おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2017年8月31日木曜日

【東京混声合唱団いずみホール定期演奏会 No.22】

[女性作曲家の饗宴]
2017年8月30日(水)於 いずみホール

《谷川俊太郎の世界》
木下牧子・混声合唱曲集『地平線のかなたへ』*(1992)
上田真樹・『月の夜〜合唱とバレエのために〜』**(2017)(草野心平)《大阪初演》
「序〜月夜」
「Nocturne」
「おたまじゃくしたちのうた」
「ごびらっふの独白」
「幾千万の蛙があがる」
encore
山田耕筰(arr.篠原真)「赤とんぼ」(三木露風)
int. 20min
上田真樹・混声合唱組曲『遠くへ』*(2012)
木下牧子・混声合唱とパイプオルガンのための『光はここに』***(2008)(立原道造)
指揮:山田和樹
ピアノ:萩原麻未*
オルガン:土橋薫***
バレエ:針山愛美**

***

 ただ、よかった。
 そうとだけ、書きたいのだけれども、どこかで覚えた悪知恵がそうさせない。

 いつからだろう、否、私に限ったことでもないのだ。人は何かと、そこにある感動を、別の事象と勝手につなぎ合わせて解釈したりする。本当は、そんな感動の仕方は邪魔だって、伊福部昭も書いていたはずなのに。尤も、ほぼ全ての場合において絶対音楽となれない声楽・合唱という分野は、こういう考え方自体が野暮なのかもしれない。
 でも然し、人間だ。その前に読んだ本だったり、見てきた景色だったり、痛ましいニュースだったり、食べたモノ、飲んだモノ、耳目に入れた森羅万象が、私の解釈を歪めてしまう。――否、レビュアーとして余り宜しい鑑賞態度ではないのかもしれない。それでも、どう頑張ってもそうなってしまうのだから、仕方ない、割り切って、客観的に主観を書く努力を辛うじて重ねているところである。
 最初に東京混声合唱団に出会ったのは、上田真樹の音楽であった。去年も書いたような気がするが、大谷研二による『夢の意味』の再演。当時は、勉強だと思って聴いていたものが、今は、ただ音楽と対峙できる――それはそれで、以前よりは幸せな環境と言えるかもしれない。
 でも、だからこそ、だ。何かと、思い出してしまうのだ。「あれはいつのことだったか」(「朝明けに」)――最早、共感覚と言えるのかもしれない。上田真樹の音楽を聴くと、どこか、嘗てのあの時の記憶が蘇る。CDで聴いているよりは、生身の音楽だからこそ、ちょっと荒削りのように聞こえるけれども、でも、たしかに歌を、人間の歌を聞いているという感覚。どこか満足したような、でも、心ここにあらず、という感じ――あの頃は、若かった。でも、若さ故の特権でもあった。
 だからだろうか。否、今回ばかりは、それだけではないのかもしれないが、東混を聴きに東京にだって行くこともあれど、いずみ定期には、特別な思いを隠しきれない。

 木下牧子と上田真樹――ともすると、これは、女性作曲家の過去と未来を繋ぐ並びといえるかもしれない。今回の演奏会は、そんな二人の話を山田和樹が聴く、そんな贅沢な鼎談に始まった。聞き手が聞き手だけに、話があっという間に深いところへ入っていき、時に技術的な話へも辿り着くこの話。一例を挙げると、曰く、尊敬する作曲家は、上田真樹は「バッハ」、木下牧子は「あえて挙げるとするなら武満徹」とのこと。聴くに貴重なプレトークだった。

