おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
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合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2017年11月28日火曜日

【合唱団イオス第11回演奏会】

2017年11月26日(日)於 昭和文化小劇場

なにも、池袋ばかりが合唱ではない。
さらにいうなら、2ステの脚本家の職場も池袋ではないらしい。
と、壮大な池袋dis(!?)で始まりました今回のレビュー。否、別に、全国大会行けなかった恨みつらみとかそういうのないんですけど()、ともあれ、今日は名古屋で、合唱団イオスの演奏会に。去年10回目の演奏会を終えた、気がつけば若手合唱団の中でも、老舗どころのひとつとなった合唱団です。この合唱団、パンフによると、モットーは〈「集まる」楽しみ、「できた」の楽しみ〉。そう、何かというと、この団、他の合唱団とはちょっと違ったコンセプトで合唱を続けています。歌が中心に回っているのは間違いないものの、ただ一方で、集団としての和を良しとするのが特徴です。つまり、徹底的に「サークル」然としている。見ていると、なんだか、学生団の延長のような活動をしているのが特徴的。その特徴が顕著に顕れているのは、真ん中のポップスステージ、第2ステージを「アトラクションステージ」と題し続けていること。とはいえ、今年のタイトルは「イオスの奥様事情〜あなたと一緒で、よかった!?〜」。……抗いきれぬ年の波を感じる

・ホールについて
以前、向陽でも書きましたね。開館からはや1年経ちました。だからか、段々と床に敷かれたPタイルの目地に年季が……って、さすがに気のせいか!?w
今日、3ステの1曲目がインストのみのアンサンブルでしたが、いわば、このホールのポテンシャルが最も出るのは、ともすると、こういった小編成器楽アンサンブルかもしれません。音が飛んでこないわけではないが、残響というとそこまで期待出来ないホール。でも、逆にいえば、控えめな残響が心地よく、うまくホールの広さにあった響きによって、ボリュームも響きもちょうどいいアンサンブルを聴くことができました。
つまるところ、音圧のある精緻なハーモニーが聞ければ、このホールは使いこなすことが出来る……とどのつまり、結局は、アンサンブルの実力がそのまま出てくる、ということか。ううん、手厳しい。手元のメモには、「良くも悪くも、練習場の響きをそのまま味わうことの出来るホール」との記述が。旨い合唱団は、練習場で聴いても、旨い、と思わされる。しかし、その意味でいえば、とても難しいホールと言えるかも。
まぁでも、気軽に歌っていてもしっかり声を届けてくれることは間違いないので、気軽に使うのも、それはそれでオッケーだったりします。さすがに、文化小劇場、各区にある地域の文化施設ですから笑
そして、このホールの最大のメリットは、ステージが非常に広いこと。この前の向陽もそうですが、今回の40人規模の合唱団が乗っても、他の文化小劇場と違って狭さを感じません。その点、文化小劇場としては非常に使いやすい場所になっています。

第1ステージ
Dobrogosz, Steve “ZAKURO”(Tomihiro Hoshino)
指揮:松原朱里
ピアノ:杉本依実南
コントラバス:祖父江憂貴
タム:浅田亮太

音の響きを優先して作られた曲だ、とどっかで聴いた記憶があります。その点、日本語の響きに対しては非常に美しく作られているものの、音韻という側面で見ると、少々外れている部分もある。したがって、放っておくと、実は、ただキレイなだけの曲になってしまうという、少々頭をつかう曲でもあります。
この曲、その観点についていえば、さほど苦しんでいる様子はありませんでした。否、寧ろ、完成度高かったといって差し支えないかなと。言葉を言うという点については、非常に意識が行き届いていて、楽曲の出来の根幹を支えていたように思います。ただ、残念だったのは、演奏の出来が、それだけに収まってしまっていたこと。フレーズの伸び方だったり、逆に収め方だったり、アウフタクトで入る音への配慮だったり、母音ごとの音の歪みが、特に閉母音で響きの艶が失われてしまったり、ア母音が逆に開きすぎてしまったり、3度のピッチと入り方だったり……とにかく、まだまだ気をつけられるポイントはいくらでもある演奏でした。
特に残念だったのは、男声・女性のバランス。男声が比較的骨太に、しっかりとしたヴォカリーズを鳴らしている一方で、女声の旋律と言葉が浅く、物足りない印象でした。特に、フレーズが盛り上がる高音部分で、勢いが目立って落ちてしまっていた。これ、もう、勇気のような問題なのだと思います。安全運転に、外さないように外さないように、と意識するあまり、音を合わせに行っているように、こちらでは聞こえました。もう、思い切って、このフレーズでは何を歌わなければならないか、その一点に狙いを定めて鳴らせば、もっと輝かしい主旋律が鳴らせたような気がします。
でも、これを、粗削りの原石というのかも。否、言葉に気をつけるというポイントだけで、まず日本語の曲は普通歌えるはずなのです。言葉というポイントからまずはじめて、フレージングを構築したり、母音を揃えていったり、言葉に付随して展開する和声を構築していったり。いわばトヨタ生産方式のように、5回の思索を深めていくように楽曲を作っていくと、楽曲作りに深みが増すのではないかな、と思いました。
そして、特筆しなければなりますまい、楽器がすっごくいい味出してました。オプションでもないんでしたっけ? でも、ジャズに魅力のあるドブロゴスだけあって、入る価値のある楽器隊でした。特に、タムのリズムが非常に心地よく、アンサンブルを邪魔しない程度の控えめかつ存在感のあるボリュームで入っていたのが印象的でした。

