おおよそだいたい、合唱のこと。

ようこそお越し頂きました。
主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
また、時折、気分に応じて、合唱如何関係なく、トピックスを記事にしています。
合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
やたら細かいレビューからノリツッコミまで、現状、合唱好きな方の暇つぶしには最適です。
ゆっくりしていってね!!!

2025年8月31日日曜日

【「ぴんからぽん」サマージョイントコンサート】

2025年8月31日(日)於 名古屋市港文化小劇場

 名古屋市って、ジョイントコンサートを夏にやるって文化少ないんですよね。まったくない、というわけではないものの、割と開催がスポットになりがちで、それでもって、春にはアンコンと合唱祭、夏には県コンクールの存在があることも相まってか、余計に、年の前半は演奏会が少なくなる。結果として、この時期は、私のレビューも減る傾向にあります。否、ホントは他にも呼ばれてた演奏会もあったんですけどね。
 それで、です。この時期の、非常にレアなこの時期の演奏会。色んなところで、コンクールやらオケフェスやらどまつりやら24時間テレビやら合唱祭やらやっている中で、こんな時期に名古屋にもジョイントが……! 個人的に、名古屋の合唱団は演奏機会が少ない!と主張を続けているだけに(個人の感想です)、とても嬉しいイベントのひとつ。この時期に一本演奏する、という文化が続いてくれるといいな、と、割と心から思っています。聞く側としてはいわずもがな、演奏者にとっても本番経験はそれ自体が貴重ですし。本番自体もそうなんですが、本番へ持っていくための自分の気持ちの持ち方、とかもね。
 で、前回の投稿以来、名古屋の合唱団における演奏機会の少なさとかをいいわけに、それこそアンコンも合唱祭もスルーして、しかもあまり外の合唱団を開発せぬままここまで至っているわけなのですが、あれなんですかね、
やっぱり自分、しらかわホールとともに出没する定めなんですかね

・ホールについて
 実はとある公演で行ったことはあるものの、書いたことはないホール。各区にある文化小劇場で、典型的な多目的ホールとして建てられたもの。「ららぽーと」に代表される一連の施設群「みなとアクルス」がすぐ近くにあるのですが、これも、ここ10年ほどで発展してきた施設。その意味では、周辺はここ数年で急速に発展してきている土地でもあります。ただ、この施設自体は古くから変わらず、天井には崩落防止のネットが張られているなど、ふるさも目立ってきている施設。それでも、各区文化小劇場の一角として、同地の文化を守っている施設でもあります。
 で、そのホールの響きは、一般的な多目的ホールの響き。ステージ内では響いているんだけど、特に残響が響くというわけではなく、鳴りがいいわけではなく、ステージのおこぼれをもらっている感じの響き。個人的には、こういう音きらいじゃないんですけどね。特筆すべきではないんですけど、誰しも、こういう音から音楽が始まるって向き、あるじゃないですか。調律の狂ったアップライトピアノの音とか、そういう、ノスタルジー的な意味合いもあるものの、決して嫌いではないという点は強調しておきたいです。
 ところで今日、ステージ上のスイッチ操作はともかくとして、ミキサー側でスイッチ操作しているのか、やたらマイクノイズが大きかった気がする。なんでだろう?

・オープニング(合同演奏)
信長貴富「若い合唱」(村上昭夫)
指揮:大西悠斗
ピアノ:福井悠大
 まず最初は全員で。あえて言いたい。この、全員揃ってのオープニング。わかってるねェ!! やはりジョイントコンサートの前には、全員で声を合わせるステージがないと!! でもって、あえて言いたい。たぶん、冒頭のトークは不要です笑
 演奏は、80人あまりのステージとあって、これだけの人数がこの狭い箱で鳴らせば、そりゃ、どんな演奏でもだいたい形にはなるよな、という。人数がいる合唱団は、とりあえず人数で押せること自体は事実ですからね(もっとも、その先に演奏の質の差は確かにあります。)。ただ、全体として、ホールの特徴もあってか、個が目立つ。というのも、全体的に、「恐る恐る出している」イメージの音になりました。息の流れが出来ている、といえば聞こえはいいのかもしれませんが、出だしと終わり、その両方で、音価がバラバラに聞こえる印象でした。よくある、「もやっと聞こえる」感じの響きです。まぁでも、オープニングだもんな。まずはしっかりと顔を出した演奏が出来たこと自体、それで十分ではあります。ただ、全体的に、高音域はもう少し磨けたかも。

