2016年8月20日土曜日

【東京混声合唱団 いずみホール定期演奏会 No.21】

2016年8月19日(金)於 いずみホール

指揮:田中信昭
ピアノ:中島香*

多田武彦・混声合唱組曲『柳河風俗詩』(北原白秋、1954/1986)

間宮芳生・合唱のためのコンポジション10番『オンゴー・オーニ』(1981)*

int. 20min.

新実徳英・混声合唱とピアノのための『黙礼スル 第1番』(和合亮一、A.E.44、2015)*

ホーガン・編「ジェリコの戦い」(黒人霊歌)
清水脩・編「ロンドンデリーの歌」(イギリス民謡、大木惇夫・伊藤武雄共訳)
田中信昭・編「カリンカ」(ロシア民謡)
三善晃「ソーラン節」(北海道民謡)
池辺晋一郎「ベンガルの舟唄」(ベンガル民謡)

en.
本居長世(篠原眞・編)『汽車ポッポ』

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 私が初めて東混を生で聴いたのは、確か2010年のことだった。場所はいずみホール。当時、下手の横好きで学生指揮をやっていた。定期演奏会へ向けて取り組んでいた曲が、上田真樹『夢の意味』であったが、その演奏会は、初演をした東京混声合唱団が同曲を再演する、当時としては数少ない機会であった。最早、どうやって行ったかも覚えていない。もしかしたら、それが初めて青春18きっぷを使った時だったかもしれない。――青春18きっぷ消化計画を毎年のように考える今の身からしたら信じられないほどであるが、実家から出たこともなかった当時は、名古屋から大阪というのは大冒険だった。
 音源でこそ擦り切れる程聞いた曲だったが、A席から聞いた当時の東混がどんな演奏だったかも、正直覚えていない。それはまるで、初めて行ったクラシックのコンサートがどんなだったかを覚えていないくらいに、私にとっては新鮮な経験だった。なんとなく朧気に、その時泊まったいずみホール提携ホテルが割と良いホテルだったような気がするとか、そういったことばかりが妙に思い出される。
 しかし、そんな経験を以て、私は今日に至るまで非常によく東混を聴くようになった。結構な長い間、プロの合唱団を東混以外に知らなかったというのも確かにある(恥ずかしい話だが)。だがそれ以上に、私達が持っていない音を持っている東混、それに対する憧れというものだろうか、あるいは、例えば私が演奏できないオーケストラを聴くようなものなのだろうか。いずれにせよ、東混が見せてくれる新しい世界というのに、私は、初めて聞いた『夢の意味』とほぼ同じような気持ちのまま、没入してしまっている(そうして又こんな駄文を認める)。

