おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
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合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
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ゆっくりしていってね!!!

2017年10月9日月曜日

【クール・ジョワイエ演奏会2017】

――男のア・カペラ、西・東――
2017年10月8日(日)於 ウィルあいちウィルホール


抱き合わせ商法とかなんとか。
この演奏会、招待状を貰う前から、行くか行かんか悩んでいたところでした。否、どちらかといえば、圧倒的に、行く、と決めていた向きが強いか。否、そりゃ、この前は全国大会に久しぶりの出演を果たすなど、実力にして相応な合唱団。しかも、名古屋の男声合唱文化が哀しくも廃れつつある昨今にあって、益々その重要性をましている同団。その意味にあって、行くか検討するのは自然な流れなのですが、今回についてはそれだけとも言い切れない。

なぜって?
そりゃ、
CDがついてくるから(爆

豪華20曲収録の「クール・ジョワイエ/ベストセレクションI」、なんと全員に贈呈笑
しかも、最初のチラシでは先着順での贈呈となっていたものが、日を改めて見てみると、なんということか、その人数の話がガッツリ削除されている。そりゃ、行くしかないでしょう笑 行くだけでCDもらえるんですよ笑 ケチと噂の名古屋人のハート掴みまくりですよさすがですわ笑
実に2年半ぶりとなるという演奏会。今年はコンクールに出ず、演奏会に集中してきたジョワイエ。さらには、招待状によると「サプライズとして新編曲・委嘱初演を2曲用意しております」由(サプライズ……?笑)。愈、演奏への期待も高まります(……なんか、演奏がついでみたいな感じになってるな……笑)

愛知県女性総合センター・ウィルあいちの中にあるホール。名古屋においては珍しく、官庁街に非常に近いホールです。規模としては800人くらいと、しらかわをやや上回る広さ。愛知芸術文化センターの音楽対応2ホールより小規模ですが、逆にその使い勝手の良い広さと場所が相まって、音楽だけでなく講演や式典など多目的に利用されている県立ホールです。このホール、男女共同参画関係の施設ということもあり、女性団体のイベントだと使用料が安くなるという特典があり……あ、何、今回は関係ない?笑
さて、前述の通り、多目的ホールとしての機能が強い同ホール、しかし、天反の奥側が非常に低く、客席へ向けてキレイなラッパ型を作ることが出来ていることもあって、音の鳴り方については特に不満のない、良いホールです。多目的ホールだと、音がステージに篭ってしまうようなことが頻発するのですが、このホールについては、そういった要素は特にない。幅広い団で使いやすい、本当にいい意味でオーソドックス。
ただ一方で、その意味では、あくまで「鳴り」については問題がない、というのがこのホールの少し惜しい点。特に残響が長いとかいったことがないので、出した音がそのまま届きます。つまり逆にいえば、合唱団の実力がそのまま顕れる、うまく音を作り込もうと思うと逆に難しくなってくるステージ。オーソドックスというだけあって、使いやすいホールではあるのだけれども、その後、極めようと思うと、合唱団の素の実力がありのまま出てくるだけあって、ある種試されるホールとも言えそうです。
そうそう、このホール、非常にホワイエが狭い。だから、所謂ストームなどはステージで対応することになります。たまぁに、学生団が使ったりする時にあっては、その点は少々難点か。

指揮:高橋寛樹
ピアノ:森恵美子

しかし、男声合唱団たるもの、某団じゃなくても、「さわやかに、かっこよく」なければなりますまい笑、入退場は大人数にもかかわらず、非常にスマートに、キビキビ歩かれているのが印象的。そして、挨拶を終え、演奏に移るまで、非常にあっさりとしている。これこれ、これですよ。高校時代(中学だったかも)に現代文で読んだ評論で、日本の演奏家は入場から演奏までが非常にもっさりしている旨の文章がありましたが、まさにそれ。逆なんです。ペンギンのように歩いているうちは、みたくれだけだと二流にみえてしまいます。集客は9割。さすが、凄まじい。
そうそう、あと、今回の演奏会のMVPは間違いなく、御案内役様のステージ上にける軽快なトークにあります。オバサマ方の心を掴んで離さない、小ネタを挟みつつもしかししっかりと曲について紹介する、しかもそれを原稿無しでやってのけてしまう度胸と、話力は、まさに、ステージに立ち続けた者のなせる業か……高橋先生すら失笑するその業、否、あやかりたいところです笑


