名古屋市って、ジョイントコンサートを夏にやるって文化少ないんですよね。まったくない、というわけではないものの、割と開催がスポットになりがちで、それでもって、春にはアンコンと合唱祭、夏には県コンクールの存在があることも相まってか、余計に、年の前半は演奏会が少なくなる。結果として、この時期は、私のレビューも減る傾向にあります。否、ホントは他にも呼ばれてた演奏会もあったんですけどね。
それで、です。この時期の、非常にレアなこの時期の演奏会。色んなところで、コンクールやらオケフェスやらどまつりやら24時間テレビやら合唱祭やらやっている中で、こんな時期に名古屋にもジョイントが……! 個人的に、名古屋の合唱団は演奏機会が少ない!と主張を続けているだけに(個人の感想です)、とても嬉しいイベントのひとつ。この時期に一本演奏する、という文化が続いてくれるといいな、と、割と心から思っています。聞く側としてはいわずもがな、演奏者にとっても本番経験はそれ自体が貴重ですし。本番自体もそうなんですが、本番へ持っていくための自分の気持ちの持ち方、とかもね。
で、前回の投稿以来、名古屋の合唱団における演奏機会の少なさとかをいいわけに、それこそアンコンも合唱祭もスルーして、しかもあまり外の合唱団を開発せぬままここまで至っているわけなのですが、あれなんですかね、
やっぱり自分、しらかわホールとともに出没する定めなんですかね
それで、です。この時期の、非常にレアなこの時期の演奏会。色んなところで、コンクールやらオケフェスやらどまつりやら24時間テレビやら合唱祭やらやっている中で、こんな時期に名古屋にもジョイントが……! 個人的に、名古屋の合唱団は演奏機会が少ない!と主張を続けているだけに(個人の感想です)、とても嬉しいイベントのひとつ。この時期に一本演奏する、という文化が続いてくれるといいな、と、割と心から思っています。聞く側としてはいわずもがな、演奏者にとっても本番経験はそれ自体が貴重ですし。本番自体もそうなんですが、本番へ持っていくための自分の気持ちの持ち方、とかもね。
で、前回の投稿以来、名古屋の合唱団における演奏機会の少なさとかをいいわけに、それこそアンコンも合唱祭もスルーして、しかもあまり外の合唱団を開発せぬままここまで至っているわけなのですが、あれなんですかね、
やっぱり自分、しらかわホールとともに出没する定めなんですかね
・ホールについて
実はとある公演で行ったことはあるものの、書いたことはないホール。各区にある文化小劇場で、典型的な多目的ホールとして建てられたもの。「ららぽーと」に代表される一連の施設群「みなとアクルス」がすぐ近くにあるのですが、これも、ここ10年ほどで発展してきた施設。その意味では、周辺はここ数年で急速に発展してきている土地でもあります。ただ、この施設自体は古くから変わらず、天井には崩落防止のネットが張られているなど、ふるさも目立ってきている施設。それでも、各区文化小劇場の一角として、同地の文化を守っている施設でもあります。
で、そのホールの響きは、一般的な多目的ホールの響き。ステージ内では響いているんだけど、特に残響が響くというわけではなく、鳴りがいいわけではなく、ステージのおこぼれをもらっている感じの響き。個人的には、こういう音きらいじゃないんですけどね。特筆すべきではないんですけど、誰しも、こういう音から音楽が始まるって向き、あるじゃないですか。調律の狂ったアップライトピアノの音とか、そういう、ノスタルジー的な意味合いもあるものの、決して嫌いではないという点は強調しておきたいです。
ところで今日、ステージ上のスイッチ操作はともかくとして、ミキサー側でスイッチ操作しているのか、やたらマイクノイズが大きかった気がする。なんでだろう?
