おおよそだいたい、合唱のこと。

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2018年12月23日日曜日

【VOCES8 クリスマスコンサート】

[Okazaki Exciting Stage Series]
2018年12月22日(土)於 岡崎市シビックセンターコンサートホール

Britten, B. "A Hymn to the Virgin"
Praetorius, M. "Es ist ein Ros'entsprungen"
Biebl, F. "Ave Maria"
Praetorius, H. "Josef, lieber Josef mein"
Stopford, P. "Lully, Lulla, Lullay"
Elgar, E. "Lux Aeterna"
Kate Rusby(arr. J. Clements) "Underneath the Stars"
Ben Folds(arr. J. Clements) "The Luckiest"
Palestrina, G. P. de "Magnificat Primi Toni"

intermission

Simon and Garfunkel(arr. A. L'Estrange) "The Sound of Silence"
arr. J. Pacey "Danny Boy"
Dougie MacLean(arr. B. Morgan) "Caledonia"
Carroll Coates(arr. G. Puerling) "London by Night"
arr. B. Morgan "TOKYO"
フリッパーズ・ギター「恋とマシンガン」
Suchmos「Stay Tune」
Original Love「接吻-Kiss」
Perfume「TOKYO GIRL」
ピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時〜the night is still young〜」
椎名林檎「長く短い祭」
John Coots & Haven Gillespie(arr. J. Clements) "Santa Claus is Coming to Town"
Jule Styne(arr. J. Clements) "Let it Snow"
James Lord Pierpont(arr. G. Langford) "Jingle Bells"
(above based on announced)

encore
山下達郎「クリスマス・イブ」

***

 クリスマスとは何であるのか、という、ありきたりな疑問を投げかけたい。
 どちらかといえば、宗教的な問題としての問いかけではない。街に出れば、クリスマスのためのイルミネーションが街を飾り、浮かれた気持ちで街を歩くカップルが街を歩く、そんな、日本人のクリスマスの風景。クリスマスのための街頭イベントと、クリスマスセールと、そんな中で、ひっそりと忘れられてゆく、祈りのためのクリスマス。
 もっとも、日本においては多くの人について、クリスマスの祈りとは無関係の中にある。クリスマスとは、年末気分を最高潮に盛り上げるためのお祭りであるーーそんな説明が似合うくらいに、日本においてクリスマスは曲解して、しかしながら、十分に、浸透した。
 海外においても、アドベントを皮切りにーー否、例えばアメリカにおいてはその前々日のブラック・フライデーを皮切りに、クリスマスは装飾に包まれる。ヨーロッパにしても、クリスマスへ向けて祈りが捧げられる一方で、俗世では、日本にも似た、否、日本以上かもしれない、クリスマスのお祭り気分は見ることができるはずだ。
 イギリスでは、熱心に教会へ行く人が減っているという。もちろん、一部の現象であろうし、(これまた人によるだろうが)年に一度程度しか氏神様に詣でない日本人が言うような話ではあるまい。でも、ここまでキリスト教が一般的となった今日にあって、決して熱心な信徒ばかりでもあるまい。イスラム圏はじめ各宗教国をともかくとして、クリスマスは、気がつけば世界的に、なにかを祝うイベントとして、ひとつ受け入れられている側面がある。
 その証拠に、アマチュアであれなんであれ、音楽を愛する人々はこの季節、にわかに忙しくなる。合唱人だって、毎年の第九に加えて、クリスマスコンサート、それも、聞くだけでなく、歌う方でも。私事ではあるが、私とて、細かいものを含めたら、今月だけで本番が6本。紛れもなく、アマチュアであるのだが。
 そんな中、「クリスマスコンサート」と題してVOCES8は、ジャパンツアーを周る。関西などではワークショップも開かれ、大小・地域様々なホールで、オルガンのあるような堅牢かつ麗美なホールから、市民ホールのようなホールまで、様々な場所でその端正で美しい響きを届けている。
 今回のホールとて、決して悪いホールではない。岡崎イオンのすぐ南、岡崎市の公共施設の中に入るそのホールは、真四角・長方形のシューボックス。ホワイエから見渡せる岡崎市の情景と、遠くにみはるかす山並み、そして、一歩入ると、腰壁に配された明るいブラウンの木壁、そして、白く塗られた壁。派手さはないが、すっと、心の中に染み入る、明るく開放的な内装は、高校アンサンブルコンテストが開かれる会場でもあり、まさしく市民に向けて開かれたホールである。響きも、鳴りに優秀なわけでこそないものの、雑音なく自然な音が届く。ーーそう、どこか、演者と聴衆の、心が近づいてくるようなホールである。そんな、いつでも気軽に来れるようなホールで催されるクリスマスコンサートは、しかし、どこかいつもと雰囲気が違っているものでもある。

