おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2022年12月10日土曜日

【うたのわっか Volume 4】

2022年12月10日(土) 於 瑞穂文化小劇場


当方とて同じ身ながら


このところ、単独演奏会ではない、散発的なジョイントや合唱祭のようなイベントが愛知県では増えています。あくまで体感、とはいえ、10ン年前(!?)、私が合唱に触れ始めたころにはあまりなかった流れです。否、昔は、こう、長いものに巻かれろというか、自ら企画してイベントを開くということについて、非常に心理的距離があったような気がしていまして、それと比べると非常に隔世の感があるというものです。もちろん、多くは、幹事団体の思惑ありで始まるものではありますが、老若男女、様々なイベントが生まれて、演奏活動が展開されており、どことなく、この地域の文化的裾野が広がっているようなきがします。嘗て連盟理事に名を連ねていた立場からすると、そういう私的活動が広がることで相対的な価値が下がってしまっているのか、連盟に加盟する新規合唱団の割合が下がっているような気も同時にしており、勝手に気をもんでいたりはしますが……苦笑

そんなわけで、この「うたのわっか」、そんな、新規イベントの中では4回を数える、老舗(?)イベントのひとつです。「冬の小さな合唱祭」という名前のごとく、毎年、中小規模の合唱団が参加して、ひとつのステージを作り上げていきます。持ち時間も比較的長めに取られており、さながら小さな演奏会を一杯聞いているかのような、アラカルト的な楽しみ方ができるのが魅力です。会場もちょうどいい感じの大きさで、出演者も含めて大体フルキャパの7割くらいは埋まっている感じ、なんとなく、賑わいも感じる、ちいさいけれどもあたたかい、そんなイベントです。


・ホールについて

これまでも何度か書いてきたホールです。今回、初めてクルマでアクセスしてみました(図書館と共用の駐車場が45台程度あります)。否しかし、入り口のカーブのRがキツすぎて、絶対にセンターラインを守って走れない感じになってます。ご安全に!

さてこのホール、主催者の立場になってみると、非常にホワイエが狭いことがネックになるホールです。カーテンウォールの採光窓が空間自体を広く見せてはいるので、居心地は悪くないのですが、ホワイエになにかを展開しようとしても、チケットをどこでもぎるかといえば扉の直前といったように、非常に空間の使い方に制約の大きいホールであることは残念ながら事実です。コロナ前ならまだしも、今ここでロビーストームやろうものならとてもできたものではないです。正直。

でもこのホール、改めて、響きのバランスがちょうどいいんですよね。しっかりと舞台の音が耳元まで届いてくるし、それでいながら残響も適切に残っている。そんな、魅力が非常に大きいホールだからこそ、敷地面積の狭さからくる不便さというのに、どうしても思いを致す部分が出てきてしまいます。もっとも、地域における交流拠点たる文化小劇場本来の役割は十分果たせているとは思うのですがね。


<あいち混声合唱団>

信長貴富(編曲)「鉄腕アトム」「島唄」「麦の唄」

上田真樹「花と画家」

信長貴富「木」


まずなにより、入りのピッチの良さは非常に良かったです。特に高音域がしっかり抜けた音がなっているというのは、それだけで加点要素になっていると思います。このイベントのオープニングを爽やかに彩ってくれました。

ただ、一方で、全プログラムにわたって気になってしまったのが、楽曲全体の「構成」を意識して歌えていたか、という点。どうも、音符を置きにいっているというか、この旋律の中でこの音が鳴る、ということについて、必然性を感じづらい部分を感じる演奏になってしまっていたように思います。指揮者一人だけでなく、団員全員が、そのイメージを持って、できることなら(音楽をして)共有して、演奏に向かうことができると、この団の演奏はまた一段階上のステージにいけるような気がします。

具体的なポイントで言うなら、例えば、「アトム」最初のカデンツで、縦の線をちゃんと聞きあって揃えることができていたか(テンポが上がってからのほうが、その点うまくごまかせていた部分が大きい)、あとは、「麦の唄」をはじめとして、味のある旋律がどこにあって、それがどう歌われるべきか、ちゃんとカラダに染み付いていたかどうか。この点、非常に優秀な指揮者である(初めて指揮者の方を拝見した、いつぞやの愛知県合唱祭大学生ワークショップが未だ忘れられません笑)と承知しておりますので、そのリーダーシップだけで十分きける音を作ることはできているのですが、逆に言えば、そのリーダーシップに音楽全体が頼り切りになっていないか。自分たちが、どういう音楽を作りたい、ということを、言語化できずとも、しっかりイメージして、その音を鳴らすようにどうしたら近づけるか、能動的にアンサンブルできるように、練習を進めていくといいのかな、と思いました。


