おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2020年12月18日金曜日

【名古屋フィルハーモニー交響楽団「第九演奏会」(1日目)】

2020年12月18日(金)於 愛知県芸術劇場コンサートホール

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調 作品125『合唱付』
Ludwig van Beethoven(1770-1827): Symphony No.9 in D minor, Op. 125 "Choral"
指揮:川瀬賢太郎(正指揮者)
ソプラノ:三宅理恵
アルト:石井藍
テノール:宮里直樹
バリトン:荻原潤(宮本益光から変更)
合唱:東京混声合唱団(愛知県合唱連盟から変更)

オーケストラ:名古屋フィルハーモニー交響楽団

***

 散々な一年であった。そんな一年が、暮れようとしている。

 新型コロナウイルスという未知の恐怖に、ほぼ例外なく皆が怯え、日常生活すらままならなくなっていった。何をするにも、これまで経験したことのない対策を強いられ、何をするにも、批判と憎悪が渦巻いた。
 合唱は、その批判と憎悪の最たるところに位置付けられた。なにも法螺吹きではない。クラスター発生の最たる原因と位置付けられ、様々な舞台芸術が暗中模索して再開を探る中で、合唱だけが、様々な偶然と、声を出すということそのものを理由として、およそ画一的にその再開を妨げられた。
 語弊を恐れずにいえば、有史以来、歌うことそのものを禁じられた時代は、恐らく未だかつてなかった。独裁政権であっても、宗教であっても、内容に口出すことはあっても、歌うことを止めることは、これまで誰もがしてこなかったと言ってよいのではないか。恐らく楽器を弾くよりも早く始まった芸術を、ウイルスはいとも簡単に禁止した。人が密集する、互いに声を交わす、そんな、社会の原風景ともいえる光景を体現した芸術は、今、その消滅をも覗くかの如く、正に風前の灯である。――何も、大げさではない。合唱は、今、なくなろうとしている。
 医療崩壊は人の早すぎる死をもたらし、交流の崩壊は人の社会を殺しにかかる。いずれも、新型コロナウイルスが齎した厄災である。

***

 合唱活動が止まるというとき、象徴的に語られるものが、学校における部活動の停止、校内合唱コンクールの中止(実際は、いずれも工夫のもとなんとか実施した例も多い)、そして、年末の第九公演である。理由はともあれ、こと日本においては、年末のクラシック公演は第九を抜きには語れない。決して大編成ではないながらも、メロディ、ハーモニーの華々しさ、曲の最後に奏される大合唱、それがもたらす大団円。一万人の第九という、大団円を象徴的にするものから(それも又、今年は歌唱動画を集めて繋げた、いわゆる「リモート開催」であった)、250年前の音楽を再現する演奏まで、他の曲に対してあまりに多く再演されてきた、誰もが知る名曲である。
 そんな第九が、合唱がついているという、同曲最大の特徴のために、もれなく公演中止の危機に瀕することとなった。現代のオーケストラでなくとも、初演ですら100人の合唱団により演奏されたという。しかし、今や、100人の人間が一堂に会することすら、慎重な対応を求められる時代である。名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)とて例外ではなく、結果、100人~200人で毎年共演してきた愛知県合唱連盟の起用は断念せざるを得なかった。普段より小編成で、プロ合唱団・東京混声合唱団とともに――しかし、それでもなお、名フィルは第九を演奏することを選んだ。

 入場前のソーシャルディスタンス、消毒、検温、チケットは自分でもぎり、パンフレットも自分で取る。オケはスペースを取ったゆとりのある配置にし、ソロを含む声楽はオルガン前席に配置(大規模編成の際にはしばしばある配置でもある)し、シューボックスのステージとオルガン前席の間にはビニールフィルムの防護壁が設置されている。開演前アナウンスには感染症対策の注意喚起がずらずらと読み上げられ、接触確認アプリの作動を妨げないためにスマートフォンの電源を切らない(消音モードに設定する)よう指導がなされるクラシック公演に出会う日が来るとは誰が想像したであろうか。一方で、新型コロナウイルスの濃厚接触の疑いから出演者の交替があるなど、新型コロナウイルスがごく身近に迫ったものであることを改めて知らされる。――しかし、それでも、「こんな時だからこそ、この作品の持つメッセージは深く届く」(川瀬賢太郎・開演前プレトーク)との思いから、名フィルは第九を演奏することを選んだのである。
 何を隠そう、名フィルだけではない。東日本大震災からわずか一週間後、東京が電力問題に瀕し、自粛ムードの中で経済活動が停滞する中にありながら定期演奏会を敢行したのが、東京混声合唱団(東混)であった。このコロナ禍にあっても、どこよりも早く演奏を再開すべく、リモートアンサンブル、合唱用マスクの開発、それを用いた実演、コロナ禍に対応した新曲委嘱と動画初演・楽譜販売と、ニューノーマルの基における合唱活動のあり方を模索し、提案し続けてきた。そんな東混が、今や全国で数える程となった第九公演の合唱を担うことになったのは、必然と言ってもいいのかもしれない。――実のところ、その規模故普段は第九を演奏することが少ないにもかかわらず。

