おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2018年7月15日日曜日

【Joint Concert 2018〜祈り〜】

2018年7月15日(日)於 東リいたみホール 大ホール

なんていうかもうね、
プログラム書くだけで十分大変でしたわ笑
いやね、あるときからしばおうさんもプログラム書き直すのやめたって言ってましたけど、ぶっちゃけ気持ちはよく分かる笑(そういえば最近あまり更新されていませんね……)
とあるところで「関西のいぶし銀的ジョイントコンサート」について案内を受けたところの2件目。曰く、「いぶし銀かはともかく、プログラムが異常(意訳)」の由。なるほど、確かにこれは異常なプログラムだ。その……量的な意味でw
いぶし銀、ってことで、名前が全国に知られている程メジャーってわけでもないけど、しかし確実に実力を持っている団による演奏会。そういう意味では2週間前よりも趣旨に沿っているような気もしています。しかし、そんな中に、各団工夫を凝らした演奏会は、とある方曰く、演奏会では演奏しないかもなんて話になっている曲も団によってはあるとかないとか。大変だなぁ……。
でも、なんだか、この、なんでもかんでもやりたいこと詰め込んでみたって感じのジョイント、いかにも関西のジョイントって感じが好きです。各団演奏も合同演奏も、普通の演奏会くらいの分量、いやそりゃ、時間もかかりますって……このプログラムを見るためだけにでも、時間をかける価値がある。
ちなみになんですが、シェンヌの演奏会が今日あったってのは、つい先程知りました←
……アルティとの被りは知ってたんだけどなぁ……笑

・ホールについて

なんか見慣れない名前のホールだな……っていうのは、関西の知識について浦島太郎な自分だけ?笑 まぁ、要はいたみホールです(って書くと、なんだかサバサバしてるなぁ……笑)。ついにこの目で目撃してしまいましたよ、あの、憩いの場だったミスドが、いい部屋ネットに変わってしまっている現場を……え、もう古い?
高槻あたりではブルーシートがしっかりかかっていて、ああ、豪雨の影響かくありという感じで眺めておりましたが、伊丹のあたりは被害は少なかったのでしょうか。否、そんな、豪雨だったなんてこと、外様の人間だと忘れちゃうくらいに、もう、とにかく今日は暑かった。数字にも顕れていたみたいですが、中でも伊丹は、蔵の街を模すまちづくりの特性上、白色をふんだんに使って道路や建物を作っているんですね。それが、照り返しとなって余計にもう。
しかし、相変わらず良いホールです。共用ホールから大ホールホワイエに至る通路のトップライトのやさしい明かりと、その先に広がる(飲み会だって出来てしまう笑)開放的なホワイエ。ひとたびホールに入れば、コンパクトながら非常に天井の高い、音楽をやるにも何をするにも非常に使い勝手のいい空間。特に今日なんて大規模な合唱団に最後はなるから、その時の演奏効果もさることながら、白眉はやはり、前述の通り、「使い勝手の良さ」にあるんです。なにか。小規模の合唱団でも非常にいい音を返してくれる。もちろん、実力によるところもあるのですが、ちゃんとボリュームをしっかり返しつつ、さり気なく美しい残響についても、小さい合唱団が使っても申し分ない。そう、どういう環境にあっても、その団が求める音をしっかり返してくれる。そりゃ、コンクールに使うのも納得ってもんですよ。

予ベル後アナウンスの裏で団員入場。うん、多いですからね……とはいっても、別にサクサクと歩いている印象なので、何もそこまでしなくても、とも思わないでもない。最終的にちゃんと入場が終わって、3分弱ほど団員と客席でにらめっこ。ちょっと緊張しちゃいました笑
それ用のバトンはあるけれども、団旗はなし。実は5つもかけられなかったからとか? そんなことないか笑

・エール
大阪市立大学合唱団フリーデ
大阪府立大学混声合唱団EWA CHOR
大阪市立大学混声合唱団
大阪大学合唱団TEMPEST
関西大学混声合唱団ひびき

いやぁ、まずエールだけでお腹いっぱいになるっていうのも。これまた。順番に。
フリーデ……素直かつキレイな発声。ただ、特に高い音でもっと息を使って、あるいは息をちゃんと超えにしてあげると、よりしっかりと、充実した音が鳴ると思います。
EWA CHOR……優しく充実した響きのベースが印象的。他方で、テナーが歌い上げたときに浮いてしまうのが気になる。方向性はいいので、音質を他パートに寄せたいか。
市混……5団体の中で最小勢力。それにしたって、他と比べて遜色ない音量。最初の狭い和声での音作りはお見事。味わい深い音を作れているので、もう少しテンポを落としても良いかも。
TEMPEST……素直な音なのはいいが、それにしてもテナーがやや正直すぎたか。喉を鳴らしているように聞こえたのは、この曲にあっては流石に弱点となってしまったか。
ひびき……曲の所為もあろうが、勢いのままに歌いきったのが気持ちのいい演奏。輪郭がはっきりしていて、こと関大校歌にあっては好印象。
ひとまず、この5団体にわたるエールだけで15分経過していることを御報告申し上げます笑

