おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2019年7月15日月曜日

【Noema Noesis 5th Anniversary Concert "paradox" 名古屋公演】

2019年7月15日(月祝)於 電気文化会館ザ・コンサートホール

宇宙人、再上陸。
……以前は、しらかわホールでありました。
かつてカワイが主催し、新曲を初演し、その場で楽譜を売りさばく「The Premire」というコンサートシリーズがありました。3回くらい続いて、今や有名な『かなうた第1集』『天使のいる構図』『アニソン・オールディーズ』『平行世界、飛行ねこの沈黙』『シーラカンス日和』など、様々な名作が生まれた、ある種伝説的なコンサートシリーズです。その第2回が開催されたのが、名古屋・しらかわホールでありました。2012年、かれこれ、7年前のことのようです。
そこで、ノース・エコーにより初演されたのが、堅田優衣『志士のうた』。どちらかというと、メロディをしっかり持った作品が多く並んだその年のプレミアにあって、メロディがならないことはおろか、ピアノもない中で、不規則なテンポと不協和音で表現された世界観に、皆が度肝を抜かれた、あの日(なにコラもいましたが、幾分そんな感じの演奏会で、土砂降りだったことまで妙に思い出されます。当時の伊東恵司の雨男力は、今を遥かに凌ぐ凄まじさでした←)。そして、演奏直後のアーティスト・トークで、さらにまた一つ、衝撃を受ける。
この人……宇宙語喋ってる……
思えば、この名古屋の土地と、堅田優衣という才能が出会った、最初の瞬間が、まさにここ、名古屋伏見の土地であったのです。

そんな宇宙人が、これまた宇宙人たち(弊社比)を連れて名古屋の、それも伏見の地に再臨すると聞いて、名古屋の民はざわついたのであります。
メンバーは、第3回JCAユースのメンバーを中心に選りすぐられた精鋭たち。まさに、そんな、新時代の「志士」たちが、これまでに見たことない演奏を見せてくれると聞いたからには、いても立ってもいられずに、皆こぞって聞きに行くしかないのであります。期待を胸に、演奏会へと向かったのであります。伏見の、電磁波が強いビル(=「でんきの科学館」を併設する電気文化会館)の地下2階にある、外界との通信が絶たれた(=ケータイが圏外になる)、特別な空間で……
(このお話は、事実をもとに若干の脚色を加えた実話です。FND!

・ホールについて
なんだか久々ですねー。意外と来ているような気もするけど、実は意外とこれていないホールです。否、決して、公演回数が少ないわけではないんですが、器楽の公演やプロの声楽公演は散見するものの、意外とアマチュアコーラスの公演は少ない。それも、この若い世代が、というわけではなく、全世代に亘って。良いホールなのにもったいない。逆に、良いホールだから、取れないんですかね、なかなか。
何がいいって、決して、地下2階にあって特段措置をしていないから自然に電波が切れてお金のかからない電波遮断装置が云々とか、そういう話でもなくてですね(実際確かに電波は入らんのですが笑)、なにより、その、クラシックホールとしての「ニュートラルさ」にあります。何にでも使える四角いラウンジと、500席程度のちょうどいい客席数。長方形の客席の先には、シューボックス型の開けたステージ。間口は客席サイズのまま、プロセニアムもなく、奥に向かって小さくなっていくから、舞台も広く見えてきます。それでいて、壁は大理石、天井は木材が曲面を作る。
それでいて、響きもこれまた、ニュートラルなんですよね。ちゃんと残響が残る一方で、それが客席で混ざったりすることなくすっと消えていくから、聞いていても違和感がまったくない。ほんと、いいホールなんですよ。規模もちょうどいいし。
前も書いた気がするんですけど、個人的にはしらかわを上回ると言っても差し支えないんじゃなかろうかと思ってます。それくらいに良いホール。でも、なんだか最近つとに合唱界では聞くことが少なくなっているような。気のせい?