休憩5分。いつもなら要らないって思う間ですが、各団体のプログラムが比較的バラエティに富んでいて重めなこともあり、地味にありがたかったです。


<Ensemble vert paon>

武満徹「翼(Wings)」

木下牧子「はじまり」

Clements, Jim "Gabriel's Message"

Ticheli, Frank "Earth Song"

Lauridsen, Morten "Dirait-on"


まずなにより、この音圧は好きです笑 非常にしっかりとした発声で、充実したアンサンブルを聴くことができました。何より、評価すべき音が鳴っていたな、という印象。意地悪な言い方すれば、いよいよコンクール映えする音が出てきました。

ただ、この演奏もまた、(厳しい言い方ではあるんですが)構成について意識が向いていたか、ということに疑問が残る演奏となりました。音圧があるので、それだけで聞いていられるのですが、とはいえ、とにかく突っ走る演奏であったという点において「翼」は非常にチャレンジングな曲。主旋律以外の声部が非常に細かく動くのを、放っておいてガンガン鳴らすだけで歌っていると、アンサンブル全体のまとまりを失ってしまう。特に象徴的なのが、中間部でテナーが「ひとは夢み」のあとにソプラノが歌う主旋律「旅して」が全く聞こえなかったこと。その後の「いつか空を飛ぶ」に承継される重要なテキストでありながら、一方で無意識だと、テナーは張ったあとに十分に引いてソプラノに渡さなければならないところ。その象徴的な部分以外にあっても、各声部の細かい音の動きというのは、曲全体でみれば大きな一つのアルペジオとして扱われるわけで、その意識がない限り、各声部の力比べに終始してしまい、音楽がひとつにまとまらない。一方で、力比べをやっていると、2曲目は勝手に流れていくものの、「光が駆け抜けた! 風が追い抜いた!」が、1回目と2回目で変わっている、その必然性を体感的にも見出しづらかったな、という印象です。3曲目の再現部然り。

この点、たまたまとはいえ、繰り返しが多い曲が並んでいたので、繰り返すことの意味について、より深い探究があると良かったのかな、と思います。特に「翼」なんかは、一度、パートごとにわけずに朗読するとか、歌曲として歌う(実際フォークソング発ですし)とか、ひとつの繋がりとして曲を捉える機会があるとよかったのかな、と思いました。


休憩10分。


<合唱団カラコロモ>

Leavitt, John "Festival Sanctus"

Čopi, Ambrož "Alleluia. Laudate Dominum, omnes gentes"

千原英喜「わが抒情詩」

野田学(編曲)「365日の紙飛行機」

源田俊一郎「瑠璃色の地球」


これまでの合唱団の中で、否、これまで聞いてきた数多の合唱団の中でも、抜群に子音処理がうまいな、という印象。特に、外国語の単語末尾の子音をあそこまでしっかり聞き取らせるのは、これまで聞いた中でもほとんど記憶にないくらいの素晴らしさです。愛知教育大学附属高校OB・OGを中心に構成されている団体というだけあって、コンクールで培ってきた楽曲を成立させるノウハウは非常に豊富。デュナーミクにも、漫然さがなく、確固たる意志を感じて、非常に好印象でした。特に言及したいのはフォルテに対する意思の強さ。ただ強くする、ということではないフォルテであったがために、無理なくピアノを弱くすることができていました。そう、音量の設計って、結局は相対論ですから。さらにいうならフレージングもいい。波をしっかり意識していて、フレーズの終わりにまで十分配慮が行き届いた、非常に端正な演奏でした。本当、欠点を見つけるのが非常に難しい。

あら捜しみたいになっているのは認めますが、でも、その中で言うなら、この団の課題は「わが抒情詩」にあります。外面的なわかりやすいメッセージはたしかにしっかり鳴らせていたのですが、一方、同曲のような、内面的なメッセージについては、いまいち消化不足感があったように感じます。悪く言えば、言葉と音に振り回されていた感じがします。確かに表面的にみれば酒を飲んだあたりから再現部というのは、非常に強い音、強いメッセージを鳴らすのですが、この部分の表現、否、詩全体の表現の肝は、その間「こころの穴ががらんとあき。めうちきりんにいたむのだ。」にあるのではないかと思います。この部分をどこまで効果的に表現するか、そう、音量設計的にはここは落ち込む部分なのですが、この部分のピアノの情感を、溢れ出るフォルテの中で、どこまで内省的に、抒情的に響かせるか、より研究を深められるとよかったのかな、と思いました。

まぁ、どの団でも多かれ少なかれそういう演奏が多いのですが。ううん、でも、そう考えれば、やっぱり難癖だな。うん、非常に素晴らしかったです。


休憩5分。


<おかえりのわっか>

信長貴富「未来へ」

千原英喜「みやこわすれ」

佐藤賢太郎(Ken-P)「想いが、今」

上田真樹「酒頌」


色々あって合唱を離れた人たちに「おかえり!」といえる環境を作るための企画合唱団。てっきり「うたのわっか」最初からの企画と思いきや、実はまだ今回で2回目なんだそう。しかし、今演奏活動から離れている自分にとってはアレですね、今度歌い手になりにいかなきゃですね(?)

