2025年3月18日(火)於 熱田文化小劇場
しらかわとともに復活。
……否、そんな示し合わせたつもりはないんですが笑
まさにしらかわ復活の報は青天の霹靂でした笑
まぁとはいえ、実際、御無沙汰しております。合唱からは少し、というよりだいぶ距離を置きまして、週末は子育てにあてたり、いろいろ試験とか受けたりしまして、今度も受ける予定でいるのですが、実際問題、合唱とは距離を置いた日が続いていました。
とはいえ、合唱に戻るきっかけを掴もうと思っていたのもまた事実。まさにこのブログも、予告なくだまってまして失礼しました(否、そんなに期待されているのか?)。
ということで、復活の足がかりに選んだのが、フェアウェル。きっかけ? うーん、何か知り合いがいるとか、会場が近かったから、とか……
まぁ、そんなことは全然なくて笑
実際、このために時間休とってますからね笑
・ホールについて
というコーナーを、かねてからずっと設けているので、今回も設けているのですが、正直、もうこのホールについては書ききっているという印象……笑 そんなわけで、駅前の変化について。といったときに、「え、神宮西駅って何か変わった?」とお思いの名古屋市民は結構多いハズ。名古屋市民は地下鉄移動が多いですからね(なお、意識的に書きましたが、駅名は変わりましたね!笑)。
もうひとつの玄関口・名鉄神宮前駅のことです。私がレビューを書かない間に、2つの施設が新規オープン。「μプラット」に加えて、長らく駅前のランドマークであった名鉄パレ改めパレマルシェ、にかわって、「あつたnagAya」が新規オープン。どうしても駅前広場としては狭くなってしまっていた神宮前駅が、広いスペースに、名古屋を彩る店舗たちが揃う、まさに「長屋」に生まれ変わりました。そんな明るくなった駅前に加えて、ホールに至るアーケードの商店街の中にも、キラリと光る名店に、新しいコンセプトを引っ提げた意欲的な店舗まで。アーケード側はまだまだこれから、という面もあるものの、まさに、これから新たな時代を紡ごうとしている神宮周辺エリアには、タウン情報の観点でも、これからも注目していきたいところです。え、私? 交通費の都合で今日はJR熱田駅です←
ちなみに今日は、ホントはμプラットのスタバで書こうと思っていたら、まさかのドリップマシン故障で、仕込んでいたOne More Coffeeのチケットが使えず、最寄り店舗まで行く事態になるのでした……否、実際、憧れているんですよ、あの店舗。なんとなく。
さて演奏会。6〜7割の入り。もうコロナは全く感じなくなりましたね。入場の流れは非常に素晴らしい。オーダーまでに迷いがなく、この4年でしっかりステージの動き方を会得していることがわかります。しかし、この世代は2020年度入学の方が大半のハズ。とすると、まさに、この自律的な動きをもってして、大学合唱に復活の狼煙を上げている、まさにその世代だったのだなぁ……
1st 混声合唱アラカルト
瑞慶覧尚子「はるまち」(みなづきみのり・混声合唱組曲『あなたとわたし』より)
横山潤子「りんご」(覚和歌子・混声合唱とピアノのための『ここに海があって』より)
土田豊貴「彼方のノック」(辻村深月)
信長貴富「言葉」(谷川俊太郎・無伴奏混声合唱のための『After...』より)
藤嶋美穂「あさきよめ」(室生犀星・混声合唱組曲『あさきよめ』より)
指揮:玉井忍、杉山菜々子、野上紗綾、伊藤良樹
ピアノ:村田祥
そう、この演奏会聞きにきたきっかけなんですが、もうほぼ100%、その選曲に惹かれたという点なんです。まぁ、確かに、この1曲目、初演に参加した身としては、やはり贔屓目に見てしまう曲ではあるのですが。でも、この曲、終曲なんですよ。終曲に、希望の中で春を待つ、っていう、そういう素敵な構成の曲なんですが、それを、1曲目に持ってくるという、勇気がいるけど、でも、確かに間違っていない、素晴らしいチョイス。1ステであって、しかも、1曲目である。そのセンスに惹かれました。ちなみに、2013年2月の初演。12年前……? でもアレですね、この曲、結構人気なんですねー。ありがたい。そして、この1ステの並びもまた、全体でひとつのストーリーを感じる、演奏者側のメッセージをしっかりと感じる、素晴らしい選曲だったと思います。
