2016年8月11日木曜日

【あふみヴォーカルアンサンブル第6回演奏会〜音楽と文学のクロスロード〜】

2016年8月11日(木・祝)於 安土・文芸セミナリヨ

……ざわめきが聞こえる……
「わたべ、最近全然合唱の演奏会行って無くね?」
「行ってたとしても海外のプロ組相手にポエム書いてばっかりだし……」
「最近行ったのは……めっせと……え、あとドラフト?」
「え? あれ合唱やってたの?」
「さぁ……?」
……というのはともかく笑 わたべは最近は、プレーヤーにまわったり、聞いている演奏会があっても運営サイドにまわっていたためレビューできなかったり、わざわざ千葉までレビュー対象ではない演奏会を聴きに行って挙句当日になっていきなりビデオ係やらされたりで、実はかなりの確率で合唱をやりまくる生活は送っていたのでした笑 そんなわけで、断じて合唱から身を引いていたわけではないのです(むしろここんところ確か毎週合唱関係の何かしてる←)
そんなわけで、本当に久々の、アマチュア団探訪です。今回は、以前うちの団に宣伝に来てくださって、そのまま流れでチケットを買った、あふみヴォーカルアンサンブルさんの演奏会。ついに今年も18きっぷデビュー笑 遅咲きで、現状の予定だと余す予定ですが、かといって夏休み特に予定もないので、せっかくだから「とあること」して使い潰そうかなと考えていたら、この記事書いてる途中に予定がほぼ確定しました。今回のきっぷ使いきり、確定笑
で、この団の演奏会。これまで嘗て聞く機会こそなかったものの、とても前評判がよい。なんなら県外含めて実績も豊富。何気ワクワクしながら向かったのでした。

・あふみヴォーカルアンサンブル
世の中、アンサンブルブームです。特に愛知県なんかひどいのなんの(否ひどいっていうか笑)。愛知県アンサンブルコンテストなんて、ついに団体数膨らみすぎて、かつてののべ2日開催が延長して、のべ3日開催が決定です。大規模な合唱団でも、アンサンブル練習が重視され、ひとりで歌う力だとか、音楽を前へ進める原動力を養うだとかで、格好の練習材料となる。そして実際、少人数アンサンブルって、うまくいくと演奏が精緻になって、キレイに響くから、最近来日の多い海外アンサンブルを含めて、うまいアンサンブルは本当に好まれます。
かたや、日本において、アンサンブルのみで活動をしている団がどれくらいあるかというと、最近東京のプロ界隈でこそ色々と特色ある団が出てきたものの、現状、決して多いわけではない。どちらかというと、アンサンブルって、スポットでの活動というイメージが強い。そんな中にあって、永らく、指揮者を置かないアンサンブル団としての活動を続けているのが、この団です。実際のところ、同じく滋賀県を本拠とするプロ「びわ湖ホール声楽アンサンブル」と同い年という笑 ルネサンスから近現代、古楽器との共演など、レパートリーの幅も広く、近年では、2012年に福島の全国アンコンに出ているという実力を誇ります。今年ですと、アルティへの出演もあったとのこと。アンサンブルトレーナーに、関西で活躍する石原祐介氏を、ヴォイストレーナーには同じく関西で活躍する矢守真弓氏を置き、今も精力的な活動で注目を集めています。