第1ステージ・大阪市立大学合唱団フリーデ
鈴木憲夫・混声合唱組曲『未来への決意』(片岡輝)より
「歴史」
「人間」
「自己」
指揮:榎本和真
ピアノ:石毛明生

男声のブレザーの鮮やかな赤色が、何よりまず印象的です。……と思ったら、団が委嘱しているピアニスト(≠市大OB)まで赤ブレザー!指揮もピアノも赤色が鮮やかで、もうむしろ、見るに壮観といったところでした笑
内面的な事柄を壮大に歌い上げる同局にあって、段々広がっていく世界観をよく歌えていたように思います。1曲目の最初のハミングの入などは、非常に美しかった。ただ、例えば1曲目で歌詞が入ったあとは、いまいち情熱が足りなかったような気がする一方、2曲目は勢いに任せすぎてしまっていた印象も。3曲目はピッチがずれてしまい、斉一性に綻びが見られたのが残念なところ。
広がっている世界を広げたまま放置するのではなく、しっかり自分の目の届く範囲で管理した音が鳴らせると、より良いのではないかと思います。なにかっていえば、一番最初のハミングが思い起こされるのです。これがよかったから、もっとよくできる、と、直感的に思わされる。注意して、配慮した音を鳴らすと、こんなにキレイに鳴るんです。そして、最後の盛り上げ方も、50人程度の人数にして、しっかりと鳴らしに行くことができるんです。もっともっと、アンサンブルの隅々に渡るまで、注意を広げてみてほしいなと思います。
個人的に歌詞が嫌いとか置いといて爆、音楽的には、未来への可能性を感じる、感動できる音作りだったように思います。

第2ステージ・大阪府立大学混声合唱団EWA CHOR
千原英喜・混声合唱のための『方丈記』(鴨長明)
指揮:遠田隆人

こういうジョイントだと、やっぱり、団服気になりますよね。こちらは、グレージャケットに緑のネクタイ。女声も普通の白・黒サテンの胸元に赤色リボンのアクセント。さり気なさがおしゃれです。
パンフレットの触れ込みに、バイオリン上がりの指揮者の素晴らしい耳が支えるピッチ、なんて話が書いてありまして。音程については、その触れ込み通り、非常に美しくまとまっていました。ただ一方、その音たちの連関がどうかというと、どうも交わりに欠ける音が鳴っていたように思います。各パートがよく歌えているのはいいんだけれども、それがうまくアンサンブル出来ているか。
全体として、アンサンブルがどういう方向に向かおうとしているか、そんな、アンサンブルの流れのような目線が、もっと必要な気がします。交わりに欠ける、すなわち、和声が見えづらいから、すなわち、どこか冗長にも聞こえてしまう。同様に、音は気にできていても、言葉に対しての注意をもっと向けると、例えば4曲目の叙情性をもっと深みを以て表現できるような気がします。
一方、その方向性がよく出ていたのが「夜もすがら」でした。よく音質にあっていた、というべきでもあるかもしれません。ピッチが揃うと、あの曲は非常に叙情性を光らせるんですね。ーー否でも、そういう光った演奏が聞けるからこそ、ますます期待しちゃうんですよ。
4曲目でリフレインする「ゆく河」のモチーフを、1曲目でいかに叙情的に記憶させ、無常観を聞く人の頭の中に去来させるか。そんなことを、悶々と考えていきたい演奏です。

インタミ15分。ホワイエにしれっと当間先生がいたような気がしますが、さすが関西というべきか笑 EWA CHORを指導されているみたいですね。

第3ステージ・大阪市立大学混声合唱団
千原英喜・混声合唱組曲『あなたにあいたくて生まれてきた詩』より
「あなたにあいたくて生まれてきた詩」(宗左近)
「雲は雲のままに流れ」(工藤直子)
「あげます」(谷川俊太郎)
「風のうた」(安水稔和)
指揮:水野怜香
ピアノ:石若雅弥

白ブレザーに赤ネクタイ。ある意味では定番どころですかね。もっとひな壇を広く使ってオーダーしても良かったような気がしますが、まぁ、このへんは考え方の問題なので、一概に答えは出しづらいところです。
合唱団、実に18人。人数の割に本当によくならせていると思います。だからこそ考えるのは、このよく鳴らせるという特徴をもっと活かす、というアイディア。シンコペーションで音がよく弾む曲。だからこそ余計に、しっかりと、母音を鳴らすということに対し、今一度視線を向けてみてほしいところです。もっと時間をかけて、しっかりと鳴らすこと。子音を言うことに大変なのはわかりますが、それにしても、そんなにセコセコと鳴らさなくても良いんです。オブリガードだって、薄くキレイになんて意識を、この人数で持たなくたって良い。しっかりカーンと上の方で鳴ってこそ、オブリガードの真骨頂なんです。その下でメロディがしっかり支えていて、2つの旋律が戦ってこそ、オブリガードなんです。
そしてこの歌、千原作品の中でもあまり深刻ではない方の歌(どういう表現だ笑)。もっともっとあっけらかんと出してやると、音もさながら、表現としてもしっかり成立するような気がします。そう、逆説的ですが、私だったらこんなにファララっとした気持ちで、私のファーストキスあげます、なんて歌えませんわ← 詩を深く読み込むと、どうしても頭の中でドラマチックに仕立てたくなってしまう。その気持をぐっとこらえて、いうなれば「東京ラブストーリー」のような心持ちでこの音楽を作って欲しいところです(私、世代じゃないですからね?笑)。
しかし、この指揮者なら、ちゃんとしっかりやれるはず。見逃しませんでしたよ、タイミングミスしたところで、転けそうになった男声に、強く頷いたその瞬間。本番中にそういう自身のもたせ方、なかなか出来たもんじゃない。
でも、なにより、この無鉄砲で、やりたいことに向かって真っ直ぐな、若い若い音作り! このみずみずしさ、いつまでも忘れないでいてほしいところ。

第4ステージ・大阪大学合唱団TEMPEST
“不思議”に指が触れるとき
田中達也「水のたとえ」(谷川俊太郎)
長谷部雅彦「神はサイコロ遊びをしない」〈初演〉
石黒晶「銀の滴降る降るまわりに/カッパ・レウレウ・カッパ」
Mäntyjärvi, Jaakko "El Hambo"
指揮:山本尚義

