おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2017年11月28日火曜日

【合唱団イオス第11回演奏会】

2017年11月26日(日)於 昭和文化小劇場

なにも、池袋ばかりが合唱ではない。
さらにいうなら、2ステの脚本家の職場も池袋ではないらしい。
と、壮大な池袋dis(!?)で始まりました今回のレビュー。否、別に、全国大会行けなかった恨みつらみとかそういうのないんですけど()、ともあれ、今日は名古屋で、合唱団イオスの演奏会に。去年10回目の演奏会を終えた、気がつけば若手合唱団の中でも、老舗どころのひとつとなった合唱団です。この合唱団、パンフによると、モットーは〈「集まる」楽しみ、「できた」の楽しみ〉。そう、何かというと、この団、他の合唱団とはちょっと違ったコンセプトで合唱を続けています。歌が中心に回っているのは間違いないものの、ただ一方で、集団としての和を良しとするのが特徴です。つまり、徹底的に「サークル」然としている。見ていると、なんだか、学生団の延長のような活動をしているのが特徴的。その特徴が顕著に顕れているのは、真ん中のポップスステージ、第2ステージを「アトラクションステージ」と題し続けていること。とはいえ、今年のタイトルは「イオスの奥様事情〜あなたと一緒で、よかった!?〜」。……抗いきれぬ年の波を感じる

・ホールについて
以前、向陽でも書きましたね。開館からはや1年経ちました。だからか、段々と床に敷かれたPタイルの目地に年季が……って、さすがに気のせいか!?w
今日、3ステの1曲目がインストのみのアンサンブルでしたが、いわば、このホールのポテンシャルが最も出るのは、ともすると、こういった小編成器楽アンサンブルかもしれません。音が飛んでこないわけではないが、残響というとそこまで期待出来ないホール。でも、逆にいえば、控えめな残響が心地よく、うまくホールの広さにあった響きによって、ボリュームも響きもちょうどいいアンサンブルを聴くことができました。
つまるところ、音圧のある精緻なハーモニーが聞ければ、このホールは使いこなすことが出来る……とどのつまり、結局は、アンサンブルの実力がそのまま出てくる、ということか。ううん、手厳しい。手元のメモには、「良くも悪くも、練習場の響きをそのまま味わうことの出来るホール」との記述が。旨い合唱団は、練習場で聴いても、旨い、と思わされる。しかし、その意味でいえば、とても難しいホールと言えるかも。
まぁでも、気軽に歌っていてもしっかり声を届けてくれることは間違いないので、気軽に使うのも、それはそれでオッケーだったりします。さすがに、文化小劇場、各区にある地域の文化施設ですから笑
そして、このホールの最大のメリットは、ステージが非常に広いこと。この前の向陽もそうですが、今回の40人規模の合唱団が乗っても、他の文化小劇場と違って狭さを感じません。その点、文化小劇場としては非常に使いやすい場所になっています。

第1ステージ
Dobrogosz, Steve “ZAKURO”(Tomihiro Hoshino)
指揮:松原朱里
ピアノ:杉本依実南
コントラバス:祖父江憂貴
タム:浅田亮太

音の響きを優先して作られた曲だ、とどっかで聴いた記憶があります。その点、日本語の響きに対しては非常に美しく作られているものの、音韻という側面で見ると、少々外れている部分もある。したがって、放っておくと、実は、ただキレイなだけの曲になってしまうという、少々頭をつかう曲でもあります。
この曲、その観点についていえば、さほど苦しんでいる様子はありませんでした。否、寧ろ、完成度高かったといって差し支えないかなと。言葉を言うという点については、非常に意識が行き届いていて、楽曲の出来の根幹を支えていたように思います。ただ、残念だったのは、演奏の出来が、それだけに収まってしまっていたこと。フレーズの伸び方だったり、逆に収め方だったり、アウフタクトで入る音への配慮だったり、母音ごとの音の歪みが、特に閉母音で響きの艶が失われてしまったり、ア母音が逆に開きすぎてしまったり、3度のピッチと入り方だったり……とにかく、まだまだ気をつけられるポイントはいくらでもある演奏でした。
特に残念だったのは、男声・女性のバランス。男声が比較的骨太に、しっかりとしたヴォカリーズを鳴らしている一方で、女声の旋律と言葉が浅く、物足りない印象でした。特に、フレーズが盛り上がる高音部分で、勢いが目立って落ちてしまっていた。これ、もう、勇気のような問題なのだと思います。安全運転に、外さないように外さないように、と意識するあまり、音を合わせに行っているように、こちらでは聞こえました。もう、思い切って、このフレーズでは何を歌わなければならないか、その一点に狙いを定めて鳴らせば、もっと輝かしい主旋律が鳴らせたような気がします。
でも、これを、粗削りの原石というのかも。否、言葉に気をつけるというポイントだけで、まず日本語の曲は普通歌えるはずなのです。言葉というポイントからまずはじめて、フレージングを構築したり、母音を揃えていったり、言葉に付随して展開する和声を構築していったり。いわばトヨタ生産方式のように、5回の思索を深めていくように楽曲を作っていくと、楽曲作りに深みが増すのではないかな、と思いました。
そして、特筆しなければなりますまい、楽器がすっごくいい味出してました。オプションでもないんでしたっけ? でも、ジャズに魅力のあるドブロゴスだけあって、入る価値のある楽器隊でした。特に、タムのリズムが非常に心地よく、アンサンブルを邪魔しない程度の控えめかつ存在感のあるボリュームで入っていたのが印象的でした。

