南アフリカ民謡(arr. Rudolf de Beer)“Fiela”
アメリカ民謡(arr. James Erb)“Shenandoah”

淀川混声合唱団の名ピッチャー(ピッチパイプ吹く人)・北川昇先生のカホン演奏に楽しく始まったこのステージ。世界の愛の歌から4曲。南米アルゼンチン、インドネシア、南アフリカ・ツワナ、アメリカ・ヴァージニアと世界を周ります。あえて言いましょう。ヨーロッパが欲しかった、と笑
1曲目はフリオ・オーサの歌で人気になったというタンゴ。楽しく歌う割に失恋ソングという取り合わせ。Soleram は踊りの音楽が子守唄に変化した曲。Fiela はテンペストも取り上げた曲に打楽器アレンジを加えてより盛大に、結婚式を囃子の音楽で祝福。Shenandoah は有名な曲でしょうか、舟歌が発端の曲です。「愛」をテーマに4曲ということで、このタイトル、弊団演奏会でも見たような、との声が笑
演奏面で気になるのはやはり言葉の問題。確かに中には日本人にはサッパリ伝わらない言葉もあるのは致し方ないとして、やはりその国の言葉の強勢や子音が作り出すリズムを守って曲が書かれていることを考えると、極端な話、もっと子音をたてるだけで音楽が締まるような気がします。言葉のとっかかりがないためか、非常にあっさり終わった印象。前半が軽くインタミも短かったためか、ここまでの演奏会、本当に風のようにあっという間に過ぎ去っている印象が強いです。とてもキレイで美しい音が聞けていただけに、ちょっと残念。もっと堪能したいです。
ところで、この演奏に限った話でもないですが、日本人が英語で‘/l/’と‘/r/’を発音し分けることは永遠に不可能なのでしょうか……特に‘/r/’で、日本人的なサウンドが出てくるのはご法度です。口蓋に舌をつけないのが正しいんですって。つまり、「ラ」行のイメージそのものを‘/r/’から捨てなければならないということ。……道程は長そうだ笑

伊東先生と田中先生、さらにゲストで土田豊貴先生が出てきて前説。演奏前だからか、田中先生が饒舌にその場を取り仕切ります。まるで誰が関西人なのかわかったものではありません笑
田中先生「土田先生を初めて見られた方は必ずこういうでしょう――背が高い、と」。はい、確かに、背、高っ、とつぶやいておりました笑 みなづきみのり先生が、自分の書いた詩で演奏することへの感想をきかれて「素直に嬉しい」と答え、さらに、土田豊貴先生のパンフレット解説が難しい(技術論について割合細かく書かれており、必見)だとか、最近5曲(「ひとり」「どうして?」「ゆうひがしずむ」「始まりと終わり」「ふたたび、さよなら」)の組曲は珍しいのではないかとか、そんな話が繰り広げられました。全14連作からなる詩から織りなされる物語、そこから抜粋して5曲にまとめあげたものです。
ちなみに、伊東先生が東京で振ったということで、田中先生が指揮。伊東先生は合唱団へ……何故かベース!?(伊東先生はセカンドテナーが本拠)

第4ステージ:合同演奏
土田豊貴・混声合唱とピアノのための『さびしい魚のおはなし』(みなづきみのり)〈共同委嘱・関西初演〉
指揮:田中豊輝
ピアノ:川井敬子

読んで字の如く、さびしい魚のおはなし。考えに考えを重ねた魚が、別れを通してさびしいという感情に気づき、それを考えて、考えに考えを重ねていたところに様々なことが氷解、ついに別れたはずの伴侶との逢瀬、しずかな月夜へ帰結していきます。
メロディに、そしてハーモニーに美しい、聞いている側は本当に感動できるのに、総合力の求められる曲。でも、そう、感動できたんです。すごくいい曲。特に、3番「ゆうひがしずむ」が、5番「ふたたび、さよなら」が、大好き。3番はアカペラですが、解説のごとく、とても秀逸な和声進行で、やさしく壮大に歌い上げ、5番では、2匹の、2匹っきりの、それでもとても壮大で甘美な愛の物語を堂々と歌い上げ、月夜への帰結へ向けて音楽は再び静まります。全体的に、歌詩の強勢とハーモニーの厚みが重なっているため、とても言葉が飛んでくる一方、とても構築的なつくりをしているため、音の鳴り方も超一級のサウンドです。
そして何より、ハーモニーと言葉、それぞれ違う強みをもった合唱団がひとつに重なり、完ぺきなサウンドを響かせていました。ジョイントとは思えない音の響き、機動性、そしてあらゆる表現力。まさに比較優位、あるいは相乗効果。言葉をして語り尽くせないほど、音が雄弁に音楽を語っていました。言葉を飛ばし、かつ、ハーモニーをして世界観をしらしめる、聞きたかった音です。少々長い曲群ですが、それも全く飽きることがありません。静かに終わった曲に、静かに、しかし段々大きくなっていく拍手。その気持ちよさが、演奏の成功を物語るのでした。

・アンコール:合同演奏
よどこんのいついかなる曲でもピッチャーを務め上げ第4ステージはおろかこの曲までもソロを取り更に第3ステージでは打楽器系の演奏に参入しまくった今日最大の功労者「ここからはじまる」(みなづきみのり)
もはや、愛唱曲ですね。作曲家がソロを執るという貴重な瞬間を目にすることが出来ました。しかし、こうも上手い団だと、指揮者によって表現がガラッと代わりますね。割と4ステは言葉中心によっていたのかもしれないと思わされる、あっさりとしたアンコールの演奏。しかし、それが、よどこんにも在団する北川昇音楽の魅力を引き出すことにも繋がります。他方、「聞こえる〜」以降の壮大な音量は圧巻。本当、この部分大好きなんですよ!

そのままロビーコールはなく、終演。ロビーがさすがにそこまで広くはないですからね。ちなみに、団員歓談はありました。一応知り合いが若干名いましたが、なぜかコミュ障発揮してました←

・まとめ
とても良かった!間違いなく、形こそ違えど、日本トップクラスの演奏をするアマチュア合唱団の、音が良ければ最高の音を返すホールでの演奏だけあって、十分音楽に酔いしれることができました。何より、その主義の違いが、ジョイントにおいては素晴らしいマッチをみせ、最高の音を返していたのは、まさに僥倖であります。
他方、一つだけ。その最高の演奏を、もっともっと堪能したかった!つまり何が言いたいか、プログラムが短いッ!特に前半が聞き手にとって軽い曲だったこともあり、第3ステージでアラカルトがあるだけだと、むしろアラカルトが箸休めというより、完全に休憩の延長になってしまいました。料亭で(行ったことないけど←)先付が下げられさぁ椀物と思ったら色々すっ飛ばして向付が出てきたようなあっさり感。大久保混声にもう1ステージ持ってもらうなり、合同曲をもう1つ増やすなり、やれることはもう少しあったような気がしてなりません。とはいえ、この文句、何に立脚するかといえば、ひとえに、この演奏会がとても充実したものだったところによります。充実したあの和音、あの旋律、聴くことが出来て幸せでした。

・ところで
カラオケ行きたい。