1st. 合唱団ピンクエコー
Dawson, William L. "Ev'ry Time I Feel the Spirit"
都倉俊一(arr. 米本皓亮)「UFO」(阿久悠)
小林明子(arr. 松下耕)「恋において―Fall in love―」(湯川れい子)(混声合唱のための『ポッパーズ・クラブ』より)
Rutter, John "Look at the World"
Francis, Connie; Hunter, Hank; Weston, Gary(arr. 猪間道明)"VACATION"(混声合唱のための『オールディーズメロディ』より)
橋本剛「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ)
宮川彬良(arr. 松平敬)「マツケンサンバII」(吉峯暁子)(混声合唱のための『暴れん坊将軍のテーマ・マツケンサンバII』より)
指揮:友森美文
ピアノ:坪井佐保
 1団体目は、ある意味、一番元気のあるこの合唱団から。余談ですが、御時世、当方昔っから、心のなかで、この1曲目のことを「タイ米」とこっそり呼んでいます……笑 で、そのタイ米なんですが←、間違いなくうまかったんです。非常に勢いのある音で、デュナーミクもしっかりついている。発音も決して悪くない。でも、率直な話、何かが足りない。ちょっと気になったのは、音価が非常に短めに構築されていたこと。でも、それ自体は楽曲の作り方の問題だから、多分それではない。なんだろう……
 という、不思議な気持ちが拭えなかったものの、しかし、同団の真骨頂、2曲目以降の怒涛のポップスメドレーで、もう、なんかそんなのどうでもよくなってしまいました笑 西にはもーるKOBEあれば、中部にピンクエコーあり。この団、とにかく踊るんです。どれくらい踊るのかといえば、今回、充実の7曲プログラムにして、3曲フルコーラス踊り倒す。今日のステージは決して新しくないためか、なんかひな壇がキュウキュウ鳴っていたけど、そんなことよりとにかく踊る笑 挙げ句の果てには、指導校を何度も全国大会に導いた友森マエストロは「マツケンサンバII」でスパンコール衣装を身に纏い、オレンジのサイリウムを持って登場、その着替えのために(?)「わたしと小鳥とすずと」を団内指揮者(no credit)に任せる笑 なんというかですね、ジョイントの1ステージってここまで詰め込めるんだってくらいのゴリゴリのプログラムで、なんかもう色々吹っ飛びました笑
 この手の踊れる団って、すごいのが、ポップスがおまけにならないんですよね。合唱におけるポップスステージって、とりあえずメロディなぞればなんとかなる部分もあって、それが故に、少々おまけ感出た音楽になることも多いものの、この団に関しては、そんなことは絶対にない。踊っていて音がブレることがないのはいうまでもなく、なんか、タイ米のときに思っていたモヤモヤまで消えている。何が足りなかったんだろう。勢い?否……。あるいは、もしかしたら、ポップスで踊っているときは、演出の都合もあって、みんな誰も指揮を見ていなかった(マツケンなんてなんかキラキラしたやつ持ってたのに笑)。このあたりが、何かのヒントなのかも。