インタミ10分。アトラク前だからですかね、とはいえ、変わったことと言えば、ドラムがしまわれたことくらい。衣装も特に変わっていないし……うん?

第2ステージ・アトラクションステージ
『イオスの奥様事情〜あなたと一緒で、よかった!?〜』
福山雅治「家族になろうよ」
高橋真梨子「恋に落ちて」
木山裕策「home」
椎名林檎「落日」
(編曲者不詳)
脚本:小椋良浩
指揮:松原朱里(1,2)、上田真史(3,4)
ピアノ:佐方淑恵

お次はアトラク。そう、元イオスの代表さんのFBを見てても、毎月のようにイオス関係の結婚式に参加してますからね笑
さて、このステージでも惜しいのが、フレーズの作り方。ご覧のように、全てポップスで構成されたステージだけあって、どの楽曲でもポイントになるのは、主旋律の構築の仕方。フレーズの抑揚が、やっぱりこのステージでも抑えられてしまっていて、今ひとつ物足りない出来になってしまっていたのが残念なところ。
それが残念だな、と、今ひとつ思わされるのが、ソプラノを中心に、高音から逃げてしまっているところ。なぜって、この団が、演奏の質として粗削りダイヤの原石たる部分が、まさに、その、表現に関わる部分にあるから。目的に向けて一直線なところ。「どう歌いたい」という心が、全面に押し出された表現を徹底しているんですね。その意識があるからこそ、余計に次を求めてしまう。アンサンブルに意思がある。それだけで、演奏は、伸びる素質を持っているんです。最早、母音が開いているという欠点をとってすら、このアンサンブルのための何らかの意思ではないかと思わされるんですね。実際に、そんなような気がしてくる。
でも、それ以上に、このステージについては言いたいことがある。アトラク、やるなら全力で。否、全力じゃなかったとは言いますまい。でも、すっっっっっっっっっごく物足りなかった!! 依頼に対してリサーチチームの調査結果を朗読するというもの。うん、たしかに、団員の生声ということで、面白い部分もあったかもしれない。もっと、もっとうごいてほしいし、もっと全力で笑いを取りに来て欲しい。そう、もっとはっちゃけてこそ、イオスでアトラクやる価値がある。あくまで、ショービジネスなのです。厳しいこと言えば、内輪で盛り上がりそうなことは、合宿でやればいい。せっかくやるなら、学生団では出来ないような、学生団の範となるようなアトラクを目指して欲しいところ。

インタミ20分。ウソのように見えて、ホントなんですね、これ。変わったことと言えば、ドラムがセッティングされたのと、意匠が黒・黒に変わったこと。うーん……?もう少し削った方が、お客様には優しいような。インタミ入れるのは仕方ないにしろ。

第3ステージ
Völlinger, Martin “The Latin Jazz Mass” より
1. Opening
2. Kyrie
3. Gloria
4. Psalm and Hallelujah
6. Sanctus/Benedictus
9. Agnus Dei
14. Sing the song of gladness to our God
指揮:上田真史
ジャズピアノ:工藤美保
サックス:辻田祐樹
コントラバス:祖父江憂貴
ドラム:浅田亮太
Special Thanks:近藤有輝

