おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2017年11月21日火曜日

【TFM合唱団第29回演奏会】

2017年11月19日(日)於 ライフポートとよはし コンサートホール

どの都道府県でも割と事情は似ていると思うのですが、普段愛知県民をかたっていても、名古屋に住んでいる当方、東三河に行く機会というのはめったにない。せいぜい行っても、西三河、つまり、刈谷や豊田、安城、岡崎止まりがせいぜいという人が、西側に住んでいる人間には往々にして多い(と、いいつつ、西尾張にもあまり行かないのはご愛嬌←
そんな中、愛知県で合唱をしていると、やっぱり、東三河の合唱団って出てくるんですね。土地の規模も人口の規模もそれなりのものがありますし、なかには豊川コールアカデミーのようにコンクールで実績を残してきたりすることもあったりする(それでいて、連盟のイベントともなると、大体会場は尾張地区でやるものだから、ご足労なものです)。
今回行った団は、そんな東三河最大の都市である豊橋で長く活動を続ける合唱団。毎回の合唱祭でも安定した響きを聴かせる同団は、もともとあった男声合唱団と女声合唱団が統合する形ではじまり、今年で創立35年。長寿団のひとつに数えられる同団にあって、桜丘高校で音楽科を作り上げた、同団名誉顧問・齋藤喬氏の伝手もあってか、桜丘高校とのパイプが非常に強い。今回は桜丘高校音楽科楽友会から花が届き、ソリストは桜丘高校出身でありながら、同団に在籍経験もあった人もいる模様。今も、壮年団とは言い切れず、非常に幅広い年齢層で活動しています。ちょうど立ち位置でいえば、はもーるKOBEに近いかも。そう、この団、行政からも表彰を受ける、いわば、豊橋の合唱文化をも背負う、正に老舗どころ。
したがって、厳に申し上げておきたい。
決して、道玄坂がどうとか、そういうのないので。
……あ、知ってた?

ホールについて
そんなわけで、東三河のホールというのも、当方、足を運ぶ機会がありませんでした。今回が初めての探訪。写真でちょっと見たことのあるホールだったこともあり、割と期待して行きました。何かって、見た目の雰囲気がすごく良いんです。石造りのような、言わばデザイナーズマンションのような雰囲気を持った、どこか都市的でありながら、響きを持っていそうな外観。
豊橋のポートサイドに構える、中庭豊かな円形の建物の中にある複数の文化施設、そのメインの一つが、このコンサートホールでもあります。バブル直後の1994年開館は、ちょうど愛知芸文と同い年くらい。こけら落としは第九演奏会だったという当時の写真は今も掲示してあります。第九が乗るくらいの広いステージに、客席は1,000席程度、後方の絶壁客席は2階席という位置付けです。音楽コンサート専用で、反響板は固定でありながら、シューボックスタイプではなくシアタータイプの、所謂多目的ホールにも使える、客席とステージが峻別された構造は、独特な雰囲気を持っています。まさにデザイナーズマンションのようなシンプルな構造は、だんだんと年を重ねてきて、風格を帯びつつあります。
響きは、期待していた素晴らしい残響がまず何より印象的。そして、その直後、ちょっとしたことに気づく。このホール、スゴいのは、すっごい響くのに、全然鳴らない。天井が高くて響くし、奥行きがあっても奥までよく音が届いていそうなのですが、ただ、全然音量が、音圧が増さない。広いステージで、50人規模の同団ですら手にあまるほどの模様。きっとこのホール、大編成の合唱や、音量の鳴る楽器だと非常に映えるのではないかなと思います。悪いホールではない、でも、ある意味、物凄く試される。だから、後述しますが、バラバラのオーダーだったり、バリバリの声楽だと、しっかり聞こえてくるんです。「地力」が試される。中々おっかないステージです。
そして、このホール、最大のデメリット。とてつもなく、駅からのアクセスが悪い。港の近くにあるのもあってか、クルマで来ることを前提として作られているような場所にあります。臨時バスが今回は出ていたようですが、普段は、どうも、1時間に1本が関の山とも言えるバスが唯一の足です。今回は、行きがタクシー、帰りがバス。帰りのバスはもちろんすし詰めで370円。タクシーは15分程度で3,000円弱。4人で乗りあえば700円と考えると、払う価値全然ありだなと感じてしまいます、正直。

