おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2014年12月7日日曜日

【Ensemble Mikanier 第7回演奏会】

2014年12月7日(日) 於 エブノ泉の森ホール・小ホール

何者かに来いと脅されましたので……(九割嘘)
さて、色々やることがあるような気もする中、そんなこと忘れてしまうためにも(←)、行ってまいりました。まぁ、実際には、ちょっとした谷間期間だったこともあり、よかったのかもしれないと自己肯定しておくことにする。もっとも、直接の原因としては、お知り合いの団員の肩からお誘いを受けたので行ったわけですがね。そういえば郵送で戴いたチケットだから、チケット代お支払いしてないや← 今度払います←
年末年始の週末って大概毎週アマチュア合唱団の演奏会があるものなんです。今日1日とるだけでも、関西では神戸中央や、同グリ、豊中市合唱祭、さらには地元愛知ではCANTUS NOVAに加えて東海大学合唱祭なるイベントまで開かれていたりと、特に関西で注目の演奏会が目白押しでした。そんな中のミカニエ、それでも、しっかり7~8割客席が埋まっていたのは、さすがです。演奏会の回数でいうと、わたべ所属の弊団より歴史が長いんですね……和歌山の合唱団ですが、演奏会は大阪でやるという、豊中的何者かの陰謀を感じます。まぁ、南海沿線だし、問題ない!?笑

・ホールについて
この絶壁ホールも2回目ですね。泉佐野市にあります。これ大事。岸和田市ではありません
ただねぇ、このホール、演奏の巧拙云々じゃないよ、響かない。響かないというより、飛んでこない、といったほうが正しいかしら。きれいな音をステージの中でとどめておくっていう、そんな感じのホール。今回は、所謂審査員席の辺りに構えていたのですが、それでアレくらいしか飛んでこないのは、ちょっとなぁ。惜しいホールって書きましたけど、本当に惜しいホールと言い切って然るべきホール。場所も何とも言えない場所にあるし。うーん。
とはいえ、ギャラリー含め、近隣の芸術拠点になっていることは間違いないようです。絵画の展覧会もやってました。時間あったら見に行ったのだが、如何せん、きしわd……泉佐野は遠い。岸和田より遠い←

指揮:阪本健悟
ピアノ:佐野真弓

本日の演奏会は、〈千原英喜の宇宙〉と〈アイザワールド〉という2本立ての個展ステージが用意された演奏会でした。普段からお付き合いがあるようで、ご両者(+パナムジカ)のゲスト付きで、終了後には楽譜購入者特典のサイン会付き。あらまぁリッチ。もちろんサインゲットしてきました、はい←
しかし、以前、あい混声合唱団も第5回演奏会で同じようにハーフ個展でステージ組んでいたんですが、そういった意味では、オリジナリティの側面で少し疑問の残る構成です。もっと、なにか出来なかったのかなぁと。今回も勿論楽しかったんですけどね、色々な曲を知ることが出来て。しかし、どこか、テーマ性を見出すのが難しかったのも事実。例えばですが、何かバトル形式にするとか(ってのはいまいち幼稚ですけどw)、いっそ共作で組曲を委嘱するとか(栗友会が似たようなことやってるともいえるか……?)。もっとも、両方共2014年の演奏会なので、単に企画時期が被ってしまっただけかもしれませんが。しかし、それにしても、〈アイザワールド〉の冠の被りは、なぁ。相澤先生の好みかもしれませんので何とも言えませんが……。ちなみにあい混の折は横山潤子先生と相澤直人先生のダブルステージでした。ただ、考えてみれば、相澤先生はあい混の主催でもあるので、その意味ではなんてことなかったり笑
しかし、〈千原英喜の宇宙〉なんにせよ、このタイトルは良いですね、らしさがすごく出ている笑 なにがって、これ以上は申し上げますまいw
開演前には指揮者の阪本先生と、千原、相澤両先生が出てこられて、プレトーク。それぞれの先生方とミカニエ、数奇な縁に導かれながら団が成長していく様子が語られました。そして、この団のPRポイント、宝塚銅賞についてのお話があり、その宝塚でも演奏した千原・相澤作品とこの演奏会の関係が語られるのでした。千原先生曰く、「和歌山は外との交流という意味で刺激は少ないが、神秘性の高い場所」とのこと。

