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2020年12月18日金曜日

【名古屋フィルハーモニー交響楽団「第九演奏会」(1日目)】

2020年12月18日(金)於 愛知県芸術劇場コンサートホール

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調 作品125『合唱付』
Ludwig van Beethoven(1770-1827): Symphony No.9 in D minor, Op. 125 "Choral"
指揮:川瀬賢太郎(正指揮者)
ソプラノ:三宅理恵
アルト:石井藍
テノール:宮里直樹
バリトン:荻原潤(宮本益光から変更)
合唱:東京混声合唱団(愛知県合唱連盟から変更)

オーケストラ:名古屋フィルハーモニー交響楽団

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 散々な一年であった。そんな一年が、暮れようとしている。

 新型コロナウイルスという未知の恐怖に、ほぼ例外なく皆が怯え、日常生活すらままならなくなっていった。何をするにも、これまで経験したことのない対策を強いられ、何をするにも、批判と憎悪が渦巻いた。
 合唱は、その批判と憎悪の最たるところに位置付けられた。なにも法螺吹きではない。クラスター発生の最たる原因と位置付けられ、様々な舞台芸術が暗中模索して再開を探る中で、合唱だけが、様々な偶然と、声を出すということそのものを理由として、およそ画一的にその再開を妨げられた。
 語弊を恐れずにいえば、有史以来、歌うことそのものを禁じられた時代は、恐らく未だかつてなかった。独裁政権であっても、宗教であっても、内容に口出すことはあっても、歌うことを止めることは、これまで誰もがしてこなかったと言ってよいのではないか。恐らく楽器を弾くよりも早く始まった芸術を、ウイルスはいとも簡単に禁止した。人が密集する、互いに声を交わす、そんな、社会の原風景ともいえる光景を体現した芸術は、今、その消滅をも覗くかの如く、正に風前の灯である。――何も、大げさではない。合唱は、今、なくなろうとしている。
 医療崩壊は人の早すぎる死をもたらし、交流の崩壊は人の社会を殺しにかかる。いずれも、新型コロナウイルスが齎した厄災である。

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 合唱活動が止まるというとき、象徴的に語られるものが、学校における部活動の停止、校内合唱コンクールの中止(実際は、いずれも工夫のもとなんとか実施した例も多い)、そして、年末の第九公演である。理由はともあれ、こと日本においては、年末のクラシック公演は第九を抜きには語れない。決して大編成ではないながらも、メロディ、ハーモニーの華々しさ、曲の最後に奏される大合唱、それがもたらす大団円。一万人の第九という、大団円を象徴的にするものから(それも又、今年は歌唱動画を集めて繋げた、いわゆる「リモート開催」であった)、250年前の音楽を再現する演奏まで、他の曲に対してあまりに多く再演されてきた、誰もが知る名曲である。
 そんな第九が、合唱がついているという、同曲最大の特徴のために、もれなく公演中止の危機に瀕することとなった。現代のオーケストラでなくとも、初演ですら100人の合唱団により演奏されたという。しかし、今や、100人の人間が一堂に会することすら、慎重な対応を求められる時代である。名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)とて例外ではなく、結果、100人~200人で毎年共演してきた愛知県合唱連盟の起用は断念せざるを得なかった。普段より小編成で、プロ合唱団・東京混声合唱団とともに――しかし、それでもなお、名フィルは第九を演奏することを選んだ。