・ホールについて
さすがに初見のホール。最寄駅はJR琵琶湖(東海道)線の安土駅。米原駅から見て京都側にある、普通列車しか止まらない駅です。この沿線、大垣〜京都で降りたことって、今回が初めてです。……山科で乗り換えたことがあるってのはともかく笑
レンタサイクル店がひしめき合う(それ以外?何のこと?)駅前から徒歩で行くと、田んぼの中を抜けて行くこととなるホールです。何も冗談を言っているわけではありません。すぐ沿線に線路があり、駅前が割と賑わっている名鉄国府宮駅前よりも、考えようによっては状況はひどい(笑)かもしれない。徒歩だと25分かかるし笑(シャトルバスも出ていました。当方行きは徒歩、帰りはバスで)。お米たちは有機栽培でやっているそう。花を落とし、愈実り始めた垂穂に、関係各位の苦労が偲ばれます。
そんな、自然に囲まれた田舎(コラ)にあるこのホール。隣には織田信長の記念館もあり、南蛮文化を象徴してか洋館風の建物が印象的な、ある意味、とても風景にあった外装。かたや中に入ると、ホールは、とてもシンプルな内装。シックな色合いのパイプオルガンが目を引くほかは、壁の装飾も抑えめに、ナチュラルな木の色と、緋のカーテンを引くことのできる壁。規模は大体名古屋の文化小劇場〜豊中のアクアホール程度の大きさと程よい感じ。椅子は、「ザ・市民ホール」な角ばった赤色クッションですが、その規模感といい、予ベルの教会の鐘の音を録音したような荘厳さには眼を見張るものがあります。
そしてなにより、演奏始まる前から期待していたんです僕は。喋り声がすっごく響く笑 ワクワクして待っていたら、なんてことはない。邪魔しない残響がホールいっぱいに響き渡り、そして邪魔することなく高い天井へすっと消えていく。奇しくもホールいっぱいのお客さんに支えられた今回の演奏会、それでも、曲の終わりの残響時間はすっごく長い時間キープされている。抜群の実力を誇るクラシックホールです。出会ってきたホールの中でも指折り数えるもっとも優秀なホールの一つです。
いやぁしかし、これまで行ったホールの中では一番空気が美味しい場所にありました。第一回山の日にはピッタリですね!笑

ホールの9割を埋める大盛況の客席の、一番前にはなぜかプロジェクターが。で、開演前になると、突如としてスクリーンが降りてくる(しかもデカイ)。何が始まるのかとおもいきや……石原先生のプレトークでした笑 開演前に、曲目解説をしようという試みの様子。作曲時期の年表から、作曲家たちの来歴について、スクリーンに映るは、まさに講義スライドそのものといった内容、さすが、京都芸大で非常勤講師をやるだけはある……笑 去年は台風直撃で、某合唱ブロガーさんはついに上陸を断念したあふみの演奏会。今回は、団員一堂「リベンジ」と意気込んでいるとのこと。……って、演奏会は開かれたんだから、「リベンジする必要ないじゃないか笑」(石原)

第1ステージ・ルネサンスの音楽
Sheppard, John “In pace”
Clemens non Papa “Heu mihi Domine”
Mouton, Jean “Quaeramus cum pastoribus”
Wert, Giaches de “Vox in Rama”

スクリーンを上げて笑、まずはルネサンスから。とはいえ、もうやられちゃいました。この、最初の音出した瞬間から。鍛えられた声が揃うとこんなにも美しいのか! 本当に美しいアンサンブルが全体を支えていました。決してはめるだけのルネサンスではない。この時代の音楽って、ハメるだけで案外音楽が完成したように見えちゃうんですけど、実際のところはそんなこと全然なくて、各パートが推進力を失ったらとたんにアンサンブルが衰退していくんですよね。この団は、どのパートもちゃんとフレーズを持っている。だから、ストーリー性の高いところではちゃんとその物語を語るし、たとえヘタったとしても、それをちゃんと持って返す能力だってある。1曲目はたとえば、少しテナーの音がずれたりもしたけれども、全体の和声の進行がなにより聞かせるし、逆に、2曲目では、全体が減衰しそうなところをテナーがしっかり引っ張っていった(こう書くと、テナーが気分屋パートのようだ……笑)。母音の響きには正直バラツキを感じる面こそあるものの、しっかり音楽を進める能力が、例えば4曲目に特徴的な半音進行による転調なども軽やかに、この音楽かくあるべき、ということをちゃんと主張して曲を作り上げていく。まさに、理想的なルネサンスアンサンブルの姿、その原石をここに見る思いです。ホールの響きもあって、まずなにより、このステージで僕はこのアンサンブルに心奪われました。