パンフレットを見ると、最近に、それも一般団に珍しく、枠広告がB5見開き2ページにわたってしっかり掲載されていました。広報セクションには4名の名前が記載。いいこった。愛されている証拠です。ところで、この演奏会、ジョヴァンニからCDがリリースされるとのこと、しかも記録はBlu-ray対応、とってもリッチな体制でやっていました。広告があったからこそできる潤沢な資金の使い方……違うか笑
それと、深い関わりを持つ伊東恵司先生からのメッセージ。本日は同グリの演奏会ということで会場に来られないということで「少し太めの指揮者に全て任せました」、「演奏会を(中略)和歌山を少しはみ出た場所で〈演奏会を企画している〉!」と、珍しく?関西ノリに満ち溢れた挨拶文を寄稿していました。
しかし、何がすごいって、テナーが名簿上も実際も2名! ベースに5人もいる男声、なんとテナーは2名!いやはや。

〈千原英喜の宇宙〉
第1部:千原英喜作品アラカルト
「明日へ続く道」(組曲版・星野富弘)
「手まり」(良寛)
「夜もすがら」(鴨長明)
「みやこわすれ」(野呂昶)
「古の君へ」(平元慎一郎・坂口愛美)〈千原英喜・指揮〉

まずは千原英喜先生のアラカルトから。いずれもとても洗練されたハーモニーで聞かせてくれました。特に、「明日へ続く道」の最初の弱音の作り方は(皮肉にもホールにも助けられて)非常に素晴らしかったように思います。他にも、早いメロディで言葉が流れていく傾向にあったものの、特に縦に揃ったハーモニーには抜群の強みを見せてくれました。各パートが1つの楽器のように揃った音を聞かせてくれていたのはとても印象的です。一方、どうしても気になる部分が、表現、これが、最後まで足を引っ張り続ける事になってしまったように感じます。特に、感傷的に聴かせる曲は、その傾向が強かったようにも思います。「手まり」の「ながつけば〜」の部分のテンポの弛緩はよかったのに。とてもコンクール映えしますし、それは結果が証明しているのですが、他方、テンポは、単に叩くためのものになってしまっているような気がしました。テンポが音楽や言葉を訴える要素がイマイチ見極められなかったのは、残念なものがあります。あっという間に終わってしまったなぁという印象。じっくり聞きたかった。

第2部へ行く前に、千原先生インタビュー。「作曲とは、宇宙から飛んでくる音波を作曲家が捕まえてインスピレーションを得て音にしていく仕事のこと。過去や未来の、様々な聞こえてくる音のうち、なぜ人間は生きているのかを考えるとき、キリストの教えには考えさせられるものがある。」とのこと。パンフレットにもご本人の寄稿で「ミカニエは千原作品を歌うために熊野権現から私につかわされた、ありがたきミューズの化身であるかと思うのである―あなとうと、ありがたや、ありがたや。」とある。なるほど、千原英喜の宇宙、である。

第2部:混声合唱のための『十字架上のキリストの最後の言葉』(千原英喜/上田祥行)

割合普遍的とも言える、表題にもあるイエスの言葉に対し、ジャズや「ロック」の要素も含めてかなりラディカルな解釈をされて完成に至った同曲。もちろん、ある種の「神秘性」も忘れては鳴らない要素ですが、他方、作曲家がイエスの言葉をかくも自由に解釈したならば、歌い手も、もっと開放されてゴリゴリ表現しても良かったように思います。とはいえ、全部に劇的な要素を付ける必要もなく、例えば、縦に音が揃う部分を得手をする団であることを鑑みれば、偶数番台の曲が美しいハーモニーで聴かせる曲でした(1~4)から、1, 3番の曲を、いっそハーモニー度外視でさらにバンバン弾ませれば、2, 4番との対比がとれたでしょうし、対して、アタッカで結ばれた終曲2曲は、所謂信仰宣言の代替になる箇所ですから、もっと歌いあげてしまってよかったような気がします。ホールの返す音の細さもあり、若干疲れたような音にも聞こえてしまいました。キレイだったからいいじゃん、ってわけでもないんですよね、ここらへん。うーん、おしい。
あ、そうそう、並びが色々と変わって面白かったです。意味があるとかないとか、言っていましたが、まぁ、抽象的なオブジェクトは抽象的なまま理解するのが一番かなぁということで、あえて言語化は避けておきましょうか←