Int. 8min.
休憩明け前の予ベルは3分前。常々思っているんですが、これは定着していいと思うんです。

2st. 合唱団カラコロモ
Gjeilo, Ola "UBI CARITAS"
三宅裕太「子守唄―立原道造の詩による小さなレクイエム―」(立原道造)
大野雄二(arr. 信長貴富)「ルパン三世のテーマ」(千家和也)
槇原敬之(arr. 信長貴富)「世界に一つだけの花」
三宅裕太「あいたくて」(工藤直子)
指揮:伊奈福久代
ピアノ:山本蕗乃
 いやぁ、この勢いの中、難しいでしょう、と思ったものの、ちゃんと、"UBI CARITAS"で雰囲気を戻す演奏が出来ていたあたり、さすがの実力を持つ合唱団。以前もちょっと書いて、その実力を褒めちぎった合唱団です。そんな中でも、「ルパン」と「世界に一つだけの花」に演出を入れてみたりして、なんというか、頑張っている姿が微笑ましいです……もっとも、最大の笑いを誘うのは、その演出中、伊奈先生の「まさかの一言」なんですが笑
 でですね、その褒めちぎってからすでに2年半は経過しているみたいなのですが、その頃と比べて、「完璧さ」は少々鳴りを潜めた感があるんです。最初の入りも、ちょっと崩れたし(もっとも、めっちゃ難しいんですけどね。)。とはいえ、それこそ"UBI CARITAS"の途中で鳴った、男女が全く同じピッチを鳴らす場所で、ばちっと全く同じ音が、しかし無理なく鳴っている様子は、心から称賛すべき最高のサウンドでした。ブログ始めて以来、ユニゾンがうまい団はうまいということを言い続けていますが、間違いなく、その実力の象徴たる音といって差し支えありません。この音聞けただけで十分ペイする。
 「完璧さ」は鳴りを潜めた、と書いたところで、じゃあ何が変わったか、というと、旋律感が、以前より増しているような気がしました。特にベース。間違いなく、ベースが、たとえベースラインそのものみたいな箇所であっても、はっきりとメロディを歌っている。この心地よさが、楽曲全体を聞かせるに十分な作りだったというに値します。
 このベースにも象徴的なんですが、前のイメージ以上に、この団、全員がしっかりと歌っていました。決して引きで合わせない。それに加えて、それこそ、表現の面を指摘した点に呼応してか、明らかに、「揃う」の意識を再構築しようとしている。そういった意味では、前よりは「揃わなくなった」ものの、「揃う」の意識は、以前よりも進歩しているように感じました。……まぁ、そんなにこのブログが影響力あるとは思っていないのですが笑、しかしながら、明らかに、この団が変わろうとしている様子を目撃した思いです。ということで、やっぱり、この団には期待してしまうのです。
 あと書いておきたい。今日のピアニスト、声楽も学ばれたとのこと、非常に歌心にあふれていて素晴らしい演奏だったように思います。

同じくInt. 8min.

3st. Ensemble vert paon
木下牧子・混声合唱組曲『夢のかたち』
1. 虫の夢(大岡信)
2. 夢(吉行理恵)
3. 夢のうた(三木卓)
4. 夢の結果(竹中郁)
5. 風船乗りの夢(萩原朔太郎)
指揮:小川輝晃
ピアノ:福井悠大
 でもってこのプログラム。前2団がいずれも変化球を投げていたのに対して、初期の木下作品という、どっからどう見ても硬派なプログラム。しかも、楽曲前の前説も、やたらめったらマニアック。なぜか逆に(いい意味で)浮いてしまうという笑
 で、演奏なんですが、率直に、発声が表現の邪魔をした、という印象が拭いきれません。技術と経験は確かにある合唱団で、その点、十分歌い切ることはできる合唱団。その意味では、十分端正にまとまっていたのですが、いかんせん、この曲は「初期の木下作品」。その程度の表現では許容してくれないのが怖いところ。
 初期に限らず、木下作品って、鳴らすこと自体はそこまで難しい部類ではないんだと思うんです。他の超絶技巧みたいな作品と比べたら、間違いなく、とりあえず楽曲の骨格を作り出すことは容易い部類。でも、いうなれば髙田三郎作品のように、その、骨格を作り出してからが異様に難しい。多分ですが、楽譜に乗せる情報量が少ないタイプの作曲家なんでしょうね。比喩的に「音に魂を込める」作業に、ものすごく労力を使います。
 今回の演奏で課題感が出たのが、まさにその部分。で、その表現の幅を狭めた要因が、発声。全体的に声門閉鎖が甘い音が、表現の邪魔をしていたように思います。それが生きてくる作品もある一方で、ちょうど2000年代くらいまでの作品に関しては、それだと作品自体がうまく表現できない事例が多いような気がしています。具体的には、1曲目の緊張感不足、1曲目の2曲目の表現がなんだか同一に聞こえること。3曲目を中心として、パート間の掛け合いがわずかに破綻している様子、5曲目のポルタメントにかける時間――表現ひとつひとつが、うーん、惜しい、と思わせるような、いま一歩惜しい音。でも、この一歩は、とても大きいような気がします。
 念のため注記しておきますが、これは、「この団はこんなもんじゃない」という信頼に基づくものです。絶対、この先に行ける。

Int 10min.

