おおよそだいたい、合唱のこと。

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2022年12月10日土曜日

【うたのわっか Volume 4】

2022年12月10日(土) 於 瑞穂文化小劇場


当方とて同じ身ながら


このところ、単独演奏会ではない、散発的なジョイントや合唱祭のようなイベントが愛知県では増えています。あくまで体感、とはいえ、10ン年前(!?)、私が合唱に触れ始めたころにはあまりなかった流れです。否、昔は、こう、長いものに巻かれろというか、自ら企画してイベントを開くということについて、非常に心理的距離があったような気がしていまして、それと比べると非常に隔世の感があるというものです。もちろん、多くは、幹事団体の思惑ありで始まるものではありますが、老若男女、様々なイベントが生まれて、演奏活動が展開されており、どことなく、この地域の文化的裾野が広がっているようなきがします。嘗て連盟理事に名を連ねていた立場からすると、そういう私的活動が広がることで相対的な価値が下がってしまっているのか、連盟に加盟する新規合唱団の割合が下がっているような気も同時にしており、勝手に気をもんでいたりはしますが……苦笑

そんなわけで、この「うたのわっか」、そんな、新規イベントの中では4回を数える、老舗(?)イベントのひとつです。「冬の小さな合唱祭」という名前のごとく、毎年、中小規模の合唱団が参加して、ひとつのステージを作り上げていきます。持ち時間も比較的長めに取られており、さながら小さな演奏会を一杯聞いているかのような、アラカルト的な楽しみ方ができるのが魅力です。会場もちょうどいい感じの大きさで、出演者も含めて大体フルキャパの7割くらいは埋まっている感じ、なんとなく、賑わいも感じる、ちいさいけれどもあたたかい、そんなイベントです。


・ホールについて

これまでも何度か書いてきたホールです。今回、初めてクルマでアクセスしてみました(図書館と共用の駐車場が45台程度あります)。否しかし、入り口のカーブのRがキツすぎて、絶対にセンターラインを守って走れない感じになってます。ご安全に!

さてこのホール、主催者の立場になってみると、非常にホワイエが狭いことがネックになるホールです。カーテンウォールの採光窓が空間自体を広く見せてはいるので、居心地は悪くないのですが、ホワイエになにかを展開しようとしても、チケットをどこでもぎるかといえば扉の直前といったように、非常に空間の使い方に制約の大きいホールであることは残念ながら事実です。コロナ前ならまだしも、今ここでロビーストームやろうものならとてもできたものではないです。正直。

でもこのホール、改めて、響きのバランスがちょうどいいんですよね。しっかりと舞台の音が耳元まで届いてくるし、それでいながら残響も適切に残っている。そんな、魅力が非常に大きいホールだからこそ、敷地面積の狭さからくる不便さというのに、どうしても思いを致す部分が出てきてしまいます。もっとも、地域における交流拠点たる文化小劇場本来の役割は十分果たせているとは思うのですがね。


<あいち混声合唱団>

信長貴富(編曲)「鉄腕アトム」「島唄」「麦の唄」

上田真樹「花と画家」

信長貴富「木」


まずなにより、入りのピッチの良さは非常に良かったです。特に高音域がしっかり抜けた音がなっているというのは、それだけで加点要素になっていると思います。このイベントのオープニングを爽やかに彩ってくれました。

ただ、一方で、全プログラムにわたって気になってしまったのが、楽曲全体の「構成」を意識して歌えていたか、という点。どうも、音符を置きにいっているというか、この旋律の中でこの音が鳴る、ということについて、必然性を感じづらい部分を感じる演奏になってしまっていたように思います。指揮者一人だけでなく、団員全員が、そのイメージを持って、できることなら(音楽をして)共有して、演奏に向かうことができると、この団の演奏はまた一段階上のステージにいけるような気がします。

具体的なポイントで言うなら、例えば、「アトム」最初のカデンツで、縦の線をちゃんと聞きあって揃えることができていたか(テンポが上がってからのほうが、その点うまくごまかせていた部分が大きい)、あとは、「麦の唄」をはじめとして、味のある旋律がどこにあって、それがどう歌われるべきか、ちゃんとカラダに染み付いていたかどうか。この点、非常に優秀な指揮者である(初めて指揮者の方を拝見した、いつぞやの愛知県合唱祭大学生ワークショップが未だ忘れられません笑)と承知しておりますので、そのリーダーシップだけで十分きける音を作ることはできているのですが、逆に言えば、そのリーダーシップに音楽全体が頼り切りになっていないか。自分たちが、どういう音楽を作りたい、ということを、言語化できずとも、しっかりイメージして、その音を鳴らすようにどうしたら近づけるか、能動的にアンサンブルできるように、練習を進めていくといいのかな、と思いました。