***

 散々な一年であった。でもだからこそ、この曲を歌う意味が、より鮮明になる。
 どこか悲愴的なモチーフから始まる第一楽章、険しい道の中に牧歌的な主題が現れる第二楽章、美しい旋律が包み込む第三楽章、それらを回顧し、しかし、「このような調べではない」と堂々たる主張が響いた上に、歓喜の中に大団円を迎えゆく第四楽章。――何を隠そう、数える程ではあるが、愛知県合唱連盟の一員として合唱団に参加している身である。その身でありながらにして、否、それであるが故にというべきか、客席で第九を通して聞くという経験は、実は今回が初めてであった。いつも歌っているこの曲を、客席で聴くということ、それ自体が、どこかむずがゆい、否、もっと言ってしまえば、「悔しい」と形容できる、そんな経験であった。歌うことのみが第九というわけでは、当然無いのにもかかわらず。第一楽章の冒頭に重なりゆく音像、第二楽章の木管による対位法的旋律、第三楽章のホルンがむき出しになって奏でる旋律を、(大変卑近なたとえで恐縮であるが)まるでドアラのバク転を見守る中日ドラゴンズファンの心持ちで見守るのも、第四楽章で合唱が入る前に金管が奏でる主題の裏で荘厳に鳴り響く弦楽による第九全体を支える主題――いずれも、舞台の上で迎える年末の風物詩として、当方の脳裏に強く思い起こされる光景である。
 マエストロ川瀬賢太郎が以前名フィルと演奏した第九にあっても、ひな壇の上にいた。木管のマルカートの後ろで、今か今かと出番を待ちながら、落ち着かない心を手汗とともに握っているのが、私にとっての年末の風物詩である。練習記号M――合唱による主題直前の弦によるオクターブ跳躍を、まるでボウイングとシンクロして振りおろすマエストロの姿を、演奏者の目線で体感できたのは、永遠に忘れられない財産である。あのときの誰よりも若く、誰よりも輝き、誰よりも疾走した第九を、また「見る」ことができる。コロナ抜きにして、それ自体、貴重なことであった。
 果たして、その棒が持つエネルギーは、その時と変わらなかった。否、コロナによって抑圧された感情が開放されるかのごとく、そのエネルギーを演奏とともに増幅させていたのではないか。プロでなくとも、感情を表出した演奏は御法度とされる(過度な緊張が音の乱れにつながり、有り体に言えば、聞き手が冷める)ものの、演奏者も聞き手も、今年の第九に、やっとたどり着いた今年の第九に、感情移入しないはずがないのであった。
 所々折り合いがつかないところを強引にまとめながら、終始アップテンポでまとまっていく。否、指揮を見るにも私が知る限りにおいても、無駄なリタルダンドのかからない、これがインテンポなのだ。寧ろ、今日の演奏は楽譜に忠実であった。しかしながら、インテンポの演奏を実現することそのものに異様な体力を要する第九という曲に、マエストロのエネルギーが乗りうつり、いつもより少ないはずのオケ(コントラバスが4人というのが象徴的である)が、いつもと同じ音量を奏でる。第二楽章の対位法を見事にこなし、ティンパニが雷鳴を奏で、第三楽章のホルンが完璧に鳴る。所々につく演奏の傷は、怒濤のテンポで疾走するエネルギーの中に飲み込まれていく。
 第四楽章の主題が弱音でコントラバスとチェロにより奏でられるとき、思わず目をつむる。妙に感傷的になって、「歓喜の歌」に祈りを込める。伴奏がなく、低弦の斉唱のもとに奏でられ提示されるこの主題は、とても内省的な音楽から始まる。徐々に楽器と音量が増えていく中で、管に主題を受け渡した時に鳴る弦もまた、「歓喜」の裏を物語る。決して手放しに祝えない「歓喜」の象徴は、まさに、現代社会の映し鏡である。
 合唱は、普段の4分の1しかいない程度の規模でしかない。それなのに、プロというアドバンテージは、いとも簡単にそのディスアドバンテージを超克する。思わず合唱の入りに、笑いがこみ上げてしまう。なんだこれ。いつもの自分たちより全然うまいじゃないか。わずか28名が、いつも以上に和声を決めて、いつも以上に子音を飛ばす。いつも決まらないのがお決まりなはずの、二重フーガ前の和音が、明快に協和音として聞こえる(そんな当たり前のことすら普段のアマチュアはできないのかとのお叱りを避けることは出来ないであろう)。もちろん、音量が不足しているという印象は免れ得ない。しかし、それを補うにあまりある技術が、東混の存在感を見せつけた。
 制限がある中にして、奏でられた第九の評価は、開演前にあれだけ「タクトを降ろしてから」と言われていたのに食い気味に客席に響いた拍手が、すべてを物語る。「歓喜の合唱」と俗称される第九は、必ずしも手放しに明るく歌い続ける曲ではない。どちらかというと、歓喜を「勝ち取る」、そういうエネルギーに満ちている曲と言って差し支えないのではないか。そのエネルギー自体が、今日の演奏では再現されていた。おそらく、これより良い演奏は、これまで嘗て散々演奏されてきたのだと思う。数えたことはないがおそらく年に10回近く普段なら第九を演奏する名フィル自身、今日がベストの演奏ではないのだと思う。粗はあったかもしれない、しかしながら、今年は、第九が目の前で鳴っていること自体が、奇跡的な出来事であった。