しかしまぁ、この中で言ったら、合同すら含め、意味わかんない(褒め言葉)ことをする団。だってほら、衣装は男女ともに黒・黒だし、オーダーも唯一弧を描いたりしちゃうし、この団だけ歌詞カードついてたりするし、パンフレットの指揮者様(多分)が書くライナーノーツは読み応えたっぷりだし、なんならしれっと秘蔵の曲を拾ってきて初演しちゃったりするし←
初演曲は、朝日賞審査(2005年佳作)以来しっかりと演奏されたことのなかった曲だそうで、作曲家から取り寄せた由。よくもまぁそんな曲が出てくるもんです笑 下降側の跳躍と、アルペジオがポリフォニックに絡む非常に難しい曲。アインシュタインの言葉からタイトルを取って作曲家が膨らませたテキストは、解釈としても難しい曲。ただ、その中を包む不思議な空気感が、なんだか、もっと聞いてみたいと思わされる曲です。
演奏は、キレイに決めようとする意思は伝わってくる演奏です。するとどうなるか。特に高い音が、声門が閉じきらない、シャラシャラとした音になってしまっているのが気がかりです。やはり、なんのために鳴らすのか、その視点を今一度見直したいところです。先程少し述べたフレージングの行き先の問題だったり、或いは、めくるめく変わっていくテーマに振り回されてしまったり、曲の聞き所を理解して、その聞き所に向けて音を作っていかないと、お客さんのほうがついていけなくなってしまう。その点、前述の初演曲は、とても難曲だった言えるでしょう。
これからのヒントとなるのが3曲目。ストーリーがある曲だから、風景描写とその変遷という音作りが非常に明瞭に顕れてくれました。あるストーリーに向けて、旋律をなさない音も含めて、非常に決然と鳴らすことが出来ていました。ちなみにこの曲に関しては、ストーリーに合わせて少し動いてみても良いのかもしれないな、と思いました。
El Hamboはややゆったり目のテンポでの構成。せっかくだからもっとはっちゃけて、何なら母音も少し扁平にしちゃっても良かったんじゃないかなとは思います。いかんせん、あらゆる意味で勢い不足だったか、ピッチがみるみる落ちていくのが残念でした。
何にせよ、もっと鳴らしに行きたいですね。鳴らすだけで解決できることが、なんだかたくさんあるような気がします。

第5ステージ・関西大学混声合唱団ひびき
信長貴富・寺山修司の詩による6つのうた『思い出すために』より
「かなしみ」
「ぼくが死んでも」
「思い出すために」
「種子」
指揮:片瀬達喜
ピアノ:坂田佳央理

ロゴ付きの団服。ロゴがカッコいいから余計カッコよく見える。役得(っていうと、ただの僻みか←)。
とにかく、テナーの響きが非常に良い! 特に一人ガッツリカッコよく鳴らしてる子がいたとか、そんなような気がしないでもないけど、でももうそれで良い!笑 他も全パートに渡り、鳴らすべき音を、決然と、頭っからかっちり鳴らしているのが本当に聞いていて爽快でした。音を出す前から、出す音の向かうべき道がわかっているから、はっきりとした音が鳴らせるんですね。歌心を歌心のままに、非常にいい意味でコントロールせずに鳴らしに行けている。
「ぼくが死んでも」なんて本当に大好きな演奏でしたけど、それに加えて「思い出すために」! むき出しの感情がはっきりと顕れて、カオスのように絡みゆく大団円。なんなら、もっとロマンチックに音を作って見てほしい。特に、恋や愛情に関する表現は、この組曲の中でも要になる表現。さらに、こういう音楽づくりをしているなら、恥じらいだったり、慎ましさだったりといった表現は廃していい。「思い出すために」のダバダバだって、もっと派手にダバダバしてほしい。むき出しの感情をもっと、さやにしまわないナイフのようにこちらに向けてみてほしい。
ガンガン歌い込める、非常に秀逸な音をすでに持っています。だからこそ、もっと攻め込んだ音作りをしたいところです。否、今でも十分及第点。だからこそ、その先に期待を持っていきたいんです。ここで満足したら、ここで止まってしまうから。これから演奏会でも披露予定の由。ここからさらに磨き上げたら、このステージは間違いなく、名演になりますよ。

インタミ15分。石若先生が早くもホワイエに降りていた……のを遠巻きに見かけました←
ステージ前には「今宵最後のステージは……」との定型文句。何を、そんな、15時半から始まった演奏会に……と思って時計を見てみたら、なんと17時40分。すでに開演から2時間経過ーーホントに今宵になりかけとるやないかい!w

第6ステージ・合同ステージ
"Alleluia"
by Gregorian Chant, Ambroz Copi, Ralph Manuel, Jake Runestad, and Eric Whitacre
指揮:飯沼京子(客演)

しかしまぁ、この、古典的にしてあまりに斬新な企画!
グレゴリオ聖歌に始まり、グレゴリオ聖歌に終わっていく、その中に見せる、ヨーロッパ、南北アメリカ、そして、静と動で織りなすアレルヤの諸相。その一言にして、旋律に、和声に、時代に、表現に、実に様々な顔を見せるその様に、音楽の奥深さを見出します。否普通に、勉強になりました。
どの団も、非常に素直な音作りをします。素直に、自分たちの声を無理して変えるようなことをしないで、自然に出せる合唱団。だからこそ、このような音作りをする団の合同演奏は面白いんです。まるで、群衆の合唱の中にいるような、お互いの声が混ざり合う感じ、それでいて、決してバラバラというわけではなく、一所懸命、一つの音楽・表現を作り出そうとしている様子。その相乗効果は、おそらく本人たちが思っている以上ですらあるのだと思います。
爽やかな音が見事に一つの音を作る。Runestadだとその音にはちょっと不足感もありました(単に、もっと音圧がほしい)。ただ、Manuel、そしてなによりWhitacreに関しては、その叙情性が見事に表現されました。Whitacreはもっと広がりに対するイメージがあってもよかったかな? でも、意外と和声の決まるこの曲、その表現をしっかり作れていたように思います。特に最後の和声、最後のテナーの動く場所へ向かっていく表現、すっごい、大好きなんです、自分。そこに見せた充実した世界観にそっと入り込んでくるグレゴリオ聖歌の旋律のさり気なさ。なにかと、大きなことをとりあえずしてみようと、曲頼りになりがちな中にあって、明確な意思を以て、最終ステージとしての大団円を作り出すアンサンブルと企画の絶妙なマッチングに、心からの拍手を贈りたいと思います。