 記憶を辿る、という意味では、私たちは、この曲、特に一曲目を、はるか昔から、原体験として持っている。『地平線のかなたへ』、特に「春に」は、本来様々な場所で比較されながら語られる楽曲である。テレビでも演奏経験を持つ同曲にあって、しかし、今回の東混の演奏は、それ以上に鮮烈な印象で私たちに届けられた。萩原麻未は、普段コンチェルトとの共演は多いものの、合唱と演奏するのは稀だという。その中にあって余計に、東混との相性は良かった。山田和樹の指揮の美学は、殊合唱に於いては、「振らない」部分に如実に顕れる。必要がなければ振らない、すなわち団員に委ね、斉一的な表現が必要な部分は、歌い手以上に、まるで少年のように目一杯表現する。非常に大きい裁量に委ねられ、ソロにも強い合唱もピアノも、各々の表現に徹する。本当に軽やかに、木下牧子にして珍しいと本人語る、シンプルで瑞々しい表現が響き渡る。「卒業」に見せる諧謔、「ネロ」の心に迫る表現など、まさに圧巻である(「ネロ」など、ついこの演奏の前まで、有川浩『旅猫リポート』(講談社文庫)を読んでいたから余計に)。然し、振らない山田和樹は又、楽譜を本当によく読み込んでいる。それは、プレトークで山田和樹が「サッカーによせて」の冒頭の合唱がメゾ・ピアノで書かれているのが意外だった、という言葉にもよくあわられる。それは、トップ・プロだから当然といえば当然なのだが、然し、主観を以て客観を語ることにより、記譜表現が単なる記号に留まらず、とても生き生きとしたものとなる(ついでに、主観を排除しない自分のような輩を救済する)。
 オルガン曲である『光はここに』においては、オルガンに不協和音が少なからず存在することもあり、アンサンブルという点で難点のある部分が少なからずあったように感じる。ただ一方で、アカペラや、最後のカデンツに代表される協和音表現は、今日の東混はいつになく光っていた。また、ここでも、山田和樹に引っ張られる形で、デュナーミクについても絶品である。特に、終曲では最後の主題が2回繰り返されるが、1回目の主題を抑えめに入ったことで、2回目の主題が壮大な讃歌として響いてくる。細やかな表現に、ハッと気付かされる、その瞬間に、この音楽の真髄を見る。

 いのちの讃歌――この演奏会のプログラムを、知ってか知らずか通底する主題である。

 きれいな部分もきたない部分も共存する、裸のままの「いのち」の姿。「あしたとあさってが一度にくるといい」という表現ひとつとっても、純粋といえばそれまでだが、どこまでも貪欲な、どこか危なっかしい人間の姿が見えるようでハッとする。「おれの簡単な脳の組織は。言わば即ち天である。」(草野心平「ごびらっふの独白」)――いのちとは、どこまでも孤独で、どこまでも単純で、そして、どこまでも愛らしい。
 いつまでも続かないのが、いのちである。――合唱団はじめ、法人にだって、いのちはある。卑近な話をすれば、私達にも身近な著作権についていうと、個人の著作権の保護期間は「死後」50年なのに対し、法人のそれは「制作されてから」50年しか守られない。もっとも、法人という枠自体は、形式上、廃業・精算しなければ、たとい人が入れ替わろうと、時に所有者が入れ替わろうと続いていく。――それは、合唱団だって例外ではない。しかし、いのちなき団体がいつまでも残存している、そんな様を、私たちは決して見てこなかったわけではない。
 長く続く楽団が、100年も同じプログラムを続けることは、非常に稀である。例えば、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、シュトラウスの曲群を演り続け、最後は必ず「ラデツキー行進曲」と相場が決まっている。しかし、その中でも毎年曲目を入れ替えるのは言うまでもなく、シュトラウス外のプログラムも近年特に積極的に取り入れながら、少しずつ、伝統の枠内にありながら、その中身を入れ替えて、新陳代謝を図っている(もっとも、第1回の1曲目から実はシュトラウスではなかったのだが)。しかし、その中にあってなお、シュトラウスをピリオドで演るという重要な軸は全くぶれることなく永続している。変わっていないように見えて、たしかに変わっている。そのことによって、組織は永続している。
 東混も、かれこれ創団61年となる。その永続する歴史の中で、田中信昭と、田中を中心に委嘱された膨大な数の初演活動というのが、この団でもっともぶれない軸である。そう、この団の軸は、新しいものを取り入れることを厭わないこと、まさにそのことにある。そしてそれは、間違いなく未来を見据えているものの、不思議な事に、常に、過去の初演の実績とともに裏付けられ、そのブランドを確かなものとする。東混の、これまでの新しいものに対する実績こそ、これからの新しいものに対する期待そのものである。そして、その成功は、これからの期待を形成する――その繰り返しこそ、「伝統」と呼ぶべき所作になる。嘗て自ら作った新しいもの以上の新しいものを作り出すことで、その伝統は生へ向けて生き生きしたものとなる。そして、この「伝統」がない限り、楽団は、――ときに法人は、ゾンビのようにして世の中を揺蕩う他に、存在の方法を忘れる。それは確かに続いているが、そこに、いのちがあるとは、言えない。組織のレゾンデートル――それは、価値創造に他ならない。
 たとえば、東混にとっては、新しいことそのものが伝統なのであり、存在条件なのである。