実はとある公演で行ったことはあるものの、書いたことはないホール。各区にある文化小劇場で、典型的な多目的ホールとして建てられたもの。「ららぽーと」に代表される一連の施設群「みなとアクルス」がすぐ近くにあるのですが、これも、ここ10年ほどで発展してきた施設。その意味では、周辺はここ数年で急速に発展してきている土地でもあります。ただ、この施設自体は古くから変わらず、天井には崩落防止のネットが張られているなど、ふるさも目立ってきている施設。それでも、各区文化小劇場の一角として、同地の文化を守っている施設でもあります。
で、そのホールの響きは、一般的な多目的ホールの響き。ステージ内では響いているんだけど、特に残響が響くというわけではなく、鳴りがいいわけではなく、ステージのおこぼれをもらっている感じの響き。個人的には、こういう音きらいじゃないんですけどね。特筆すべきではないんですけど、誰しも、こういう音から音楽が始まるって向き、あるじゃないですか。調律の狂ったアップライトピアノの音とか、そういう、ノスタルジー的な意味合いもあるものの、決して嫌いではないという点は強調しておきたいです。
ところで今日、ステージ上のスイッチ操作はともかくとして、ミキサー側でスイッチ操作しているのか、やたらマイクノイズが大きかった気がする。なんでだろう?
・オープニング(合同演奏)
信長貴富「若い合唱」(村上昭夫)
指揮:大西悠斗
ピアノ:福井悠大
まず最初は全員で。あえて言いたい。この、全員揃ってのオープニング。わかってるねェ!! やはりジョイントコンサートの前には、全員で声を合わせるステージがないと!! でもって、あえて言いたい。たぶん、冒頭のトークは不要です笑
演奏は、80人あまりのステージとあって、これだけの人数がこの狭い箱で鳴らせば、そりゃ、どんな演奏でもだいたい形にはなるよな、という。人数がいる合唱団は、とりあえず人数で押せること自体は事実ですからね(もっとも、その先に演奏の質の差は確かにあります。)。ただ、全体として、ホールの特徴もあってか、個が目立つ。というのも、全体的に、「恐る恐る出している」イメージの音になりました。息の流れが出来ている、といえば聞こえはいいのかもしれませんが、出だしと終わり、その両方で、音価がバラバラに聞こえる印象でした。よくある、「もやっと聞こえる」感じの響きです。まぁでも、オープニングだもんな。まずはしっかりと顔を出した演奏が出来たこと自体、それで十分ではあります。ただ、全体的に、高音域はもう少し磨けたかも。
1st. 合唱団ピンクエコー
Dawson, William L. "Ev'ry Time I Feel the Spirit"
都倉俊一(arr. 米本皓亮)「UFO」(阿久悠)
小林明子(arr. 松下耕)「恋において―Fall in love―」(湯川れい子)(混声合唱のための『ポッパーズ・クラブ』より)
Rutter, John "Look at the World"
Francis, Connie; Hunter, Hank; Weston, Gary(arr. 猪間道明)"VACATION"(混声合唱のための『オールディーズメロディ』より)
橋本剛「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ)
宮川彬良(arr. 松平敬)「マツケンサンバII」(吉峯暁子)(混声合唱のための『暴れん坊将軍のテーマ・マツケンサンバII』より)
指揮:友森美文
ピアノ:坪井佐保
