おおよそだいたい、合唱のこと。

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2024年2月17日土曜日

【東京混声合唱団名古屋公演】

〜祈り〜

2024年2月17日(土)於 三井住友海上しらかわホール


信長貴富「星の名を知らずにいたい 별 이름 모르고 싶다」(谷川俊太郎・詩、吉川 凪・訳)<2023年度委嘱作品初演>

信長貴富・男声合唱とピアノのための「Fragments―特攻隊戦死者の手記による―」**

Elgar, Edward "Agnus Dei(Nimrod)"*

Sandström, Sven-David "The Giver of Stars"*

Barber, Samuel "Agnus Dei"(Adagio for Strings, Op.11)*


int. 20min.


佐藤眞・混声合唱のためのカンタータ『土の歌』[2009年度改訂版](大木惇夫・作詩)**


encore

arr. 福間洸太朗「ピアノのためのシャンソン・メドレー」(抜粋)

信長貴富「ハミングのためのエチュード」


指揮:山田和樹、Barbara, Dragan*

ピアノ:福間洸太朗**


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 よくも考えてみれば、いずれも老舗の話ではある。

 今日、この会場でお手洗いに入り、水栓から水を出そうとした際に、ふと思いつく。このホールの水栓は、上から下にレバーを動かすことにより水を出す。大学時代に教養の講義で聞いたことであるが、例えば上からものが落ちてきたときなど、地球上においてよくある自由落下による外部刺激等が発生した際に水が出たままにならないようにするために、昨今の水栓は、上から下にレバーを動かした際はむしろ水栓が閉まるように設計するとのことである。すなわち、この水栓が使われているということは、リノベーションが行われていないある程度古い時代に設計された建築物であると推定することができる。

 三井住友海上しらかわホールは、1994年11月に開館し、まもなく30周年を迎えるホールであった。しかし、30周年を目前にして、同館が閉館するというニュースは、名古屋圏のみならず、日本のクラシック界に衝撃が走った出来事といって差し支えないであろう。署名活動が大々的に展開され、名古屋市長への「直訴」もあったが、ついに民間からも行政からも、名古屋を代表する室内楽ホールとしての買い手の声はないまま、閉館の月を迎えた。当初の発表ではビルごと売却されるという、その売却先及び活用方法については、現段階において少なくとも大衆の知るところにはない。

 存続を訴える活動についても、それを賛同する声がある一方で、署名したとて民間企業の経済活動に水を差すことができるのかという声や、資本的な元手もない中に存続を訴えることへの懐疑の声など、実質的なしらかわホールの存続可能性に対する一種の諦念が渦巻いていた。間違いなく、このホールが残ってほしいという考え方それ自体は共通していた一方で、その具体的手法については、誰もが見いだせぬまま今日を迎えたということ自体は、事実といってしまって差し支えないであろう。

 過激なことを申せば、老舗を潰した、これは、名古屋の文化受容におけるひとつの大きな敗北である。


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 このホールで生まれた名演は、本当に数え切れないほどのものである。個人的な思い出の中では、大阪コレギウム・ムジクムが当地で名古屋初演をした木下牧子「たいようオルガン」の演奏を、特に強烈に記憶している(2011年3月13日という、東日本大震災直後の出来事であったようだ)。合唱においてもプロの演奏会やハイアマチュアの名古屋における拠点的な場所として使われ、大学合唱団などでは記念演奏会の会場として使われるなど、特別なホールとして多く使われてきたその実績は、単に演奏会の本数のみでは測れない大きな価値を持つものであった。

 あくまで個人の印象として、決して、手放しで称賛されるようなホールというわけではなかったと考えている。シューボックスタイプとしての残響については十分な水準であったとは考えるが、音圧という観点で、少々音が散る印象それ自体は最後まで拭えなかった。他の類似ホールと比較すると内装の装飾は最小限で、少々質素とも考えられ、1階席において2階席が庇としてかかる後方・サイド席における圧迫感は決して快適なものではなかった。また、愛知県芸術劇場も同様であるが、ビュッフェが導線上になく、休憩が長い公演にあっても積極的に使うには程遠い(実際、しらかわホールのビュッフェはコロナ禍で閉館して以降、ついに再開することはなかった程に、もとから需要が低かった)。

 ただ、そんな、ネガティブなポイントをつらつらと書き連ねることができるくらいには、私達は、しらかわホールに通い、否、通い詰め、それぞれの好みとする音楽ジャンルを吸収し続けてきた。出演者として裏方を使う機会に恵まれた際によく使用していた(数年前に諸事情により撤去された)ドトールのカップ自販機におけるスープのことや、下手の出演者ラウンジという非常に贅沢な空間、そして何より、どんなに書いたとしてもやはり名古屋有数の響きの良さを持つホール、そして、そこで演奏をする、そのこと自体の期待。しらかわホールが持つ特別な価値は、名古屋における文化史の重要な一部として書き残されるべきことであるし、これからもその歴史を紡ぐべき存在であったことは間違いない。


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 合唱団として最老舗のひとつである東混の、名古屋における歴史も、このしらかわホールとともにあるといって差し支えないであろう。私自身、かつていずみホールではじめてその響きを聞いて感激し、名古屋での演奏を心待ちにしていた身のひとりである。この際述懐するならば、真相はどうあれ、大学生当時、名古屋で演奏会をやってくれ、と、東混にファンレターを書いたのちに、しばらく開催されていなかった名古屋での演奏会が開かれた、そのことをもって、勝手に、私が名古屋に東混を呼んだということにしている(実に身勝手な回想である)。そんな思い出のホールでの、ほぼ間違いなく、最後のしらかわホール公演である。「居ても立ってもいられない」という感情を心から持ったのは、果たして、「しらかわホール合唱祭」を主催したとき以来であったといっていいであろう。