***

 あるものに接するとき、人には誰しも、邂逅の瞬間がある。突然の出会いかもしれないし、片思いに片思いを重ねて実現する出会いかもしれない。感動的な出会いかもしれないし、もしかしたら出会いたくなかったものかもしれない。なんにせよ、その最初の出会いの、その印象と、得られた利益、あるいは今後に繋がる課題を「原体験」として、私たちは心の奥底のどこかにその思いを係留し、その「原体験」をきっかけに、様々な思索を深めていくことになる。まっさらな中に得られた経験は、他の経験と結び付けられ、あるいは新たにカテゴライズされて、自身の中に整理され、その先、印象を深めていくにあたっての重要なヒントを自らに再生産する。
 私にとって東混が、本格的な合唱の世界に触れる「原体験」であったように、巨匠・田中信昭をしてまた、「原体験」があったのだ。東混を創始し、自らをして団を引っ張りながら、国内を中心とする多くの作曲家に、合唱作品を書くきっかけを作った――この人がいなければ、武満徹も三善晃も、合唱作品を書かなかったかも知れない――、合唱界における「生きる伝説」である。合唱界の最先端を駆け抜けている田中信昭にあって、音楽の「原体験」は、旧制高校の合唱部における経験であった。その後、東京藝大を卒業し、先述した大成をなす田中信昭であったのだが、なにも、当時の学友がすべて音楽の道に進んだわけではあるまい。しかしながら、当時一個下で合唱部に在籍し、就職してもなお日曜作曲家として音楽の道を捨てずにいた者がいた。
 そう、今日、第1ステージに、「後輩」たる多田武彦の『柳河風俗詩』を取り上げたのは、その意味、実に必然である。田中信昭を育んだ土地で、田中信昭の親しんだ音楽を演奏する。アマチュア合唱の世界では、特に男声合唱に親しんだことのある者にとっては、決して知らない者のいない、名作中の名作である。しかし、それは逆説的に、東混にとっては、まったくもって新鮮な経験であった。事実、東混が多田武彦の作品を取り上げたことなど、あったとしても指折り数える程ではあるまいか。それだけに、第1ステージからして、あらゆる意味で注目させられる演奏会だったのだ。
 全員の入場が終わり、田中信昭が入ってくる。拍手万雷、そして鳴り止むその瞬間、演奏会は田中信昭に支配される。当たり前のように聞こえるかも知れないが、しかし、なかなか理想的にそうはならない、演奏会の空気を支配する力。それだけの力を持っているのが、田中信昭なのである。最初から最後まで、物音の一つも許さない(ように感じる)演奏は、爾来東混が築いてきた、日本の合唱における一つの到達点である。勢いという意味では物足りなさを感じたのは、若気の至りだろうか。しかし、各パートの旋律が自立し絡み合い、音楽が目の前で生きているさまは、フレーズが、決して衰えること無く次へ繋がっていくのは、この団でないと成し得ないところである。
 第2ステージと第3ステージは、日本の合唱を形作ってきた田中信昭という、第1ステージが「音楽愛好家としての田中信昭」だとするなら、「職業音楽人としての田中信昭」を見せるステージである。今回選ばれたのは、2つとも、「うた」が主眼とは言えない――広義での「音画」的作品である。「まじない」がテーマにある『オンゴー・オーニ』は、そのエネルギーをそのまま音にし、音をして超常現象を成し得ようとする試みといってよいだろう。(当時の)アマチュアが、まず演奏の困難な曲を、東混はかねてから得意としてきた。いわば、人間自体の、超常的なものに対する畏怖という「原体験」を、この曲を通じて、私達は追体験することになる。身体をして感動する――以前私が書いたことだが――、そのことをして、この曲は「原体験」そのものとなる。導かれるように掻き鳴らされた音の中に、しかし、アンサンブルにおける心地良い「遊び」が、私達の想像力を深めていく。
 第3ステージは、逆に、最近の作品である(否、オンゴー・オーニも「高々」1981年の作品なのだが)。新実徳英と和合亮一が、2011年震災以降中心テーマに据える、震災・原発事故に対する叫びや呻き、あるいは祈りといった感情への対峙。二部作『黙礼スル』は、その流れの中にある。濁流に、絶望に飲み込まれた人々の叫び、なすすべのないことに対する呻き、そして、すべてを慰めるための祈り。畳み掛けるように掻き鳴らされる畏れや鎮魂に対して、すべてを昇華するようにして演奏される、倍音に満ちた祈り――思わず天井を見上げ、降り注ぐ響きを集めようとする。そこには、言葉にし得ないものの共通する、愛するものに対する「原体験」的感情が宿っている。いいようのない美しさに、いずみホールが満たされたその時よ。
 第4ステージは、お楽しみステージとしての選曲。小品ながら、グルーヴ感やフレージング、そしてソロやテンポの揺らし方、掛け合い、そして変声に至るまで、各所で活躍し、それぞれに力を持つ東混の技術力を余すこと無く魅せつける編成である。当事者をして軽い気持ちで歌うそれらの作品は、ある人にとっては、間違いなく憧れとなる。小品の中にこそ、本物はその姿を隠すこと無く、衆目をしてもハッキリとした形で現前する。そんな演奏が目の前にあることに、私たちは驚嘆し、そのことを「原体験」として備えて、その憧れに近づこうとする演奏家がいると又、それも信じたいところである。

***

「原体験」をして、時代はめぐる。それが、東混60年の積み重ねであり、これからの東混が積み上げていくものである。今年もまた、東混は関西の人に深い感銘を残していった。感動する部分は各々で違う。だが、それでいいのだと思う。そうしてまた、それぞれの心の中にそれぞれの「原体験」を備えて、また、多様な未来が生まれていくのだとしたら。――私たちは、いつだって少年なのだ。「わがふるき日のうた」に心を奪われ、そのことを思い出しながら、新たな理想を開拓していく。
 音楽監督・山田和樹をはじめとして、客にも大物の姿が目立ち、まさに、田中信昭の事跡を思い知らされた演奏会。しかし一方で、この演奏会には、翌日の福知山演奏会を振る高谷光昭の姿をはじめとして、若手の姿も多く見られた。これまでの時代を作ってきた伴走者と、これからの時代を引っ張るトップランナー。世代と世代とが交錯して、合唱の「原体験」を追い求める演奏会。その視線を一身に集める田中信昭の背中は、とても大きく、いつだって、凛々しかった。
 奇しくも、私が自身の名前を委嘱会員名簿に連ねたのを確認したのは、今日がはじめてだった。6年の時を経て、私はこれからも、東混が生み出す全く新しい体験を、今後も見続けることができたらと、心から思う。今日の演奏会だって、何か言葉を連ねようとしたところで、結局、圧倒されっぱなしだったのだ。そんな私は、なおも、あの時の「原体験」を、やはり追い求めているのかもしれない。

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