1団体目は、ある意味、一番元気のあるこの合唱団から。余談ですが、御時世、当方昔っから、心のなかで、この1曲目のことを「タイ米」とこっそり呼んでいます……笑 で、そのタイ米なんですが←、間違いなくうまかったんです。非常に勢いのある音で、デュナーミクもしっかりついている。発音も決して悪くない。でも、率直な話、何かが足りない。ちょっと気になったのは、音価が非常に短めに構築されていたこと。でも、それ自体は楽曲の作り方の問題だから、多分それではない。なんだろう……
という、不思議な気持ちが拭えなかったものの、しかし、同団の真骨頂、2曲目以降の怒涛のポップスメドレーで、もう、なんかそんなのどうでもよくなってしまいました笑 西にはもーるKOBEあれば、中部にピンクエコーあり。この団、とにかく踊るんです。どれくらい踊るのかといえば、今回、充実の7曲プログラムにして、3曲フルコーラス踊り倒す。今日のステージは決して新しくないためか、なんかひな壇がキュウキュウ鳴っていたけど、そんなことよりとにかく踊る笑 挙げ句の果てには、指導校を何度も全国大会に導いた友森マエストロは「マツケンサンバII」でスパンコール衣装を身に纏い、オレンジのサイリウムを持って登場、その着替えのために(?)「わたしと小鳥とすずと」を団内指揮者(no credit)に任せる笑 なんというかですね、ジョイントの1ステージってここまで詰め込めるんだってくらいのゴリゴリのプログラムで、なんかもう色々吹っ飛びました笑
この手の踊れる団って、すごいのが、ポップスがおまけにならないんですよね。合唱におけるポップスステージって、とりあえずメロディなぞればなんとかなる部分もあって、それが故に、少々おまけ感出た音楽になることも多いものの、この団に関しては、そんなことは絶対にない。踊っていて音がブレることがないのはいうまでもなく、なんか、タイ米のときに思っていたモヤモヤまで消えている。何が足りなかったんだろう。勢い?否……。あるいは、もしかしたら、ポップスで踊っているときは、演出の都合もあって、みんな誰も指揮を見ていなかった(マツケンなんてなんかキラキラしたやつ持ってたのに笑)。このあたりが、何かのヒントなのかも。
Int. 8min.
休憩明け前の予ベルは3分前。常々思っているんですが、これは定着していいと思うんです。
2st. 合唱団カラコロモ
Gjeilo, Ola "UBI CARITAS"
三宅裕太「子守唄―立原道造の詩による小さなレクイエム―」(立原道造)
大野雄二(arr. 信長貴富)「ルパン三世のテーマ」(千家和也)
槇原敬之(arr. 信長貴富)「世界に一つだけの花」
三宅裕太「あいたくて」(工藤直子)
指揮:伊奈福久代
ピアノ:山本蕗乃
いやぁ、この勢いの中、難しいでしょう、と思ったものの、ちゃんと、"UBI CARITAS"で雰囲気を戻す演奏が出来ていたあたり、さすがの実力を持つ合唱団。以前もちょっと書いて、その実力を褒めちぎった合唱団です。そんな中でも、「ルパン」と「世界に一つだけの花」に演出を入れてみたりして、なんというか、頑張っている姿が微笑ましいです……もっとも、最大の笑いを誘うのは、その演出中、伊奈先生の「まさかの一言」なんですが笑
でですね、その褒めちぎってからすでに2年半は経過しているみたいなのですが、その頃と比べて、「完璧さ」は少々鳴りを潜めた感があるんです。最初の入りも、ちょっと崩れたし(もっとも、めっちゃ難しいんですけどね。)。とはいえ、それこそ"UBI CARITAS"の途中で鳴った、男女が全く同じピッチを鳴らす場所で、ばちっと全く同じ音が、しかし無理なく鳴っている様子は、心から称賛すべき最高のサウンドでした。ブログ始めて以来、ユニゾンがうまい団はうまいということを言い続けていますが、間違いなく、その実力の象徴たる音といって差し支えありません。この音聞けただけで十分ペイする。