 入場前のソーシャルディスタンス、消毒、検温、チケットは自分でもぎり、パンフレットも自分で取る。オケはスペースを取ったゆとりのある配置にし、ソロを含む声楽はオルガン前席に配置(大規模編成の際にはしばしばある配置でもある)し、シューボックスのステージとオルガン前席の間にはビニールフィルムの防護壁が設置されている。開演前アナウンスには感染症対策の注意喚起がずらずらと読み上げられ、接触確認アプリの作動を妨げないためにスマートフォンの電源を切らない(消音モードに設定する)よう指導がなされるクラシック公演に出会う日が来るとは誰が想像したであろうか。一方で、新型コロナウイルスの濃厚接触の疑いから出演者の交替があるなど、新型コロナウイルスがごく身近に迫ったものであることを改めて知らされる。――しかし、それでも、「こんな時だからこそ、この作品の持つメッセージは深く届く」(川瀬賢太郎・開演前プレトーク)との思いから、名フィルは第九を演奏することを選んだのである。
 何を隠そう、名フィルだけではない。東日本大震災からわずか一週間後、東京が電力問題に瀕し、自粛ムードの中で経済活動が停滞する中にありながら定期演奏会を敢行したのが、東京混声合唱団(東混)であった。このコロナ禍にあっても、どこよりも早く演奏を再開すべく、リモートアンサンブル、合唱用マスクの開発、それを用いた実演、コロナ禍に対応した新曲委嘱と動画初演・楽譜販売と、ニューノーマルの基における合唱活動のあり方を模索し、提案し続けてきた。そんな東混が、今や全国で数える程となった第九公演の合唱を担うことになったのは、必然と言ってもいいのかもしれない。――実のところ、その規模故普段は第九を演奏することが少ないにもかかわらず。

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 散々な一年であった。でもだからこそ、この曲を歌う意味が、より鮮明になる。
 どこか悲愴的なモチーフから始まる第一楽章、険しい道の中に牧歌的な主題が現れる第二楽章、美しい旋律が包み込む第三楽章、それらを回顧し、しかし、「このような調べではない」と堂々たる主張が響いた上に、歓喜の中に大団円を迎えゆく第四楽章。――何を隠そう、数える程ではあるが、愛知県合唱連盟の一員として合唱団に参加している身である。その身でありながらにして、否、それであるが故にというべきか、客席で第九を通して聞くという経験は、実は今回が初めてであった。いつも歌っているこの曲を、客席で聴くということ、それ自体が、どこかむずがゆい、否、もっと言ってしまえば、「悔しい」と形容できる、そんな経験であった。歌うことのみが第九というわけでは、当然無いのにもかかわらず。第一楽章の冒頭に重なりゆく音像、第二楽章の木管による対位法的旋律、第三楽章のホルンがむき出しになって奏でる旋律を、(大変卑近なたとえで恐縮であるが)まるでドアラのバク転を見守る中日ドラゴンズファンの心持ちで見守るのも、第四楽章で合唱が入る前に金管が奏でる主題の裏で荘厳に鳴り響く弦楽による第九全体を支える主題――いずれも、舞台の上で迎える年末の風物詩として、当方の脳裏に強く思い起こされる光景である。
 マエストロ川瀬賢太郎が以前名フィルと演奏した第九にあっても、ひな壇の上にいた。木管のマルカートの後ろで、今か今かと出番を待ちながら、落ち着かない心を手汗とともに握っているのが、私にとっての年末の風物詩である。練習記号M――合唱による主題直前の弦によるオクターブ跳躍を、まるでボウイングとシンクロして振りおろすマエストロの姿を、演奏者の目線で体感できたのは、永遠に忘れられない財産である。あのときの誰よりも若く、誰よりも輝き、誰よりも疾走した第九を、また「見る」ことができる。コロナ抜きにして、それ自体、貴重なことであった。
 果たして、その棒が持つエネルギーは、その時と変わらなかった。否、コロナによって抑圧された感情が開放されるかのごとく、そのエネルギーを演奏とともに増幅させていたのではないか。プロでなくとも、感情を表出した演奏は御法度とされる(過度な緊張が音の乱れにつながり、有り体に言えば、聞き手が冷める)ものの、演奏者も聞き手も、今年の第九に、やっとたどり着いた今年の第九に、感情移入しないはずがないのであった。
 所々折り合いがつかないところを強引にまとめながら、終始アップテンポでまとまっていく。否、指揮を見るにも私が知る限りにおいても、無駄なリタルダンドのかからない、これがインテンポなのだ。寧ろ、今日の演奏は楽譜に忠実であった。しかしながら、インテンポの演奏を実現することそのものに異様な体力を要する第九という曲に、マエストロのエネルギーが乗りうつり、いつもより少ないはずのオケ(コントラバスが4人というのが象徴的である)が、いつもと同じ音量を奏でる。第二楽章の対位法を見事にこなし、ティンパニが雷鳴を奏で、第三楽章のホルンが完璧に鳴る。所々につく演奏の傷は、怒濤のテンポで疾走するエネルギーの中に飲み込まれていく。
 第四楽章の主題が弱音でコントラバスとチェロにより奏でられるとき、思わず目をつむる。妙に感傷的になって、「歓喜の歌」に祈りを込める。伴奏がなく、低弦の斉唱のもとに奏でられ提示されるこの主題は、とても内省的な音楽から始まる。徐々に楽器と音量が増えていく中で、管に主題を受け渡した時に鳴る弦もまた、「歓喜」の裏を物語る。決して手放しに祝えない「歓喜」の象徴は、まさに、現代社会の映し鏡である。
 合唱は、普段の4分の1しかいない程度の規模でしかない。それなのに、プロというアドバンテージは、いとも簡単にそのディスアドバンテージを超克する。思わず合唱の入りに、笑いがこみ上げてしまう。なんだこれ。いつもの自分たちより全然うまいじゃないか。わずか28名が、いつも以上に和声を決めて、いつも以上に子音を飛ばす。いつも決まらないのがお決まりなはずの、二重フーガ前の和音が、明快に協和音として聞こえる(そんな当たり前のことすら普段のアマチュアはできないのかとのお叱りを避けることは出来ないであろう)。もちろん、音量が不足しているという印象は免れ得ない。しかし、それを補うにあまりある技術が、東混の存在感を見せつけた。
 制限がある中にして、奏でられた第九の評価は、開演前にあれだけ「タクトを降ろしてから」と言われていたのに食い気味に客席に響いた拍手が、すべてを物語る。「歓喜の合唱」と俗称される第九は、必ずしも手放しに明るく歌い続ける曲ではない。どちらかというと、歓喜を「勝ち取る」、そういうエネルギーに満ちている曲と言って差し支えないのではないか。そのエネルギー自体が、今日の演奏では再現されていた。おそらく、これより良い演奏は、これまで嘗て散々演奏されてきたのだと思う。数えたことはないがおそらく年に10回近く普段なら第九を演奏する名フィル自身、今日がベストの演奏ではないのだと思う。粗はあったかもしれない、しかしながら、今年は、第九が目の前で鳴っていること自体が、奇跡的な出来事であった。