アンコール前には飯沼先生と実行委員長が挨拶。途中、立て続けに起こった地震と豪雨の被害に対して感極まる場面も。そう、名古屋にいると滅多意識できませんが、西日本一円、この災害の被災地なのですよね。高槻でも思いましたが、まさかあんなに線路のすぐ近くに、ブルーシートのかかった屋根がたくさん並んでいるとは、よもや思いませんでしたもん。本当に苦労して作り上げたこの演奏会、その開催自体が、奇跡であり、努力の結晶なのだなと強く思わされました。

アンコール
松下耕「今、ここに」(伊藤玲子)
指揮:松岡哲平(大阪大学合唱団TEMPEST)

そしてそんなところに、この曲です。いわば、合唱人のためのアレルヤ、歌うことに存在理由を見出す、そんな、生存の証明とでも言えるような、力強い宣言。思えば、Sing for Japanのために書かれた同曲。まさにこんな時だからこそ、強く心に沁み入り、そして、歌う人自身をも強く勇気づける、決然とした旋律が今も心に残っています。

最後には、飯沼先生に押されるようにして、学指揮くんがカーテンコールに登場し、居心地悪そうに飯沼先生のマネをして動いている様子も可愛げに、無事お開きとなりました……18時20分、と、手元のメモには書いてあります笑

・まとめ

先々週も書きましたが、この時期のジョイントは、関西の夏の風物詩、すなわち定番イベントです。そういえば確かに聞こえが良いのですが、裏を返せば、冗長に同じことを延々と繰り返すことにも繋がりかねないリスクも潜んでいます。無反省に同じことを繰り返すのは、とどのつまり、一種の癒着に繋がり、最終的にはその団のあり方が曖昧になり、団体の崩壊にすら繋がりかねないものとなります。繰り返している当人たちは気付きにくいから質が悪い。
でもーー関西の底力は、実はこちらの方にあるのかもしれません、どのジョイントも、持てる力を総動員して、今自分たちにできること、今自分たちがしたいことを、ありったけ表現しています。それだから、ただの夏の恒例行事に成り下がることなく、常に新しい驚きに満ちたイベントに昇華出来ているのです。だからこそ、私は、関西のジョイントに心を寄せているのかもしれません。
アレルヤ集、身近に転がっているようで、なかなか見つからない、提案する人も、それを受諾する人も、本当にすごいと思います。そして、それが、大きな感動となって確かに私達の目の前に提示される。しかもこの演奏会、無料ですよ? こんなにオトクなことって、あります?笑
どんな演奏会だって、そこに新しい価値を見出すために存在しなければならない、これは、プロ公演にとどまらず、ある意味においてはアマチュアのホームコンサートだってそうなんです。聴きにくるお客さんのために何ができるか、あるいは、何をすべきか。そのことを必死に考えて出来上がる演奏会は、もはや存在自体が美しい。
のべ30分の休憩を含め、3時間弱もの長尺にわたり、関西圏の合唱団の「今」が切り取られました。どの演奏だって、今見せられる最高のパフォーマンスだったのだな、と、本当に納得させられる素晴らしい演奏でした(そうでもなかったら、逆にああせいこうせいとつべこべ言いません)。連綿と続く伝統の「過去」を映し、各団体の「未来」をつなぐ、その可能性を心のそこから感じさせる「今」が、まさにそのステージにありました。
飯沼先生のライナーノーツに、「年々歳を重ねる私にとって、大学生と共に音楽に携わることは、感性の更新〔です〕」とあります。上の世代にとっての「感性の更新」は、対象となる各団の感性自体が更新されていないことにはなし得ません。今日もまた、新しい発見を、私も得ることが出来ました。
伝統って、こうして続いていくものなのだと思います。

・メシーコール
すし定食@「松葉」(伊丹ショッピングデパート2F)

その土地土地のさりげない食事って、その地域の本当の強さを映し出すものがあります。今回、着いたのがギリギリで、昼をどうしようかと考えあぐねていたところにしれっと入ったのがこの寿司屋。一見するに、寿司屋と言うには不釣り合いな、地元百貨店(否正直スーパーという程度の規模か)のミニ・フードコートの一角に構えるその店。すし定食を頼んで出てくるのは、握り3貫と海苔巻き3つ、そして小さいわかめそばが一杯。これで700円。しかし、侮るなかれ。このお寿司、そんな中にあって出されるのは大将手づから握る、こじんまりとしていながらしっかりとした労作。そのシャリの具合に確かな技術を感じます。そばも、関西の、薄口醤油の塩がしっかり効いたおつゆの味に軽く啜れるいぶし銀の一杯。今回は定食だけにしましたら、言ったらちゃんと個別にも握ってくれる本格寿司。そう、さりげないこんな場所に、まさに、いぶし銀の食事が潜んでいることだってあるんです。いぶし銀の演奏会を探す旅、まさにその昼餐にぴったりな、伊丹の地の力を感じるささやかな盛夏のひととき。

