おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2020年2月2日日曜日

【結音~むすびね~×アンサンブル ビビ ジョイントコンサート】

2020年2月2日(日)於 瑞穂文化小劇場

どうもお久しぶりです。
……え、ブログ更新もしないで、おまえ何してたって?
……えーと、
子守ってことにしておきましょうか。
実際はたいしてイクメンしてない気がするけど(ホントすみません)

 いろいろと、自分の本番とか、書いてもいいかなと思ってたらオープニングだけ間に合わなかった(=ブログ更新対象外)とか、それなりに合唱には触れていましたが、いかんせん、社畜になってみたり、趣味を増やしたり、あと子供のマネしてゴロゴロしたりしていたら、日取りが埋まっていたり、疲れ切っていたりして、なかなか演奏会を聞けずにいたのでした。ああ、一時が惜しい。ちなみにこの間、ホントに子供は生まれておりまして、当方一児のパパとなっております。我ながら信じられない。

 そんなわけで、久しぶりにフルで聞いた演奏会(=ブログ更新対象)が、この演奏会。いずれも15人もいない位のアンサンブルグループでありながら、最近、愛知県の中で存在感を増しつつある2団体の演奏です。特に、結音は、デビュー戦となった県アンコンでいきなり金賞をかっさらっていったり、指揮者が、嘗て顧問を務めた某中学校を全国大会に連れて行ったりと、対外的にもそこそこ出色の合唱団です。ViviもViviで、カフェコンサートをやってみたり、信長個展を企画していたりして、何かと発想が豊かな合唱団。いずれも、将来、大きく化ける可能性をもった合唱団です。

 で、なんでこの演奏会を聞きに行くことになったかってことなんですが、そりゃもう、アレですよ。
例のコミュ力お化けにさらわれた。おばけこわい。

・ホールについて
 何度か書いたことのあるホール。お風呂って書きましたっけね、その時は。今日改めて聞いてみると、確かに残響は良いんだけど、音がステージにこもりがちな、よくある多目的ホールの音響。否、響きは素直でいいんですけどね。なんだか、時折物足りなく感じることもある。惜しいなぁって思います。最も、これが公の施設として作るホールの限界なのかもしれないですね。いろんな団体の欲求を満たそうとすると。で、結局片手落ちになってしまう、みたいな。
 さて、このホール、もうひとつ重大な特徴があります。何かって、ホワイエが極端に狭い。その中で、自販機やスロープなど、必要な施設・導線をしっかり作る、ある意味では、狭い都会に建てる公共建築のお手本のような気概を感じるのですが、それにしたって、あの狭さについては、もう少しなんとかならんかったんかいなと、ちょっとだけ突っ込みたくなる笑
 演奏会ってなると、チケットもぎりや当日券売り場、それに向けて関所的にボトルネックをつくるなど、何かとものを置く必要がある。それでいてかつ、演奏会の休憩中にはちゃんと休憩スペースとして機能していてほしいところ。そんな要素をいろいろすっとばして、あのホールはもう、チケットをもぎったらすぐ客席、そのレイアウトしか見たことないし、多分アレしか出来ないんだと思う笑 狭い中に人の知恵が行き交うホールでもあります。……っていうと、響きはいいけどさ笑
 もっとも、名古屋市の施策として、各区に350規模のホールを作るというのが主眼に置かれていて、その点では、十分な規模を有しているのは間違いないのですがね。多分そもそも、各区の文化小劇場を渡り歩く民族(?)のことを想定してはいないと思う笑

第1ステージ:アンサンブル ビビ ステージ
信長貴富「カウボーイ・ポップ」(寺山修司)
信長貴富「めぐる「時」」(オマル・ハイヤーム/竹友藻風・訳)
久石譲(arr.信長貴富)「君をのせて」(宮崎駿)
喜納昌吉(arr.信長貴富)「花」
弾厚作(arr.信長貴富)「君といつまでも」(岩谷時子)
指揮、ピアノ:青木悠途

