おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2015年2月25日水曜日

雑感:「よくわかんない曲」と付き合う7つの方法

 さて今回は、Nコンの課題曲についての話です。「NHK全国学校音楽コンクール」では、毎年、課題曲を旬の作曲家・作詩家の先生に書き下ろして貰って(「委嘱」と、慣例的に呼んでいます)、課題曲とすると同時に、新しい作品を世に問うて合唱音楽の境界を広げてきました。
 今年は、「SEKAI NO OWARI」が曲を手がけるということで、果たしてどんな作品が出来上がるかと興味が持たれてきましたが、蓋を開けてみると、どうも「SEKAI NO OWARI」よりもぶっ飛んだ作品が高校の課題曲で出来上がった、と評判のようです。

NHK全国学校音楽コンクールの課題曲が突き抜けてる感がスゴイ」(Pouch, livedoor)
http://news.livedoor.com/article/detail/9781578/

 課題曲発表前に穂村弘による歌詞が発表され、その内容について、合唱を(たぶん)クラス合唱以外経験したことがない人が「突き抜けてる」と表現したニュースが話題になりました。で、当の高校生、それも合唱をやっている人たちの中にも「何この課題曲!」「歌いたくない!」なんていうことばがTwitterでみられたりします。もっとも、松本望作曲の作品演奏を聞いたところでは、評判は決して悪くないようです。しかし、曲も歌詩も、内容はぶっ飛んでいる(と、されている)。
 実際、過去数年の高校課題曲を見てみると、2014年「共演者」(小林香・詩、横山潤子・曲)、2013年「ここにいる」(文月悠光・詩、新実徳英・曲)、2012年「明日へ続く道」「もう一度」(星野富弘・詩、千原英喜・曲)、2011年「僕が守る」(銀色夏生・詩、上田真樹・曲)……など、いずれも、素直な歌詩と素直な曲で、仲間の大切さや、希望、共存の喜びなどを歌うものが多い傾向にありました。曲としても、「素直な名曲」といえるような、難易度さえ気にしなければ、学校の合唱コンクールでそのまま歌っても十分マッチする曲達ばかりです。
 では今年は、というと、実はこの曲、僕は大好きで仕方ありません。「ピース♪」というテーマに対して、「日常における透明な戦い」、つまり「日常におけるハッキリとはしないが何となく迫る不安」を堂々と取り上げ、漠然とした不安、それとハッキリと「戦って」いる風景が活写されている。そして、その詩に対して、反旗を翻すように、どこか牧歌的な、しかしその中に不安を覗かせるような曲が付けられている。その、潜在意識に覗く末恐ろしさと、しかし平穏に日々を過ごしている日常の姿、そしてそこに潜む日常の奥深さ――読めば読むほど、おっかなさだとか、美しさだとか、その他色々な感情が呼び起こされる。間違いなく、この曲は現代に光る名曲です。
 僕自身、この曲に対する解釈というのは言語化出来る形で持っています。しかし、かりにもこれは課題曲。その解釈をありのまま披瀝するというのは、あまり賢くはありません(それでも結構書きましたけど)。でも、この曲を「なんだかよくわからないけど、タラコおにぎり食べながら猫の名前をメイプルシロップって名付ける曲」っていう風には思ってほしくないんですね(そもそも論ですが、多分この主人公たちは猫を飼ってないと思います)。自分とて、大学から合唱の世界に入った身。実際、なんか凄い歌詩だな!?と、初読から三秒くらいは驚いていたのは事実です。しかし、読めば読むほど、この曲のことが大好きになっていった。是非、取り組まれる皆さんには「好き」とまではいかずとも「案外やるじゃん」程度には思って頂きたい。
 そのためのヒントになるかどうかはわかりませんが(そもそもこんなウエメセなことばがどこまで響くことやら)、この曲を含めた、所謂「難曲」と呼ばれる曲との付き合い方について、自分のアプローチの仕方を、考え方をまとめておきたいと思います。「ふうん、まぁ、こんな考え方もあるよね」という程度に思っていただけたら幸いです。

1. 「この曲、好きになれなさそう」と思わない
 不思議なもので、「好きになれない」と思ったら、本当に好きになれない可能性が高くなる。「絶対好きになってやる」とは思わなくても「もしかしたら好きになれるかもしれないなぁ」って思っておきましょう。「でも不思議だなぁ」という気持ちとともに。