「相澤ステージは合う系か?」というメモが残されていました。執筆時に解読する時3秒を要したメモ(=字が汚い)。さて答えは。
インタミ20分。この間にサイン会用の楽譜を購入。ずっと欲しかった、千原英喜『明日へ続く道』(混声)、相澤直人『なんとなく・青空』。前者は言わずもがな(湘南コール組曲初演・珍しく千原×カワイ)、後者も、阪混初演で絶賛していた自身としては、待ち焦がれていた出版! 誰かどこかで一緒に歌いましょう!←

〈アイザワールド〉
今度は、まず最初にプレトーク。お喋りも盛りだくさんの演奏会です。『どこかで朝が』について、「委嘱元の要望もあり、じっくりかつ歌える曲を書いた。自分も千原先生みたいに宇宙から音を掴んでみたいが、出来るのはせいぜい、道端で光っている何かを磨いて世の中に届けること」と謙虚に話されていました。万物の宇宙ってやつですね、わかります(勝手な好意的解釈)。もっとも、道端で光っているものの例は大概が、ラーメンをはじめとする、食にまつわるあれやこれやでしたが――!?笑

第1部:混声合唱とピアノのための組曲『どこかで朝が』(谷川俊太郎)

ともすると、千原作品は団員の中で消化不足だったのかしら、と思わせるくらいによいユニゾンの出だしから始まり、途中の早いパッセージでの表現の滑りはともかく、中間部の弛緩の十分性も含め、表現性たっぷりな仕上がりの1曲目から始まりました。他方、2曲目の3拍子にもなると、テンポがかなり固い設計であることが嫌気して、3拍子のしなやかな表現が失われ、3,4,5曲目などは、厳しい言い方をすれば、全て同じような曲に聞こえてしまうような印象がありました。「さようなら」の最後の和声はすごく良かったのですが、では、それと歌詩の解釈を合わせた時、それに応えうる表現をし切れていたかというと、やはり疑問が残ってしまうのでした。表現による歌い分け、というとなんとも取り留めがないですが、歌詩や音型に対応して付けられたアーティキュレーションに対して、より深くアプローチする態度があってよいように思うわけです。つまり、この詩が、この音があるからこういう表現をした、というような、表現の必然性をちゃんと付けたい、ということ。その意味では、課題は同じ会場で行われた大学コンペの高知大の演奏と同じくするかもしれません。高知大にかぎらず、かなり多くの団が抱えているジレンマではあるのですが。しかも、集合的意思決定としては、ちっさくまとめることも解だから、話は厄介なんだと思います。……脱線しすぎ?笑

さて、さらにプレトーク。今度は、『Missa Bravis』初演について、そして、このステージ、第2部について。トークが入った順番に紹介していきます。

第2部:相澤直人作品アラカルト
『Missa Brevis』〈初演〉
-「Kyrie」
-「Sanctus」
-「Agnus Dei」

相澤先生自身カトリックではないものの、合唱をやる上で必ず憧れる教会音楽やパイプオルガンの響きにあこがれて、そして、先生自身の現状の和声の勉強の成果を作品としてとどめておきたいという思いから作曲に至ったという曲。曰く、混6+div. という、少なくともテナー2人でやっているミカニエにとっては大編成です。ボーカルアンサンブルでもないのにテナーが2人、というのが特殊なだけかしら……?笑
作曲家の意図に従い、和声のトレーニング的な曲としても使えます。一方で、しっかりとミサ的な旋律も持ち、加えて、しっかりと響く和音だけで書かれているので、一音一音に妥協の出来ない、非常にバランス感覚の求められる曲です。その上、ディナーミクの指示もいくらか緻密なように思われます。時間も3曲で5分程度。コンクールにもピッタリです。
演奏としても、ミカニエ向きの曲だったようで、Kyrie や Agnus Dei の出だしなどは、合唱団としてもよい音が鳴っていたように思います。でも、Agnus Dei の最後はもっと倍音ならせたはず。他、細々指摘できる点はあったように思いますが、阪本先生のステージ上での懇願に従い(?)、詳しくは述べますまい……笑 曲・演奏ともに佳作でした。言っときますけど、佳作って、「賞は取ったけどアレ」って意味じゃないですからね?w