4st. 合同演奏
Rutter, John "Magnificat"より "Magnificat anima mea", "Et misericordia"*
指揮:友森美文
ピアノ:坪井佐保
ソリスト:神原綾*
 合同演奏も、あの演奏で踊り狂う……なんてことはなく笑、しかしスケールの大きい曲から。特に1曲目は、合唱人なら一度は演奏してみたい曲ですよね笑
 1曲目はそれこそ勢いです。ある意味で、それを期待されている曲ですし。で、ちゃんと書いておきたいのが2曲目。このソリストとの掛け合いが、合同曲とは思えないほどの絶品ぶり! いずれの団に共通するアンサンブルのうまさ故か、非常にソリストとの音量バランスが絶品でした。80人に負けないソリスト、とか、そういう話ではなく、ソリストに対してあるべき音量が確かに80人の音で鳴っていたというイメージ。頭の入り方から、ソロとピアノのながれを掴んだ自然な入り、そこから、決してソロに迎合して引いたりとか、逆に埋没する、とかいうことではなく、ドッペルフーガよろしく、両方の主題が粒立って聞こえる。しかも、それをソロと一緒にやってのける。特筆すべきアンサンブルでした。

信長貴富「きみ歌えよ」(谷川俊太郎)
松下耕「今年」(谷川俊太郎)
指揮:伊奈福久代
ピアノ:山本蕗乃
 そして最後は日本語の代表曲。まさに「平成的」というにふさわしいプログラムにも思います。なんだか平成も遠くなってきてしまいましたなぁ……平成生まれとしてはちょっと感慨深い。
 「今年」の中間部は、特に「ほんの少し」以降は、全体的に入りが早めになってしまっていたように思います。そのために、「今年は」の中間部まとめは少しクライマックス感に欠けていた気もします。――とはいえ、再現部がしっかり鳴っていれば、この曲に関しては、もうなんでもいいような気はするのですが笑
 再現部入りのピアノが特にこの曲の中でも好きです。今日のピアノは少し静かな入り。新鮮だけど、ああ、この解釈いいなぁ、と思いました。なんか内省的で、「今年も喜びがあるだろう」につながっていくような感じがして。

・アンコール
Arnesen, Kim André "His light in us" (Tait, Euan)
指揮:小川輝晃
ピアノ:福井悠大
 で、「今年」にもまさる喜びのあるアンコール。全体として光りさすかのごときエンディングが包みこんでくれました。なにより、聞いたあとの印象が爽やかなのが印象的でした。
 ちなみにクレジットは、調べようとは思ったものの、Xにポストしてもらえました。……まぁ、その理由のひとつは、当方が関係者に「教えて!」とお願いしたからにほかならない笑 しらんもん、指揮者が直前に「なんかエモい曲」とかいうくらいのレア曲じゃないっすか笑

・まとめ
 最近、というか割とアニメの時代以来(ちょうど長男が小さかったタイミングだったので)、サッカー漫画「アオアシ」が好きでして、無料分を中心に(セコイ)よく読んでいるんですが(完結したみたいだし全巻揃えようかな……!?)、今日のまとめはそのことについて……じゃねえわ←
 否、関連はしているんです。「視野」について。ピッチを俯瞰する「視野」が、この漫画のストーリーで重要な意味を占めています(ネタバレになっていたらスミマセン)。いかに視野を広くもって、個のプレーに活かしていくか。まさに合唱でも同じことがいえると信じてやみません。しばしば「アンサンブル」とか、「合わせる」とか表現しているのがそれです。不思議なことに「合わせる」っていうと、「引く」ことが正義、と思われかねない風潮。否、まったく引かないなんてこと、あるわけないとは思っているんです。でも、「合わせる」ときに「引く」ことがベースにあってはならないーー今日の演奏は、その差が如実に出たようにも思います。怖いのは、「引く」ことでも、ある程度の形を作れてしまうこと。でも、よりハイレベルに「合わせる」ためには、「引く」ことがベースにあってはならない。そのために、様々な方法でコミュニケーションし、自分のあるべきポジションを構築する。
 これ自体、合唱に当てはめるならば、ただ「引く」ことが正義ではありません。逆に、「どのように出すか」を構築し、主体的に、更に言うならば、横のつながりに加えて、時空的つながり、つまり、楽曲全体における当該音価のあり方自体が、文脈の中で立体的に構築される、そのあり方がどこにあるか、それを理解し、出される「べき」音を出す。その結果が「引く」かもしれないけれど、ただ小さい音を出すことが正義だとは思わない。そのことをいかに理解しているか、で、今日の出来は左右されていたように思います。