2. とりあえず音読してみる
 どんなに不思議なこといってようと、合唱曲になる以上は、それは日本語であり、言語(ごくごくたまーに、言語でないこともありますが)。声に出して読むことは誰にでもできることです。あらゆることばには、それぞれ固有のリズムがあります。そのリズムを捉えるために、いちど音読してみる、それか、音読している気分でじっくり読むことをおすすめします。特に、今回の詩人は、短歌の歌人である穂村弘。この詩は七五調ではありませんが、ことばと音のリズムが聞いていて気持ちいい。その気持ちよさは、詩を音として感じないことには得られません。

3. 好きな言葉を抜き出してみる
 意外と軽視されがちですが、その詩の中で好きな言葉というのを、その詩の解釈の取っ掛かりにするのは、案外解釈への近道のような気がします。たとえば、「ホットケーキにメイプルシロップ」ということばが好きだったとします。そうしたら、そのことばがどうして好きなのか、あるいは、そのことばと対になることばはないか、さらに、この曲において「ホットケーキ」や「メイプルシロップ」と同じ意味を持つことばは他にないか、と色々考えることが出来ます。想像しているうちに、楽しくなってくるかもしれません。

4. 身近な思い出と引きあわせてみる
 どんなに難しい詩であっても、基本的に、詩人の経験からしか出てこないことばたちばかりです。ということは、その人は、変態だろうと犯罪者だろうと普通の人だろうと、そういう経験をして生きている。詩の世界に生きている人というのが、この世の中には一人はいるということです。だったら、自分たちが、その経験を理解できないとも限らない。共感は出来なくとも、なんとか、ああ、そういう人はいるのかもね、と思うことは出来るかもしれない。そのために、自分なら、こういう状況でどうするのかな、と考えてみる。ひとまず、取っ掛かりに、「コンビニの棚は空っぽ」だったあのときのことを思い出してみるといいかもしれません――とはいえ、高校生は、あの時中学生だったかぁ。あのときのテレビの様子、あるいはその当時の現場の様子、という方もいるかもしれませんね。辛いかもしれませんけど、なんとか思い出してみて。「目覚めたいのに目覚め」られなかった、あの悪夢のような日々のこと。

5. 曲から解釈してみる
 詩に付けられた曲は、その作曲家が詩を読んで感じたことの成果です。時に難解な、メロディなんだかよくわからないような曲がついていることもあります。しかし、それも、その作曲家がその詩を読んだ印象の塊。だから、曲を理解することは、作曲家がその詩をどう思ったかの理解につながります。なんでここで、こういう和音が使われているのか、なんでココはしゃべっていて、あそこはしゃべっていないのか、なんでここはヴォカリーズ、つまり歌詞がついていないのか、などなど、難しいことから簡単なことまで、いろんなことから、この曲の理解についてのヒントが見えてくると思います。

6. いっそのこと別の作品からアプローチしてみる
 例えば、私が「メイプルシロップ」を理解する上で、「なるほど!」と思ったのは、穂村弘『はじめての短歌』(成美堂出版、2014)から得た含蓄です。この本に限らず、あらゆるテーマで書かれた著者の作品は、程度の差こそあれ、何らかの通底するテーマのようなものが存在するように思います。また、逆のことを書いていたとしても、その問題意識に対して何か変遷があったかもしれないと比較する事も出来る。だからこそ、同じ著者の違う作品を鑑賞することには大きなあるのだと思います。また、例えばNコンだったら、曲の発表ページに書かれたコメントだったり、テレビ放映の際に寄せられたインタビューのコメントだったり……ヒントはたくさん転がっています。

7. 単純に音だけで楽しむ
 究極的には、曲を曲として聞いてしまう、という手もあります。歌詞が聞き取れないけど、なんか好き、っていう作品があったり、例えばバッハの平均律だったり、ベートーヴェンの運命だったり、チャイコフスキーの1812年だったり、音しか無くても、この曲最高!って思うこともある。それだったら、いっそのこと、歌詩のことは忘れて、この曲なんか好き、って思えるところにまでもっていけたら、それだけで儲けもんともいえます。それに、その曲は、作曲家が詩を読み込んで得た解釈の賜物なのですから……笑

0 件のコメント:

コメントを投稿