「完璧さ」は鳴りを潜めた、と書いたところで、じゃあ何が変わったか、というと、旋律感が、以前より増しているような気がしました。特にベース。間違いなく、ベースが、たとえベースラインそのものみたいな箇所であっても、はっきりとメロディを歌っている。この心地よさが、楽曲全体を聞かせるに十分な作りだったというに値します。
このベースにも象徴的なんですが、前のイメージ以上に、この団、全員がしっかりと歌っていました。決して引きで合わせない。それに加えて、それこそ、表現の面を指摘した点に呼応してか、明らかに、「揃う」の意識を再構築しようとしている。そういった意味では、前よりは「揃わなくなった」ものの、「揃う」の意識は、以前よりも進歩しているように感じました。……まぁ、そんなにこのブログが影響力あるとは思っていないのですが笑、しかしながら、明らかに、この団が変わろうとしている様子を目撃した思いです。ということで、やっぱり、この団には期待してしまうのです。
あと書いておきたい。今日のピアニスト、声楽も学ばれたとのこと、非常に歌心にあふれていて素晴らしい演奏だったように思います。
Gjeilo, Ola "UBI CARITAS"
三宅裕太「子守唄―立原道造の詩による小さなレクイエム―」(立原道造)
大野雄二(arr. 信長貴富)「ルパン三世のテーマ」(千家和也)
槇原敬之(arr. 信長貴富)「世界に一つだけの花」
三宅裕太「あいたくて」(工藤直子)
指揮:伊奈福久代
ピアノ:山本蕗乃
いやぁ、この勢いの中、難しいでしょう、と思ったものの、ちゃんと、"UBI CARITAS"で雰囲気を戻す演奏が出来ていたあたり、さすがの実力を持つ合唱団。以前もちょっと書いて、その実力を褒めちぎった合唱団です。そんな中でも、「ルパン」と「世界に一つだけの花」に演出を入れてみたりして、なんというか、頑張っている姿が微笑ましいです……もっとも、最大の笑いを誘うのは、その演出中、伊奈先生の「まさかの一言」なんですが笑
でですね、その褒めちぎってからすでに2年半は経過しているみたいなのですが、その頃と比べて、「完璧さ」は少々鳴りを潜めた感があるんです。最初の入りも、ちょっと崩れたし(もっとも、めっちゃ難しいんですけどね。)。とはいえ、それこそ"UBI CARITAS"の途中で鳴った、男女が全く同じピッチを鳴らす場所で、ばちっと全く同じ音が、しかし無理なく鳴っている様子は、心から称賛すべき最高のサウンドでした。ブログ始めて以来、ユニゾンがうまい団はうまいということを言い続けていますが、間違いなく、その実力の象徴たる音といって差し支えありません。この音聞けただけで十分ペイする。
「完璧さ」は鳴りを潜めた、と書いたところで、じゃあ何が変わったか、というと、旋律感が、以前より増しているような気がしました。特にベース。間違いなく、ベースが、たとえベースラインそのものみたいな箇所であっても、はっきりとメロディを歌っている。この心地よさが、楽曲全体を聞かせるに十分な作りだったというに値します。
このベースにも象徴的なんですが、前のイメージ以上に、この団、全員がしっかりと歌っていました。決して引きで合わせない。それに加えて、それこそ、表現の面を指摘した点に呼応してか、明らかに、「揃う」の意識を再構築しようとしている。そういった意味では、前よりは「揃わなくなった」ものの、「揃う」の意識は、以前よりも進歩しているように感じました。……まぁ、そんなにこのブログが影響力あるとは思っていないのですが笑、しかしながら、明らかに、この団が変わろうとしている様子を目撃した思いです。ということで、やっぱり、この団には期待してしまうのです。
あと書いておきたい。今日のピアニスト、声楽も学ばれたとのこと、非常に歌心にあふれていて素晴らしい演奏だったように思います。
同じくInt. 8min.