第1ステージ・世界の合唱曲(1)
Palmgren, Selim
“Laula, laula, veitosni”
“Kesä,-ilta”
“Tuutulaulu”
“Sua muistanut oon”
“Hiiden orjien laulu”

まず最初は、フィンランドの響きから。最近、全国的に流行を見せている北欧系サウンドですが、こればかりは自信をもって言える、名古屋では現在、供給過多ともいえる程、北欧系サウンドが大流行を見せている。どちらかといえばバルト三国中心ですが、今回の演奏会ではパルムグレン。にしても、なんというか、もう、この手の発音を見ると妙に落ち着いてすら来るのが今日このごろ笑
最初のメモの段階で、「最初の piano に一抹の不安を覚えるものの、forte のカデンツは聴いていると、やはり、アァ、男声合唱をきいているナァとなってくる」と書いてある(原文ママ、表記が妙に古っぽいのはご愛嬌笑)。そう、フォルテでガンガンハモっているという、あの、やりたいことやりました!という音を聴くと、ああ、男声合唱っていいなぁ、となるのですよね。……とにかく若い内は、それだけで終わることが出来たのですけれども笑
何かと、弱音がふわふわと聞こえる部分が目立ちました。その原因を色々探るという演奏会に、聞き手としてなってしまったのが、なんとも惜しいところでした。でも、必ずしも、表現自体が悪いわけじゃないんです。きっと、記譜についてはしっかりと追うことが出来ている。でも、何かが違うんです。
結局、力の問題なのかな、と思います。体力。筋力。身体の支え。力がないピアノのせいで、音がどこかカサカサに聞こえてしまうし、鳴らすところは鳴らすけれども、響きが乗らなくて地声気味になったりする。乗り切らなきゃいけないトップの高温が届かなかったりする。
5曲目みたいな勢いのある曲は、ある意味どうにでもなるんです(勿論、努力を否定するわけではないですが)。だからこそ、こういう曲で、力押しのフォルテでがなるような、あまり賢くないアンサンブルをしてほしくないというのが本音。個人的には4曲目が好き。どこか憧れのようなものを感じる、熱っぽい表現がたまらない。

第2ステージ・世界の合唱曲(2)
信長貴富 “Diu vi Salvi Regina”(『コルシカ島の2つの歌』より)
池辺晋一郎「ベンガルの舟唄」(『東洋民謡集(1)』より)
Kodály Zoltán “Fölszállott a páva”
Schafer, R. Murray “GAMELAN”

1曲目は国歌なんだそうで。国歌のエコーをヘテロで表現してるとかしてないとか。ほんまかいな笑
信長の、単音を展開しながら曲を進行していく方法。このこの方法にあって、大事なのは、通奏する単音。この音が基本となりながら展開するだけあって、しっかりと軸となる音がぶれないで鳴っているというのが、なにより重要です。その音が次の音へ引き継がれて、新たな展開を見せていく。とどのつまり、この音は、この曲の場合、とある歌詞から展開していくのですが、最初は言葉として鳴っていたものとしても、最終的にはヴォカリーズへ遷移していかなければならないものです。そこがうまく行かなくて、どうも響きが固くなりがちでした。
そう、ヴォカリーズの必然性というものがどうも不足していたなというのがこのステージ全体の印象。「ガムラン」然りです。この曲は、どうしてもヴォカリーズに振り回されてしまいました。特に早くなってから。遅れているわけではなさそうにしろ、どうも遅れて聞こえてしまっていた。「ベンガルの舟唄」にもその点顕著なのですが、少しばかりの緊張感の欠落が、音に緩みをもたらしてしまっていたような印象です。

インタミ15分。珍しく、男性トイレが大行列笑

第3ステージ
間宮芳生『合唱のためのコンポジション第3番』

そう、だから、こういった地声張る感じの表現は……素晴らしんだな、これが笑
カデンツにあっては、もっと響きを重視した表現のほうが良かった気こそすれ(特に2番)、1番、3番の鳴らし方は、聴いていてとても気持ちのいいものでした。特にこの団、色々書きましたけれども、唯一絶対に譲れない素晴らしい点がありまして。それが、表現に対する飽くなき欲求といったようなものです。歌いこもうと思ったら、迷うことなくしっかりと歌いこむ。その副作用として色々な難点が出てこようとも、少なくともしっかり表現できているのが、やはり、これまで積み重ねてきた実績の一端ともいえる側面なのかなと思います。
その点、なんとも惜しいのが、弱音に対する表現、あるいはレガートでしょうか。なんにせよ、意欲はよかったものの、その表現自体は、少々金太郎飴的に、のっぺりと似たような表現が続いてしまったため、広がりが見られなかったような気がしています。
技術的なことをいえば、内声の声のブレが課題か。音程が上がるところで、届かないなと気づいた部分があったのが、内声だからこそ、余計に気がかりでした。
否、とはいえ、このステージ、とても良かったです。聞こえてきたブラボーの声、アレは単なるお捻りでもないとは言えそうです。