***

 散々な一年であった。決して、大団円の中に終わることの出来ない一年であった。悲しくも志半ばに失われた命も数知れない。ボロボロの状態であるし、今も素直に第九実演を受け容れられない人がいるのも十分承知している。しかし、そんなボロボロの中で得られた、文字通り美しいハーモニーと、情熱に満ちたオケの疾走、そして、いつも以上に大きな拍手こそ、我々が勝ち得た今年の歓喜である。編成の問題ではない。どんな形でもいい。今年の第九は、今年にしか出来ないのである。
 でも、あえて名演の前に、どんなに有り体な一言でも、今年ばかりはもの申したい。「O Freunde, nicht diese Töne!」――「友よ!このような調べではない!」。元々、日本の第九の規模は大きすぎるという声があるのも承知している。しかし、日本の第九には、大人数の大団円が、どうしても必要なのだ。

 合唱、こと収益を求めないアマチュア合唱は、わずかこの一年で、崩壊の危機に瀕している。既存の団が練習を思うように出来ていないのももちろん大変であるが、学生合唱団を中心として、若い新入団員の獲得に苦しみ、次世代の潜在合唱人口は間違いなく減った。人の心自体を合唱に結びつけることが困難になっているこの時代。語弊を恐れずに言えば、私の心も、以前よりは合唱から離れているというのを、正直痛感している。
 しかし一方で、演奏が出来ることそれ自体を喜びとする、素直に合唱を楽しむ気持ちを思い出すことが出来たのも今年である。確実に減った一つ一つの演奏機会に接するとき、確実に心が躍る。今日のような名演に接したとき、自分も歌いたいと思う――そんな、昔から抱き続けていた当たり前の感情が、間違いない、こんなにも尊いものであったとは。
 今年、第九の実演に触れることが出来たのは、またとない僥倖である。しかし、一方で、また、私たちの第九が奏でられるときが来ると良い。そんな当たり前の歓喜を勝ち取ることのできるそのときを、心から待望することとしたい。