まず何より申し上げたい。ホールについて書いたところでも言ったのですが、絶品の楽器アンサンブル!! 1曲目がインストなだけあって、何よりその魅力が十分に生きました。いやもうホント、この演奏を理由にお金とってもいいくらいです。願わくば、この雰囲気のままに、attacca で Kyrie へ入ってほしかった!
とはいえ、素晴らしいアンサンブルにも恵まれて、この曲、とても乗っていたと思います。特に、Hallelujah などは、ガッツリとノリノリに表現されていて、こっちも楽しくなる出来に。特に、音数が多くなると、こういう曲って乗りやすいんですよね。歌ってて楽しいし。でもだからこそ、いまひとつ気をつけてほしいのが、歌っていないときの「待ち方」。歌っていないときに突っ立っているだけというのは、どうにも惜しい。サックスがバリバリにソロを吹いている時、合唱団がどんな顔して待っているかって、聞き手がどうスイングするかに関わってくる。
そして、この曲、ミサでありながら、ミサではない。ミサの形式は、通常文を元に、厳格な形式のもとに決まるもの。否、たしかにミサ通常文に基づく同曲は、ミサ曲と言えるのかもしれない。でも、途中にハレルヤが挿入されたり、その他本来は14曲に渡り(!)各テキストを、ジャズを基軸にしてまとめた同曲。したがって、教会でやれるようなミサというわけではない(もっとも、この際、演奏会用ミサと典礼用ミサの別は措いておきましょう)。
したがって、この曲の言葉の作り方というのには、ひとつ工夫が必要です。この曲のテキストは、世界で最も知られた文章。したがって、すごく乱暴な言い方をすれば、言葉なんて、聞き取れなくてもいいとも言えるのです。勝手に脳内で補完してくれる。Gloria ときたら、誰がなんと言おうと in excelsis Deo なんです。だから、こういう時は、この曲の表現のために、言葉を使ってやったほうが、効果が高いのではないのかなと思います。例えば、無声子音を普段よりもしっかり飛ばしたほうが、リズムの対比が際立ってきて良かったりもする。
せっかくなら、ハデにやりたいんですよね。そのために、是非、もっと細部にわたってガッツリ表現したおして欲しいと思います。それだけで、もっとガンガン乗れたような気がします。ハレルヤが良かっただけに、もっと出来ることがあったんじゃないか、と、思わず惜しくなってしまう。

・アンコール
木下牧子「サッカーに寄せて」(谷川俊太郎)

そして、これ。いやもう、歌いたかったんだなぁ、と、よく分かる歌い方と、よく分かる音だったくらいに、みんな、歌いたいように歌ってました。そりゃ、すごく清々しかったんですか、敢えて水を差してみたい、なんで、サッカーだったんだろう、と……笑

・まとめ

僕ね、言いたいことがあったんです。この団に。だから、演奏会のこととか関係ないかもしれないけれども、とにかく、言いたいこと書きます。
ハッキリ宣言しておきたいんです。この団、愛知県に、否、日本に、なくてはならない合唱団なんです。なぜか。合唱団員に、歌う場所以上に、居場所を提供して、合唱団員が「帰り着く場所」を作っている。そして、集団として、そんな、居場所づくりに、成功している。それを、若手の団で成功しているのって、すごく貴重なんです。
合唱団って、普通、音楽をやるために集まっている。その音楽をやるために、手段として、合唱団という寄り合いがある。だから、音楽のために練習するし、出来ないことについてすごく厳しいし、時には音楽観の違いで団を離れてしまうこともあったりする。
この団とて、そういうことがないわけではないんだと思うんです。でも、この団、僕には、「イオスのために歌っている」という意識をすごく感じるんです。イオスがあって、イオスという集団が、その中の人達が、好きだから、そのために歌う。そんな感じ。〈「集まる」楽しみ、「できた」の楽しみ〉――まさに、そのコンセプトが、反芻されます。イオスが集まることで、新しく出来ることがある。イオスのために、イオスだから、出来ることがある――そんな、可能性の喜びに満ちている、そんなような気がしています。
正直、この日曜日に池袋でやっていた合唱とは、極端な言い方をすれば、対極的な部分もあったりします。もちろん、同じ合唱というメディアを使っている。でも、コンクールみたいに、他と比較して一番を狙おう、という考え方を持っているわけではない。この合唱団の目的は、とても内面的なものであり、徹底して自己に向けられている。言わば、自己実現こそが、この合唱団の目的でもあるわけです。
僕、こういう合唱団がもっと増えていいと思っているんです。よくいう話で、コンクール離れっていうものがある。コンクールを離れて、ホンモノの音楽をしようっていうの。でも、それだけなくてもいいとも思うんです。もっと、合唱団って、サークルとして、いろんな目的があっていいと思うんです。もちろん、あらゆる形で最高の音楽を目指すというのは、素晴らしいことだと思うし、合唱団である以上、何らかの形でいい音楽を作ろうという気落ち自体は、間違っていないと思います。でも、それが、音楽自体がたとい目的でなくても、音楽を通して楽しむのだって、音楽だと思うんです。
そして、合唱界は、そうやって、いろんなふうに音楽を楽しむ人たちに支えられている。そんな、合唱文化の裾野を広げる合唱団イオス、この団が、この団を好きという人たちに支えられていること、それ自体が、物凄く、価値のあることなのだと思います。