まぁそんなわけで、あまりそういう趣旨の企画合唱団に対して技術的コメントをつける必要性はないと思いますが(技術が低くていいというわけではない)、とはいえ、結局こういう企画には「歌いたい奴ら」が集うわけで、今回の企画も、「おかえり!」な人たちが、そういう人たちに「ただいま!」といわれて、結構充実のボリュームで聞かせてくれました。「未来へ」の最後の和音とか、どう考えたって久しぶりな人が集っているような音ではない笑 とはいえ、Ken-Pの中にある「届け」という言葉が目立って滑っていたり、全体的に中間部でグダったり、「酒頌」で思っくそ内輪ネタに走ったり笑、そんな、色々「事故った」演奏も、突き詰めれば、私たちがこれまでも、そしてこれらからも見ていくことになるであろう、合唱活動の実相なような気がします。今回も、団員の皆さんは、この「おかえりのわっか」で、色々なドラマを見て、久々の感覚を追体験してきたのだと思います。ーーもう、それだけでいいじゃないですか。うん、やっぱり、演奏についてとやかくいうというのは野暮ってもんですよ。散々言った後なような気もしますけど←


<合同演奏>

松下耕「今、ここに」


そして、この大団円然り。色々ちゃんと気にしながら、総勢90人あまりの大団円を実現してくれました。そう、なんか、おかえりのわっかもそうですが、こう、「ただ歌う」っていう素朴な合唱、すごくいいですね。なんだか、コロナの世になってから、歌うことに妙な使命感が出てきたような気がしますけど、ここにいるということと、ここでうたうということ、そんな当たり前が、すごく胸に刺さってきたように思います。


・まとめ

このイベント、決まった団がどこかといえば、Ensemble vert paonくらいで、毎年様々な音を聞くことができるイベントです。今年もまた多彩な団体の演奏を、多彩なプログラムのもとに聞くことができました。各団体プログラムに工夫をこらしていることからして、なんだか久々に、ああ、合唱聞いたなぁ!という充実感に満たされています。

結果として、全団体に対して、楽曲構成についてコメントするという結果になりました。ただ、それって、結果的には、今回の団体それぞれが非常にレベルが高い演奏をしていたことの裏返しとも言えそうです。

不思議なことに、音楽づくりにおいては、よほど初見が上手い人でない限り(否そうであったとしても)、細かいところから作り始めて、最後に大局に目を向けていくという、よくよく考えれば逆なんじゃないか、という作り方をしているように思います。それが、選曲からコミットしていて、実際に曲を何度も聞いたことがある、くらいに理解が進んでいるものであれば良いものの、究極には初演のような、誰も全貌を知らない状態で曲作りをはじめると、よくあるのが、曲作りまで「たどり着かいない」という言い方。

でも考えてみれば、「その曲自体」に関する考察って、一番最初に一番やっておくべきことなような気がします。この曲がどんな曲で、どんな構成で、どんな作り方をするのが適切なのか、それを十分考えた上で、だからこそ、こういう要素があって、ここをクリアしなければならないっていう、マクロ→ミクロという作り方ができてくることこそ、本当のあるべき姿なような気がします。超えるべき壁は明らかになっている方が超えやすいし、なにより、精神的にもラクですし。

でも、そんなシフトチェンジについて言及できるということ自体も、皮肉なことに、ミクロをこなすことができるチカラを備えているから、ということともいえたりします。ううむ、世の中難しい。なんにせよ、レベルの高い「合唱祭」だったように思います。楽しかったです。

2022年11月6日日曜日

【合唱団MIWO 第35回演奏会】

2022年11月6日(日)於 三井住友海上しらかわホール

Opening
新実徳英「とどいてますか」(谷川俊太郎)
指揮:岩本達明
ピアノ:浅井道子

Stage 1
新実徳英・無伴奏混声合唱のための『北極星の子守歌』(谷川雁)
指揮:岩本達明

intermission 20 min.

Stage 2
G.フォーレ『レクイエム 作品48』
指揮:大谷研二
オルガン:大竹くみ

intermission 15 min.