第2ステージ
高田三郎・混声合唱組曲『心象スケッチ』(宮沢賢治)
「水汲み」
「森」
「さっきは陽が」
「風がおもてで呼んでいる」

賛助に、どうやら乗りたかったらしい、4ステ登場予定のチェンバリスト・小林祐香氏を迎えて笑 このステージから、愈演奏会は本題へ入っていきます。今回のテーマは「音楽と文学のクロスロード」。それぞれ周年イヤーを迎えた有名文学作家からインスピレーションを受けた作品を演奏。日本語からは、宮沢賢治。今年は生誕120周年だとか。彼が詩集をしてこう呼ばしめた、「心象スケッチ」を、高田音楽に珍しく、小品に仕上げた作品。実はなにげに、組曲としては初めて触れる作品となりましたが、この曲いいですね。どうしても性質上重い音楽の多い高田作品にして、ある意味楽しく歌うことの出来て、軽く進んでいく作品たちが小気味よい。いやぁ、こんなこと書いていると、知識不足だと怒鳴られそうですが笑
で、この曲とて、しかし、高田音楽なわけで。聞いているだけでも伝わる、音に対する集中力への要求笑 しかし逆に言えば、それは、このアンサンブルがその音をしっかりと情景にまで昇華させていたということ。ただキレイだとか、ただちゃんと楽語記号を付けられているとか、そういう世界じゃどうにもならない高田音楽の有機性を理解した演奏は、曲と曲で異なる性格をちゃんと表現し、その風景を、空気感を目の前に現前せしめる。なにより白眉は4曲目。高音でも無理することなく、クリアかつよく響くぱりっとしたサウンドが、最後の響きまで美しくしていきました。その繊細さと大胆さの同居が、色彩豊かで晴れやかな高田音楽の風景を、水彩画のごとく描いていきました。

インタミ15分。同じく愛知県から遠征してき某合唱ブロガーさんとお話していました(ということは……お楽しみに!笑)。しかしまぁ、窓の外に見える風景が長閑だ……笑

第3ステージ・現代の合唱音楽
Chilcott, Bob “Before the ice (O magnum mysterium)” (Emily Dickinson)
Komulainen, Juhani “Four Ballads of Shakespeare”
1. To be, or not to be
2. O weary night
3. Three words
4. Tomorrow and tomorrow…

1曲目はダブルコーラス。女声7人、男声4人……この人数で以てダブルコーラス!w まずなにより、これを以てスゴいものです笑 2曲目のコムライネンは、最近逝去したラウタヴァーラ氏の弟子。もちろん一群だけです笑 ディッキンソンは今年没後130年、シェークスピアは今年没後400年の周年イヤーです。たまに、シェークスピアの合唱作品は取り上げられますね。いずれも英語曲のステージ。ディッキンソンはアメリカ、シェークスピアはイギリス、そんなわけで、いずれも英語曲。
……そう、苦しめられる点があるとすれば、この英語! 先ほどちらっと、母音がバラける、といった話を書きましたが、まさにその点がネックとなりました。母音のバラケが特にチルコットで、致命的にアンサンブルがバラける要因となってしまいました(これまでが良かっただけに!)。さらに言えば、チルコットは、一群あたりの人数が減るために、どうしても安定性が減ってしまう。アカペラというだけあって、徐々にピッチが落ちることこそあれ、その落ち方が各パートばらばらであったために、結果、要するによく揃っていないように聞こえてしまいました。コムライネンも、その影響引きずって、ではないにしろ、少しだらけてしまったでしょうか。この曲でも課題は発音。音も含めて少し荒々しくなってしまったのは、やはり、英語曲は難しいと多くの人に言わしめるその所以か。特にこの団は、ラテン語が本当に素晴らしいだけに、尚更。
しかし、決めるべき和音、決めるべき箇所ではしっかりと決めにかかるこの団。こういう、音楽に対する最後の意地というかプライドというか、不思議と、上手い団はどこも持ち合わせているんです。音楽に責任があるというか。

今回の4ステは、チェンバロ伴奏という珍しい曲。4ステ始まる前に、チェンバロ移動、そして、長い長いチューニング。そう、弦を弾いて演奏する大正琴のような楽器・チェンバロは(否チェンバロの方がはるかに先だけど)、どうもちょっとのことですぐピッチが狂ってしまうみたいです。開演前にもチューニングしていたのですが、それでも、わざとずらしたりもしていたのか、結構目立って変わってしまっている音もありで、中々大変な楽器なのだなぁ、というのをまざまざと思い知らされました。そして、チェンバロのもうひとつの大事な特徴。それが、鍵盤をどう押しても音量が殆ど変わらない、という点。つまり。

第4ステージ
Monteverdi, Claudio “Lagrime d’amante al sepolcro dell’amata” (Scipione Agnelli)
1. Incenerite spoglie
2. Ditelo, o fiumi, e voi
3. Dará la notte il sol
4. Ma te raccoglie, o Ninfa
5. O chiome d’oro
6. Dunque, amate reliquie
チェンバロ:小林祐香