2017年11月21日火曜日

【TFM合唱団第29回演奏会】

2017年11月19日(日)於 ライフポートとよはし コンサートホール

どの都道府県でも割と事情は似ていると思うのですが、普段愛知県民をかたっていても、名古屋に住んでいる当方、東三河に行く機会というのはめったにない。せいぜい行っても、西三河、つまり、刈谷や豊田、安城、岡崎止まりがせいぜいという人が、西側に住んでいる人間には往々にして多い(と、いいつつ、西尾張にもあまり行かないのはご愛嬌←
そんな中、愛知県で合唱をしていると、やっぱり、東三河の合唱団って出てくるんですね。土地の規模も人口の規模もそれなりのものがありますし、なかには豊川コールアカデミーのようにコンクールで実績を残してきたりすることもあったりする(それでいて、連盟のイベントともなると、大体会場は尾張地区でやるものだから、ご足労なものです)。
今回行った団は、そんな東三河最大の都市である豊橋で長く活動を続ける合唱団。毎回の合唱祭でも安定した響きを聴かせる同団は、もともとあった男声合唱団と女声合唱団が統合する形ではじまり、今年で創立35年。長寿団のひとつに数えられる同団にあって、桜丘高校で音楽科を作り上げた、同団名誉顧問・齋藤喬氏の伝手もあってか、桜丘高校とのパイプが非常に強い。今回は桜丘高校音楽科楽友会から花が届き、ソリストは桜丘高校出身でありながら、同団に在籍経験もあった人もいる模様。今も、壮年団とは言い切れず、非常に幅広い年齢層で活動しています。ちょうど立ち位置でいえば、はもーるKOBEに近いかも。そう、この団、行政からも表彰を受ける、いわば、豊橋の合唱文化をも背負う、正に老舗どころ。
したがって、厳に申し上げておきたい。
決して、道玄坂がどうとか、そういうのないので。
……あ、知ってた?

ホールについて
そんなわけで、東三河のホールというのも、当方、足を運ぶ機会がありませんでした。今回が初めての探訪。写真でちょっと見たことのあるホールだったこともあり、割と期待して行きました。何かって、見た目の雰囲気がすごく良いんです。石造りのような、言わばデザイナーズマンションのような雰囲気を持った、どこか都市的でありながら、響きを持っていそうな外観。
豊橋のポートサイドに構える、中庭豊かな円形の建物の中にある複数の文化施設、そのメインの一つが、このコンサートホールでもあります。バブル直後の1994年開館は、ちょうど愛知芸文と同い年くらい。こけら落としは第九演奏会だったという当時の写真は今も掲示してあります。第九が乗るくらいの広いステージに、客席は1,000席程度、後方の絶壁客席は2階席という位置付けです。音楽コンサート専用で、反響板は固定でありながら、シューボックスタイプではなくシアタータイプの、所謂多目的ホールにも使える、客席とステージが峻別された構造は、独特な雰囲気を持っています。まさにデザイナーズマンションのようなシンプルな構造は、だんだんと年を重ねてきて、風格を帯びつつあります。
響きは、期待していた素晴らしい残響がまず何より印象的。そして、その直後、ちょっとしたことに気づく。このホール、スゴいのは、すっごい響くのに、全然鳴らない。天井が高くて響くし、奥行きがあっても奥までよく音が届いていそうなのですが、ただ、全然音量が、音圧が増さない。広いステージで、50人規模の同団ですら手にあまるほどの模様。きっとこのホール、大編成の合唱や、音量の鳴る楽器だと非常に映えるのではないかなと思います。悪いホールではない、でも、ある意味、物凄く試される。だから、後述しますが、バラバラのオーダーだったり、バリバリの声楽だと、しっかり聞こえてくるんです。「地力」が試される。中々おっかないステージです。
そして、このホール、最大のデメリット。とてつもなく、駅からのアクセスが悪い。港の近くにあるのもあってか、クルマで来ることを前提として作られているような場所にあります。臨時バスが今回は出ていたようですが、普段は、どうも、1時間に1本が関の山とも言えるバスが唯一の足です。今回は、行きがタクシー、帰りがバス。帰りのバスはもちろんすし詰めで370円。タクシーは15分程度で3,000円弱。4人で乗りあえば700円と考えると、払う価値全然ありだなと感じてしまいます、正直。