2025年3月18日火曜日

【Farewell Concert 2025】

2025年3月18日(火)於 熱田文化小劇場

しらかわとともに復活

……否、そんな示し合わせたつもりはないんですが笑
まさにしらかわ復活の報は青天の霹靂でした笑

 まぁとはいえ、実際、御無沙汰しております。合唱からは少し、というよりだいぶ距離を置きまして、週末は子育てにあてたり、いろいろ試験とか受けたりしまして、今度も受ける予定でいるのですが、実際問題、合唱とは距離を置いた日が続いていました。
 とはいえ、合唱に戻るきっかけを掴もうと思っていたのもまた事実。まさにこのブログも、予告なくだまってまして失礼しました(否、そんなに期待されているのか?)。
 ということで、復活の足がかりに選んだのが、フェアウェル。きっかけ? うーん、何か知り合いがいるとか、会場が近かったから、とか……
まぁ、そんなことは全然なくて笑
実際、このために時間休とってますからね笑

・ホールについて
 というコーナーを、かねてからずっと設けているので、今回も設けているのですが、正直、もうこのホールについては書ききっているという印象……笑 そんなわけで、駅前の変化について。といったときに、「え、神宮西駅って何か変わった?」とお思いの名古屋市民は結構多いハズ。名古屋市民は地下鉄移動が多いですからね(なお、意識的に書きましたが、駅名は変わりましたね!笑)。
 もうひとつの玄関口・名鉄神宮前駅のことです。私がレビューを書かない間に、2つの施設が新規オープン。「μプラット」に加えて、長らく駅前のランドマークであった名鉄パレ改めパレマルシェ、にかわって、「あつたnagAya」が新規オープン。どうしても駅前広場としては狭くなってしまっていた神宮前駅が、広いスペースに、名古屋を彩る店舗たちが揃う、まさに「長屋」に生まれ変わりました。そんな明るくなった駅前に加えて、ホールに至るアーケードの商店街の中にも、キラリと光る名店に、新しいコンセプトを引っ提げた意欲的な店舗まで。アーケード側はまだまだこれから、という面もあるものの、まさに、これから新たな時代を紡ごうとしている神宮周辺エリアには、タウン情報の観点でも、これからも注目していきたいところです。え、私? 交通費の都合で今日はJR熱田駅です←
 ちなみに今日は、ホントはμプラットのスタバで書こうと思っていたら、まさかのドリップマシン故障で、仕込んでいたOne More Coffeeのチケットが使えず、最寄り店舗まで行く事態になるのでした……否、実際、憧れているんですよ、あの店舗。なんとなく。

 さて演奏会。6〜7割の入り。もうコロナは全く感じなくなりましたね。入場の流れは非常に素晴らしい。オーダーまでに迷いがなく、この4年でしっかりステージの動き方を会得していることがわかります。しかし、この世代は2020年度入学の方が大半のハズ。とすると、まさに、この自律的な動きをもってして、大学合唱に復活の狼煙を上げている、まさにその世代だったのだなぁ……

1st 混声合唱アラカルト
瑞慶覧尚子「はるまち」(みなづきみのり・混声合唱組曲『あなたとわたし』より)
横山潤子「りんご」(覚和歌子・混声合唱とピアノのための『ここに海があって』より)
土田豊貴「彼方のノック」(辻村深月)
信長貴富「言葉」(谷川俊太郎・無伴奏混声合唱のための『After...』より)
藤嶋美穂「あさきよめ」(室生犀星・混声合唱組曲『あさきよめ』より)
指揮:玉井忍、杉山菜々子、野上紗綾、伊藤良樹
ピアノ:村田祥