 開演前からBGMがホールに流れ、開演前アナウンスはジャパンツアー共通のものであろう。ホール主催公演ということもあってか、やや高齢世代が多い観客構成とは裏腹に、どこかいつもの合唱のコンサートとは違う浮足立った雰囲気が流れていた。なんだか、誰かの家のクリスマスコンサートに来たかのようなーー。いつもより、ちょっとおしゃれしたような、手の込んだような照明の作りも、気分を高めていく。
 客席の暗転とともに、客の雰囲気が張り詰める。その空気が静寂を作りきった瞬間に、1曲目は、こっそり入ったメンバーらにより、客席後方より演奏される。まるで、こっそり、サンタクロースが入ってきたようにーー、コンサートは、音楽を楽しむ空気を一気に作りだす。
 前半は、クラシックナンバーを中心として、響きの世界に酔いしれる。その響きは、徹底して柔らかい。特に「エッサイの根より」の優しく甘美な空気は、それを象徴している。柔らかな響きが、自由で、自然な雰囲気のままに、各パートに寄り添い合って、混ざりあい、溶け込み、心の中に入ってくる。「アヴェ・マリア」は、普段からアマチュアでもよく演奏される曲であるが、かといって、こんなに徹底的に piano に抑えられた、静謐で、豊かな祈りの気持ちに満ちた演奏を聞くことは、滅多にない。私の真後ろにいた客が、思わず息を呑む、その瞬間、万雷の拍手が響くーー。
 精緻でありながら、心の直ぐ側にいるようでもある。「ルリ・ルラ・ルレイ」の tutti からだんだんと広がっていき、また収束していく、繰り返される和声は、まるで音楽の、この世界の永遠をも想起させる。夢のようにして、しかし、ソプラノのオブリガードが、今、確かに、ここに世界があることを、天の高みより教えてくれる。「永遠の光」まで続くその流れ、そして、中盤より展開する充実の和声が、愈世界を解き放つーーそれはまるで、満点の星空が光り輝いているかのような美しさを、私達の前に提示する。瞬くように自由で、輝かしい恒星の明かりこそ、この演奏の Lux Aeterna であった。
 どこまでも優しくて、穏やかで、心の落ち着く響きである。それは、私達の身近に寄り添っていながら、その純粋さ故、どこか高みより演奏されているようでもあるーー確かに、手が届きそうな音なのだ。それは決して卑下するわけではなく、私達の生活の中で聞いているような音と近い。決して気取るわけでもなく、しかしながら、音は品を失うことなく、美しく、メッセージに満ちた音が鳴る。

 後半の頭は、イギリスの伝統的なポップスナンバーから。それもまた、彼らの俗を含む聖なる響きの中に、美しさを以て語られる。ドギー・マクリーン「カレドニア」の美しさは、その中にあって白眉である。照明のさり気ないアクセントの中にあって、ロードサイドで歌っているような気楽さが、聴く者の気分をイギリスへ誘う。叩かれるテンポの正確さーー否、「適切さ」と言ったほうが正しいであろうか。曲に配置されるテンポの一つ一つが、曲の表情を見事に彩る。
 そして、そのテンポの適切さを見事に表現したのが、ジャパンツアー特別演目とも言える「TOKYO」メドレーである。古今東西、文字通りあらゆるジャンルから選ばれた曲たちと、それぞれの曲が見せる特徴を、余すことなく彼らは表現する。Suchmos のようなロックもできれば、ピチカート・ファイヴのようなポップスもできる。まさに「長く短い祭」のようにめくるめく駆け抜けていったステージは、それだけで来たかいがあると思わせるほどのエンタテインメントであった。
 そう、彼らの音楽は楽しみに満ちている。それもすごいのは、目立ったことをしなくとも、音だけで楽しませる実力とユーモアが、そこにはある。まるでーーあえてこういうならーーブリティッシュに対する定番のイメージをそのまま体現しているかのような、身軽さと、溶け込んだ娯楽の心を、演奏の中に見出すことができるのだ。しかも、それが全く無根拠による馬鹿騒ぎというわけでもなく、しっかりとテクニックや楽曲に裏打ちされているのが、いかにもブリティッシュである。ーーイギリスは、チャーリー・チャップリンやミスター・ビーン、ローリング・ストーンズやザ・ビートルズを生み出した娯楽大国である。
 そして、彼らが決して動きを持たず音楽のみ、というわけでもない。撮影OKとされた「サンタが街にやって来る」以降のリズムの中に軽快に揺れる身体、そして、茶目っ気に溢れた表現と動作の中に、拍手が終わるたびに大きくなる。別れを惜しむように疾走する「ジングル・ベル」でのトナカイのソリは、遂に大きな喝采を私達に齎した。

 クリスマスとは、お祭りとして受容されていると書いた。しかし、かたや教会では、今年も聖なる祈りが捧げられていることであろう。私自身、そのギャップは二律背反のような気がしていた。でも、もしかしたらそれは、そんな単純なものではないのかもしれない。ーークリスマスとは、清濁合わせて、クリスマスというべきなのではないか。
 今年も、クリスマスが盛大に催される。年とともに、どこかそんな喧騒とは距離を置きたくなることもある。でも、そんな中にあっても、粛々とクリスマスが祝われる。日本人が年の瀬にあたり、今年も一年無事に過ごすことができた、そんな気持ちで、クリスマスに祈りを捧げている人だっているかも知れないーーそういう過ごし方だって、いいじゃないか。
 宗教音楽に始まり、トナカイの疾走するジングルベルに、そして、日本人が日常的に見るクリスマス・イブに終わるVOCES8のクリスマスは、得てして、現代におけるクリスマスの諸相を余すことなく表現していたのではないか。まずは、そのプログラムの並びに、心から拍手を送りたい。加えて、彼らは、そんなプログラムを、気取ることない表現で歌い上げた。派手でもなく、雑でもなく、それでいて決して内なる祈りばかりを表現しているわけでもない。「ルリ・ルラ・ルレイ」の響きから、「レット・イット・スノー」に至るまで、その表現のすべてに至るまで、心の中にそっと寄り添ってくれるような、優しくて、美しくて、華やかで、そして温かい響きが、すっと溶け込むようなーー。
 今年も、クリスマスがやってきた。何をしているわけでもないはずなのに、忙しくてバタバタと駆け回る、そんな日々を過ごす私が、ふっと立ち寄り、その中にそっと届けられた、私だけに向けられたーーそんな気がする音楽。心落ち着けて、ああ、年末だ、クリスマスだと思い出す。

 そしてようやく、私のクリスマスは、実感として、私達の心の中に届けられた。

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