第1ステージ
信長貴富・混声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
指揮:酒井宏枝
ピアノ:種井理恵

この曲、なんか、規模的に最終ステージってイメージが非常に強いんですけど、この爽やかなイメージから考えて、キャッチーな構造を考えたら、第1ステージでも十分映える曲ですよね……まずなんだか、そのことに気付かされたのが新鮮でした。何より、海が直ぐ近い場所だから、余計に、ね(何が
比較的端正にまとまったアンサンブル。内声がよく聴こえてくるのが印象的。内声が旨い団は、アンサンブルをまとめる力に長けている団、ですからね。ただ、一方で気になるのが、ホールが散ることも相まって、非常に淡白に聞こえてしまった点。ところどころ、高声系でしっかりとした音が聴こえてくることはあるのですが、それも、気まぐれで意図を感じない。もっと、テンポ的にもじっくりと表現を深めて、一音あたりの情報量を多くした演奏だと、より聴き応えがあったように思います。そう、特別指導を受けたという伊東先生の指導、それだけを鵜呑みにすると、どうしても淡白になってしまうのです。
どでも、この団、やっぱり、経験が非常に深い団。だから、全体を見回したときの表現に対する意欲は非常に素晴らしい!「くちびるに歌を」は特に、最初は少し早いかな、というテンポだったものの、それがうまく1回目の旋律のいい意味での単調さにつながり、2回目における主題のリフレインが効果的に訴えかけてくる。もちろん、普通の団でも同曲においてこの要素は往々にして指摘されるのですが、指摘されたことを、わざとらしくなくやるのは、難しい。
だから、なんですかね、隣の子連れのお父さん、「すげえなぁ……」と思わずつぶやく、その、芝居がかっているようにすら聞こえるつぶやき、でもこれ、本音なような気がします。

この幕間で、団長挨拶。否、こんなに安心して聴いていられる挨拶、久方ぶりでした笑

第2ステージ・中島みゆき&さだまさし
arr. 高嶋昌二「糸」
arr. 鈴木憲夫「案山子」
arr. 相澤直人「麦の唄」
指揮:酒井宏枝
ピアノ:種井理恵

2曲目はポップスステージ、とはいえ、中々に重い曲たち笑 でもそこらへんは、持ち前のアッサリと歌いきる、よく言えば「爽やかさ」で乗り切ります。
とはいえねぇ、アカペラを揃えるくらいの実力って、割と大事なんですよ。1曲目。ブラヴォーが飛び出した同曲は、アカペラの編成。フレーズを歌おうとする心意気が、この曲に芯を通していきます。そう、技術的なボロというのは、指摘したらきりがない側面は正直辞めません。特に、高音が当たりきらなくても放置されているのは、色々な団にありがちなことでもあります。でも、この技術的課題、しっかりと歌いきるという一点で、突破できる部分が、少なからずあるんですね。もちろん、放置しておいていい課題ではない。でも、歌いこむことで、各個人が自分の音に責任を持つようになる。そのことによって、音圧だったり、表現が豊かになるんですね。否、これは、決して観念的なことではない。でも、一言、「ココロで歌う」! そういった意味で、フレージングが優先されるTFMのような団では、メロディをしっかり歌う曲に対して、ランダムオーダー、あるいはステージ全体を使った表現は、非常によく映えるんですね。ちゃんと鳴らそうとすること、それだけで、十分堪能できる、非常に貴重なステージでした。

インタミ15分。ホールのカーテンウォールから外を覗くと、開けた青空が眩しい。いいホールだなぁ……。
そうそう、第3ステージのピアノを弾く増田先生、プロフィールに曰く「私はピアノを弾いているのではない」という境地に至っているとかなんとか。実際に聴いてみて……ん、なんか、わかったようなわからんような……笑