Stage 3
三宅悠太・混声合唱とピアノのための『遠きものへーー』(長田弘)
指揮:大谷研二
ピアノ:浅井道子

encore.
首藤健太郎「ありがとう」(鹿目真紀)
指揮:岩本達明

arr.大竹くみ「ふるさと」
指揮:大谷研二
ピアノ:大竹くみ、浅井道子(四手)

監修:大谷研二

***

 かつて、日常には歌があった。ーーなどというと、何を大げさな、と笑われてしまうだろうか。「かつて」というあたり、特に、まるでこのコロナ禍にあって合唱活動が下火になったことをまだ言うか、と言われてしまいそうである。むろん、今やそれすら日常となってしまっている状況、そんな「小さな」ことを言うつもりはない(もっとも、3年経とうというところで、未だコロナのことを論じうる状況にあることは悲しい限りである)。
 ギリシャの屋外劇場で演奏されたといわれる単旋律にはじまるハレの日の音楽に加えて、音楽、特に「うた」には、日常から生まれる言葉の延長という側面があった。楽器も含め、広く「うた」を合図に、人は起き、仕事を始め、土を耕し、家を建て、戦いに赴き、豊作を祝い、子供をあやし、そして眠りについてきた。明治維新から150年を迎えた、まさにその間を思い返してみても、わが国には国歌が生まれ、学制の中に校歌が生まれ、ラジオから流れる歌謡曲が生まれ、戦争の惨禍の中に軍歌が生まれ、合唱コンクールが学校行事として定着し、喫茶店はレコードの時代から音楽が絶えず、そして、世界的な流れの中に、今や音楽はストリーミングにより、いつでも、どこでも、いくらでも聞けるような時代になってきた。
 このように定着してきた「制度的なうた」は、確かに今の時代も連綿と受け継がれている。ただ、一方で、日常的に歌い、奏でられてきた、ーー現代的に言えば「フラッシュモブ」的なーー「うた」は、幾ばくかその存在感を薄めているように思う。現業職の労働歌は機械の轟音にかき消され、子どもをあやす子守唄は、テレビのひな壇にかき消されたか、あるいは少なくとも、街中においてはマナーの名のもとに聞かれなくなった。よもや学校でみんなで歌い合う光景ですら、コロナ対策の名のもとに封じられつつ昨今である。
 一方で、ーーウクライナ兵が地下壕の国歌演奏に敬礼するようにーー現代にあっても、「うた」のチカラはなお健在である。少しずつ戻ってきたストリートライブの光景や、ときには酔客が千鳥足でがなりたてる「うた」にあってすら、それは街に彩りをもたらし、少しずつではあるが、私たちの活動に活力をもたらす。かつて「ラ・マルセイエーズ」が革命を力強く推進し、バルトにおいて「うた」が革命そのものとなったように、「うた」には社会を変革するチカラが、今もなお、たしかにある。それは何も「制度的なうた」に限らないのである。

***

 合唱団MIWOがコンサート中心の活動形態へ転換して早25年余りが経つという。といったところで、1982年に創団して40周年を迎えた同団の歴史を思えば、コンクールの賞を総なめにしていた時代のほうがもはや過去のことになりつつある。もしかしたらコンクール時代の記憶が団員からすら薄れつつあるかもしれない、その中にあって、連綿と歌いつなぎ、なおも名門団としての名声を保ち続けている。
 そんな経歴を持つのだから、きっとさぞかし、輝かしくギラギラとした美しい響きを聞かせてくれるものだと、久方ぶりに同団の演奏を聞く私が思っていたことを否定しない。当然、少なくともコロナ前、否、少なくとも6年は前であっただろう、最後のMIWOの記憶は、当時の私が咀嚼するにはあまりに未熟で、いわゆる「うまい団」というのは、そんな響きを聞かせる団とイコールだと思いこんでいる節があった。
 やはり、間違いなく、うまい団であったことは間違いない。しかし、この団が持つうまさというのは、日常に響く「うた」を、私たちの懐にスッと届けることのできるチカラであった。
 プログラム自体も、私にとっては、そんな「うた」の原風景そのものであった。最新曲でこそあれNコン小学生部門課題曲に始まり、大学合唱時代から慣れ親しんできた『北極星の子守歌』、数多くの憧れの団が取り組んできたフォーレのレクイエム、そして、社会人になってから何度も歌った「おやすみなさい」を含む組曲ーー育休として合唱活動を控えている当方としては、その合唱遍歴を振り返るかのような、生活の中に馴染んだ「うた」たちのプログラム。
 その実、「とどいてますか」の優しいメロディに続く『北極星の子守歌』は、私の、合唱を始めたときの原風景そのものが広がってくるようだった。思わず、その時を思い出すーー誤解しないでいただきたいのが、当時の私と比べたら(今の私と比べても)、間違いなくMIWOのほうがうまいのである。ただ、その音が、例えばかつて模範音源として聞いた東混の音、そこから想像する自分たちの理想の音に、限りなく寄り添っているのである。各個人が歌いこむことで導き出される、新実徳英によって企図された音楽の自然な流れ、それぞれのパートがそれぞれの音楽を全うすることで作り出される、まるでひとつの「うた」のような軽快なアンサンブルは、様々なジャンルと曲調が織りなす、見かけ以上に複雑な『北極星の子守歌』の曲集が持つ世界を、いともかんたんに表現する。どこが主旋律をとろうが、仮にそれがバロック調であろうが、母が子に歌う子守歌であろうが、それを我が「うた」とし、なすべき音楽をーーおそらくは無意識にーー作り出していく。
『レクイエム』にしたってそうだ。基本的には抑制的な音楽でありながら、朗唱すべきところでしっかりと歌いこむ。今回はYAMAHA STAGIAに委ねられたオケとのアンサンブルにおいても、決して規模に埋没することなく、それでいて合唱ばかりが目立つこともなく、しっかりと対峙し、否、オケとともにあるべき位置を十分に認識し、ときにアンサンブルし、ときに歌い上げられる。その自在な音楽模様は、決して統制だけで生まれるようなものではなく、各歌い手が十分なスコアに対する(あるいは耳による)理解のもとに、どうあるべきかを練り上げた結果である。それも自然なこととしてサラッと表現してしまうのが、この団の魅力そのものであるといえよう。
 その中で演奏される『遠きものへーー』は、ややもすると現代合唱に特徴的な跳躍音形とリッチな和声が特徴的な音楽であるが、MIWOはその中に確かにある「うた」を決して置き去りにしない。ややもすると、複雑な音形をもつ副旋律が主旋律以上に目立ちかねない中にありながら、複雑さを決して主張せず、その中にある主旋律をーー確かにその複雑な箇所の機能としてーー見事に歌い上げる。そうであるからして、前2曲のピアノ曲が持つ混沌とし、力強く、かつ重い言葉の世界を表現する、その後に奏でられる「おやすみなさい」が、ある種の鎮魂として、たしかに私たちの心のなかに響いてくる。