第4ステージ
木下牧子男声合唱による10のメルヘン『愛する歌』(やなせたかし)より
「ひばり」
「海と涙と私と」
「地球の仲間」
「犬が自分のしっぽをみて歌う歌」
「さびしいカシの木」
「きんいろの太陽がもえる朝に」

さて、この手の曲、簡単なようにみえて難しい曲たちです。なにがって、シンプルなメロディと和声だから、ボロが出やすいんですね……否、見えやすい、といった方が正しいかも。たとえば、今回で言えば、高声。出そうとする余り出しっぱなしになり、コントロールが効いていない部分が多く見られました。だから、実際には、意外と声が出ていない。否、うまく鳴っていなく、他パートに埋没することが多く見られました。出し方の問題だと思います。それか、抗えぬ平均年齢上昇の波か――?←
とはいえ、こういう曲やらせて、聞かせられないはずないのが、この団のやはり安定している面か。こういう曲たちって、歳取ると染み入るものがあるんですね……笑 特に「さびしいカシの木」。孤独ながらも屹立するカシの木の様子が目に見えてくるようでした。メモには「きんいろの太陽」の勢いのままに歌えたらなお良かった、などと書いてあるものの、でも、今思い返せば、あれくらいの勢いで収まっているからこそ出来た表現なのかもしれないな、とも。その場限りのものですし。
いずれにしろ、フレーズ感ないと歌えない曲群を、持ち前の表現に対する意欲で歌いきってくれたのが印象的でした。

・アンコール
若林千春・編曲、やなせたかし・作詩〈委嘱編曲初演〉
「アンパンマンのマーチ」
「手のひらを太陽に」
西村朗「ゆうぐれ」(大手拓次)

頭2曲は初演。やなせたかしにかけて、とのこと。「アンパンマンのマーチ」の出だしは、なんだかファンキーな感じで始まり、アカペラで気持ちよく歌い上げる同曲。敢えて言えば、ヴォカリーズのパートがしっかりとそろうと、この局はもっと映えるようになると思います。「手のひらを太陽に」は、高橋先生の、歌わせたいところで振らない指揮が印象的。それにしっかり応えて、しっかり歌い込んでいたこの演奏は、今日イチと言って差し支えないものだと思います。
「ゆうぐれ」は、この団が西村朗個展を開いた際に初演した曲。演りたかったんだなぁという思いに溢れた非常にいい演奏でしたが、しかしまぁ、それにしても、落差が激しいなぁ……しかも、それが、演奏会最後の欲ときたもんだ笑

・まとめ

最後になるにつれ、というより、言葉が卑近なものになるにつれ良くなっていった印象。別にそれが悪いというわけではないのですが、表現の幅が今ひとつ単一的に過ぎなかったのが非常に気がかりでした。だから、いいところではすごくいいんだけれども、うまくいかないところではうまくいかないまま時間が過ぎ去ってしまう。
この団、嘗ての実績もさることながら、今一度、その実力が認められて全国大会への出場を果たした団。そうすると、我々聴衆としても、その聴くハードルというものがひとつ上がります。そればかりは、人間である以上仕方のないこと。もちろん、それに応えることのみが使命というわけでは決してない。ただ、この団は、今一度コンクールへの出場を果たして、今ひとつ、目指すべき音楽のハードルを上げるタイミングへと辿り着いているのだということを再認識させられたステージでした。今やっている音楽に満足することなく、今ひとつ上のステージへ――口で言うのは簡単だけど、というような内容、まさにそのままではあるのですが、ただ、強く意識しないと惰性となってしまうのは、おそらく、経験を多く積まれたこの団なら十分承知されていることかと思います。
今一度、自分を見つめ直した、キレのある音楽を聞かせていただけたなら、と思います。決して、今回の演奏が全く悪かったとは言わない。ただ、どこか消化不足となったその心を充足する演奏を、今一度聞かせていただけたらと願ってやみません。