インタミ10分。アトラク前だからですかね、とはいえ、変わったことと言えば、ドラムがしまわれたことくらい。衣装も特に変わっていないし……うん?

第2ステージ・アトラクションステージ
『イオスの奥様事情〜あなたと一緒で、よかった!?〜』
福山雅治「家族になろうよ」
高橋真梨子「恋に落ちて」
木山裕策「home」
椎名林檎「落日」
(編曲者不詳)
脚本:小椋良浩
指揮:松原朱里(1,2)、上田真史(3,4)
ピアノ:佐方淑恵

お次はアトラク。そう、元イオスの代表さんのFBを見てても、毎月のようにイオス関係の結婚式に参加してますからね笑
さて、このステージでも惜しいのが、フレーズの作り方。ご覧のように、全てポップスで構成されたステージだけあって、どの楽曲でもポイントになるのは、主旋律の構築の仕方。フレーズの抑揚が、やっぱりこのステージでも抑えられてしまっていて、今ひとつ物足りない出来になってしまっていたのが残念なところ。
それが残念だな、と、今ひとつ思わされるのが、ソプラノを中心に、高音から逃げてしまっているところ。なぜって、この団が、演奏の質として粗削りダイヤの原石たる部分が、まさに、その、表現に関わる部分にあるから。目的に向けて一直線なところ。「どう歌いたい」という心が、全面に押し出された表現を徹底しているんですね。その意識があるからこそ、余計に次を求めてしまう。アンサンブルに意思がある。それだけで、演奏は、伸びる素質を持っているんです。最早、母音が開いているという欠点をとってすら、このアンサンブルのための何らかの意思ではないかと思わされるんですね。実際に、そんなような気がしてくる。
でも、それ以上に、このステージについては言いたいことがある。アトラク、やるなら全力で。否、全力じゃなかったとは言いますまい。でも、すっっっっっっっっっごく物足りなかった!! 依頼に対してリサーチチームの調査結果を朗読するというもの。うん、たしかに、団員の生声ということで、面白い部分もあったかもしれない。もっと、もっとうごいてほしいし、もっと全力で笑いを取りに来て欲しい。そう、もっとはっちゃけてこそ、イオスでアトラクやる価値がある。あくまで、ショービジネスなのです。厳しいこと言えば、内輪で盛り上がりそうなことは、合宿でやればいい。せっかくやるなら、学生団では出来ないような、学生団の範となるようなアトラクを目指して欲しいところ。

インタミ20分。ウソのように見えて、ホントなんですね、これ。変わったことと言えば、ドラムがセッティングされたのと、意匠が黒・黒に変わったこと。うーん……?もう少し削った方が、お客様には優しいような。インタミ入れるのは仕方ないにしろ。

第3ステージ
Völlinger, Martin “The Latin Jazz Mass” より
1. Opening
2. Kyrie
3. Gloria
4. Psalm and Hallelujah
6. Sanctus/Benedictus
9. Agnus Dei
14. Sing the song of gladness to our God
指揮:上田真史
ジャズピアノ:工藤美保
サックス:辻田祐樹
コントラバス:祖父江憂貴
ドラム:浅田亮太
Special Thanks:近藤有輝