2020年6月15日月曜日

【第59回愛知県合唱祭のようなもの(2日目)】

2020年6月14日(日)於 稲沢市

ここで、簡単に稲沢市について。

大化改新の後から嘗て国衙が置かれ、東海道や中山道のバイパス的役割を果たした美濃路が通り、宿場町が栄えるなど、昔から交通の要衝として栄えていた歴史があります。主要産業は、国府宮近辺にも広がる水田による稲作はもとより、名物として、植木、銀杏(祖父江町)など。愛知県植木センターが市内に立地し、祖父江の銀杏は、並木道が観光資源にもなっていますね。また、交通の要衝としての地の利は現代にもあり、市の真ん中を東海道新幹線が貫き、在来線も、東海道本線稲沢駅は旅客はもちろんのこと貨物駅としても重要な役割を担います(ちなみに見学コーナーがあるそうです)。名鉄は名古屋本線のほか、祖父江町側には尾西線も走ります。そんな交通の便を生かして、第二次産業も盛ん。稲沢市側の三菱エレベーター(三菱電機稲沢製作所)は特に有名ですが、豊田合成は稲沢工場・平和町工場・西溝口工場と3つの拠点を構え、しかも平和町エリアを中心に国道155線が走っていることから、沿線には先述の豊田合成だけでなく、明治愛知工場をはじめ多くの工場が立地しています。
木曽の川の恵みを一心に受けつつ、過去から現在に至るまで大きく成長を続ける稲沢市。実は、今も愛知県の一大産業都市として大いなる成長の糧を担っています。

そうなんです! 国府宮駅から線路沿いにホールへ向かうだけではわからない稲沢の魅力がまだまだあるんです。嘗て3つの地方自治体から構成された稲沢市は、各所に様々な魅力を持つ、非常に多彩な文化を孕む土地なのです。

と、いうことで、愛知県合唱祭のようなもの2日目は、そんな稲沢の魅力をより「幅広く」探ってきましたよ!
てか、昨日も今日くらいの天気だったらよかったのに(´・ω・`)

AM10:00@自宅近くの駐車場(名古屋市某所)

さすがに回る場所のバリエーションが多彩なので、今日は車で参ります。
しかもがっつり高速使って。。。非常に損している気はしている←
次の目的地の駐車場が(なぜか)閉まってたので、とりあえず国府宮駅前に停めて徒歩。結構近い場所です。

AM11:00@美濃地稲葉宿本陣跡ひろば近辺の町並み(小沢二丁目・稲葉三丁目)
















嘗て栄えた宿場町の本陣跡を公園として整備したものと、その周りに今も残る旧市街の町並み。美濃路は宮宿(名古屋市・熱田)から垂井宿(岐阜県)に至る脇街道で、稲沢市では現在の文化フォーラムの裏から稲葉宿を経て、今で言う清須と一宮を結んでいます。嘗て稲沢銀行や中電営業所が構えていて、近代かに至っても稲沢市の経済の中心であっただけでなく、実は稲沢の名は、稲葉宿を形成する旧稲葉村と旧小沢村から一文字ずつとられてできたとのこと。まさに、稲沢市の起点ともいうべき由緒ある土地です。今でも歴史ある町並みは残されていて、現役の和菓子店や着物屋、文房具店などが軒を連ねています。景勝のハイライトとしては、稲沢市民俗資料収蔵庫

かつての中部電力稲沢営業所の建物とのことです。

PM12:00@とりよし(小池一丁目)




実はきょう最大のお楽しみ。釜飯が有名ということで、ビビッときたので、お昼はここにするという前提からルート構築がはじまりました。ただ、釜飯が有名とはいうものの、釜飯以外もおいしいらしく、日曜日までランチを提供しつつ、最安ランチはなんと破格の600円、しかもたべログには「稲沢で揚げ物食べるならここ」とか書かれている。夜は居酒屋のようだし、本当一体何のお店と形容すべきか……笑

で、釜飯!鳥釜飯セットで釜飯と刺身、茶碗蒸し、たくあんがついてきます。釜飯は、深めの羽釜を、注文があってから火にかけるから、熱々の状態で出てきます。それをハフハフとかき込むだけでまず幸せ。で、釜飯は、出汁を十分にきかせた、五感に訴える滋味。こういう、お出汁の効いた味は、体の中から温まってきます。一度は食べる価値のある、非常に端正な釜飯です。駅からも十分歩くことの出来る距離もありがたいところ。

PM12:45@稲沢市宮浦公園(長野一丁目)