 そう、この演奏会聞きにきたきっかけなんですが、もうほぼ100%、その選曲に惹かれたという点なんです。まぁ、確かに、この1曲目、初演に参加した身としては、やはり贔屓目に見てしまう曲ではあるのですが。でも、この曲、終曲なんですよ。終曲に、希望の中で春を待つ、っていう、そういう素敵な構成の曲なんですが、それを、1曲目に持ってくるという、勇気がいるけど、でも、確かに間違っていない、素晴らしいチョイス。1ステであって、しかも、1曲目である。そのセンスに惹かれました。ちなみに、2013年2月の初演。12年前……? でもアレですね、この曲、結構人気なんですねー。ありがたい。そして、この1ステの並びもまた、全体でひとつのストーリーを感じる、演奏者側のメッセージをしっかりと感じる、素晴らしい選曲だったと思います。
 そんな「はるまち」をはじめとして、何より光ったのは、その音作り。否もう、12年前を懐かしむようなジジイからしたら、隔世の感がある。「名古屋の合唱団らしい音」というイメージを、その長い時は、覆してしまったようです。音程に対する意識が、間違いなく当時の趨勢と比べて圧倒的に敏感になっているのをまざまざと見せつけられました。否、時代の流れというべきか、この世代の成果というべきか。なにより、端正な音をもって、その表現の素地を作り上げているのが印象的な演奏となりました。まずは何より、その音の端正さだけで、十分聞けてしまうというのが、この演奏会全体の魅力となりました。
 ただ、一方で、このステージで特に目立ったのは、逆説的にも、言葉に対する意識の向け方。否、なにも、雑だったというわけではないんです。いわばその逆というべきかもしれない。ただ、それが、若干ネガティブに写ってしまった。言うなれば、「変化がない」というイメージ。「はるまち」で例えるならば、「挫折や絶望や」のところ。この箇所、全体が穏やかかつ明るく進行していく、そのメロディの中に、デュナーミクと音の鳴らし方だけでこの言葉を聞かせる必要のある、逆に言えば、この曲1番の聞かせどころです。確かに、その表現をしようと(間違いなく)試みられていたのですが、これが、まだ足りない。多分、演奏している側からしてみると、ウッソだろ、って気分にすらなるんだと思うのですが、あの短い時間で、求められている表現を仕切るには、もっと、時間を使ってあの部分を表現する必要があります。八分音符という短い音価に対して、摩擦音をどれだけ長くできるか、母音に対して、どこまで声門半閉鎖を混ぜるか、そういう、微妙なせめぎあいが求められる箇所です。(実際は、計算というより感覚かもしれませんが。)
 全体として、表現が流れるという現象は全体にわたってしまったような気がします。だからこそ、全体の得意目である中音域(そりゃ当たり前か)に対して、高音や低音の表現が相対的に、音域との勝負にしかなってくれていなかった。あるべくしてそこに置かれた音であるからにして、鳴らすことが表現の第一歩であることは当然なのですが、その音に対する意味をもう少し突き詰められたらよかったのかなぁ、と思います。その意味では、おそらく「りんご」や「あさきよめ」は、この団のカラーに合っていたのだと思いますが、願わくば、それに対してもっと自覚的であったなら、新たな表現の幅が広がったような気がします。
 まぁ、そういう、最後に集まって歌う演奏会だ、ということもできるんですけどね。でも、レベル高かったですから。そりゃ、期待もしちゃうじゃないですか。実際、名古屋でフェアウェルから生まれた合唱団っていくつもあるし。

int. 10 min

2st 同声合唱アラカルト
男声
多田武彦「道」(草野心平)
arr. Alice Parker, Robert Shaw "Vive L'amour"
指揮:野上紗綾

 うん、これはですね、久々にレビュー書くとかそういうの抜きにしてですね、タダタケに飢えてた笑 だって、名古屋の合唱団、意外にも全然タダタケやってくれないんだもん笑
 そんなタダタケですが、最初のユニゾンが何より絶品でした。大体の合唱団は、ユニゾンの質を見れば、その質を測ることができると信じてやみませんが、その意味で、この団のユニゾンは及第点です。ただ、その勢いを、そのまま弱音部に持っていけるとよかったな、というのが正直なところ。中間部の、低声による旋律の裏で鳴っている和声が、いまいち構成感を失っていて、行き先を見失っているように聞こえてしまったのは正直に残念なところ。タダタケが名を馳せたその理由のひとつは、その意味をもって語りかける美しい和声にあることを考えると、実際、鳴らすこと以上に、完璧にハモることこそ、求められる表現であると言えます。盛りの男声団って、それに加えて爆音鳴らすから頭おかしい(褒め言葉)んですけど。とはいえ、音圧は1ステより改善していました。今回男声が不足気味だったのも含めて、この鳴らし方で混声やっても悪くなかったような気がします。
 2曲目は、子音、特に、子音の縦のラインを揃えることについて、もっと意識的になりたいところ。もちろん、早いパッセージで外国語の子音を合わせるのは難しいのですが、この点は、逆に、母音をどのように表現するか、ということの意識で、実は少し改善が可能だと思っています。子音の機能って、日本語だと意識しづらいですが、ひとつには、「母音を切る」というものがありますので。まぁ、今回に関して言えば、勢いですませちゃって十分なんですがね笑

女声
瑞慶覧尚子「無門」(淵上毛銭の詩による女声合唱組曲『約束』より)
信長貴富「栗鼠も、きっと」(栗原寛・女性合唱による4つのポップス『栗鼠も、きっと』より)
指揮:三輪彩夏
ピアノ:村上由紀