指揮:堅田優衣

集客は5割弱。決して注目されていない公演ではなかったと思うんですがね。ちなみに、ハッピーマンデーでも、トヨタカレンダー的には今日は出勤日みたいでして。トヨタカレンダーを舐めちゃいけない。本当に名古屋のイベントはトヨタカレンダーで集客がかなり動く。
そんなわけで、決して多くない集客でも、しかし、一方では、とある大物先生を始めとして、関西からのお客様が非常に多かったところです。これこそが、この団の真のポテンシャルなのかも……?

堅田優衣 "UPOPO"
Edvard Grieg "Våren"
Per Nørgård "Wiigen-Lied"
Jean Sibelius "Sydämeni laulu"
Einojuhani Rautavaara "Haavan himmeän alla"
Sven-David Sandström "To see a world"
Jan Sandström "Biegga luohte"

最初の「ウポポ」、何より曲として楽しみでしたが、その点では全く期待を裏切らない素晴らしい曲でした。音素材を組み合わせるということは、様々な民謡系の楽曲でよくやられていることではありますが、それにしても、その中にあってこの曲は諸要素が非常に気持ちよくつながり、一体としての空気感をうまく作り出している。最初の最初にして、非常に爽快な気持ちにさせてくれる良プログラムです。
また、前半の中で、演奏面で特に素晴らしい出来だったのが、ノアゴーの「子守唄」(3曲目)。通奏するモチーフの、集中した良い意味でのモノトーン、そこから導出される朗唱の鮮やかさ。その色の対比が、この曲の持つ世界観を立体的に描き出す。再演があるならばぜひ聞き逃さぬよう。加えて、S.サンドストレムの「世界を見る」(6曲目)も、中間部のtuttiをきっかけに鮮やかに鳴る長調が、それまでの短調での堪えたサウンドとよく対比されていて、非常に素晴らしかった。そして、この団はトリルはじめ変わり種の音にめっぽう強いんですね笑、J.サンドストレム「山風のヨイク」もこれまた素晴らしく会場が鳴りました。
そう、集中力を見せて、良い意味で力の抜けたサウンドが響かせられると、この団は本当に素晴らしいサウンドを鳴らします。個々人が類稀な素晴らしい技能を持っているからにして、その歌い合う音がバッチリ揃うことによって生み出される充実したサウンド。そして、意図的に選択された音色がハマったとき、それが響きに十分乗って鳴るときの、圧倒されるようなサウンドは、ときにより、とてつもない演奏を生み出すポテンシャルがある、それを感じるに余りあるサウンド。
でも、だから、惜しいなって部分は、集中力、その部分なんです。普段、SNSで見ている様子からして、一種脱力というか、没入というか、そういった部分はよく意識されているものの、いまいち、音に対しての集中力が欠落したなって音が、目立ってしまうことが多い。非常に多い。
具体的には、「期待を裏切らない素晴らしい「曲」」と書いた、堅田優衣「ウポポ」。客席の周囲から演奏され、ステージへと上がっていく演出。その中に。音にならない掛け声があるのですが、その強さと勢いが、いまいち中途半端に終わってしまいました。そして、終始言葉が滑ってしまっていて、どういう母音・子音を演奏しているのかがモヤっとしてしまい、すごくヤキモキした演奏でした。否、アイヌ語なんて正直喋れないですけど、でも、だからといって、母音によって演奏効果が違うというのは、この団の団員ならとっくに知っているはずのことなのです。あと、全体的にソプラノが浮いていた。それが特に見えてしまったのが、頭の2曲。特に2曲目のグリーグ「春」については、下三声が作る世界観が温かいのに、妙に悲観的にも聞こえたりして、だいぶ気になりました。多分、シンプルに、ピッチが高すぎたのかな、とか、そういう程度ですけれども。
その他ラウタヴァーラについてもそうだったのですが、時折、表現に必然性を感じなかったというか、なぜその表現を選択したのか、あるいは、表現の頂点はなぜそこになったのかわからない、といった部分をいくつか感じた演奏も。決してどれも悪い演奏ではなかったものの、だからこそ逆に、自分たちの持っているツールを特に何も考えずに、とりあえず当てはめようとばかりに鳴らしていた感じ。subitoな表現でも、その表現が必然的ならば、バランスよく聞こえてくることもある。その点、たまに、あれ?と思わされるような締りのない旋律や、パリッとしないデュナーミクが聞こえてくる。雰囲気だけで歌うと、意外とバレてしまう。それは、どのレベルの団にあってもそうなのだなぁと、なんとなく考えているのでした。
あと、前評判の割に、あんまり動かないんだなぁ、と思っていました。ーー少なくとも前半は笑