2018年7月1日日曜日

【Joint Concert 2018 -Ars nova を求めて-】

2018年7月1日(日)於 長岡京記念文化会館

皆様、お久しぶりです。
……え?
お前、誰? って??
……どうもおはつにお目にかかります、わたべといいます……笑

更新しない3月下旬から6月の間、私は合唱からしばらくはなれ……られるはずもなく、むしろ余計にどっぷり浸かりすぎて演奏会レビューどころではなくなっていたのでした笑 ちょうど愛知県は合唱演奏会が少なくなるシーズンでして、その意味もあって、もっとも、自分が乗っていたりしたのはちょくちょくありましたけれども。
そう! なにはともあれ、この時期、愛知県は演奏会がめっきりなくなってしまうのです(尤もどうやら今年は、あの「定番イベント」が愛知県開催となっているようですが笑)。そんなこともあって、レビュー書こうにも書きようがなくなってしまう。これはいかん、関西のジョイコン文化に学ばねば! とばかり、FBで意見を募っておりましたら紹介されたのが、この演奏会ということでした。私事ながら Twitter をやめて久しいのもあり、合唱団の情報って集まりにくくなっているんですよね……いやはや。
否でも、聞きたかったんですよ。何がって、「G.U.」。近畿のボリュームのある2つの学生合唱団は言わずもがな、「G.U.」が演奏する、ということで、俄然行く気が起きたのもひとつ。実は一回GU主催の講習会に参加したことはあるものの、大阪の2年間で実演に触れる機会が遂に訪れず(第2回演奏会なんて近所でやってたのになぁ……)大阪をあとにしてしまっていたので、とても心残りだったのです。ということで行ってみてパンフをみると、マエストロ山口さんは今度の9月からハンガリーに音楽留学の由。なんというか、ちょうどいいタイミングだったのかも。

・関西学生団のジョイント文化
ちょっと気になって調べてみたんですよ、自分のブログを。そしたら、不思議なことに、なんとびっくり、自分、この書き方で関西のジョイントコンサートを語っていなかったんですね(!)。とっくに書いているもんだと思っていたから、逆にびっくりして、いっそここは、ひとつまとめておきたいなといったところ。
否、どの地域でもある程度はそうだと思うんです。6月には合唱祭があって、地域差こそあれ、出る団はコンクールに出て、で、冬くらいになったら単独演奏会やって、公開にしろ非公開にしろ、卒演やって年度終わりって、そんな感じ。そこに春こん。とかアンコン県大会とかめっせとかアルティとかがっつり。とかいろいろあるけど、まぁ大体そんなもん。で、たまに仲がいい合唱団がいたりすると、ジョイントコンサート入れてみたりする。時期はいつかっていうと、夏合宿とか諸々のスケジュールを勘案すると、だいたい7月くらいがちょうどいいってところで、そこらへんに入る。
なにを、関西、そんなもんじゃないんです。7月くらいになると、「毎年」、団の組み合わせをとっかえひっかえ、ほとんどすべての大学団がジョイントコンサート(以下ジョイント)を必ず1本は実施する(!)。どの団とやるかっていうのは、その年の渉外の活動の賜物なのでしょうが、何にしろ、例えば四連みたいに、毎年同じ組み合わせということでもなく、毎年どこかの団と必ず組んで新たな刺激を求め合うんです。今回のレビューで取り上げるのは、いずれも50人を超す大規模合唱団ではありますが、小さいところだと10人いないくらいの合唱団でも平然とジョイントを企画し、普段ありえない大所帯の合同合唱を楽しんでいたりする。最悪ペアリングが見つからなかったらサマコンしたりして、何にせよ、どこかに演奏機会を持とうとしている。
SNSである程度全国の団の趨勢をフォローしているつもりですが、でも、こんな地域、関西くらいです。関東でも、そりゃもちろん様々なジョイントが開催されていますけれども、地域を挙げて、こんな勢いではジョイントしてないんじゃなかったですかね確か。大阪府合唱祭のパンフレットをめくると大学部会の紹介コーナーがありますが、その中にバッチリ「夏はジョイント」の旨書いてあるのっていうのは、この地域独自のイベントだったりします。必然的に違う団との交流も広がるし、それを聴く機会にも恵まれるし、何なら単純に演奏機会が増えるし。個人的には、メチャメチャ良い文化だと思っています。事務方の苦労というのをこのところ嫌というほど体感していますが、それを差し置いても、ね笑
※当初、「ジョイコン」と表記していましたが、関西では「ジョイント」と通称する方が多いとのご指摘をいただき、訂正いたしました。お詫び申し上げます。

ホールについて
ヒャッハー! 新鮮なホールレビューだぜー!←
阪急長岡天神駅、否寧ろ長岡天満宮そのものの至近にある市立ホール。大阪からも京都からも訪れやすい好立地ですね。なんならパナムジカも近いし← 駅前の阪急そばでは「沿線スペシャル第二弾」と称して「きしめん」を売っていたので、いつからきしめんは近畿の文化になったのかとモヤモヤしておりましたが、それはともかく← ちなみに、普通列車しか停まりませんがJR長岡京駅から歩いて公称20分。真っ直ぐでさほどストレスなく歩けますし、何なら阪急バスも出ているみたいです。
外はテラスのようになっていて、公民館と図書館、ホールの共用広場となっています。とはいえ、やっぱり京都の夏は暑い。皆さん、列をなす直前まで公民館のホワイエで休憩していました。今朝なんて遂に蝉の声聞きましたからね、夏本番です。
中に入ると、コンクリートの内装が厳かな、反響板も一般的なタイプの多目的ホール。しかし、客席側腰壁を中心に入る木質素材のアクセント、さらにその上にバルコニー席も用意されていて、それなりに歴史を持つ多目的ホールながら、その実一線を画するようなビジュアルを持っています。傾斜はなだらか、自分の座った位置が悪くなさそうだったことから察するに、やや後ろめがちょうどいいような気がします。
響きはというと、内装材の材質にもかかわらず、意外にも、残響時間が長いな、という印象ではない。ややステージ側にこもりながら、風呂場のようにもやっと響いている感じです。とはいえ、ボリュームはしっかりと聞こえてくるし、決して汚い響きではないので好感が持てます。慣れると寧ろだんだん好きになってくる感じ。それは、今日のどの合唱団の音質ともあっていた、というのもあるかもしれません。
とはいえ何より、開演ブザーは「b--------!」と鳴る笑 先日の地震の影響か、発災時の注意事項についてのアナウンスもありました。