とりよしさんのすぐ北にあるこの公園、ちょっと広場が広めにとってある近所の公園って感じなのですが、実は、静態保存のD51機関車があるんです。普段は建屋の中にあるのを金網越しに眺めるものですが、年に2回一般公開もしているそうです。


PM1:00@珈琲あんず(小池三丁目)




ちょうど近所にあった喫茶店を、とりよしへの道すがらに発見。雰囲気も良いので、食後の珈琲をいただきに訪ねました。非常に豊かな甘みを感じる珈琲と、ふんわりとしたシフォンケーキ、そしてなにより、木材をふんだんに使った内装と、窓から見える緑鮮やかな景色、店の前の草木。店内には絵画も飾られて、雰囲気がとてもきれいな喫茶店でした。今日は客は自分ひとりで、とても穏やかな時間がながれていましたが、この店、特色のひとつがモーニングにあるようで、結構なボリュームのモーニングを、なんと12時半まで提供しているんだとか。


ここから、祖父江町、平和町エリアへ向かっていきます。そう、このための車……笑


PM2:00@善光寺東海別院(祖父江町祖父江南川原)




祖父江町といえば、銀杏、そして銀杏並木ですが、その歴史の深さから、寺社仏閣が建ち並ぶのもまた特徴のひとつです。祖父江町にある7つの寺院でなす「尾張七福神巡り」の一角をなすのが、この善光寺東海別院。文字通り、信州の善光寺如来を迎えて建立された別院で、本院の本堂の3分の2ほど「も」ある、非常に立派な本堂に、戒壇巡りもすることができます。全国的にもいろいろな寺院であるようですが、ここの戒壇巡りの特徴は、暗闇の中を進んでいくと、なんと光り輝く極楽浄土が本当に眼前に現れる。しかし、戒壇巡りってこんなに怖いものだったんですねぇ……信州でもやったことあるはずなんですけど。このあとしばらく、生と死について思いを巡らしていました。

もうすこし季節が進むと、色とりどりの蓮の花が楽しませてくれるようです。また、再来年には御本尊御開帳があり、それに併せて鐘楼の改修を行っています。

そして、続いて平和町へ。個人的にはまったく知識のない中でしたが、これまた、歴史の香る面白そうな街でした。


PM2:30@勝幡城跡(平和町城之内)




なんと、あの織田信長が生まれたといわれる、織田家の城。平和町から愛西市にかけてひろがっていた城だそうです。遺構はなく、石碑が目印のように建っているのが、城の跡を残しています。石碑だけがあるのみですが、穏やかな時の流れが、かつてのこの地域の隆興を物語っています。ちなみに、勝幡駅(愛西市)へ行くと、復元模型やら石像やらいろいろと充実しているようです。

ちなみに、ここの近くにある桜井建材さんの敷地に、塗り直した機関車が置いてありました。


PM3:00@平和中央公園~桜ネックレス(平和町嫁振北)



田んぼと工場の只中にある現在の稲沢市役所平和支社の近くには、行政関係の施設が集積しています。その外れのところにあるのが、平和中央公園です。良い感じのシロツメクサにサッカーゴールやバスケットゴールも整備され、晴れていれば賑やかな子供の声が聞こえてきそうな気持ちの良い公園です。
そんな、平和中央公園と役場を、川沿いにリング状につないでいるのが、この桜ネックレス。この季節は、整備された遊歩道いっぱいに鮮やかな緑を輝かせていました。この季節でこれだけ綺麗ということは、春になると……否、それは、皆様がご覧になって答えを見出していただきたいと思います。

2日間にわたりお届けした合唱祭、のようなもの。なかなか稲沢を回る機会がなかったというのは私も同じことでして、お陰で知られざる稲沢の魅力を色々と楽しむことができました。特に、祖父江・平和の二町は、合唱祭の最中はまず訪れることの難しい地域。まだまだ周り切れていない場所の方が多いですし、最後にご紹介した桜ネックレスの春になった時の姿や、夏には合唱祭とコンクールを挟んで祖父江の虫送り、秋には銀杏、冬には国府宮はだか祭りと、一年中イベントの尽きない稲沢市。ぜひ皆様も、合唱の合間にその魅力を発掘してみてくださいね。



