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2015年6月21日日曜日

【東海メールクワィアー第58回定期演奏会】

2015年6月21日(日) 於 愛知県芸術劇場コンサートホール
[福永陽一郎生誕90年・没後25年記念「福永陽一郎 編曲集」

いやぁ、今日午前中の雨男っぷりはすごかったですねぇ……

なにせ、伊東先生でしたからねぇ……笑
全国で様々な演奏会がある中で、この名古屋での演奏会、プログラム的にも、伊東先生の本気モード全開でしたね……笑

・福永陽一郎について
合唱、こと日本の男声合唱を作り上げてきた巨星中の巨星。日本の合唱史を語る上で、欠くことの出来ない最重要人物のひとりでもあります。
1926年の神戸に生まれ、福岡で幼年時代を過ごします。4歳よりバイオリンの教育を受け、終戦直前に現在の東京藝術大学にあたる東京音楽学校・本科ピアノ科へ入学します。その後、召集を受け、復学ののち、1948年に東京音楽学校を退学。その後、藤原歌劇団を皮切りに音楽活動を再開しました。
1952年には畑中良輔とともに職業男声合唱団・東京コラリアーズを設立、さらに1979年には北村協一とともにメンバーシップ制混声合唱団・JACを主宰するなど、常に合唱とのつながりを欠かすことの出来ない福永陽一郎。一方で、父親が関西学院大学グリークラブの所属だったこともあってか、福永陽一郎自身も関学グリーへの在籍を通じて深い関わりをもっていたのをはじめ、当初からアマチュア合唱とのつながりも深いものがありました。1959年、法政大学混声合唱団(現・法政大学アカデミー合唱団)、西南学院グリークラブ・指揮者、1961年、同志社グリークラブ・技術顧問、1971年、小田原男声合唱団・指揮者、1977年以降、早稲田大学グリークラブで指揮を振るなど、アマチュアにこだわった合唱活動を生涯継続した人物でした。1989年12月の同グリ85回定期を最後に、翌1990年2月に逝去。その生涯において、合唱に人生を捧げ、現代の合唱においてもなお、伊東恵司に代表されるように、さまざまな形で残るその影響力は計り知れないものがあります。
福永陽一郎の足跡は、その指揮・演奏活動だけにとどまらず、評論や編曲活動についても目覚ましいものがあります。特に編曲については、自身の初演を中心として多くの歌曲・混声、女声合唱曲、民謡を編曲して、男声合唱団のレパートリーを飛躍的に増大させました。馴染み深いところでは、『グリークラブアルバム』全3巻(第2集は福永の単独編集、第1集、第3集は福永・北村共編)における「Shenandoah」「U Boj」「Ride the Chariot」「五つ木の子守唄」をはじめとする膨大な楽曲のアレンジが挙げられます。ほかにも、マーラー『さすらう若人の歌』、ショスタコーヴィチ『十の詩曲』より「六つの男声合唱曲」、モーツァルト「Ave Verum Corpus」、中田喜直『海の構図』、三善晃『三つの抒情』、團伊玖磨『岬の墓』など、古今東西の名曲を縦横無尽に編曲し、男声合唱団の演奏会レパートリーは彼をして飛躍的に充実しました。その充実の証として、本演奏会は、全曲福永陽一郎の編曲によるもの。まさに、日本の男声合唱史の総決算が、彼の個展をして成立してしまう――現代に作品をして、なお福永陽一郎は合唱界にその名を響かせているといえるでしょう。

東海メールクワィアーもまた、福永陽一郎をはじめとする多くのマエストロによって、時代を駆け抜けてきた団のひとつ。1946年に創団、1960年代の全日本合唱コンクール3年連続優勝を皮切りに、定期演奏会、委嘱活動、レコーディングなどを通じて、高田三郎音楽との邂逅を中心として、合唱史に残る活動を続けてきました。現在としては、団員の高齢化による弊害も顕在化しているというものの、JAMCAの中心メンバーとして、さらに単独でも信長貴富『くちびるに歌を』男声/ピアノ版を全編成に先駆けて初演するなど、なお若手世代に追従し、また、範となりうる先鋭的な活動を続けています。