まず何より申し上げたい。ホールについて書いたところでも言ったのですが、絶品の楽器アンサンブル!! 1曲目がインストなだけあって、何よりその魅力が十分に生きました。いやもうホント、この演奏を理由にお金とってもいいくらいです。願わくば、この雰囲気のままに、attacca で Kyrie へ入ってほしかった!
とはいえ、素晴らしいアンサンブルにも恵まれて、この曲、とても乗っていたと思います。特に、Hallelujah などは、ガッツリとノリノリに表現されていて、こっちも楽しくなる出来に。特に、音数が多くなると、こういう曲って乗りやすいんですよね。歌ってて楽しいし。でもだからこそ、いまひとつ気をつけてほしいのが、歌っていないときの「待ち方」。歌っていないときに突っ立っているだけというのは、どうにも惜しい。サックスがバリバリにソロを吹いている時、合唱団がどんな顔して待っているかって、聞き手がどうスイングするかに関わってくる。
そして、この曲、ミサでありながら、ミサではない。ミサの形式は、通常文を元に、厳格な形式のもとに決まるもの。否、たしかにミサ通常文に基づく同曲は、ミサ曲と言えるのかもしれない。でも、途中にハレルヤが挿入されたり、その他本来は14曲に渡り(!)各テキストを、ジャズを基軸にしてまとめた同曲。したがって、教会でやれるようなミサというわけではない(もっとも、この際、演奏会用ミサと典礼用ミサの別は措いておきましょう)。
したがって、この曲の言葉の作り方というのには、ひとつ工夫が必要です。この曲のテキストは、世界で最も知られた文章。したがって、すごく乱暴な言い方をすれば、言葉なんて、聞き取れなくてもいいとも言えるのです。勝手に脳内で補完してくれる。Gloria ときたら、誰がなんと言おうと in excelsis Deo なんです。だから、こういう時は、この曲の表現のために、言葉を使ってやったほうが、効果が高いのではないのかなと思います。例えば、無声子音を普段よりもしっかり飛ばしたほうが、リズムの対比が際立ってきて良かったりもする。
せっかくなら、ハデにやりたいんですよね。そのために、是非、もっと細部にわたってガッツリ表現したおして欲しいと思います。それだけで、もっとガンガン乗れたような気がします。ハレルヤが良かっただけに、もっと出来ることがあったんじゃないか、と、思わず惜しくなってしまう。

・アンコール
木下牧子「サッカーに寄せて」(谷川俊太郎)

そして、これ。いやもう、歌いたかったんだなぁ、と、よく分かる歌い方と、よく分かる音だったくらいに、みんな、歌いたいように歌ってました。そりゃ、すごく清々しかったんですか、敢えて水を差してみたい、なんで、サッカーだったんだろう、と……笑

・まとめ

僕ね、言いたいことがあったんです。この団に。だから、演奏会のこととか関係ないかもしれないけれども、とにかく、言いたいこと書きます。
ハッキリ宣言しておきたいんです。この団、愛知県に、否、日本に、なくてはならない合唱団なんです。なぜか。合唱団員に、歌う場所以上に、居場所を提供して、合唱団員が「帰り着く場所」を作っている。そして、集団として、そんな、居場所づくりに、成功している。それを、若手の団で成功しているのって、すごく貴重なんです。
合唱団って、普通、音楽をやるために集まっている。その音楽をやるために、手段として、合唱団という寄り合いがある。だから、音楽のために練習するし、出来ないことについてすごく厳しいし、時には音楽観の違いで団を離れてしまうこともあったりする。
この団とて、そういうことがないわけではないんだと思うんです。でも、この団、僕には、「イオスのために歌っている」という意識をすごく感じるんです。イオスがあって、イオスという集団が、その中の人達が、好きだから、そのために歌う。そんな感じ。〈「集まる」楽しみ、「できた」の楽しみ〉――まさに、そのコンセプトが、反芻されます。イオスが集まることで、新しく出来ることがある。イオスのために、イオスだから、出来ることがある――そんな、可能性の喜びに満ちている、そんなような気がしています。
正直、この日曜日に池袋でやっていた合唱とは、極端な言い方をすれば、対極的な部分もあったりします。もちろん、同じ合唱というメディアを使っている。でも、コンクールみたいに、他と比較して一番を狙おう、という考え方を持っているわけではない。この合唱団の目的は、とても内面的なものであり、徹底して自己に向けられている。言わば、自己実現こそが、この合唱団の目的でもあるわけです。
僕、こういう合唱団がもっと増えていいと思っているんです。よくいう話で、コンクール離れっていうものがある。コンクールを離れて、ホンモノの音楽をしようっていうの。でも、それだけなくてもいいとも思うんです。もっと、合唱団って、サークルとして、いろんな目的があっていいと思うんです。もちろん、あらゆる形で最高の音楽を目指すというのは、素晴らしいことだと思うし、合唱団である以上、何らかの形でいい音楽を作ろうという気落ち自体は、間違っていないと思います。でも、それが、音楽自体がたとい目的でなくても、音楽を通して楽しむのだって、音楽だと思うんです。
そして、合唱界は、そうやって、いろんなふうに音楽を楽しむ人たちに支えられている。そんな、合唱文化の裾野を広げる合唱団イオス、この団が、この団を好きという人たちに支えられていること、それ自体が、物凄く、価値のあることなのだと思います。

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