インタミ15分。

Murray Schafer "Narcissus and Echo"
ゲスト:鯨井謙太郎
※郎の字は、正しくは「郎」の左側に、右側は上より「口」「巴」

さて、今日の目玉プロジェクトの一つ。意外と再演されているようで、意外と再演されていない同曲は、東混の委嘱であるからにして、それなりに知られているところではありますが、だからといって、そこまで頻繁に演奏されるような曲でも、もともとあるわけではない。まして、今回のように、ダンスと一緒にパフォーマンスされたのは、今回が初めて……なんですかね?実際どうなんだろう。
演出については、意外とササッとステージに上がって、そこに張り付いたまま動かさなかったのが、非常に気がかりです。エコーの神話それであるからにして、もう少しホール全体を広く使ってもよかったような気がします。具体的には、合唱団、あるいはダンスの側をもっと客席側で展開する。面的な広がりを持ったほうが、同じ場所で鯨井さんに踊っていただくにしろ、手足の非常に長い優れた身体美を活かすことが出来たような気がします(逆に言えば、それだけ空間を広く使って、ステージいっぱいに表現を広げる鯨井さんの表現が素晴らしいってことなのですが。)。
※2019/7/17追記:どうやらこのホール、客席での演奏が禁止だそうです。だとすると、客席を使う演出もギリギリの範疇でやられていたってことですね。うーん、それならそれで、ホールがちょっとなぁ……と思わないでもない。多分、消防法の絡みなんでしょうけどね。
演奏は、ほとんどいいんですけど、ここへ来て、基本的に縦が揃わない瞬間というのがやたら気になってしまう。あと、時折飛んできたテナーの無神経な音が気になったりする。なんだろう、集中力自体はある非常にいい演奏だったから、それさえなければ完璧なのになぁ、ってそんな感じ。逆に、いい演奏であるからにして、デティルが気になる。難癖って言ってしまえばそれまでかもしれないんだけどさ。

[ensemble]
Knut Nystedt "Laudate"
堅田優衣「ゆれる」
[tutti]
池辺晋一郎「背中」

でも、だって、こういう演奏できるんですもの。アンサンブルは、団内アンコンで優秀な成績を収めた6人のチーム。とにかく、縦がよく揃うし、それ以上に旋律の音楽性が非常に豊かだし。6人とは思えない充実したサウンドがホールを包みました。特に、竹田の子守唄がモチーフになったという「ゆれる」の旋律の豊かさが素晴らしい。言葉がよく聞こえるっていうと、妙に卑近ですけれど、言葉を聞かせるためには、合唱って、こんなに努力をしないといけないんだよなぁと、妙に納得させられる。
対して、池辺晋一郎は、もっと言葉を届けられたと思うんです。メロディの勢いはいいんですけどね。なんでだろう。母音の形が均一すぎるのかな。でも、なんだかここらへんから、前半にはなかった「勢い」が生まれ始めました。

Grete Pedersen "Ned i vester soli glader"
Grete Pedersen "Bruremarsj fra Valsøyfjord/Aure"
Mia Makaroff "Kaikki maat, te riemuitkaatte"
Toivo Kuula "Auringon Noustessa"