 まず何より、衣装のチョイスが素敵です。フォークロア風というか、どこか内陸ヨーロッパの感がありつつ、いい感じにフォーマルさを備えたような、確かに舞台衣装として成立している感じ。当然、完全な私服ではなく、確実に、コンセプトを持って揃えに来ている。どういう指定の仕方をしたのか、心から興味があります。この衣装を選べる団は、全国見回しても限られるレベルじゃないかと思います。
 で、演奏ですが、ちゃんと整った音を出せる団であるというのは既述のとおり。でもだからこそ、その先を求めたくなる演奏というのも、また既述のとおり。これくらい精緻に音を作れている団だからこそ、「無門」では、ソプラノとメゾのピッチがズレているように聞こえたのが何より気になりました。しかも一方で、表現の面でも、最後にある「あんたがたどこさ」のモチーフは、それまでの音と違った表情が見せられるとよかったのではないかと思います。
 その意味では、表現のヒントは「栗鼠も、きっと」の冒頭にあったのではないかと思っています。この曲の冒頭、長めのイントロで、簡単なダンスの途中、指揮者が指揮台から離れて、合唱団をメインに魅せた。その後、合唱が入る前に、指揮するために、指揮者が指揮台に戻った。ーーまさに、ココ! 明るくポップに春を感じるこの曲で、冒頭をそういう作り方にしたのであれば、おそらくは、この曲の演奏に指揮は要らなかったのではないかと思います。それこそポップな裏拍の入り方というか、有り体にいうならビート感は、各団員が体感しながら、自らの表現の中で合わせていくーー求められていたのは、そんなグルーヴ感だったのではないかな、と思います。もちろん、爽やかでいい演奏だったのですけれども、良くしていくとするのなら、案外、そんな些細なキッカケで、変わっていくものがあるのではないでしょうか。
 しかし、SMAPもいよいよ通用しない世の中になりつつあるのかもしれないな……苦笑

int. 15 min

3st
森田花央里・混声合唱組曲『星の旅』(谷川俊太郎)
指揮:三輪彩夏
ピアノ:村上由紀

 初演は2018年。特に言及はなかったものの、なんと、今日でちょうどぴったり初演から7周年のようです。当方がはじめてこの曲を聞いたのは、そこから少し経ったジョイントでのこと。ざっくり6年半前。何、6年半前……?(そればっかだな今日)
 で、お目当ての最大たるところは、この『星の旅』(「はるまち」じゃないんかい、って石投げないで←)。否もう、ホント、この曲に心掴まれてからというもの、見つけた演奏会にはまずもって馳せ参じている次第。森田作品の持つ空気感と世界観。一度嵌ると抜け出せない、そんな唯一無二の魅力がある曲です。とはいえ、「見つけては馳せ参じる」とは申したものの、そうして馳せ参じた演奏会はそんなに多くはない。その所以はおそらく、この曲の演奏難易度の高さにあります。特に1曲目は、トーンチャイムが入るという編成自体はともかくとして、何より、比較的シンプルな和声でありながら、その独特の浮遊感をもった音像を作り出すのは、もはや至難の業といって差し支えない。この曲の再演で当方がハマったきっかけの一つが、まさにこの空気感の見事な再現であるわけなんですが、それが実現できた要因のひとつが、身も蓋もない言い方をしてしまえば、同志社こまくさ・神大アポロンという2つの巨大合唱団にG.U.Choirという、当時においても盤石の布陣であったことにほかならないのではないかと思います。
 その意味では、1曲目は、やはり難しい曲であったということが露呈していたように思います。こりゃもうしょうがない、と思わなくはないですが、あえて指摘という形にしておくのなら、おそらくは、それぞれの音を「和音」と捉えるか「和声」と捉えるか、という差ではないのかと思います。通常であれば顕在化こそしないものの、コードとして和音を重ねるのに加えて、和声を意識する場合、その和音同士のつながりをどのようにもたせるか、その意識次第で強調すべき音が変わります。そこの検討が、どこまで突き詰められていたか、もう一歩、検討が必要だったのかもしれません。ちなみに、「身も蓋もない言い方」と先述しましたが、この問題、人数が多ければある程度無視できてしまう問題だったりします。当時にして間違いなく100名超え、今日の人数は4〜50人といったところか。身も蓋もねぇ。ちなみに、2021年阪混定期のレビューを見返してみたら、「このクラスターは、各パートができるだけ均質に音を鳴らすことが肝要」とのこと。あれ、どっちだ?
 ただ一方で、2曲目と3曲目は、これまでのステージとは質の違う完成度でした。声質にハマっている、のみならず、声質自体も、前のステージより芯がしっかりした声が出ていた印象。それに、この団が持つ音感の良さをもってして、いい音が鳴っていた。そして何より、言葉がちゃんと飛んでくる。これまでのステージとは全く違う、立体的な音楽の作りが光りました。否、でも、いいもんねぇ、この曲。そんな、いい曲の「やりたいこと」がしっかり団の中で定まっていたんだと思います。だからこそ、「やりたいこと」のままに、音楽がしっかり成立していたんだと思います。いい意味で、理屈じゃない。だからこそ導き出される、最後のアカペラの集中力! そのメッセージの迫真性は、今も心に残っています。