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 散々な一年であった。決して、大団円の中に終わることの出来ない一年であった。悲しくも志半ばに失われた命も数知れない。ボロボロの状態であるし、今も素直に第九実演を受け容れられない人がいるのも十分承知している。しかし、そんなボロボロの中で得られた、文字通り美しいハーモニーと、情熱に満ちたオケの疾走、そして、いつも以上に大きな拍手こそ、我々が勝ち得た今年の歓喜である。編成の問題ではない。どんな形でもいい。今年の第九は、今年にしか出来ないのである。
 でも、あえて名演の前に、どんなに有り体な一言でも、今年ばかりはもの申したい。「O Freunde, nicht diese Töne!」――「友よ!このような調べではない!」。元々、日本の第九の規模は大きすぎるという声があるのも承知している。しかし、日本の第九には、大人数の大団円が、どうしても必要なのだ。

 合唱、こと収益を求めないアマチュア合唱は、わずかこの一年で、崩壊の危機に瀕している。既存の団が練習を思うように出来ていないのももちろん大変であるが、学生合唱団を中心として、若い新入団員の獲得に苦しみ、次世代の潜在合唱人口は間違いなく減った。人の心自体を合唱に結びつけることが困難になっているこの時代。語弊を恐れずに言えば、私の心も、以前よりは合唱から離れているというのを、正直痛感している。
 しかし一方で、演奏が出来ることそれ自体を喜びとする、素直に合唱を楽しむ気持ちを思い出すことが出来たのも今年である。確実に減った一つ一つの演奏機会に接するとき、確実に心が躍る。今日のような名演に接したとき、自分も歌いたいと思う――そんな、昔から抱き続けていた当たり前の感情が、間違いない、こんなにも尊いものであったとは。
 今年、第九の実演に触れることが出来たのは、またとない僥倖である。しかし、一方で、また、私たちの第九が奏でられるときが来ると良い。そんな当たり前の歓喜を勝ち取ることのできるそのときを、心から待望することとしたい。

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