・メシーコール
ピッツェリア アリス」(大塚南三丁目)
……お前、まだ食うのかって言われそうですが笑
今回行っていないお店から、ひとつだけ。かつて出張の道中に訪れたお店です(客として、ですよ?笑)。ランチの時間帯に食べた味がね、すっごい美味しかったなというのを覚えているんです。大塚性海寺への道すがらでたまたま再発見して、2日目のお昼候補に入ったのですが、新しいのを見ようというのと、釜飯食べたい欲に負けて(ちなみに、寿司食べたい欲とも戦ってました←)、今回は番外編にてご紹介。ホールから2kmほどで、頑張れば歩いても行けるので、是非に。


2020年6月14日日曜日

【第59回愛知県合唱祭のようなもの(1日目)】

2020年6月13日(土)於 稲沢市

合唱祭、中止になっちゃいましたね……
コンクールも、Nコンも朝日も中止になっちゃいましたし……

2020年当初から始まった新型コロナウイルスの流行が、社会全体をとんでもない方向へもっていってしまっています。必要に迫られた自粛が、2011年当時の「メイプルシロップ」的世界観よりも深刻な世界を作り出し、気がつけば、世界全体が沈んでいく。しょうがないのかもしれないけれど、でも、ただただ、やるせない。
で、そのままやるせないだけってのもアレなんで、何か出来ないかなぁって考えていたわけですよ。合唱祭。やっぱりさ、この時期は合唱祭がないと張り合いがないですからね。とはいえ、どうせ歌えないわけですし現状……。

そういえば。忘れちゃならないことがあります。歌うには場所が必要です。自宅だけでは完結しない私たちの芸術は、普通、ホールで演奏しています。で、いろいろな歌う機会が提供されているわけですが、実は、上にある3つのイベント、とある共通点があるんです。
……そうです。これ、

全部、稲沢でやってるんです!

愛知県が関係する大会では、これらはすべて、稲沢市にある名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)で開かれているんです(Nコンは一部)。でも、普段は、大体線路沿いに会場へ向かい、線路沿いへ会場から去り、あげく、名古屋方から来る時には、国府宮の直前で見える車窓の施設を見ながら、ここに駅を作れと悪態をつく始末。
でも、そうだよ、僕たちには稲沢がある。合唱祭がないのも何かの縁、ここは一つ、

稲沢巡りが第59回愛知県合唱祭だ!

ということで、稲沢巡りしてきましたよ!
え?何もこんな土砂降りの日に行かなくてもって?
だって、合唱祭は今日じゃないか!
撮影マジしんどかった……


AM8:50@金山駅(名古屋市中区)
せっかくだし、μチケットで行きましょう。

AM9:10@国府宮駅(松下一丁目)
こんな日に駅名標撮ってるのも自分くらいだろうなぁ……笑
さすがに、合唱祭ないだけあって、降りる人も少なかったです。とはいえ、特急停車駅なので、やっぱりそこそこ降りる人はいる。


ここから、土砂降りの中を歩いて行きます……写真撮ってる時間帯が一番降水量多かった気がするのなんなの笑

AM9:30@名古屋文理大学文化フォーラム(正明寺三丁目)

来ました!稲沢市民会館。ここの近くへ来ると、いやが上にもテンションが上がります。
いや、それにしても、団体バス駐車場も、

いつもは人がたまる広場も、

入り口前も、

大ホール2階から1階へ至る階段も……

どこ見ても人がいないのが、合唱祭が中止になった現実を見せつける……

あげく、実はホールにある喫茶店「宝竹」で朝ご飯にしようと思っていたのですが、短縮営業ということで、普段の開店時間である9時から1時間後にしか開かないということで、とりやめ。そこそこおなかも空く中、とりあえず次を目指すことに。

AM10:00@国府宮神社(尾張大國霊神社・国府宮一丁目)