そんな「はるまち」をはじめとして、何より光ったのは、その音作り。否もう、12年前を懐かしむようなジジイからしたら、隔世の感がある。「名古屋の合唱団らしい音」というイメージを、その長い時は、覆してしまったようです。音程に対する意識が、間違いなく当時の趨勢と比べて圧倒的に敏感になっているのをまざまざと見せつけられました。否、時代の流れというべきか、この世代の成果というべきか。なにより、端正な音をもって、その表現の素地を作り上げているのが印象的な演奏となりました。まずは何より、その音の端正さだけで、十分聞けてしまうというのが、この演奏会全体の魅力となりました。
ただ、一方で、このステージで特に目立ったのは、逆説的にも、言葉に対する意識の向け方。否、なにも、雑だったというわけではないんです。いわばその逆というべきかもしれない。ただ、それが、若干ネガティブに写ってしまった。言うなれば、「変化がない」というイメージ。「はるまち」で例えるならば、「挫折や絶望や」のところ。この箇所、全体が穏やかかつ明るく進行していく、そのメロディの中に、デュナーミクと音の鳴らし方だけでこの言葉を聞かせる必要のある、逆に言えば、この曲1番の聞かせどころです。確かに、その表現をしようと(間違いなく)試みられていたのですが、これが、まだ足りない。多分、演奏している側からしてみると、ウッソだろ、って気分にすらなるんだと思うのですが、あの短い時間で、求められている表現を仕切るには、もっと、時間を使ってあの部分を表現する必要があります。八分音符という短い音価に対して、摩擦音をどれだけ長くできるか、母音に対して、どこまで声門半閉鎖を混ぜるか、そういう、微妙なせめぎあいが求められる箇所です。(実際は、計算というより感覚かもしれませんが。)
全体として、表現が流れるという現象は全体にわたってしまったような気がします。だからこそ、全体の得意目である中音域(そりゃ当たり前か)に対して、高音や低音の表現が相対的に、音域との勝負にしかなってくれていなかった。あるべくしてそこに置かれた音であるからにして、鳴らすことが表現の第一歩であることは当然なのですが、その音に対する意味をもう少し突き詰められたらよかったのかなぁ、と思います。その意味では、おそらく「りんご」や「あさきよめ」は、この団のカラーに合っていたのだと思いますが、願わくば、それに対してもっと自覚的であったなら、新たな表現の幅が広がったような気がします。
まぁ、そういう、最後に集まって歌う演奏会だ、ということもできるんですけどね。でも、レベル高かったですから。そりゃ、期待もしちゃうじゃないですか。実際、名古屋でフェアウェルから生まれた合唱団っていくつもあるし。
int. 10 min
2st 同声合唱アラカルト
男声
多田武彦「道」(草野心平)
arr. Alice Parker, Robert Shaw "Vive L'amour"
指揮:野上紗綾
うん、これはですね、久々にレビュー書くとかそういうの抜きにしてですね、タダタケに飢えてた笑 だって、名古屋の合唱団、意外にも全然タダタケやってくれないんだもん笑
そんなタダタケですが、最初のユニゾンが何より絶品でした。大体の合唱団は、ユニゾンの質を見れば、その質を測ることができると信じてやみませんが、その意味で、この団のユニゾンは及第点です。ただ、その勢いを、そのまま弱音部に持っていけるとよかったな、というのが正直なところ。中間部の、低声による旋律の裏で鳴っている和声が、いまいち構成感を失っていて、行き先を見失っているように聞こえてしまったのは正直に残念なところ。タダタケが名を馳せたその理由のひとつは、その意味をもって語りかける美しい和声にあることを考えると、実際、鳴らすこと以上に、完璧にハモることこそ、求められる表現であると言えます。盛りの男声団って、それに加えて爆音鳴らすから頭おかしい(褒め言葉)んですけど。とはいえ、音圧は1ステより改善していました。今回男声が不足気味だったのも含めて、この鳴らし方で混声やっても悪くなかったような気がします。
2曲目は、子音、特に、子音の縦のラインを揃えることについて、もっと意識的になりたいところ。もちろん、早いパッセージで外国語の子音を合わせるのは難しいのですが、この点は、逆に、母音をどのように表現するか、ということの意識で、実は少し改善が可能だと思っています。子音の機能って、日本語だと意識しづらいですが、ひとつには、「母音を切る」というものがありますので。まぁ、今回に関して言えば、勢いですませちゃって十分なんですがね笑
女声
瑞慶覧尚子「無門」(淵上毛銭の詩による女声合唱組曲『約束』より)
信長貴富「栗鼠も、きっと」(栗原寛・女性合唱による4つのポップス『栗鼠も、きっと』より)