第3ステージ・齋藤喬傘寿記念
Mozart, W. A. "Vesperae solennes de Confessore" KV339
指揮:齋藤喬
ピアノ:増田達斗
ソプラノ:畔桝幸代
アルト:荘典子
テノール:前川健生
バス:能勢健司

先代先生の傘寿記念。即ち、齢、実に80歳。団員にマイクを向けられ、曰く「年を取りました――只、音楽は、年を取りませんので」。
その言葉をそのままに――何かって、このステージ、エネルギー、その一点! 傘寿の御大、それだけ聴くと、一体どんなヨボヨボな棒振りを見せるのかと思いきや(失礼)、これが、とてつもなくキレッキレのタクト裁き! 力強いアインザッツに載っていくかのように、合唱団も、これまでの音圧からは目をみはる程の素晴らしい圧のある音を見せてくれる。モーツァルトという楽曲の性質もあって、ちょっと表現が強さ単一に過ぎたかなと思わせる面こそあるものの、合唱の食いつきもよく、ソロやピアノとも非常によく絡み合っていました。
このステージ、歌い手一人ひとりの、「次、何をすべきか」という表現がとても良く光っていました。自分が演るべき音楽がどういう音楽か、というのを、どういう形であれしっっかりと見据えていて、どうすれば自分が、どんな音を、どんな風に歌うことが出来るかを予想した上で、音を鳴らしているのだなというのがよく分かる。だからこそ、食いつきがよく、音圧に豊かな、決然的な音が鳴るんですね。
で、これ、本番のパフォーマンスだけじゃないんです。こういうことが出来る団は、リハーサルが強くなります。なぜって、常に、どういう音を出したいか、出すべきかを考えながら歌うわけですから、ビジネス的に言えば、PDCAサイクルが個人の中で非常に早く回るわけですね。そういった意味で、上達がすごく早くなりますし、歌い手としての地力も上がる。
そう、いってみればこれは、この団の底力を見せられたステージだったのだと思います。

・アンコール
Mozart, W. A. "Dominus Jesu”(齋藤)
Elder, D. "Twinkle, Twinkle, Little Star”(酒井)

最後のステージにちなんだ一曲と、これからの時代をかたどる一曲。エルダーは、少し力不足だったかしら? 否、いずれにしても、これからの団の形を見せようとする姿、それこそが、この選曲の最たるところでしょうか。

・まとめ

地域の核となる合唱団って、往々にして困難を伴うものなのだと思います。なぜか。常に、その地域にとってジェネラルなものになり続けなければならないから。選曲一つとっても、歌い手皆の心を掴んで、ある程度集客を期待できる曲となると、限られたものとなってくるし、例えばその地域で合唱団が少ないともなると、玉石混交に歌い手が集まってくるから、どうしても、レベルだったり、目指すべきものがバラバラになってしまって、結局、街の合唱サークルのような、みんなでなかよくうたってたのしみましょう、みたいなものになってしまうこともある。それが一概に悪いとは言えないのですが、選択肢がない中で、目指すべきものがそれしかない、というのは、とりわけ、その地域に住む人にとって、とても苦しいものとなる。
お世辞じゃない、TFMにあっては、その心配とは無縁なような気がしています。選曲をとっても、第1ステージに「くちびるに歌を」を中間楽章含めて全曲しっかりとやり、この曲のために、伊東先生を読んで複数回のレッスンを付けてもらう。そして、しっかりと自分たちのやりたい音楽について考え、それを音にしようと試みる。何、今鳴っている音が問題なのではない。大事なのは、そのベクトルにほかなりません。
音楽がある生活、ただそれだけで、心が豊かになります。でも、私は、敢えてこう申し上げたい。それが、馴れ合いになってしまったら、それは、もう、音楽ではないんです。たといどんなに、なかよしサークルであったとしても、そこには、常に向上心がなければならない。だからこそ、団長さんが「技術の向上のために、切磋琢磨してきた」とおっしゃる、その言葉が何より心強い。向上心あってこそ、その向上心そのものが、音楽にハリを齎します。
――釈迦に説法? 御意。僭越ながら、また、名古屋の地でも素晴らしい響きを聞かせて戴けることを、心待ちにしております。

なんなら、貴団よりも伊東先生が来てくれない当団の演奏会にも来ていただけたらなぁ、なんて←