そういえば、参拝したことなかったんですよ。あれだけホールの近くにいると、さすがに散々鳥居は見るはずなんですがね笑 裸祭りが全国的に有名な、愛知県の中でも名高い神社のひとつです。駅名になるくらいですからね。一宮、国府宮、神宮前、豊川稲荷……。
ちゃんと、文化フォーラムの近くにある最初の鳥居から歩き始めましてね笑、鳥居の水たまりも、砂敷きの道のぬかるみも臆せず歩き通しました(おかげで靴はびちゃびちゃに←)。
普段参拝していないものだから、ニュースなどでみる、人で埋まった様子しかほぼ知らなかったものですから、意外と一般参拝者が動き回るスペースが小さいことにビックリ。否、だめなわけじゃないですけど笑、真清田神社(一宮市)より小さいとは思わなかった。ただ、徳川時代の建立であるという本殿及び拝殿と、足利時代建立の重文である楼門はやはり存在感が強く、圧巻です。
国土からお力をいただく神社ということで(?)、まさに、この難事からの脱却と、あと何より、来年こそ合唱祭が開けますようにお願い。まさに、「儺追い(なおい)」の神社ですからね。ちなみに、国府宮と言えば「なおいぎれ」ですが、てっきり、剥ぎ取ったもののお裾分けをいただくことでしか手に入れられないものだと思ってたら、あれ、売ってるんですね……笑

AM10:15@にわや(国府宮三丁目)

ここで朝ご飯代わりにみたらし団子。神社の近くにある駄菓子屋さんで、裸祭りの日には店の屋上を開放して有料の見物席にするそうです。で、みたらし団子も焼いている。お寺や神社の近くといったらみたらし団子ですよね!みたらしタレを焦がしてある、昔ながらのみたらし団子。素朴な味ながら、砂糖の具合がちょうどよく、ちょっと甘めの味付けが好きな味です。結構、醤油が濃いな、とか、特にタレを後がけする最近のはやりの味は甘すぎるな、とか、いろいろあんばいがあるんですよね。これ、まさに、ちょうどいい。
そう、ここでは、「朝ご飯」の代わりの予定だったんですよ……笑

AM10:20@中高記念館(国府宮二丁目)

国府宮の参道の近くにある洋館の建物。明治13年に建てられた旧制中島郡高等小学校の校舎だそう。毎年4月の植木祭りの頃には開放されることもあるみたいです。なにがすごいって、これ、今となっては住宅街のど真ん中にある笑

AM10:30@モンシュエル(国府宮二丁目)

ここで、喫茶店へ。駅前にあるのに、ホールの反対側にあるという理由だけで一切存在を知りませんでした。近年内装をやり直したようで、キレイな建物の中で淹れられるコーヒーはサイフォン。そして、何気なくモーニングで出てくるサンドイッチが結構なボリューム。さすが、一宮に近いだけはある(?)。たばこをくゆらせ、近所の人が語り合う、そんな雰囲気が、サイフォンのある風景と、どこかなじんでいるようで、端正な清らかさを思わせる、非常にさわやかな喫茶店です。しかも、入店当時、なんと(たぶんたまたま)児童合唱が流れていたもので、余計に好印象ですね!笑 イヨ、合唱祭!笑

AM11:20@そば松(国府宮二丁目)


知る人ぞ知る、否、地元の人間だとみんな知っているという噂もある、老舗そば屋。鼻をくすぐる出汁の香りがまず何よりおいしい。もちろん、そばを食べたくなる……でも、違うんです、ここが有名な理由は何より、この写真に掲載した「カレーラーメン」!
何かと食べるタイミングがなかった(普段は仕込みの日でも宝竹で済ませてしまうことが多くてなぁ……)のですが、噂には聞いていたこの味。そばのお出汁が穏やかに効いている中に、主張しすぎず、調和をもたらすカレーのスープ。そして、カレーうどんのように長ネギも入った具材の中にうかぶ麺も、昔ながらのラーメン屋を彷彿とさせる素朴な麺。ホント、こういう、素朴な麺類出す店が少なくなってしまいました。しかし、そんな貴重な味を食わせてくれる店です。否、おいしくペロリと食べることが出来ました。
ところで、チャーシュー入りにできたり、追い飯できたりしたみたい(未確認だけど、カウンターのお客さんが頼んでいたような)ですが、10時にみたらし食べて、10時半にサンドイッチ食べたもんだから、もう、なんかそこまで入りませんでした笑 次回の宿題ですね。

ここで、車を借りて動き始めようかと思った某カーシェア会員の私。昨日見たときは駅前の車空いてたなってことで楽観視して探し始めたら、
うまっとるやないかい!
ってことで、ここから先、歩けこそするものの、そこそこな距離を歩いて移動。
しかも、2キロ強の道すがらで土砂降りになる……そう、私、そこそこ雨男なんですよ笑