休憩5分。いつもなら要らないって思う間ですが、各団体のプログラムが比較的バラエティに富んでいて重めなこともあり、地味にありがたかったです。


<Ensemble vert paon>

武満徹「翼(Wings)」

木下牧子「はじまり」

Clements, Jim "Gabriel's Message"

Ticheli, Frank "Earth Song"

Lauridsen, Morten "Dirait-on"


まずなにより、この音圧は好きです笑 非常にしっかりとした発声で、充実したアンサンブルを聴くことができました。何より、評価すべき音が鳴っていたな、という印象。意地悪な言い方すれば、いよいよコンクール映えする音が出てきました。

ただ、この演奏もまた、(厳しい言い方ではあるんですが)構成について意識が向いていたか、ということに疑問が残る演奏となりました。音圧があるので、それだけで聞いていられるのですが、とはいえ、とにかく突っ走る演奏であったという点において「翼」は非常にチャレンジングな曲。主旋律以外の声部が非常に細かく動くのを、放っておいてガンガン鳴らすだけで歌っていると、アンサンブル全体のまとまりを失ってしまう。特に象徴的なのが、中間部でテナーが「ひとは夢み」のあとにソプラノが歌う主旋律「旅して」が全く聞こえなかったこと。その後の「いつか空を飛ぶ」に承継される重要なテキストでありながら、一方で無意識だと、テナーは張ったあとに十分に引いてソプラノに渡さなければならないところ。その象徴的な部分以外にあっても、各声部の細かい音の動きというのは、曲全体でみれば大きな一つのアルペジオとして扱われるわけで、その意識がない限り、各声部の力比べに終始してしまい、音楽がひとつにまとまらない。一方で、力比べをやっていると、2曲目は勝手に流れていくものの、「光が駆け抜けた! 風が追い抜いた!」が、1回目と2回目で変わっている、その必然性を体感的にも見出しづらかったな、という印象です。3曲目の再現部然り。

この点、たまたまとはいえ、繰り返しが多い曲が並んでいたので、繰り返すことの意味について、より深い探究があると良かったのかな、と思います。特に「翼」なんかは、一度、パートごとにわけずに朗読するとか、歌曲として歌う(実際フォークソング発ですし)とか、ひとつの繋がりとして曲を捉える機会があるとよかったのかな、と思いました。


休憩10分。


<合唱団カラコロモ>

Leavitt, John "Festival Sanctus"

Čopi, Ambrož "Alleluia. Laudate Dominum, omnes gentes"

千原英喜「わが抒情詩」

野田学(編曲)「365日の紙飛行機」

源田俊一郎「瑠璃色の地球」


これまでの合唱団の中で、否、これまで聞いてきた数多の合唱団の中でも、抜群に子音処理がうまいな、という印象。特に、外国語の単語末尾の子音をあそこまでしっかり聞き取らせるのは、これまで聞いた中でもほとんど記憶にないくらいの素晴らしさです。愛知教育大学附属高校OB・OGを中心に構成されている団体というだけあって、コンクールで培ってきた楽曲を成立させるノウハウは非常に豊富。デュナーミクにも、漫然さがなく、確固たる意志を感じて、非常に好印象でした。特に言及したいのはフォルテに対する意思の強さ。ただ強くする、ということではないフォルテであったがために、無理なくピアノを弱くすることができていました。そう、音量の設計って、結局は相対論ですから。さらにいうならフレージングもいい。波をしっかり意識していて、フレーズの終わりにまで十分配慮が行き届いた、非常に端正な演奏でした。本当、欠点を見つけるのが非常に難しい。

あら捜しみたいになっているのは認めますが、でも、その中で言うなら、この団の課題は「わが抒情詩」にあります。外面的なわかりやすいメッセージはたしかにしっかり鳴らせていたのですが、一方、同曲のような、内面的なメッセージについては、いまいち消化不足感があったように感じます。悪く言えば、言葉と音に振り回されていた感じがします。確かに表面的にみれば酒を飲んだあたりから再現部というのは、非常に強い音、強いメッセージを鳴らすのですが、この部分の表現、否、詩全体の表現の肝は、その間「こころの穴ががらんとあき。めうちきりんにいたむのだ。」にあるのではないかと思います。この部分をどこまで効果的に表現するか、そう、音量設計的にはここは落ち込む部分なのですが、この部分のピアノの情感を、溢れ出るフォルテの中で、どこまで内省的に、抒情的に響かせるか、より研究を深められるとよかったのかな、と思いました。