3st. Ensemble vert paon
木下牧子・混声合唱組曲『夢のかたち』
1. 虫の夢(大岡信)
2. 夢(吉行理恵)
3. 夢のうた(三木卓)
4. 夢の結果(竹中郁)
5. 風船乗りの夢(萩原朔太郎)
指揮:小川輝晃
ピアノ:福井悠大
でもってこのプログラム。前2団がいずれも変化球を投げていたのに対して、初期の木下作品という、どっからどう見ても硬派なプログラム。しかも、楽曲前の前説も、やたらめったらマニアック。なぜか逆に(いい意味で)浮いてしまうという笑
で、演奏なんですが、率直に、発声が表現の邪魔をした、という印象が拭いきれません。技術と経験は確かにある合唱団で、その点、十分歌い切ることはできる合唱団。その意味では、十分端正にまとまっていたのですが、いかんせん、この曲は「初期の木下作品」。その程度の表現では許容してくれないのが怖いところ。
初期に限らず、木下作品って、鳴らすこと自体はそこまで難しい部類ではないんだと思うんです。他の超絶技巧みたいな作品と比べたら、間違いなく、とりあえず楽曲の骨格を作り出すことは容易い部類。でも、いうなれば髙田三郎作品のように、その、骨格を作り出してからが異様に難しい。多分ですが、楽譜に乗せる情報量が少ないタイプの作曲家なんでしょうね。比喩的に「音に魂を込める」作業に、ものすごく労力を使います。
今回の演奏で課題感が出たのが、まさにその部分。で、その表現の幅を狭めた要因が、発声。全体的に声門閉鎖が甘い音が、表現の邪魔をしていたように思います。それが生きてくる作品もある一方で、ちょうど2000年代くらいまでの作品に関しては、それだと作品自体がうまく表現できない事例が多いような気がしています。具体的には、1曲目の緊張感不足、1曲目の2曲目の表現がなんだか同一に聞こえること。3曲目を中心として、パート間の掛け合いがわずかに破綻している様子、5曲目のポルタメントにかける時間――表現ひとつひとつが、うーん、惜しい、と思わせるような、いま一歩惜しい音。でも、この一歩は、とても大きいような気がします。
念のため注記しておきますが、これは、「この団はこんなもんじゃない」という信頼に基づくものです。絶対、この先に行ける。
2. 夢(吉行理恵)
3. 夢のうた(三木卓)
4. 夢の結果(竹中郁)
5. 風船乗りの夢(萩原朔太郎)
指揮:小川輝晃
ピアノ:福井悠大
でもってこのプログラム。前2団がいずれも変化球を投げていたのに対して、初期の木下作品という、どっからどう見ても硬派なプログラム。しかも、楽曲前の前説も、やたらめったらマニアック。なぜか逆に(いい意味で)浮いてしまうという笑
で、演奏なんですが、率直に、発声が表現の邪魔をした、という印象が拭いきれません。技術と経験は確かにある合唱団で、その点、十分歌い切ることはできる合唱団。その意味では、十分端正にまとまっていたのですが、いかんせん、この曲は「初期の木下作品」。その程度の表現では許容してくれないのが怖いところ。
初期に限らず、木下作品って、鳴らすこと自体はそこまで難しい部類ではないんだと思うんです。他の超絶技巧みたいな作品と比べたら、間違いなく、とりあえず楽曲の骨格を作り出すことは容易い部類。でも、いうなれば髙田三郎作品のように、その、骨格を作り出してからが異様に難しい。多分ですが、楽譜に乗せる情報量が少ないタイプの作曲家なんでしょうね。比喩的に「音に魂を込める」作業に、ものすごく労力を使います。
今回の演奏で課題感が出たのが、まさにその部分。で、その表現の幅を狭めた要因が、発声。全体的に声門閉鎖が甘い音が、表現の邪魔をしていたように思います。それが生きてくる作品もある一方で、ちょうど2000年代くらいまでの作品に関しては、それだと作品自体がうまく表現できない事例が多いような気がしています。具体的には、1曲目の緊張感不足、1曲目の2曲目の表現がなんだか同一に聞こえること。3曲目を中心として、パート間の掛け合いがわずかに破綻している様子、5曲目のポルタメントにかける時間――表現ひとつひとつが、うーん、惜しい、と思わせるような、いま一歩惜しい音。でも、この一歩は、とても大きいような気がします。
念のため注記しておきますが、これは、「この団はこんなもんじゃない」という信頼に基づくものです。絶対、この先に行ける。
Int 10min.