***

 恐らく、なにもMIWOは、特別なことをしていないのである。自然な「うた」を自然なままに歌い切る、そのことを徹底しているのであるーーそのことの難易度の、なんと高いことよ!ーー。MIWOのアウトリーチの成果か、あるいは団員からの伝手か、小さな子どもたちの姿も客席には目立った。中には、じっとしているのが大変そうな子達も見られたが、語弊を恐れずに言えば、この「うた」であるのなら、仮にいまその価値がわからなかったとしても、数十年後も、心のなかに残り続けてくれる、そして、ふとした時に、その豊かさにハッとさせられるーーそんな音楽が、今日の演奏会では響いていた、そう信じてやまないのである。
 本演奏会が開催された三井住友海上しらかわホールは、2024年2月、あと1年4ヶ月を以て閉館することを発表した。私立ホールにありながら、名古屋におけるクラシック音楽文化の核を形作ってきた同ホールの撤退は、マクロ的に見れば間違いなく名古屋の音楽文化のひとつの衰退であると言わざるを得ない。しかしながら、同時に忘れてはならないのは、私たちには「うた」があるということである。本日を含め、このホールで生まれてきた名演の名残を惜しみつつ、かつ、明日へ向けて力強く新たに歌い始めることーーそう、私たちには「うた」がある。これからも歌い継ぐ権利が、確かにある。
 きょうのMIWOが見せたような、あるがままの「うた」の記憶を、私たちが繋いでいくことーー無意識の中に私たちが宿すべき、確固たる決意である。

2022年7月15日金曜日

【おしらせ】しらかわホール合唱祭開催しますー!

 どうも!


この前このブログで参加意向調査を行ったコレ↓

https://shotawatabe.blogspot.com/2022/04/blog-post.html


ありがたいことに、一定数の参加が見込まれることがわかりましたので、

開催決定しました!! ホールとっちゃいました!!一時的に家計がアレ!


本日、公式ブログを開設し、団体募集を開始しましたので、

ぜひご興味のある方は参加くださいませ!

https://shirakawachorusfes.blogspot.com/2022/07/application-general.html


しかし、普段の演奏会レビューよりも遥かに多くのアクセスを頂いているところ

もう、なんか、もうね笑


ちょっと私生活が落ち着かないので、なかなか演奏会も聞きにいけないけど、

又落ち着いて(落ち着けて)レビュー書きますので、それはそれで待っててくださいねー!

え、待ってない?……そんなぁ笑

2022年4月14日木曜日

【募集!】しらかわホール合唱祭(仮称)参加意向調査のお知らせ

僕たちとしらかわホールの関係を、このまま終わらせてもいいのか。

ちょっと珍しく、企画に参加していただける合唱団の募集です。

 今年1月、三井住友海上しらかわホールが閉館するという、全クラシックファンが驚愕したニュースが駆け巡りました。この時代のクラシック業界の経営の難しさを如実に物語るニュースであると同時に、私たちアマチュア合唱を愛好する者にとっては、実力のある団でないと使うのが難しく、聞きに行けば名演に出会える、そんな憧れの存在がなくなってしまうという、まさに衝撃的な一報。その瞬間の虚脱感と、悔しさと、やるせなさは、今も忘れることができません。