 東混として老舗ながら、その「最初の」しらかわホール公演から数えて10年以上が経ち、大きく組織が変容するに至った。その技術的素養と、日本における合唱の開拓者としての立ち位置は変わらぬものでありながら、かつて松原千振とともに北欧を回ったその合唱団は、2024年度には山田和樹が特に知られているモナコの地を踏むという。とはいえ、東混は、しらかわホールにおいて、その合唱団の変遷を、ほぼ年一回のペースで名古屋の合唱人にみせてきた。

 そう、名古屋に東混が来始めた頃は、未だ信長貴富は演奏すらされていなかった。それが今となっては、レジデンシャルアーティストとして新作を提供するほどである。しらかわホールとともにあった20年は、それほどまでに長い時間である。


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 信長貴富によるリクエストもあり、演奏会は、当初山田和樹が意図していた「Fragments」を1曲目に据えるのではなく、その新曲「星の名を知らずにいたい」より始まる。日韓の二群合唱を、2階席正面の空きスペースも使って立体的に並べる。その音楽が持つ印象派絵画的な風景の抽象性、そのもののメッセージを伝えるには、むしろ、その広さが必要だったのかもしれない。日本語・韓国語ともに、異なるテンポの中に歌われる混沌とした情景は、日韓語二群が揃って歌う段になって、いよいよその情景をしっかりと映し出す。詩の中にある「名付けられる前の世界の混沌」から、まさに、ひとつの世界が、言語の枠を超えて描出される様は、それこそ、世界の起源をすら映し出すかのような、単なる美的感覚を超えた、精神的な「美しさ」を活写する。その体験そのものをして、音楽の美のありようを訴える。なお、信長貴富による作曲技術的な面では、かつて『「呼び交わす言葉たち」~無伴奏混声合唱のための2つのエチュード~』において試みられていたことではあるが、新曲を、しかも、いずれも信長貴富による作曲において編まれたという点で、技術にメッセージを載せるという点でも意欲作である点は特に補足しておきたい。

 「Fragmentsー特攻隊戦死者の手記によるー」は、信長貴富の近作における代表作の一つと言って差し支えないであろう。タイトルにあるように、特攻隊戦死者の手記、否、むしろ、文字による断末魔といってもいいのかもしれない、心のうちの咆哮が、時代の激情とともに活写されている。知覧という、今や茶の名産地として名高い(余談ではあるが、非常に美味な茶であることはぜひとも申し上げておきたい)同地が、かつて特攻隊基地としてあった、その悲劇は、「あんまり緑が美しい」、その音の穏やかで美しい旋律とともに、はるかなる景色とともに振り返られる。同曲における東混の表現では、特に「神風特攻隊」の創設を伝える電令にはじまる、軍隊的な朗読に、その素晴らしさがあった。最後のバンダに至るまで、非常に強い集中力によって編まれた、特攻隊員の「証言」は、その残響をも、まるであとを引くかのごとく表現に変えてゆく。

 山田和樹の導きにより、初来日となった新進気鋭のバーバラ・ドラガンによる演奏は、その抑揚において、端正かつ誠実な音作りが光った演奏であった。決して目先の音に振り回されるのみならず、全体の構成に十分な気配りがなされ、音の迫力を使いこなす。なにより、合唱団の実力それ自体もあるが、音圧において難が残りがちなしらかわホールの響きを十分に捉えていたのは、言及しておくべきことであろう。

 メインの『土の歌』は、オーケストラでの再演を複数経て、今回のピアノ版再演に至る、言わずもがな合唱界において最も著名な楽曲である(仮に合唱を知らない方に御覧いただいているとすれば、終曲が「大地讃頌」である、といえば、それだけで諒解いただけるであろう)。エンタテインメントとしてのクラシック音楽を心得ている山田和樹だからこそできる、同組曲のもつドラマティックな構成は、時を短く感じさせつつも、それぞれの表現のリアリティを浮き彫りにする。それでいて、「大地讃頌」の、オーケストラ版を彷彿とさせる静謐な導入から徐々に音が溢れるその表現、そして、それを実現する実力には、やはり脱帽させられる(これが非常に難しいのだ)。


***


 「ハミングのためのエチュード」における「ふるさと」を歌う群を聴衆に委ねるという山田和樹の計らいにより、思わぬところで、「しらかわホールで歌う最後の機会」を得た。「しらかわホール合唱祭」では、徹頭徹尾運営側にまわった当方としては、明白な記憶として残る唯一の、「しらかわホールで歌う最後の機会」となった。そう、しらかわホールで何度も歌い、ときに絶叫し、客席を練り歩き、様々な人に挨拶し、演奏会を運営してきた、私だって、このホールを心から愛してきたひとりである。

 きょうで最後のしらかわホールとする予定で、このチケットの予約を入れた。私も、このホールに出会って以来、生活のありようを大きく変えてきた。その歴史を逡巡しながら、演奏会が終わって、ただちに日常に放り込まれる。

――ある意味、都市型ホールの宿命なのかもしれない。その宿命を、しらかわホールが残した功績の大きさとともに、受け入れ、次に活かしていく。そう、都市とは、膨張するものなのだ。良し悪しは置いといて、おそらくは、これからも。