集客は八割程度、かと思いきや、最前ブロックは団員用締切だったため、実質集客は九割程度と見られます。何、人気公演じゃないですか。最初はお客さんが少なかったような気もしましたが、そこは、45分前開場ということで、じんわり集まってきたようです。

エールなしで、そのまま本番。そういえば珍しく団旗もかかっていませんでした。G.U. が持ってない(推測)からかな。
特にこまくさは、少々入場がもったりしていたような気がします。入場中に影アナいろいろ入れていたので、そのことが特に目立つことはなかったので、結果、案外よかったかもしれませんが。とはいえ、最初の入場→拍手→曲目アナウンス、という順番は、流石にミスなのかな笑

信長貴富・混声合唱組曲『朝のリレー』(谷川俊太郎)
指揮:前川匠
ピアノ:木下亜子

どちらかというと男声がよく鳴らしていたというイメージ。特にテナーは然し地声ではあるものの、地声をキレイに聞かせようとする、関西の学生団ではよく見かける光景。それに対して女声はデュナーミク含め淡白だったかな? クライマックスで他のパートの音が大きくなると、埋もれて歌詞が聞き取りづらくなってしまってもいました。
否でもーー僕、この第1ステージの女声、嫌いになれないんですよ。特にこの曲、「朝」をテーマとした、意識はあるけど目覚めきれない、このモヤモヤとした時間という表現を、うまくこの声、響きは捉えることが出来ていたんです。悪く言えば、そりゃ、声門閉鎖がちゃんと出来ていない、軟口蓋に響きが当たっていない、或いは喉の奥の方に当てすぎてシャラシャラとした音になっている、といえなくもない。でも、それがいい。
そうすると、今度は寧ろ男声ががなりすぎてるんじゃないの、とか言いたくなってしまう、そんな、不思議で面白い響きでした。特に一曲目、さらに三曲目は、後者についてはアカペラというのもあり、女声側の響きに十分によってほしいところ。多分、正解は、お互いに歩み寄って、さらに昇華した先にあります。でも、その正解の過程となる部分にも、表現に関するヒントが隠れているんだと思います。またこういう曲ーー例えば上田真樹「朝明けに」とかーーに出会ったなら、このときの表現を思い出してみてほしい。
とはいえ、終曲の「それでいい」という言葉は、しっかりと鳴った音でガッチリと決めてほしいな、というのが本音でもあります。また、いずれの箇所でも、高音への跳躍後に聞こえる鳴りの遅さは改善されたいところ。鳴りが統一されて、しっかりと響く音と鳴ったとき、この特徴的な音色を「使いこなす」段階にまで到れるようになるかもしれません。

否然し、学生が主体になりうる演奏会でも、ちゃんと、拍手が演奏・残響が鳴り終わったと同時に始まってくれる。何、当たり前のことじゃないの、と仰る方、ご指摘はご尤も。でもね、最近、愛知県の一部の合唱団の演奏会だと、演奏が終わる→(最悪楽譜をしまってから)指揮者が降壇する→お辞儀をする→このタイミングで拍手、なんていうトンデモナイことが起こっていたりもするんです。以前はそんなことなかったんですけどねぇ……苦笑

アポロン演奏前に指揮者が曲紹介。「こんにちは!」と、いっても、シーンとして……はからずも、拍手を呼び込んでいくスタイル笑
そういえば、アポロン、という言葉、私なぜか尾高(平板)でアクセントつけてしまうんですが、今日の指揮者も頭高でアクセントつけていましたね。否、後者が普通なんだと思うんですけど、なんで、僕、こんな意味わからない癖ついちゃってるんでしょう(知らんわ

松下耕 日本民謡作品集
広島県民謡「三原ヤッサ節」
宮城県民謡「大漁唄い込み」
青森県民謡「俵積み唄」
指揮:佐々木純哉
ピアノ:喜瀬弘望

比較的しっかり鳴らすタイプ。数年前に単独演奏会聞きに行った記録をたどると、どうも、以前も音に対しては同じような印象を持っていたようです。よく伝統が引き継がれています。
入りがしっかりしているのと、よく鳴る音を出しているという点において、「ヤッサ節」のような曲がしっかりハマってくきます。一方で2曲目の前半も、短調かつ緩徐楽章にありながら、しっかりハマる音を鳴らしていたのが印象的。決して響きが高いというわけではないけれども、鳴らすべき音に対してのコンセンサスがよく取れていました。その点、以前よりは大人の鳴らし方しているのかも笑
時折、集中力の切れた、甘い音が聞こえてくることがありました。でも、逆に言えば、それが数えるほどしかないというのは、それ以外の場所でちゃんと集中できている証。それがわかるということ自体、全体的にはいいアンサンブルであるという証左でもあります。
3曲目の一番の見せ場は、カノンからtuttiへの遷移。まさにカノンの部分については、若干ずれたんじゃなかろうかという場所でもありましたが、一方、その後に聞こえてきたtuttiがあまりに自然(=わざとらしくない)で、見事なつなぎでした。
なにより、特に後半2曲に顕著ですが、一番のポイントは、テンポの緩い箇所でも飽きさせない演奏をしていた点。いかに、演奏中、集中していたかということ。テンポの緩んだ部分でも集中力を切らさないって、なにげに、なかなかできることでもありませんから。
あえて言うならーー指揮者! ピアニストと共に、非常に素晴らしいアンサンブルを支えていました(ちなみにピアニストは同志社CCDの学生指揮者だそう。わーお。)。でも、一言だけ言いたい! これだけ音はしっかりしてるんだから、足元フラフラせずにしっかりと立って棒だけで表現しにかかりなさい! ソッチのほうが多分、ヴィジュアルも音も、映えるぞ!w