「なんとなく・青空」(工藤直子)
「チョコレート」(みなづきみのり)
「この闇のなかで」(立原道造)

引き続き、アラカルト。伊東先生に「合唱アルバム」と名付けてもらった、という曲群から(今調べたら、ちょいちょい「アルバム」からではない曲も混じっているわけですが……笑)。まずは、いずれもあい混のレパートリーであるという3曲。うち、「この闇の中で」は宝塚で演奏した曲とのこと。
もう、「なんとなく・青空」なんか、再演されたってだけで感激モノなんですが、演奏としては、いずれも、もっと表現していい!これに尽きます。なんか今日コレばっかですね、ホールのせいでしょうか← 「なんとなく・青空」はもっと歌いあげても、「チョコレート」はもっともっと可愛く歌っても、いいんです。他方、「この闇の中で」は、さすがに、ちゃんと仕上がっているなぁという印象は強く持ちました。ただ、おそらく表記上の表現は完ぺきなのですが、そうではない、いわば「繋ぎ」のフレーズがおざなりになりがちだったように思います。もっと詩が読める、というところでしょうか。

「私が歌う理由」(谷川俊太郎)
「宿題」(谷川俊太郎)
「果てしない助走」(みなづきみのり)

本演奏会の中で一番良かった部分を挙げるなら、この3曲群でしょうか。いずれも、団員たちがどこかで関わった曲達、だそうで。「私が歌う理由」は過去のミカニエ委嘱曲。
「私が歌う理由」は、三善版の曲よりもあっさりと、フレーズの美しさを聴かせる曲ではありますが、だからこそ、団員がしっかりと歌わないと表現が完成しない曲でもあります。美しさは良かったが、終始、表現に苦しんだ今回の演奏会では、美しいだけに終わってしまったか。「宿題」は上手! 表現も含めて、これは上手。普段から愛唱曲としているからでしょうか。歌い慣れたフレージングの上手さが光りました。「果てしない助走」は、accel. の加速がピッタリとついていったことに、驚きです。上手い。その加速が最後のカデンツにつながると、尚良かった。

「あいたくて」(工藤直子)〈相澤直人・指揮〉
台湾から帰国したての作曲者指揮。出だしのフレージングと最後の和音が美しく、音圧に苦しむ。表現としては、終始大人しくてよい曲とはいえ、最後に、今回の演奏会の課題がドバっと出た印象です。

・アンコール
千原英喜「アポロンの竪琴」(みなづきみのり)
相澤直人「うた、結ばれるとき」(『私の窓から』より・みなづきみのり)
〈阪本健悟・指揮〉

ぶっちゃけた話、いずれの作曲家の作品も、アンコールが一番良く歌えていたように思います。アンコールの宿命かしら。ただ、相澤先生作品の「存在」と「不在」の歌い分け、みたいな問題は、まさに今回浮かび上がった課題の核心のように思います。

・まとめ
グランツェの稿でも書いたことですが、「きれいなアンサンブル」の先に、もう一つ大事な段階が潜んでいるような気がします。そこで、どの団も苦しみ、それを乗り越えた演奏が、伝説となって語り継がれている、あくまで主観ですが、そんな印象です。その観点でいくと、ミカニエは「きれいなアンサンブル」を十分聞かせてくれる団ではあるのですが、その先の演奏をするには、今ひとつ、足りない表現の要素があるように思います。もちろん、魂で歌え、みたいなヨクワカランことを申し上げるつもりはありませんが、いうなれば、歌詩と歌、歌詩と和声、歌詩とディナーミクの対応性の部分でしょうか、それを、(魂という言葉でごまかしてもいいから)如何に表現するか、という要素は、案外見捨てられがちな、とても大事な要素なのではないでしょうか。もちろん、今の音作りを捨ててはなりません。しかし、まだできることがある、ということを常に視野に入れて、自律性の高いアンサンブルを組み立てていく工夫を忘れないことは、自戒を込めた、とても大事なことではないかと、この演奏会を通して学んだことの一つです。
割と真面目な話、来年もこのホールで演奏会をやられるとのこと、音圧を高める訓練をひたすら組んでいくのは、アリなんじゃないかと思います。お互い頑張っていきましょう!

0 件のコメント:

コメントを投稿