第1ステージ
信長貴富・混声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
指揮:酒井宏枝
ピアノ:種井理恵

この曲、なんか、規模的に最終ステージってイメージが非常に強いんですけど、この爽やかなイメージから考えて、キャッチーな構造を考えたら、第1ステージでも十分映える曲ですよね……まずなんだか、そのことに気付かされたのが新鮮でした。何より、海が直ぐ近い場所だから、余計に、ね(何が
比較的端正にまとまったアンサンブル。内声がよく聴こえてくるのが印象的。内声が旨い団は、アンサンブルをまとめる力に長けている団、ですからね。ただ、一方で気になるのが、ホールが散ることも相まって、非常に淡白に聞こえてしまった点。ところどころ、高声系でしっかりとした音が聴こえてくることはあるのですが、それも、気まぐれで意図を感じない。もっと、テンポ的にもじっくりと表現を深めて、一音あたりの情報量を多くした演奏だと、より聴き応えがあったように思います。そう、特別指導を受けたという伊東先生の指導、それだけを鵜呑みにすると、どうしても淡白になってしまうのです。
どでも、この団、やっぱり、経験が非常に深い団。だから、全体を見回したときの表現に対する意欲は非常に素晴らしい!「くちびるに歌を」は特に、最初は少し早いかな、というテンポだったものの、それがうまく1回目の旋律のいい意味での単調さにつながり、2回目における主題のリフレインが効果的に訴えかけてくる。もちろん、普通の団でも同曲においてこの要素は往々にして指摘されるのですが、指摘されたことを、わざとらしくなくやるのは、難しい。
だから、なんですかね、隣の子連れのお父さん、「すげえなぁ……」と思わずつぶやく、その、芝居がかっているようにすら聞こえるつぶやき、でもこれ、本音なような気がします。

この幕間で、団長挨拶。否、こんなに安心して聴いていられる挨拶、久方ぶりでした笑

第2ステージ・中島みゆき&さだまさし
arr. 高嶋昌二「糸」
arr. 鈴木憲夫「案山子」
arr. 相澤直人「麦の唄」
指揮:酒井宏枝
ピアノ:種井理恵

2曲目はポップスステージ、とはいえ、中々に重い曲たち笑 でもそこらへんは、持ち前のアッサリと歌いきる、よく言えば「爽やかさ」で乗り切ります。
とはいえねぇ、アカペラを揃えるくらいの実力って、割と大事なんですよ。1曲目。ブラヴォーが飛び出した同曲は、アカペラの編成。フレーズを歌おうとする心意気が、この曲に芯を通していきます。そう、技術的なボロというのは、指摘したらきりがない側面は正直辞めません。特に、高音が当たりきらなくても放置されているのは、色々な団にありがちなことでもあります。でも、この技術的課題、しっかりと歌いきるという一点で、突破できる部分が、少なからずあるんですね。もちろん、放置しておいていい課題ではない。でも、歌いこむことで、各個人が自分の音に責任を持つようになる。そのことによって、音圧だったり、表現が豊かになるんですね。否、これは、決して観念的なことではない。でも、一言、「ココロで歌う」! そういった意味で、フレージングが優先されるTFMのような団では、メロディをしっかり歌う曲に対して、ランダムオーダー、あるいはステージ全体を使った表現は、非常によく映えるんですね。ちゃんと鳴らそうとすること、それだけで、十分堪能できる、非常に貴重なステージでした。

インタミ15分。ホールのカーテンウォールから外を覗くと、開けた青空が眩しい。いいホールだなぁ……。
そうそう、第3ステージのピアノを弾く増田先生、プロフィールに曰く「私はピアノを弾いているのではない」という境地に至っているとかなんとか。実際に聴いてみて……ん、なんか、わかったようなわからんような……笑

第3ステージ・齋藤喬傘寿記念
Mozart, W. A. "Vesperae solennes de Confessore" KV339
指揮:齋藤喬
ピアノ:増田達斗
ソプラノ:畔桝幸代
アルト:荘典子
テノール:前川健生
バス:能勢健司