第3ステージ・G.U.Choir
木下牧子・混声合唱組曲『方舟』(大岡信)
指揮:山口雄人
ピアノ:長尾優里奈

で、そういう指揮のお手本、というわけではないかもしれませんが←
この合唱団、びっくりしました。なにかって、こんなに古典的な音を鳴らすのかって。否、非常にいい意味で。
発声的なバックボーンを持っている人もそりゃいるでしょうが、それにしたって、しっかりと響きを作った音がうまくアンサンブルを作っている。それでいて、非常に綺麗にまとめて、テーシスも引いた音作りをしている。そして、なにより、この集中力!
特に1曲目の集中力は見ものです。決して届き得ぬ希望を、ここまで美しく歌い上げるその実力たるや。さらに、3曲目のアルト上下の二声がテナーを導き、ベースを伴って音を作り、ピアノの感傷ののちに、絶品の四声アカペラ、たゆたう音列ーーそう、とても、繊細な部分が抜群にうまい。
この組曲が難曲たるゆえんは、この1〜3曲目の繊細さにあると思うんです。集中力をどっかで切らしたら、それだけで音が崩れていってしまう。一瞬たりとも気を抜いてはならないと、ピンと張り詰めた中に音を鳴らしていくーー空間に溶けていく音が、今日のアンサンブルの答えでした。
意外でした。勝手なイメージで、もっとイケイケドンドンに勢い任せな音を鳴らしているのだと思いこんでいました。それが、こんなにも堅実でガッツリした歌い方しているだなんて。否、個々の歌い手のレベルのボトムアップを是とする団を標榜するだけはある。非常に音楽的で美しい前半3曲でした。この曲の聞き方がわかったというか。この曲って、こんなにいい曲なんだなって心から思いました。
まぁ、何が惜しかったかっていったら、「比較的繊細とは言えない」四曲目が若干崩れていたってことなんですけどね←

インタミ15分。指揮台をかさ増し。えっと、多分、今から乗るの、150人近くなるでしょうからね……グラン◯ェかな?←
祝電披露もありました。……阪混から……だけ!? え、KKRとか、そういうアレじゃないの!?←

第4ステージ・合同ステージ
森田花央里・混声合唱組曲『星の旅』(谷川俊太郎)
森田花央里「みどりの窓」(竹久夢二)〈初演〉
指揮:山口雄人
ピアノ:森田花央里

森田作品、聞き手としても、歌い手としても「石像の歌」以来。ANIMAE の演奏を聞いた後、幸運にも、歌う機会に恵まれました(何が幸運って、未出版なので)。で、聞けば聞くほど、歌えば歌うほど、森田作品の、どこか懐かしい感じなんだけど、確かに新しい、そんな、神秘的な響きに心を奪われていくんです。
今日とて、例外ではありませんでした。最初、ある種北欧的な響きのする和声が鳴る中にあって、それが、短調へ潜ったり空虚五度を鳴らしたりしながら綻びを見せつつ、しかし、暗い照明の中に段々と言葉を伴ってしっかりとした和声へと変貌していく。歌われているのは、時間的・空間的な距離が織りなす、憧憬、あるいは、孤独、愛する人への、切望への絶唱。「私にとって、世の中は希望の歌が多すぎた。」と、竹久夢二の詩に出会って価値観を変えられた森田先生の、谷川俊太郎の中に見出した、絶望、その中に希望を見出そうとするあえかな姿。そして、価値観を変えられた竹久夢二が歌う、「待つ」ことの中にある、ゆっくりとした、二人だけのささやかな宇宙。
どこまでもスケールが広く、重厚で、危ないくらいに美しい森田音楽。歌い手に委ねられた表現は、ジョイントコンサート特有の、各団の特徴的な音が複数聞こえてくるような、深刻な言い方をすれば、埋めがたい溝のようなものが見えてくる向きもある。でも、それすらも愛おしい。一人ひとりが音楽表現に集中していった結果顕れる壮大なカデンツは、委ねられた表現の到達点として、納得の回答と言えるものでした。
特に組曲。こんなに美しい作品は聞いたことないってくらいに、美しかったです。いつまでもこの音の中に身を委ねていたいというか、否、寧ろ、そのときは現世を離れて自らの小宇宙の中に旅に出ていたのではないかというような。その点、歌詞に併せて逆にうまく卑近な感情が鳴っていたのが、「みどりの窓」であったかと思います。どちらも、思わず歌詞カードを見てしまうような曲。否、歌詞が聞こえづらかったわけじゃないんです。歌詞の世界を自分の中に落とし込んで、徹頭徹尾、この曲の世界観の中に自分を落とし込んでしまいたいような。そんな、見たことのない美しさが、私の中を包んでいました。誰かがドンハマりしていましたが、その気持ち、すごくよく分かる。多分、『星の旅』の再演があるとか聞いたら、私、すっ飛んでいくと思う。