 でも、思ったんです。このままで終わらせるわけにはいかない、と。多くのアマチュア合唱団が憧れとし、多くの合唱人が、夢の舞台と語ってきた、このステージを、なにもないまま終わらせるわけにはいかない、と。

 もしかしたら、最後になるかもしれない、しらかわホールへの「出演」と、合唱を聞く時間をともに楽しめるような、「しらかわホール合唱祭」ができないか、と、企画が萌芽したのは、閉館のニュースが駆け巡った翌日のことでした。とはいえ、多くの合唱団が集まってやらないと、採算はおろか、企画の趣旨すら満足に達成できない。そんなことから、企画に参加していただける合唱団がどれだけいるか、まずは調査してみようということになりました。

 数多くの御参加が見込めることがわかった場合、本イベントの開催に向けて本格的な企画を進めて参ります。多くの合唱団の協力を得て、ぜひ実現に向けて走り出していきたいと考えています。参加を積極的に御検討いただける団体は、以下に記載します応募フォームからぜひ御応募ください。

企画概要

  日  時  2023年6月〜7月頃(会館による利用抽選等を経て決定)

  会  場  三井住友海上しらかわホール(名古屋市中区)

  実施内容  公募合唱団によるコンサート

         ※ 状況によりその他の企画についても計画して参ります。

  入場料  有料券を販売予定(別途御案内します)

  主  催  しらかわホール合唱祭実行委員会

          (興津亮吾、原田康太、藤森徹、渡部翔太)

  後援等  別途調整

 

<タイムテーブルイメージ> ※ ホールの確保状況等により調整します

 

土曜日(応募多数の場合)

日曜日

9:00

設営

設営

10:00

開演準備

開演準備

11:00

公募合唱団によるコンサート

公募合唱団によるコンサート

12:00

13:00

14:00

休憩

休憩

15:00

公募合唱団によるコンサート

公募合唱団によるコンサート

16:00

17:00

18:00

19:00

 


調査概要

○ 申込方法

  以下のアドレスによる専用フォームに必要事項を御記載の上お申し込みください。

  https://forms.gle/syodp1B3PTtWQ3HQ8

 フォームによる申込が難しいものの参加を希望していただける場合は別途御相談ください。


○ 調査締切

  2022527日(金)

※ 調査の結果、参加応募団体が一定数を下回る場合、本イベントの企画を中止します。

 


出演概要

  参加資格  2名以上による合唱団又は声楽アンサンブルグループ

          ※ 最大60名程度を想定しております。それを超えるオンステを予定している場合は別途御相談に応じます。

          ※ 会館や全日本合唱連盟、官公庁等による感染症対策その他の規制により出演人数に制限をかける場合があります。

   演奏時間  110分(最大3枠程度)

   出演日程  参加団体の希望や演奏・演出内容により主催者で決定します。

   参加団体数    60団体程度(最大)

   参加料

            1団体当たり(基本参加料)     30,000   

                     1枠当たり                                   10,000   

                     1人当たり                                1,500   

          ※ 本調査において参加すると回答していただいた場合、特典として1団体当たり料金を25,000円と致します。

          ※ 参加料の支払い時期は、開催が決定した段階で改めて御案内する際に合わせて御案内致します。

    ※ 一定の基準による予測のもと、現時点で採算がとれる形で金額を計算しております。調査の結果、多くの参加が見込まれるなどにより、減額が可能と判断される場合、減額を行うことがあります。

          ※ 参加団体には入場券(若干枚)の進呈を予定しております。

(参考)愛知県合唱祭の参加料金

1団体につき5,000円と参加者1名につき350

中学校       1団体につき5,000円と参加者1名につき100

高等学校      1団体につき5,000円と参加者1名につき200

 

 

 ○ お問合せ先

   実行委員会メールアドレスへ御連絡ください。

      chorusfes.nagoya@gmail.com

2022年2月6日日曜日

【名古屋大学混声合唱団グリーンハーモニー クロージングコンサート】

2022年2月6日(日)於 豊田市コンサートホール


第1ステージ フィナーレのために

Mendelssohn, F. B.「団歌 森にわかるる歌(原題: Abschied vom Walde)」(J. von Eichendorff(津川主一・訳))

信長貴富「初心のうた」(混声合唱とピアノのための『初心のうた』より、木島始・作詩)

千原英喜「寂庵の祈り(無伴奏版)」(混声合唱とピアノのための『ある真夜中に』より、瀬戸内寂聴・作詩)

水井敦子・混声合唱とピアノのための「渚の、、、」(山田洋子、水井敦子)

新実徳英「聞こえる」(混声合唱曲集『空に、樹に・・・』より、岩間芳樹・作詩)

團伊玖磨「河口」(混声合唱組曲『筑後川』より、丸山豊・作詩)

指揮:内藤彰(1)、大西悠斗(2,3)、川口昂彦(4,5)、中村貴志(6)

ピアノ:重左恵里(2,5,6)、戸田京子(4)


Intermission 10 min.