 単独での信長個展を予告しつつの、信長尽くし。もうこれは、カウボーイ・ポップを組曲でやることは確定なんでしょうね(こら)
 思った以上にすんだ美しい和音を鳴らしてくれました。もう少し暑苦しい音が鳴ると思ってたから、なんか余計に、その、良い意味でのギャップというものが笑
 尤も、個人的には、その「もう少し暑苦しい音」というのが恋しいな、というのが率直な感想でもありました。ファーストインプレッションのカデンツの和声は良いなと思ったものの、それで終わってしまった感じ。キレイではあるけれど、上澄みだけ鳴らしてあとはホールに依存して響かせようという音というのは、物足りないとしか言いようがない。
 男女とも低声部の方が鳴らしていた感じですが、少なくとも、そっちに寄せていただいた方がいい音が鳴ったと思います。ミックスボイスを真似した声門閉鎖が十分でない音って、短期的にキレイな音が得られる場面もあるんですが、高音では音程が下がるし、何より、鳴ってほしいところで全然鳴っていなかったりして、力強い表現を阻害しかねない。例えば、その状態で、ユニゾンからディヴィジョンへ移ると、音量ががっつり下がったような気がする。
 使い分けられると、より良いのかもしれないんですけれどもね。「めぐる「時」」とか、その点非常に象徴的で、輪唱とオブリガートの性格の歌いわけ、主題の取り扱い方など、一本調子に歌うと、いったい何が歌いたかった曲なのかわからずに、あっさりと過ぎ去ってしまう。
 整っている音が鳴っていると、崩したくないなって気持ちは、非常によくわかるんですけど、それが、端から見ていると、もっと出来るはずなのに、もったいないな、となる。なんだか、壮大なジレンマを見ているようでもあります。

第2ステージ:結音~むすびね~ ステージ
千原英喜「以呂波うた」
千原英喜「夜もすがら」(鴨長明)
千原英喜「浦島太郎」(お伽草子より)
千原英喜「手まり」(良寛)
千原英喜「古の君へ」(平元信一郎、坂口愛美)
指揮:田舎片雄貴
ピアノ:杉本衣実南

 こちらの団は、千原個展。何だろう、この、……何だろう笑
 音作りはViviと近い。でも、まだボリュームに対する意欲がより高いかな、という印象。
 一方で、そのボリュームが強弱に生かせているかというと、必ずしもそういうわけではないようなきもしました。超絶悪く言えば、出しやすい声域で出しているのかな、という感じ。
 自分でどういう音を出せるかを知り、自分がどういう表現をしたいのかを知り、自分が出せる音で、どういう表現が出来るかを考えていく。目的の実現のために、楽器の幅を広げて、楽器の性質を知り、どんな表現の仕方があるのかを知り、それを結びつける方法を考える――その意味で、自分との戦いなのだろうな、と思います。
 アマチュアである我々は、絶対的に音楽に依存するという方法だけでは、時に限界を感じることもある。だからこそ、余計に、日常のすべてに視野を広げる必要があるのだろうなと思います。時に、音楽に限らず、日常のすべてを使って、音楽を表現していきたいところ。
 すべてがハモるわけではない、という言葉は、千原音楽についていうにはちょっと相反的なことを言っているように聞こえないでもない。でも、意外と、何もしなくてもちゃんとハモるように書かれているからこそ、それ以外のことに目を向けていかないと、音楽に振り回されてしまって、結果何も出来ないということになってしまうのだとおもいます。
 まだまだ、身体も、アタマも、使いどころはたくさんあると思いますよ。

インタミ10分。

第3ステージ:合同ステージ
信長貴富・混声合唱とピアノのための『新しい歌』[改訂版]
指揮:田舎片雄貴
ピアノ:青木悠途

 上の二つ読んでいただいて伝わったかどうか。非常に、音の似ている二つの団のジョイントです(ちなみに年端も似通っています←)。すると、当然、ジョイントすると、同じ課題が浮かび上がるんです。新しい歌とか特に、こんなに、想像した通りの音が鳴るジョイント、そうないですよ、良くも悪くも笑
 ただ、シナジーってすごいな、と思わされるのはこれから。「きみ歌えよ」は、両団が共通して抱える課題のブレイクスルーを予感させました。何が起こったかって、まるでギャグのように、「バカも卑怯も丸出しで」という歌詞で、バカも卑怯も丸出しになった笑 悪い言い方をあえてすれば、アンサンブルがここで少し破綻したんです。でも、それが逆に、すごくよかった。そこから一気に吹っ切れて、強弱の頂点が一段階上がって、かつ、音楽の雰囲気が浮き彫りになっていった。そのまま、「鎮魂歌へのリクエスト」を暗転&スポットの中でムーディに歌い上げた。「一詩人の最後の歌」は、正直、その勢いが滑って聞こえなくもなかったですが、でも、気分としては、こちらの方が全然いい。
 キレイに整えられるアンサンブルでない限り、私は、破綻した方がいいとか、そういうことを書かないようにしています。でも、耳が良い今日のようなアンサンブルであるなら、少し冒険してやる、という気持ちを常に持ち続けていた方が、音楽が生き生きしてくるような気がしています。整うと、それっぽくなるので、それで作り込みをやめてしまう、という場面は、歌い手となったときにも幾度も見てきました。ちょっと変なことしてやるって気持ちの時の方が、音楽に気持ちが通いやすい。
 技術論を述べた方が良い場面も当然あるのですが、今日は、こういう書き方の方がいい気がします。否、非常に、胸のすくような、気持ちいいアンサンブルでした。