以上本稿、本日の、東海メールクワィアー『第58回 定期演奏会』パンフレット(2015)、特に福永先生の稿の大部分をそのうちのp.8-11、曽我雄司「福永陽一郎の生涯〜今日まで続く問いかけ〜」ならびに附表「福永陽一郎 男声合唱主要作品(編・作曲)一覧」に依ったことを特記しておきます。このパンフレット、単に演奏会パンフというなかれ、資料的価値をも併せ持つ珠玉の28ページです。

・ホールについて
以前もこのホールで書いたことがありましたね。名古屋においてはもっとも大きいコンサートホール……というと、本当はもうひとつ、オペラ対応の愛知県芸術劇場大ホールがあるのですが。とはいえ、あのホール全然オペラやっていないような……←
最近、特に名フィル定期を中心に補聴器のハウリングが問題になっています。補聴器による特定の周波数が同期してしまい、キーンという特徴的な高音が断続的になってしまうとされる問題です。今のところ、補聴器をつけている方に対応を求める形で、今回の会館アナウンスをはじめとして様々な場所で、補聴器の装着確認を行うという形で注意喚起がされています。特に、問題が観客の指摘により顕在化した名フィルでは、特設のタペストリーをホワイエに設置するなどして、客席における聴取環境向上の取り組みとして、周知徹底されている問題です。
今日も、演奏を聞いていると、そのハウリング音と思われる音が。個人的には、(普段からガサガサとうるさいところで聴くことにも慣れているので笑)特に演奏を聴くには気にならない程度ではあったのですが、キーンと、特徴的な音が鳴っていたのが今でも記憶に残っています。ただ、どうしても引っかかるのが、そういった音が「途中から」鳴っていたこと。もちろん、補聴器を装着された方が途中から入ってきた可能性も考えられますが、それというのも何か都合がよすぎるような。ただ、今回の演奏会で、ハウリング音が鳴った状況と機を一にするのが、「鳴り始めたステージから外部マイクが使われていた」という点。レコーディング用の合唱団向けスタンドマイク以外に、3ステでは指揮者用のハンドマイクが、4ステでは演出のナレーション拡声用のマイクがそれぞれ使われました。あくまで仮説にすぎないのですが(名フィルでは客席吊りマイクを下ろすくらいで、外部マイクを使わない公演もおおいのですし)、ハウリングの原因のひとつに、もしかしたら外部マイクの影響もあるのではないかな、と思いました。それか、バブル時代の建物ですし、単に空調設備の劣化か……笑 しかし、この問題も突然出てきましたよね。

今日は3列オーダー。ワンステージでは4列。入場の、上手と下手から入れ違いに整列するさまが非常に素晴らしいものがあります。もう少し歩くのが早いと、さらに偶数、奇数列でそれぞれ入場を揃えられるとベスト……って、まぁ、そこは、「高齢化の弊害」……(マテ)指揮者やピアニストは、何故か全ステージ上手側から入場。普段は、ステージマネージャーがいる下手側、つまり客席から見て左側から出てくるので、少々特殊なステージの使い方です。

編曲:福永陽一郎

第1ステージ・日本抒情歌集
山田耕筰「青蛙」(三木露風)
-「この道」(北原白秋)
-「あわて床屋」(-)
本居長世「婆やのお家」(林柳波)
山田耕筰「帰ろ帰ろ」(北原白秋)
中山晋平「砂山」(-)
指揮:伊東恵司

まずは近代の歌曲小品から。これと「黒人霊歌」のステージをそっくり入れ替えてもいいかなと思いましたが、これはこれでバランスが取れているような感もあります。とはいえ、軽→重という意味では、こちらの方がバランスが取れているか。
早い話、どちらかといえば、現在の基準では音は当たっていない方になります。内声は外声の影に隠れてしまっているし、特にこの編曲においては、半音の下がり方が全般的に難あり。もう少し緊張感が出ると良かった。また、音楽表現という意味では、「あわて床屋」ではもっと子音を飛ばしてもよかったですし、「帰ろ帰ろ」ではユニゾンの響きをもっと効果的に作れると、和声部でより効果的な音楽表現が期待できたとも思います。
ただ一方で、この団の魅力は一貫して、長きにわたってつむがれてきたその音楽性にあります。ステージ全体をやさしく包み込むような、ふんわりとした響きが、このステージにおいては大きな特徴。たかが主観、たかが雰囲気と侮る無かれ。様々なステージを聴いてきましたが、こういう「雰囲気」を作ることの出来る合唱団というのは、本当に数少なくなってしまっています。このステージは、まずもって、演奏会という環境に観客を引っ張り込む意味でも、ムードがとても良いステージとなりました。