第2ステージ 愛唱曲ステージ

団歌 森にわかるる歌<リモート参加者との多重録音演奏>

オランダ民謡(arr. 中村仁策)「サリマライズ」(森田久男)

Mozart, W. A. “Ave Verum Corpus”*

イギリス民謡(arr. 小林秀雄)「ピクニック」(萩原英一)

佐々木伸尚「夜のうた(ピアノ伴奏付)」(リモート参加者の録音と合同演奏、阪田寛夫・作詩)*

指揮:藤森徹(代:川口昂彦)

ピアノ:重左恵里*


Intermission 10 min.


第3ステージ

高田三郎・混声合唱組曲『水のいのち』(高野喜久雄)

指揮:内藤彰(1,2)、中村貴志(3,4,5)

ピアノ:重左恵里


encore

木下牧子「鴎」(三好達治)

指揮:大西悠斗


***


 コロナ禍にあって合唱活動が苦境を強いられてるというのは、当方かねてから本ブログにおいても何度も言及しているところです。また、それは、特に学生団にあっては文字通りの死活問題であるということも。

 ただ単に演奏会が開けない、というだけでなく、団員が集まらない、集まってもリモートでの活動には限界がある、集まろうとしても大学に止められる、インカレで人を集めようにも、大学がそういった活動を良しとしない、良し悪しはともかく、様々な要因が重なり合って、大学合唱団という一つの文化が消滅の危機にあえぐというのは、象徴性を通り越していよいよ現実そこに迫る危機として迫ってきています。

 そして、その危機が、いよいよ形となって表出してきたな、というのが、今回の演奏会に象徴的であると考えています。名大グリーンが昨年度で現役活動を終了し、今年度、クロージングと称して旗を畳むとの報は、名古屋にて大学合唱に関わったことのある人間としては正に衝撃というほかありません。

 名古屋大学において活動する合唱団は、随分前に歴史的趨勢の中に名大男声が活動を終えた以外は活動を休止するような縮小の動きも少なに、名古屋大学医学部混声合唱団、名古屋大学混声合唱団、混声合唱団名古屋大学コール・グランツェ、そしてこの名古屋大学混声合唱団グリーンハーモニーの4団が盤石な活動地盤を以て続けているという状況から長らく変更はありませんでした。もちろんこの間、大学合唱団の活動休止は、愛知大学男声、愛知教育大学男声など、いくつか見られたことではありましたが、よもや名大の、それも混声合唱団がこのような事態に陥っているとは、人数減少の報を聞いてこそいたものの、決して想像出来ていた事態ではありませんでした。

 名古屋大学グリーンハーモニーは、パンフレットによると、もと学生運動が盛んな1967年に、当時学生運動的な合唱曲が跋扈していた中にあって本格的な合唱をしたいという思いから集った仲間による合唱団。その際、当時のメンバー構成からか、女声は外部の大学から引っ張ってくるということが一種の伝統となっていたこともあり、傍目にはひときわ華やかな(?)合唱団という印象があります。数奇な運命の導きで、今の愛知県の合唱界を引っ張る人材を多く生み出し、果てはかの有名な合唱指揮者も一時期在団していたこともあるというのに象徴的な、非常に特異な活動で耳目を集めていた印象があります。

 そんな精力的な活動をしている団が、いくら団員減少のなかにあったとはいえ、活動休止まで追い詰められるというのは、コロナ禍においても名古屋の大学合唱において歴史の特異点であるといえます。永く歴史を持ち、多くの優秀な合唱人を輩出してきた合唱団がその歴史に幕を閉じるというのは、いよいよ、その影響が表出してきたという実感を感じさせます。ーーそれだけじゃないと思うんだけどさ、多分、いや、きっと。そう信じたい。逆に。


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 とはいえ、この演奏会、まさに、そんな華々しい歴史を持つグリーンハーモニーのクロージングにふさわしいプログラムというべきではありませんか。文字通り愛唱曲として緩徐するのは2ステのみ(それも、演奏会の趣旨からして絶対になくてはならないものです)、それ以外は団の全力を込めて作り上げる大曲そろい、それも3ステにあっては「水のいのち」全曲。なかなか出来たものではありません。しかも、コロナは相変わらず猛威をふるい、10回もない練習が2回リモートになり、挙げ句、2ステの指揮者はコロナ絡みでオフステの由。そもそも、OVだけで1つの演奏会を組み上げるということが少ない中にあって、まずこの企画を成立させ、無事とは行かずとも、なんとか開催にこぎつけたことは、まずそれだけで称賛に値します。