・アンコール
佐藤賢太郎(Ken-P)「雪の思い出」

 なんていうか、特に1ステで演奏した某団の名残がどうしてもちらつく……笑
 しかし、本当雪降りませんね、今年。

・まとめ
 関係各位には大変申し訳ないんですが、ちょっと演奏自体と関係ないこと書きますね。しかも、結構意見が分かれるだろう話。

 今日は、奏者の年代構成も相まってか、小さいお子様連れの多い演奏会でした。チラシによくある未就学児入場お断りとの文言も、親子室もなかったですからね。子供も大学生も何やら賑やかに、いつもよりもどこかほっこりとした空気の中で開演を待っていました。なんだか、昔よく聞いた、小規模な大学団の演奏会開演前の光景を思い出すような。
 開場直後から待っていたとある幼稚園くらいの子供が、開演直前にしてグズグズし出してしまいました。あとちょっと頑張れー、なんて思ってたら、とある観客が子供のいる親御さんのところへ近づいて、何やら声をかける。すると、開演直前、暗転しかけたタイミングで、大慌てで、3人の子供を連れて上手扉から出て行きました。半ばひきずられるようにして出て行ったその子は、「絶対やだぁ!」と叫びながら出て行きました。楽しみにしてたんでしょうね、演奏会。

 なんていうか、あんな悲しい光景、見たくなかったです。
 もっとも、私自身、ものがわかるようになるまでは、演奏会に子供を連れて行こうとは考えていません。実際、演奏会中の騒音はあまり好きな方ではなく、自分の団の演奏会でも、本番中の写真撮影案が持ち上がったときに、それは絶対にやめた方がいいと言ったうちの一人です。時に、ブログを書いている時の、メモのためにペンを走らせる音も迷惑だろうなぁと思いながら(すみません)聞いている。なんにせよ、少なくとも、自分のコントロールできる範疇では、出来るだけ迷惑にならないように気をつけているつもりです。
 でも、少なくとも、他所の方がつれてこられた子供の声は、例外だと思っています。実際、あの子は、あのまま演奏会を聞いていたら、何らかの音を上げていたと思います。でも、それを、少し気にすることはあったとしても、以前どこぞの見知らぬオバサマがあめ袋ガサゴソ言わしてたことに文句をいった(Twitterででしたが。ちなみに、京都の演奏会でした)みたいに、子供の声を叱責するコメントを、このブログには絶対に残しません。自分がステージに乗っていても、気にはなるけど、気にせずに歌わないといけないな、と思っています。

だって、大事なお客様じゃないですか。親に引きつられてこられたかもしれないとはいえ、これから先、信長と言えば織田ではなく貴富だというような子に成長するかもしれないじゃないですか。そうでなくても、新しい歌を知ろうとしている子供の、すぐ近くにある将来を奪うような結果になってしまったのは、もう、残念としか言いようがない。
 親御さんに声をかけた観客の方も、決して悪意を持って声をかけたわけではないはずなんです。それに加えて、その親御さんも、一生懸命静かにしようとしつけてたし、ちゃんと周りに配慮した心がけをしていた。だからこそ、余計に悔しい。わずかなボタンの掛け違いで、トラウマを、禍根を、この私に残してしまったことが(追い出された本人のことは、私はよく知りませんので)。あの子に、あのホールでなる最初の一音目を聴かせてあげられなかったことが。

 未就学児を連れてこないで、と言っている演奏会に子供を連れてくるのは、非常識かもしれない。でも、少なくとも、今回の演奏会に、そんなことは書いてなかった。そして、あわよくば子供も楽しめるであろうプログラムに対して、何も、無理に排除する必要って、なかったんじゃないでしょうか。まして、スタッフがいうならまだしも、わざわざ一般の客の立場で、あの親子を排除する権利は、我々にあったのでしょうか。
 個人を攻撃したくはありません。でも、なんだか、そのモヤモヤが心を支配して、率直に申し上げて、演奏会に集中仕切れなかった。自分で言うのもなんですが、これだけの数、これだけのジャンルの演奏会を聴いていたら、演奏中に子供が大騒ぎしている演奏会もいくつかありましたけど、その時以上に、全部の曲に対する、自分の集中力が欠けていた。子供の声が賑やかだった演奏会だったら、ああ、あの演奏会は賑やかだったな、と笑っていられるけど、今日のような心のざわつきについては、もう、自分ではどうし
ようもない。

心の底から、自分って無力だなって思いました。