PM12:30@大塚性海寺歴史公園(大塚南一丁目)





性海寺と、その周りに整備された公園。「弘法大師・空海が、名古屋の熱田神宮にお参りする途中に開基」と書いてあるんですが、こんな時代から神仏習合してたんですねぇ。
お寺に手を合わせたら、ここでのお楽しみは、歴史公園に植えられた、世界中のアジサイ。今回はコロナウイルスの影響で中止となりましたが、普段はアジサイ祭りを開いて、いろいろとイベントもやっているようです。つまり、ちょうど合唱祭の時期!直線距離で行くと30分くらいあれば歩くこともできる距離のようです。結構遠いですけど、敷地内に咲き乱れるアジサイは見物です。祭りはなくとも見学は自由、ということで、一眼カメラを構える人が自分以外にも4~5人いらっしゃいました。
しかし、きょうこの天気でモデル撮影してる人がいたんだけど……大変だろうに、よくやるなぁ笑 途中、暇そうに手を伸ばしてバレエ踊るようにして遊んでるモデルさん、キレイだったなぁ。人の雇ったモデルで撮影したりはしませんでしたが笑

PM1:30@Cafe Riecco(大塚北六丁目)



性海寺への道すがらに見つけた店で、気になっていたのを、帰りがけに立ち寄り。新しくキレイな店内で、ドルチェセットで「夏のティラミス」と「アイスカフェオレ」を注文。「夏のティラミス」は、ティラミスの構成はそのままに、クリームとコーヒーゼリーをメインに再構成。新しい感覚で、しかし味は確かに上品かつクリーミーなおいしいティラミスでした。ランチもやっていて、前菜とパスタがおいしそうでした。さすがにカレーラーメンの直後だからそこまでは食べられませんでしたが……笑 今度是非トライしてみたいですね。

PM2:30@稲沢公園(稲沢町下田)



子どもが生まれたって話をこのブログでもしたと思うんですが、かれこれ8ヶ月になりまして、いよいよそこら辺をうろうろするようになってきました。親としては楽しくていいんですが、さすがに、お出かけも、抱っこひもやベビーカーにくくりつけておくだけでは子どもが満足しなくなってきました。ということで、探したくなるのが、シロツメクサの生えた芝生。ここにレジャーシートを敷いて、子どもを転がしておくと、結構楽しそうに遊んでくれる。で、この公園、いってみれば下見みたいなもので……。


親のみなさん、ちょうど良い感じのシロツメクサ、ありましたよ笑 さすがに今日は誰もいませんでしたけど笑
春はバラ園、さらには藤棚もあるようです。コンパクトでありながら、四季折々、いろいろ楽しめそうな公園でした。
ちなみに、市の敷地の中に位置するこの公園、入り口には、はだか祭りをモチーフにした立派なタイルアートが飾ってあります。

その他、保健センター、工場などが建ち並ぶ中には、「あの」名古屋文理大学も。おまえ、こんなところにあったのか!笑


PM3:30@荻須記念美術館(稲沢町前田)

戦前から渡欧し、ゴッホの影響を受けながら油絵を修めた、地元出身の画家であり文化勲章及びフランスのレジオン・ド・ヌール勲章を受章した荻須高徳の、晩年、本人が市に寄贈した作品を基に整備された美術館。若くからパリで評価された一方、戦後、パリに渦巻く抽象美術の流れに棹さし、自らの信念ともいえる野獣派的絵画を貫き通し、パリの町並みを描き続けました。その、生きた町並みのリアリズムが、やはり曇天の薄暗さが描かれる一方で、血の通ったパリが印象的。作品数は決して多くはないものの、荻須作品の研ぎ澄まされた感性が魅せる、心落ち着く美術館です。
隣では、貸しギャラリーでグループ展。講師の先生の絵も生徒の皆さんの絵も、色使いがビビッドで、写真も絵画も、この時代はやりの色使いといえるのかなぁと思いながら拝見していました。しかし、水彩って、油絵みたいにも、水墨画みたいにも使えるんですね。勉強になりました。画才はないんだけどさ……笑

と、本日はここまで。
ん?「本日は」?

そりゃそうでしょ。
愛知県合唱祭といえば2日間かけてやるイベントですから!
ということで、
明日に続く!