第2ステージ・黒人霊歌
Go Down Moses
Ride the Chariot
Deep River
Ain’-a That a Good News
Steal Away to Jesus
Soon-Ah Will Be Done
指揮:伊東恵司

「Go Down Moses」ディナーミク、ならびに最後の和音を特筆。「Ride the Chariot」もう少し上向きの発声だとなおよかったような気がする。早さはゆったりしているが、絶品のソロが掻っ攫っていくこの様!「Deep River」殊「Deep」の/i/が扁平すぎたか。最後の和音はもっと内声を聞かせたかった。「Ain’-a」各音への食付きがもっと早くてよい。アンサンブルのベクトルはこの曲とよくあっていた。「Steal Away」全体としてもっと音楽が進行していくと良かったというのが、最後の和音のピッチの明らかな低さに出てしまったか。「Soon-Ah」ステージ全体の中で最もよかったと思われる。
愛唱曲とよばれる佳曲たち。だからこそ、もっと軽く歌えると本来は良いのだろうか。しかし、すべての曲が歌として、いきいきと表現されているのはこの団ならでは。特に、フレージングという意味では、その要諦を決してはずさない。「古き良き」という言葉では済ませられない、これらの曲の表現のあり方がしっかりと提示されていました。

休憩20分。名古屋だし、そろそろ虚勢を張って(?)インタミっていうのやめようかな……なんて特に思わないですけど←

第3ステージ・ワンステージメンバー参加ステージ
中田喜直・男声合唱組曲『海の構図』(小林純一)より「II 海女礼讃」「IV 神話の巨人」
團伊玖磨・男声合唱曲『岬の墓』(堀田善衛)
指揮:伊東恵司
ピアノ:山下勝

いまやお馴染みとなってきた、東海メールのワンステージメンバー。実は僕も、第1回の伊東先生による『月光とピエロ』にオンステしたのでした。あのステージがない限り、たぶん男声合唱に開眼するのはもっと遅くなっていたという点、感謝してもしきれない……?笑
『構図』と『岬の墓』の間には伊東先生恒例(?)のトークタイム。「福永先生のアレンジは本当に曲数が多い。日本、世界の民謡や合唱曲をアレンジしたものなど、他編成の曲を男声アレンジすることも多く、男声が歌うと効果が高い曲をピックアップしていた。『海の構図』『岬の墓』は、まさにそういう曲。特に『岬の墓』では、男声合唱のやわらかな部分をも表現している。」
『構図』2曲。特に言葉による、あるいは言葉とリンクした表現が本当に素晴らしい。「巨人の疲れはてて寝入るのを待つしかない」の一節のピアノは、ただただ素晴らしい。詩をして、曲をして、また歌として、この一節に、この曲のすべてが込められていました。『岬の墓』最初のカデンツと、それに導かれるピアノの壮大で爽やかなアルペジオ、そして強烈な主題の提示に至るまで、一連の流れが、團の音楽の鮮やかさに観客を一瞬で引き込む精緻な出来。弱音で集中力が途切れなかったのがまさにこの演奏の素晴らしい点。これでこそ強い音が活きるのです。福永陽一郎が最後に同グリと演った曲のひとつが、この『岬の墓』。その遺志にも残るものでは。
3曲とも、充実した響きの中に、情景が浮かぶような演奏です。「表現」という言葉の真髄に、まさに、この目に浮かぶ絵画性というものがあるのかもしれません。共感覚というのは簡単でこそあるものの、要素分析に収まらない音楽の魅力が随所に詰まった演奏は、聴く者を圧倒しました。実質的に、ワンステージで音量が上がった、というのはもちろんありますけれどもネ笑

ワンステージメンバーアンコール
中村八大「遠くへ行きたい」(永六輔)
流行歌。ともすると、トップがもう少し明るめの声でもよかったかも。落ち着いて聞いていられる、軽い作りでした。