指揮:三輪彩夏
ピアノ:村上由紀
まず何より、衣装のチョイスが素敵です。フォークロア風というか、どこか内陸ヨーロッパの感がありつつ、いい感じにフォーマルさを備えたような、確かに舞台衣装として成立している感じ。当然、完全な私服ではなく、確実に、コンセプトを持って揃えに来ている。どういう指定の仕方をしたのか、心から興味があります。この衣装を選べる団は、全国見回しても限られるレベルじゃないかと思います。
で、演奏ですが、ちゃんと整った音を出せる団であるというのは既述のとおり。でもだからこそ、その先を求めたくなる演奏というのも、また既述のとおり。これくらい精緻に音を作れている団だからこそ、「無門」では、ソプラノとメゾのピッチがズレているように聞こえたのが何より気になりました。しかも一方で、表現の面でも、最後にある「あんたがたどこさ」のモチーフは、それまでの音と違った表情が見せられるとよかったのではないかと思います。
その意味では、表現のヒントは「栗鼠も、きっと」の冒頭にあったのではないかと思っています。この曲の冒頭、長めのイントロで、簡単なダンスの途中、指揮者が指揮台から離れて、合唱団をメインに魅せた。その後、合唱が入る前に、指揮するために、指揮者が指揮台に戻った。ーーまさに、ココ! 明るくポップに春を感じるこの曲で、冒頭をそういう作り方にしたのであれば、おそらくは、この曲の演奏に指揮は要らなかったのではないかと思います。それこそポップな裏拍の入り方というか、有り体にいうならビート感は、各団員が体感しながら、自らの表現の中で合わせていくーー求められていたのは、そんなグルーヴ感だったのではないかな、と思います。もちろん、爽やかでいい演奏だったのですけれども、良くしていくとするのなら、案外、そんな些細なキッカケで、変わっていくものがあるのではないでしょうか。
しかし、SMAPもいよいよ通用しない世の中になりつつあるのかもしれないな……苦笑
int. 15 min
3st
森田花央里・混声合唱組曲『星の旅』(谷川俊太郎)
指揮:三輪彩夏
ピアノ:村上由紀
初演は2018年。特に言及はなかったものの、なんと、今日でちょうどぴったり初演から7周年のようです。当方がはじめてこの曲を聞いたのは、そこから少し経ったジョイントでのこと。ざっくり6年半前。何、6年半前……?(そればっかだな今日)
で、お目当ての最大たるところは、この『星の旅』(「はるまち」じゃないんかい、って石投げないで←)。否もう、ホント、この曲に心掴まれてからというもの、見つけた演奏会にはまずもって馳せ参じている次第。森田作品の持つ空気感と世界観。一度嵌ると抜け出せない、そんな唯一無二の魅力がある曲です。とはいえ、「見つけては馳せ参じる」とは申したものの、そうして馳せ参じた演奏会はそんなに多くはない。その所以はおそらく、この曲の演奏難易度の高さにあります。特に1曲目は、トーンチャイムが入るという編成自体はともかくとして、何より、比較的シンプルな和声でありながら、その独特の浮遊感をもった音像を作り出すのは、もはや至難の業といって差し支えない。この曲の再演で当方がハマったきっかけの一つが、まさにこの空気感の見事な再現であるわけなんですが、それが実現できた要因のひとつが、身も蓋もない言い方をしてしまえば、同志社こまくさ・神大アポロンという2つの巨大合唱団にG.U.Choirという、当時においても盤石の布陣であったことにほかならないのではないかと思います。
その意味では、1曲目は、やはり難しい曲であったということが露呈していたように思います。こりゃもうしょうがない、と思わなくはないですが、あえて指摘という形にしておくのなら、おそらくは、それぞれの音を「和音」と捉えるか「和声」と捉えるか、という差ではないのかと思います。通常であれば顕在化こそしないものの、コードとして和音を重ねるのに加えて、和声を意識する場合、その和音同士のつながりをどのようにもたせるか、その意識次第で強調すべき音が変わります。そこの検討が、どこまで突き詰められていたか、もう一歩、検討が必要だったのかもしれません。ちなみに、「身も蓋もない言い方」と先述しましたが、この問題、人数が多ければある程度無視できてしまう問題だったりします。当時にして間違いなく100名超え、今日の人数は4〜50人といったところか。身も蓋もねぇ。ちなみに、2021年阪混定期のレビューを見返してみたら、「このクラスターは、各パートができるだけ均質に音を鳴らすことが肝要」とのこと。あれ、どっちだ?