アンコール
森田花央里「春の手」(竹久夢二)
指揮:山口雄人
ピアノ:森田花央里、長尾優里奈*

1曲目は、以前北海道でも聞いた曲。2曲目は、聞こえてきた歌詞からの推測です。ヤマカズ東混が初演していますね。前のステージが衝撃的すぎて、もう、こっちの集中力が切れているくらいなのですが笑、ともすると、1曲目は、もう少し集中力が欲しかったかしら。ーーとはいえ、アンコールだからなぁ笑 いっそ、今回の2曲目くらいに思い切ってしまっている方が、ある意味それらしいといえるかも笑

・まとめ
後半があまりに美しい演奏で、当初いろいろ書きたいことが吹っ飛んだんですが、まぁ、それをさておいて、ということで←
集中力、集中力……特にこの演奏会の後半にかけて、反芻する言葉です。
集中力のある演奏を、とか、演奏に集中力がある、とか、いろいろな言い方で遡上に上がるこの言葉。おそらく、そのこと自体を否定する人ってのは、いないんじゃないかと思うんです。でも、じゃあ、その集中力ってとどのつまり何なんだと言われると、ちょっと答えるのを躊躇ってしまう。否、的確な答えを、常日頃から用意できているわけではない。
あえてずばっさりと書いてしまうと、今回の演奏会では、最初のステージから最後のステージに行くについれて、集中力がどんどん上がっていく演奏会でした。それは確かに実感できるんです。経験として。でもじゃあ、その集中力ってどこから来ているのか。だってそりゃ、多少の差こそあれ趣味で合唱やってるんですもの、一般的な意味合いでの集中力はある程度あって当然です。でも、それがすなわち演奏における集中力かって言うと、そういうわけでもないんだと思います。
思うに、演奏の集中力を測るひとつの規準って、「音価の取り扱い方」にあるんだと思います。音価、単純な意味でいうと、音の長さのことを指す言葉です。つまり、音の長さをどう捉えるか、つまり、音の始まりから終わりまでをどうやって鳴らすかということに意識を向けることによって、その団の演奏を測ることができるのではないか、という魂胆です。
音価は、鳴らし始めから鳴らし終わりまでです。そんなの当たり前です。では、鳴らし始め、とは、どういう瞬間のことであって、鳴らし終わり、は、どういう状態でいるのが適切なのでしょうか。鳴らし始めが揃っていないと、そして、その音が最後まできっちりなっていないと、或いは全員の意思を以て揃って鳴っていないと、音価を共有できているとはいえません(言葉遣いが適切かどうかはこの際措いておきます)。その音はどういう状態で鳴っているかというのも重要です。後鳴りしていないか、最初ばかり強くなりすぎていないか、かすれた音になってしまっていないか、デュナーミクの意識は全員で共有できているか、そうすると、もはや音価の問題からは離れてくるかもしれない、でも、音価から考え始めることによって、様々な問題が見えてきて、発声の問題と相まってモヤモヤとした語り方のされる「しっかり鳴る音」とはどういう音か、という問題にもつながっていく。
最初と相反するようですが、演奏機会が多くなればなるほど、新しいステージがなおざりになりがちです。そりゃそうだ、慣れってやつです。それ自体はしょうがないことなんだと思います。でも、そのたびに、新鮮な気持ちでステージに乗り、新しい気持ちで、新しい表現を披露する。趣味の世界であれ仕事の世界であれ、表現者に課せられた最大の課題の一つです。
身近なところだっていい、新たなる技法-ars nova-は、日頃の演奏活動の中に潜んでいる。否、むしろ、そこにしかないんです。ひとつひとつの演奏の中に、新しい輝きを見つけたとき、それは、私達にとっての-ars nova-の発見であり、また、未知なる-ars nova-の萌芽、まさにその時でもあるのだと思います。

・メシーコールその1
さて、長岡天神駅近くについて、昼食を摂ろうと散策。でも、最初に見つけたお店が素敵そうすぎて、もう、引っ張られていくしかないですよね笑 長岡天神駅から梅田方に歩いて、踏切があるその至近の、いわゆる、パスタ屋です。でも、メニューが豊富で、迷ってしまう。しかも、通常メニューだと生麺と乾麺が選べるようですよ。
頼んだのは、冷製パスタ。エビとヤリイカ、夏野菜の乗ったツナトマトソースに、カッペリーニの麺が涼やかな夏を運んできます。海鮮もさながら、その夏野菜がうまいのなんの。ランチタイムには、サラダ、ドリンクの他に、前菜もついてきます。で、この前菜、絶品です。6品程が一口サイズでついてきて、様々な季節の味を楽しめます。個人的によかったのは、かぼちゃの煮付でしょうか。非常に甘い。かぼちゃの甘味が最大限に引き出されています。あと、しめじと青魚、二種類のコンフィも捨てがたい。多分、季節によって変わるのだと思います。
そして、この店最大の特徴。ランチメニューのドリンクの選択肢に、なんと、グラスワイン・グラスビールがあります。私? そりゃもちろん、白ですよ、白笑 昼間っから飲みたい人、ホールへ行く前に、ぜひお立ち寄りくださいませ笑

・メシーコールその2
否、実はこれ、まだ食べてないんですけど笑
演奏会が終わり、まだ6時前。そしたら、ぜひ、駅とは反対方向、北側へ歩いていってみてっください。その和菓子屋が、左手に見えてきます。「京みずは」のブランド名でも著名というそのお店。名物はなんといってもわらび餅、の由。前日、せっかくだからなにか長岡京じゃないとなさそうなものを、と探したら、このお店にぶち当たりました。否、そのわらび餅の写真のキレイなことキレイなこと、これは、演奏会終わりの時間さえよければぜひ買いたいということで、期待して行ってみたのでした。……明日以降、ゆっくり味わいたいと思います。ちなみに、通販もやってるようですので、是非どうぞ笑