 東混にとって、山田和樹、そして、上田真樹との出会いは、まさに僥倖であった。上田真樹は、とかく難解な現代音楽に偏りがちであった東混の委嘱活動に、親しみやすく、しかし奥の深い音楽という、ある種正統派でありながら革新的な視座を齎した。そして、山田和樹は、その流れに呼応するかのように、あらゆる音楽的ジャンルを横断的に取り扱うプログラムを、天才的なバトンテクニックで次々と成功へ導いていく。そして、その姿が尤も典型的に顕れたのは、いまやヤマカズ東混の十八番とも言える、『夢の意味』の委嘱であったのだ。
 そんな昔の姿を、少しだけ思い出したような思いだった。『遠くへ』は、嘗て名大医混が委嘱した曲(伝統、という意味では、そういえば当時はまだ当間修一が医混を振っていたときだった)。聴衆として初演に立ち会った時、まるで、初めて『夢の意味』の実演に触れたときと同じような感覚――名古屋で上田真樹作品の初演にふれるということそのものの感動にとらわれていた。そんな曲の姿が、2回目の実演に触れる機会ということもあり、少しばかり冷静に、輪郭を捉えることが出来ると思ったら――やはり、徹底的に美しい和声の影に隠れてしまう。上田真樹作品の前では冷静さを失ってしまう。それくらい、東混が歌い、山田和樹の振る上田真樹が、好きで仕方がない。あんなに堂々とロマンチシズムを歌うことが出来るなんて――酔いしれている演奏では出来ない感動が、そこにはある。アマルコルドの精密機械のような楽譜の読み方とは違ったアプローチで、ヤマカズ東混は楽譜に忠実なのだ。否、感情論ではない――楽譜から、曲の心意気を読み取っている。
 そして、何より、『月の夜』の圧巻は、その後の休憩中も、恍惚を隠しきれない程だった。今、少なからず冷静になって目を落としたパンフレットに記載されている上田真樹の言葉で、ふと氷解する。「本来、言葉を持たないバレエと、言葉ありきの合唱音楽の組み合わせ。合唱がバレエの単なる解説になっては面白くない。バレエが合唱に花を添えるだけの付属物になっても面白くない。それならば。いっそのこと、意味のわからない言葉で書いてみようか。」――確かに、分からない言葉であっても、意味は十分伝わった。むしろ、言葉を意識しないことによって、音と映像によって認識することで(なにせ、歌詞カードに目が落とせない)、その「生」へ向けられた表現が余計に生々しいものとなって、私たちのもとに伝わっているような気がしてならない。動きも、歌も、和声も、何もかも、どこまでも力強いものだった。ただひたすらに、蛙のコミュニティの中に生きる世界を現前させ、最後に客席も巻き込んで(実際に声を出して!)この曲はついに完成する。間違いない、私たちはあの時、蛙のコミュニティの中に入っていた。蛙たちが蛙の命についての壮大な考察を歌い上げる、その中に、「カエルの歌」の対旋律を実際に歌うことによって、途端に歌の世界が自分のこととして心の中に刻み込まれる。まるで、夢でも見ているかのようだった。それも、どこか遠い世界の出来事だった以前の感情ともだいぶ違う――あの時、たしかに、合唱という括りを越えた芸術を垣間見た。「ああ、生きている!」大仰でもない、そんな実感がある。

 いのちは、その内部で変動することによって永続を見る。そしてまた、東混も、その伝統の中で確かに動き、進化を重ねている。珍しく外部団体の委嘱(神奈川県立音楽堂委嘱)による初演、そして、異分野の芸術との融合による新しい創造など、外部的な刺激と、それに呼応するかのように、新しい音楽監督の元に、内部からの刺激によっても、少しずつ変貌を遂げている。何も、演奏だけではない。往年の名作曲家から、若手のトップランナーへ。そのバトンがたしかに受け継がれていることを再確認する、そんな、とてつもない初演を見せられた。
――そして、そんな変化への兆しは、音楽だけにも留まらない。

 ただ、よかった。
 そうとだけ、書きたいのだけれども、どこかで覚えた悪知恵がそうさせない。

「せめてはゆめよ/さめるな、ゆめ」(林望「夢の名残」)

 確かに感じる、変化への兆し。こうして、伝統は続いていく。そう信じている、否――そう、信じていたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