4st. 合同演奏
Rutter, John "Magnificat"より "Magnificat anima mea", "Et misericordia"*
指揮:友森美文
ピアノ:坪井佐保
ソリスト:神原綾*
合同演奏も、あの演奏で踊り狂う……なんてことはなく笑、しかしスケールの大きい曲から。特に1曲目は、合唱人なら一度は演奏してみたい曲ですよね笑
1曲目はそれこそ勢いです。ある意味で、それを期待されている曲ですし。で、ちゃんと書いておきたいのが2曲目。このソリストとの掛け合いが、合同曲とは思えないほどの絶品ぶり! いずれの団に共通するアンサンブルのうまさ故か、非常にソリストとの音量バランスが絶品でした。80人に負けないソリスト、とか、そういう話ではなく、ソリストに対してあるべき音量が確かに80人の音で鳴っていたというイメージ。頭の入り方から、ソロとピアノのながれを掴んだ自然な入り、そこから、決してソロに迎合して引いたりとか、逆に埋没する、とかいうことではなく、ドッペルフーガよろしく、両方の主題が粒立って聞こえる。しかも、それをソロと一緒にやってのける。特筆すべきアンサンブルでした。
信長貴富「きみ歌えよ」(谷川俊太郎)
松下耕「今年」(谷川俊太郎)
指揮:伊奈福久代
ピアノ:山本蕗乃
そして最後は日本語の代表曲。まさに「平成的」というにふさわしいプログラムにも思います。なんだか平成も遠くなってきてしまいましたなぁ……平成生まれとしてはちょっと感慨深い。
「今年」の中間部は、特に「ほんの少し」以降は、全体的に入りが早めになってしまっていたように思います。そのために、「今年は」の中間部まとめは少しクライマックス感に欠けていた気もします。――とはいえ、再現部がしっかり鳴っていれば、この曲に関しては、もうなんでもいいような気はするのですが笑
再現部入りのピアノが特にこの曲の中でも好きです。今日のピアノは少し静かな入り。新鮮だけど、ああ、この解釈いいなぁ、と思いました。なんか内省的で、「今年も喜びがあるだろう」につながっていくような感じがして。
・アンコール
Arnesen, Kim André "His light in us" (Tait, Euan)
指揮:小川輝晃
ピアノ:福井悠大
で、「今年」にもまさる喜びのあるアンコール。全体として光りさすかのごときエンディングが包みこんでくれました。なにより、聞いたあとの印象が爽やかなのが印象的でした。
ちなみにクレジットは、調べようとは思ったものの、Xにポストしてもらえました。……まぁ、その理由のひとつは、当方が関係者に「教えて!」とお願いしたからにほかならない笑 しらんもん、指揮者が直前に「なんかエモい曲」とかいうくらいのレア曲じゃないっすか笑
・まとめ
最近、というか割とアニメの時代以来(ちょうど長男が小さかったタイミングだったので)、サッカー漫画「アオアシ」が好きでして、無料分を中心に(セコイ)よく読んでいるんですが(完結したみたいだし全巻揃えようかな……!?)、今日のまとめはそのことについて……じゃねえわ←
否、関連はしているんです。「視野」について。ピッチを俯瞰する「視野」が、この漫画のストーリーで重要な意味を占めています(ネタバレになっていたらスミマセン)。いかに視野を広くもって、個のプレーに活かしていくか。まさに合唱でも同じことがいえると信じてやみません。しばしば「アンサンブル」とか、「合わせる」とか表現しているのがそれです。不思議なことに「合わせる」っていうと、「引く」ことが正義、と思われかねない風潮。否、まったく引かないなんてこと、あるわけないとは思っているんです。でも、「合わせる」ときに「引く」ことがベースにあってはならないーー今日の演奏は、その差が如実に出たようにも思います。怖いのは、「引く」ことでも、ある程度の形を作れてしまうこと。でも、よりハイレベルに「合わせる」ためには、「引く」ことがベースにあってはならない。そのために、様々な方法でコミュニケーションし、自分のあるべきポジションを構築する。
これ自体、合唱に当てはめるならば、ただ「引く」ことが正義ではありません。逆に、「どのように出すか」を構築し、主体的に、更に言うならば、横のつながりに加えて、時空的つながり、つまり、楽曲全体における当該音価のあり方自体が、文脈の中で立体的に構築される、そのあり方がどこにあるか、それを理解し、出される「べき」音を出す。その結果が「引く」かもしれないけれど、ただ小さい音を出すことが正義だとは思わない。そのことをいかに理解しているか、で、今日の出来は左右されていたように思います。