先代先生の傘寿記念。即ち、齢、実に80歳。団員にマイクを向けられ、曰く「年を取りました――只、音楽は、年を取りませんので」。
その言葉をそのままに――何かって、このステージ、エネルギー、その一点! 傘寿の御大、それだけ聴くと、一体どんなヨボヨボな棒振りを見せるのかと思いきや(失礼)、これが、とてつもなくキレッキレのタクト裁き! 力強いアインザッツに載っていくかのように、合唱団も、これまでの音圧からは目をみはる程の素晴らしい圧のある音を見せてくれる。モーツァルトという楽曲の性質もあって、ちょっと表現が強さ単一に過ぎたかなと思わせる面こそあるものの、合唱の食いつきもよく、ソロやピアノとも非常によく絡み合っていました。
このステージ、歌い手一人ひとりの、「次、何をすべきか」という表現がとても良く光っていました。自分が演るべき音楽がどういう音楽か、というのを、どういう形であれしっっかりと見据えていて、どうすれば自分が、どんな音を、どんな風に歌うことが出来るかを予想した上で、音を鳴らしているのだなというのがよく分かる。だからこそ、食いつきがよく、音圧に豊かな、決然的な音が鳴るんですね。
で、これ、本番のパフォーマンスだけじゃないんです。こういうことが出来る団は、リハーサルが強くなります。なぜって、常に、どういう音を出したいか、出すべきかを考えながら歌うわけですから、ビジネス的に言えば、PDCAサイクルが個人の中で非常に早く回るわけですね。そういった意味で、上達がすごく早くなりますし、歌い手としての地力も上がる。
そう、いってみればこれは、この団の底力を見せられたステージだったのだと思います。

・アンコール
Mozart, W. A. "Dominus Jesu”(齋藤)
Elder, D. "Twinkle, Twinkle, Little Star”(酒井)

最後のステージにちなんだ一曲と、これからの時代をかたどる一曲。エルダーは、少し力不足だったかしら? 否、いずれにしても、これからの団の形を見せようとする姿、それこそが、この選曲の最たるところでしょうか。

・まとめ

地域の核となる合唱団って、往々にして困難を伴うものなのだと思います。なぜか。常に、その地域にとってジェネラルなものになり続けなければならないから。選曲一つとっても、歌い手皆の心を掴んで、ある程度集客を期待できる曲となると、限られたものとなってくるし、例えばその地域で合唱団が少ないともなると、玉石混交に歌い手が集まってくるから、どうしても、レベルだったり、目指すべきものがバラバラになってしまって、結局、街の合唱サークルのような、みんなでなかよくうたってたのしみましょう、みたいなものになってしまうこともある。それが一概に悪いとは言えないのですが、選択肢がない中で、目指すべきものがそれしかない、というのは、とりわけ、その地域に住む人にとって、とても苦しいものとなる。
お世辞じゃない、TFMにあっては、その心配とは無縁なような気がしています。選曲をとっても、第1ステージに「くちびるに歌を」を中間楽章含めて全曲しっかりとやり、この曲のために、伊東先生を読んで複数回のレッスンを付けてもらう。そして、しっかりと自分たちのやりたい音楽について考え、それを音にしようと試みる。何、今鳴っている音が問題なのではない。大事なのは、そのベクトルにほかなりません。
音楽がある生活、ただそれだけで、心が豊かになります。でも、私は、敢えてこう申し上げたい。それが、馴れ合いになってしまったら、それは、もう、音楽ではないんです。たといどんなに、なかよしサークルであったとしても、そこには、常に向上心がなければならない。だからこそ、団長さんが「技術の向上のために、切磋琢磨してきた」とおっしゃる、その言葉が何より心強い。向上心あってこそ、その向上心そのものが、音楽にハリを齎します。
――釈迦に説法? 御意。僭越ながら、また、名古屋の地でも素晴らしい響きを聞かせて戴けることを、心待ちにしております。

なんなら、貴団よりも伊東先生が来てくれない当団の演奏会にも来ていただけたらなぁ、なんて←

0 件のコメント:

コメントを投稿