まぁ、どの団でも多かれ少なかれそういう演奏が多いのですが。ううん、でも、そう考えれば、やっぱり難癖だな。うん、非常に素晴らしかったです。


休憩5分。


<おかえりのわっか>

信長貴富「未来へ」

千原英喜「みやこわすれ」

佐藤賢太郎(Ken-P)「想いが、今」

上田真樹「酒頌」


色々あって合唱を離れた人たちに「おかえり!」といえる環境を作るための企画合唱団。てっきり「うたのわっか」最初からの企画と思いきや、実はまだ今回で2回目なんだそう。しかし、今演奏活動から離れている自分にとってはアレですね、今度歌い手になりにいかなきゃですね(?)

まぁそんなわけで、あまりそういう趣旨の企画合唱団に対して技術的コメントをつける必要性はないと思いますが(技術が低くていいというわけではない)、とはいえ、結局こういう企画には「歌いたい奴ら」が集うわけで、今回の企画も、「おかえり!」な人たちが、そういう人たちに「ただいま!」といわれて、結構充実のボリュームで聞かせてくれました。「未来へ」の最後の和音とか、どう考えたって久しぶりな人が集っているような音ではない笑 とはいえ、Ken-Pの中にある「届け」という言葉が目立って滑っていたり、全体的に中間部でグダったり、「酒頌」で思っくそ内輪ネタに走ったり笑、そんな、色々「事故った」演奏も、突き詰めれば、私たちがこれまでも、そしてこれらからも見ていくことになるであろう、合唱活動の実相なような気がします。今回も、団員の皆さんは、この「おかえりのわっか」で、色々なドラマを見て、久々の感覚を追体験してきたのだと思います。ーーもう、それだけでいいじゃないですか。うん、やっぱり、演奏についてとやかくいうというのは野暮ってもんですよ。散々言った後なような気もしますけど←


<合同演奏>

松下耕「今、ここに」


そして、この大団円然り。色々ちゃんと気にしながら、総勢90人あまりの大団円を実現してくれました。そう、なんか、おかえりのわっかもそうですが、こう、「ただ歌う」っていう素朴な合唱、すごくいいですね。なんだか、コロナの世になってから、歌うことに妙な使命感が出てきたような気がしますけど、ここにいるということと、ここでうたうということ、そんな当たり前が、すごく胸に刺さってきたように思います。


・まとめ

このイベント、決まった団がどこかといえば、Ensemble vert paonくらいで、毎年様々な音を聞くことができるイベントです。今年もまた多彩な団体の演奏を、多彩なプログラムのもとに聞くことができました。各団体プログラムに工夫をこらしていることからして、なんだか久々に、ああ、合唱聞いたなぁ!という充実感に満たされています。

結果として、全団体に対して、楽曲構成についてコメントするという結果になりました。ただ、それって、結果的には、今回の団体それぞれが非常にレベルが高い演奏をしていたことの裏返しとも言えそうです。

不思議なことに、音楽づくりにおいては、よほど初見が上手い人でない限り(否そうであったとしても)、細かいところから作り始めて、最後に大局に目を向けていくという、よくよく考えれば逆なんじゃないか、という作り方をしているように思います。それが、選曲からコミットしていて、実際に曲を何度も聞いたことがある、くらいに理解が進んでいるものであれば良いものの、究極には初演のような、誰も全貌を知らない状態で曲作りをはじめると、よくあるのが、曲作りまで「たどり着かいない」という言い方。

でも考えてみれば、「その曲自体」に関する考察って、一番最初に一番やっておくべきことなような気がします。この曲がどんな曲で、どんな構成で、どんな作り方をするのが適切なのか、それを十分考えた上で、だからこそ、こういう要素があって、ここをクリアしなければならないっていう、マクロ→ミクロという作り方ができてくることこそ、本当のあるべき姿なような気がします。超えるべき壁は明らかになっている方が超えやすいし、なにより、精神的にもラクですし。

でも、そんなシフトチェンジについて言及できるということ自体も、皮肉なことに、ミクロをこなすことができるチカラを備えているから、ということともいえたりします。ううむ、世の中難しい。なんにせよ、レベルの高い「合唱祭」だったように思います。楽しかったです。