 やりきった技術委員長さん(3st指揮者)、実行委員長の冒頭挨拶に対し、このタイミングで御挨拶。もう涙があふれそうになりながら、なんとか挨拶仕切っていました。頑張った!

・アンコール
信長貴富「生きる理由」(新川和江)
指揮:三輪彩夏
ピアノ:村上由紀

 そして、このタイミングで、この指揮者の素晴らしさを書いておきたい。何かって、しっかり表現させることができている上、そのきっかけの作り方が非常にうまいんです。叩き方、指し方だけで、この指揮者がどう歌わせたいか、それこそ、背中からしっかり伝わる。非常に理想的な指揮の動きをしていました。それも、今にも泣きながらーー否、多分、泣きながらの演奏でしたかね。

・ステージコール
上田真樹「はる」(谷川俊太郎)
※当初、クレジットに誤りがありました。大変失礼しました。

 ロビーコールに代えて。人数が溢れたから、とのことですが、よくよく考えてみたら、このホールホワイエ狭いので、コロナ前から、あそこでストームやっていた事自体がアレなんだと思いますわ笑
 客席にも降りてきて、会場を広く使って、まさに客席中に響きが溢れわたる。まさに、最初から最後まで、春が溢れたコンサートでした。

・まとめ

 前、とある人の言葉を勝手に書き立てたことがありまして(しかもそういうのに限って著名人に紹介されたりしまして←)、その言葉について。
 何かというと、名大グリーンのクロージングで書いた「合唱は無理してでも続けろ」という言葉です。もっとも、今現時点で「続けている」といえるか非常に怪しい人間からしたら、この言葉をお届けする建前なんてこれぽっちも存在しない気がするんですが。でも、逆に言えば、それだけ身に沁みて、この言葉の意味を反芻しているところです。
めちゃめちゃエネルギーがいることなんですよ、続けるって。続けることに意味がある、とか、最高の才能は継続することとか、そういう言葉がよくありますが、その意味は、これから、今日ステージに立った皆さんは、嫌というほど体感することになるのではないかと思います。
ーー否、もしかしたら、私たちの世代より、彼らの世代の方が、嫌と言うほど感じているのかもしれないですね。継続が半ば当たり前にできていた、そんな世界とは全く異なる世界の中で、合唱を始め、あるいは継続する道を選び、顔すら合わせられない中で声を重ねようともがき、ソーシャルディスタンスの中で、聞き合うという合唱における基本動作すらままならないような中で、演奏へ向かう姿というのは、これまでも書き連ねてきたところです。そして、コロナの5類移行に伴い、とはいえ急激には戻りきらない社会との適応、厳格化されゆく単位、早まる就活、といったような、コロナとは関係ないような社会の変化にも、真正面から立ち向かってきた世代です。そんな中で、しかし、情動の豊かさを失わなかった、そんな世代の演奏を、しかと受け止めることができた喜び。そして、そんな「当たり前」が、少しずつ戻ってきていることを、肌身に感じることができて、本当によかったな、と思います。
 恐らく、未来は想像以上に賑やかです。もし合唱から離れてしまうことがあったとしても、傍に、今日の演奏を携えて、胸を張って生きていって欲しいなと思います。なにせ、私は立つことを選ぶことさえできなかった舞台です。今日の演奏に、心から敬意を表します。お疲れ様でした。

 うん、私は……今後、少なくとも頑張って書いていきたいなと笑 少しは復活できるように頑張りたいと思います。こう、色々笑