ただ一方で、2曲目と3曲目は、これまでのステージとは質の違う完成度でした。声質にハマっている、のみならず、声質自体も、前のステージより芯がしっかりした声が出ていた印象。それに、この団が持つ音感の良さをもってして、いい音が鳴っていた。そして何より、言葉がちゃんと飛んでくる。これまでのステージとは全く違う、立体的な音楽の作りが光りました。否、でも、いいもんねぇ、この曲。そんな、いい曲の「やりたいこと」がしっかり団の中で定まっていたんだと思います。だからこそ、「やりたいこと」のままに、音楽がしっかり成立していたんだと思います。いい意味で、理屈じゃない。だからこそ導き出される、最後のアカペラの集中力! そのメッセージの迫真性は、今も心に残っています。
やりきった技術委員長さん(3st指揮者)、実行委員長の冒頭挨拶に対し、このタイミングで御挨拶。もう涙があふれそうになりながら、なんとか挨拶仕切っていました。頑張った!
・アンコール
信長貴富「生きる理由」(新川和江)
指揮:三輪彩夏
ピアノ:村上由紀
そして、このタイミングで、この指揮者の素晴らしさを書いておきたい。何かって、しっかり表現させることができている上、そのきっかけの作り方が非常にうまいんです。叩き方、指し方だけで、この指揮者がどう歌わせたいか、それこそ、背中からしっかり伝わる。非常に理想的な指揮の動きをしていました。それも、今にも泣きながらーー否、多分、泣きながらの演奏でしたかね。
・ステージコール
上田真樹「はる」(谷川俊太郎)
※当初、クレジットに誤りがありました。大変失礼しました。
ロビーコールに代えて。人数が溢れたから、とのことですが、よくよく考えてみたら、このホールホワイエ狭いので、コロナ前から、あそこでストームやっていた事自体がアレなんだと思いますわ笑
客席にも降りてきて、会場を広く使って、まさに客席中に響きが溢れわたる。まさに、最初から最後まで、春が溢れたコンサートでした。
・まとめ
前、とある人の言葉を勝手に書き立てたことがありまして(しかもそういうのに限って著名人に紹介されたりしまして←)、その言葉について。
何かというと、名大グリーンのクロージングで書いた「合唱は無理してでも続けろ」という言葉です。もっとも、今現時点で「続けている」といえるか非常に怪しい人間からしたら、この言葉をお届けする建前なんてこれぽっちも存在しない気がするんですが。でも、逆に言えば、それだけ身に沁みて、この言葉の意味を反芻しているところです。
めちゃめちゃエネルギーがいることなんですよ、続けるって。続けることに意味がある、とか、最高の才能は継続することとか、そういう言葉がよくありますが、その意味は、これから、今日ステージに立った皆さんは、嫌というほど体感することになるのではないかと思います。
ーー否、もしかしたら、私たちの世代より、彼らの世代の方が、嫌と言うほど感じているのかもしれないですね。継続が半ば当たり前にできていた、そんな世界とは全く異なる世界の中で、合唱を始め、あるいは継続する道を選び、顔すら合わせられない中で声を重ねようともがき、ソーシャルディスタンスの中で、聞き合うという合唱における基本動作すらままならないような中で、演奏へ向かう姿というのは、これまでも書き連ねてきたところです。そして、コロナの5類移行に伴い、とはいえ急激には戻りきらない社会との適応、厳格化されゆく単位、早まる就活、といったような、コロナとは関係ないような社会の変化にも、真正面から立ち向かってきた世代です。そんな中で、しかし、情動の豊かさを失わなかった、そんな世代の演奏を、しかと受け止めることができた喜び。そして、そんな「当たり前」が、少しずつ戻ってきていることを、肌身に感じることができて、本当によかったな、と思います。
恐らく、未来は想像以上に賑やかです。もし合唱から離れてしまうことがあったとしても、傍に、今日の演奏を携えて、胸を張って生きていって欲しいなと思います。なにせ、私は立つことを選ぶことさえできなかった舞台です。今日の演奏に、心から敬意を表します。お疲れ様でした。
うん、私は……今後、少なくとも頑張って書いていきたいなと笑 少しは復活できるように頑張りたいと思います。こう、色々笑