だんだん、腹くくったっていうか、割り切ってきたっていうか、決然とした音の鳴らし方で、パリッと鳴る音が鮮烈に響いています。ペダーシェンの2曲に使われる弱音も、ベースの音に勢いがあるから、決してヘタれることなく、しっかりと力を以て響いてくる。そして、マカロフ「全世界よ、歓喜せよ」、クーラ「太陽が昇るとき」で頂点に持ってこられたときには、もう、演奏の粗さは気にならなくなっている。そう、粗が目立つときって、音楽が方向性を見失っているときでもある。特に音楽が確固たる方向を向いているのであれば、そこに少々の粗が入ろうと、特に気にならないんです。計画的に破綻していくというか。例えば、最後の方、女声が明らかに粗い音ならしていて、コンクールなら原点だろうなって感じでしたけど、そこが主題じゃないですもの、この音楽(これ、褒め言葉ですからね←)。

encore
Jaakko Mantyjarvi "Pseudo-Yoik"

ある意味、一番有名なノルディックサウンドですね笑 否これも、前述の流れの通りのいい演奏だったんですが、ただ一点、1回目の男声「フンッ!」がわずかに遅れたのが、ただただ、惜しい!タイミング系は難しいものだなぁ……。

・まとめ

すっごい書くの迷ってるんですけど。はっきり書いちゃいましょうか。
正直、「意外と普通だな」って思いました。正直。なんなんですかね。正直、期待を持ちすぎた感は否めないんですけども。
なにか、すっげぇ事やってる団だっていうことを散々聞いていて、実際、プネウマをはじめ、日常的に堅田優衣系の合唱団ってリハーサルからピラティスみたいなことやってるし(違)、実際ダンサーなんか呼んじゃったりして、さらには一部のチケットの売り文句を聞いていたりしたもんだから(実は4人位から売り込まれてまして……逆にWebで買いました笑)、逆に、過度な期待を持っちゃってたんですかね。否、決して、演奏が悪かったわけではないんですけどね。ただ単に、あんまり期待しすぎて、なんだか、一人勝手に空回りしているような、そんな感じ。
念の為いうと、非常に上手だったんですよ。そりゃもう、恨めしいくらい。でも、なんか、アレヤコレヤ、突拍子もないようなことをバカスカやって、人を驚かせていたかというと、そういうわけでもない。どちらかというと、普通に上手に曲を演奏していた、そんなイメージ。確かに演出はあるのだけれども、かといって、真新しい演出があるかというと、そういうわけでもない。
あえていいますが、客席を使うのも、演奏中に照明を触るのも、ローホリも、なんならダンスも、これまで見たことある演出です。ただ、いい素材を、うまく組み合わせると、それはイメージになり、ブランドになります。そんな当たり前の事実に気付くのに、私は少々遅れていたような、そんなところなんでしょうか。
これだけの演奏会をプロデュースするのって、大変です。確かに、動きは多いし、きっかけも結構複雑なので。ナルキッソスとエコーのダンサーが入るきっかけとか、さすがプロの仕事だと感嘆するものです。その意味で、間違いなく、この演奏会はレベルが高かった。
ただ、それが、頭の中に大きな楔を残せているか。圧倒された、とか、開いた口が塞がらないとか、そこまでいったかというと、正直、私はそこまで至れなかった。周りの声では、すごかった、という声が多い。そりゃそうです。確かにすごかったもの。でも、演奏会の展開が、予想できる範疇に収まっていた。
それでいいじゃんっていうの、確かにそのとおりなんです。この団は、この団として、確固たるブランドを持っている。でも、そのブランドイメージから超越するような、絶対的なインパクトがあったかというと、まだまだ足りないな、というふうに思うんです。なんか、もっと、とんでもねぇことやらかしたぞコイツラ、って感じで、ワクワクさせてほしかったな、という思いが正直言ってある。
堅田優衣の宇宙を再現する、というのが、一つ、暗黙たる団の目標であるようです。堅田優衣の頭の中って、もう少し、複雑で、難しくて、それでいて、本能に語りかけてくる、そんなものであるというのを、勝手に思っています。その意味で、この団は、未だ、(ちゃんと)伸びしろをもっている団なんだと思います。

しかし、まぁ、偉そうなコメントだなコレ。
念の為言うと、フッツーに中々聞けないレベルでうまい団でしたからね。