第4ステージ
シグムンド・ロンバーグ、男声合唱組曲『ニュー・ムーン』(オスカー・ハマースタインII世、構成・補曲=都築義高)
「Softly as in a Morning Sunrise」
「One Kiss」
「Wanting You」
「Lover Come Back to Me」
「Stout-Hearted Men」
指揮:濱津清仁*
ピアノ:山下勝
ソプラノ:二宮咲子
ナレーション:渡辺美香
*「濱」の旁、正しくは、うかんむりに「屓」。

なにから語ったらいいかよくわからないんですけど、すごく豪華なステージですよね……! ナレーションの渡辺さんはCBCアナウンサー。『ノブナガ!』などで有名です(!?)。そりゃもう、いままで合唱演奏会の中で聴いてきたうちでも一、二を争うレベルで素晴らしいアナウンスだったのですが、いかんせん、このホールは、アンプでの拡声にめっぽう弱いんです……残響が良くて、声がホール中に響いてしまうんですね。そのため、アンプで拡声すると、どうしても音が散ってしまう。だからといってボリュームはすでに十分大きいので、悩みのタネといったところ。
そして、さらに特記すべきはソプラニスタでしょう。二宮先生、そこかしこで有名ですね。そりゃもう、オペレッタとして作曲されたこの曲の性格が性格なだけあり、ガッツリと入るソプラノのソロは、もはや二宮先生をして一つのステージを作り上げていたような圧巻の出来。納得の曲間拍手です。
そして合唱含め、全体をしてとても華やかな作りでした。歌いあげられるべきところでしっかりと歌いあげる、これは、相当な覚悟がなければ出来ませんが、そのことをしっかりこなすというのもまた、基本的なことのような気がして、何かと音の精緻化のお題目の元に隠れてしまいがちな本質的な問題。技術的な問題は色々なくもないのですが、敢えて書かない、いや、書きたくない。マクロの印象が音楽をそのまま作り上げていったという意味で、このステージの記憶はとどめておくべきような気がします。逆に、それでいい、だからこそいい――ラストを締めくくるのに本当に素晴らしい曲でした。

アンコール
チャイコフスキー「Nur Wer die Sehnsucht Kennt(ただ憧れを知る者のみ)」(ゲーテ)
否何よりですね、選曲、演奏ともに、最終ステージのアイスブレイクにはちょうどいい……聴くのすら大変でしたからね、最後のステージは笑

ロビーストーム
「我が歌」
「いざたて戦人よ」
「野ばら」
ここのロビーストームは気をつけないととてつもなく混雑することになるのですが、今日はそんなことはなく安心。しかし、この手の曲をガンガン歌って楽しくなるというのはいつの時代の歌い手も変わらないようで……笑

・まとめ
全体をして、とても「音楽をしていた」というのが印象的な演奏会でした。前述したように、高齢化もあってか、技術的にどうしても克服できない問題が散見されます。しかし何より、音楽を進める、前へ動かすという熱い意志が、このステージ全体を彩りました。
最近なにかと、和声や音程を第一優先に置く合唱団が増えてきました。それそのものは否定できませんし、何より、音楽の三大要素は「メロディ・リズム・ハーモニー」です(黄色い楽典とかそこらへん参照)から、なにも間違ったことは言っていないはずです。しかし、そういった演奏は、midiのような演奏、これならボカロでも出来ると揶揄され、ときに敬遠される。そういうった声を前述の団はまた敬遠する、という、ちぐはぐな悪循環が合唱界全体に蔓延してしまっています。
今日の東海メールの演奏は、その悪循環に、ハッキリと、「否」の字を突きつけます。音楽の三大要素をクリアするのは当たり前で、その先に音楽上の表現があるのは言うまでもないのですが、今日の演奏は、逆に、これらの三大要素を用いて如何に表現するか、ということを、一種、転回して考えた表現であったように思います。音楽を多方面から立体的(ここでは、音楽の三大要素の三次元に加え、歌詩を含めた四次元的観念)に分析し、そして、再構築していく――その過程は、膨大な文量がある演奏会パンフレットからも垣間見ることが出来ます。構築された表現がそのまま歌になるという段階に至ったとき、それは、本物の音楽として、聴くものの心を打つ音楽ということになるのです。
壮年の団と侮る無かれ――その経験と、思索と、苦悶の日々は、確実に、音に、響きに反映されていき、名演を生み出す原動力となっていきます。見習いたいものです。

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