 まずは創団時の初代学生指揮者である内藤氏による団歌。メンデルスゾーンの邦訳による同曲の団歌制定史、氏に曰く「ジョイントをやるに当たりエールで使う曲がなかったので、愛唱曲の中から、緑とも関わりのある同曲を選んで以来、団歌として定着した」由。そもそも、そのジョイント自体も、ジョイントする先はおろか団員すらろくに集まっていない状態でホールだけ取ったというのだから、ぶっ飛んでいる団は最初からぶっ飛んでいるのだなぁと思い知らされます。

 そんな同曲とともに、最後の現役正指揮による2曲、同団団員の作曲から出版までこぎつけた「渚の、、、」、そして大団円の「河口」に至るまで、いよいよ同ステージの規模はわずか1ステージでありながら充実の6曲構成でありました。最初、まるで別れを惜しむかのように、ゆっくりと、包みこむようなハーモニーが印象的であったところ、「河口」に至っては(曲がそうさせた?)、充実の大ボリューム。最初、どこか鎮痛な雰囲気が漂っていた客席も、気付けばすっかり温まって、1ステからすでに、団員が全員捌けるまで拍手の鳴り止まない演奏となりました。

 第2ステージは愛唱曲集。団歌のリモート演奏というコロナに象徴的な演奏に始まり、通常と比べて非常にポップなテンポで進行する「サリマライズ」、愛唱曲として見事歌い慣らされた「Ave Verum Corpus」、新歓の賑やかしに一役買っていたであろう「ピクニック」、そして最後は、リモートと思いをひとつにした「夜のうた」に至るまで、グリーンハーモニーとはこんな団だったんですよ、というメッセージが存分に込められたステージとなりました。そう、きっと、真ん中3曲を思い起こすに、きっとこの団は、笑顔が絶えない、楽しい団だったのだと思います(そりゃ、運営に苦労は尽きないってのはお決まりなんだけどさ)。そして、指揮者もコロナの関係で代打する中、リモートの歌声と重ねて奏でる思いは、どこか磯部俶「遥かな友に」のエピソードを思い起こさせるようです。

 3ステは、不朽の名作「水のいのち」を、初代学生指揮者から、末代(とはいえ22年間!)グリーンが指導を仰いたマエストロにバトンタッチしながら。めぐる水の還流を、「たえまない始まり」を、あらゆる世代が邂逅する中で歌い上げました。これがまた、本当にいい演奏だった! しっかりと弛みなく流れていく一方で、表現ひとつひとつに同曲が持つ原風景をしっかりと描写し、まさに水がみせる生命の動きが見えてくるような、本当に心に残る演奏。どのパートもしっかりと主張しつつ(特に終曲のアルト!)、それでいて4パート渾然一体となって音楽を作り上げる、まさに最後の合同演奏にふさわしい演奏となりました。

 アンコールには、きっと、何度も歌い慣らされたであろう「鴎」を、現役最後の正指揮により演奏。こんなに名残惜しい鴎があったでしょうか。「つひに自由はかれらのものだ」というテキストが、深く深く胸に突き刺さります。

 最後まで団員を万雷の拍手で見送り、一息ついて、外を見ると夕焼け。当地には非常に珍しい雪景も気付けば晴れ渡り、寒い中にあっても美しい光景でした。いい演奏会のあとの空って、本当にきれいなんですよね。


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 いずれにしても、このような歴史ある合唱団を、積極的な広報も少なに、このまん延防止等重点措置下において、万雷の拍手ながら、5割に満たぬ客席の中で見送らねばならぬこと、その悔しさを、我々合唱人は、否、合唱愛好家は、決して忘れてはならないのだと思います。その存在とともに。

 ーーそう、忘れていなければ、きっと私達は、また邂逅できるのです。かつて私が在団したある大学合唱団も、活動休止の憂き目に一時あいながらも、見事復活を果たした団なのですから。旗は畳めど、また広げればいい(その際の労苦こそ大変なものはあるでしょうが)。

 所属団の音楽監督が常に言い続けている言葉があります(その人、この言葉をそこらじゅうでおっしゃっているようです。同志の皆様、恐れ入ります)。「合唱は、無理してでも続けろ」ーーライフスタイルの変化によって、続けることが苦しくなる時期もあるだろう、そんな中にあっても、続けてこそ奏でられる音があり、得られるものがある、そんなメッセージです。そう、グリーンハーモニーという箱がなくなってしまっても、まだ私達には、合唱という共通言語があります。まるで何かの呪いのように歌を奪われる経験をした私達をしても、グリーンハーモニーがこの演奏会に至るくらいに、歌は結局、私達から切っても切り離せないものでした。私達には歌があり、歌がある限り、続けている限り、また巡り合うことができる。そう信じています。

 グリーンハーモニーの「たえまない始まり」に寄せて、本稿のその記録が、せめてその記憶の一助となりますことを。本当にお疲れさまでした。