オーダーは、チェンバロがアンサンブル側に向き、それを、アンサンブルが囲むようなもの。個人的に「24の瞳スタイル」と呼ぶ(今呼びはじめた)オーダーです。このオーダーにしてなお問題となること、それは、チェンバロの音量の限界という問題。これはもう、チェンバロ編成の宿命なのですが、合唱団の声に負けてしまったところで、その段階でもはやどうすることも出来ないという。いやぁ、チェンバロ編成の実演に触れたのは初めてですが、まさかチェンバロの限界というのがここまでまざまざと現れるものだとは。そりゃ、フォルテ・ピアノ→ピアノ・フォルテの流れへと行くわけですわ笑
音楽については、もう何の問題もありません。チェンバロの機能的な制約はともかく、アンサンブルも、チェンバロとよくセッションできていたし、何より、来て欲しいところに来て欲しい音が、来て欲しい勢いのまま、来て欲しい情感を伴ってやってくる。その安心感と、そのシームレスな音楽の進行が何より気持ち良い。全体をして決して明るい曲調ではなく、曲のテーマ「愛する女の墓に流す恋人の涙」をして、そしてモンテヴェルディの音画的手法からして当然なのですが、逆に言えば、その静謐さ、先を見通す危うい透明感が音楽としてとても美しかった。
各パートがしっかりと主張するところがあるから、全パートのtuttiがよく際立つ。キレイながらしっかりと主張することを厭わないのが、何よりこのアンサンブルの魅力なんです。最後にして、その実力が本当によく顕れた名演となりました。

そのまま代表あいさつ。さらに、アンコール曲名発表。だがこれが、なんと、編曲者を聞きそびれてしまった!

・アンコール

所謂「きらきら星」。だが、このサウンドをして、そしてこのアレンジをして、この曲は本当に絶品なんだ! フレーズがしっかりと収まること、風景描写的に響く「twinkle」の囁き、そして、それらがしっかりと責任感を以て鳴るということをして、全体としてとても綺麗に鳴る。一般受けをし、さらに技術をも再確認させられる。この演奏会にして締めにふさわしい作品。
しかし本当いいアレンジ。編曲者情報求ム。否これは、ブログのためではない、個人的趣味だ!←
※2016.8.12 追記:この後、N氏(星◯一の主人公ではない笑)から情報提供を受け、編曲者が判明! 2013年の作品だそうで、Westminster Choir による録音が作曲家本人名義で上がっています。ちなみに、上に貼り付けたリンクは、N氏からの情報提供に際して頂いた音源。関西で隆興しつつある某団、ですね笑

そのまま終演。しかし、米原からは豊橋行きの新快速に乗れただけあって、本当あっという間に名古屋に帰ってきました。卓球の愛ちゃんを見終わってから家を出て、名古屋に帰ってきたのが18時半ころ。実に外出時間9時間程度。もうなんか、近所に遊びに行ったような気分ですね笑

・まとめ
本当に、ひょんなことから手にした演奏会チケットだったものの、行ってよかった! まさかこんな場所で(失礼)絶品のアンサンブルに出会えるとは思わなかったもので。美しいサウンドと、なにより主張するメッセージが同居する、まさにそれは、アンサンブルの理想形のようなものでした。うまくやらないと大人数の合唱団以上に音楽が停滞してしまう少人数アンサンブルにあって、このアンサンブルについては、その心配は全く無し。着実に進んでいく音楽が、そのメッセージを確かなものとしていきました。
いってみれば、このアンサンブルは、心で揃えているんです。詩の、曲の心を理解し、眼と耳をふんだんに使って、団員の心を、五感を研ぎ澄ませながら感じ取って、ようやく一つの音を、一つの旋律を生み出す。その慎重さにして、決めるべきところで思いっきり決めにかかる大胆さ。水彩画と先ほどは表現しましたが、いってみれば輪郭に関しては水墨画のように、薄墨と濃墨が折り重なって生まれる絶妙な風景描写。
美しい中にあって、でも決して、キレイだけで終わらない。キレイなだけの合唱団って、正直いっぱいあるんです。音をキレイにすることの努力というのは、そりゃもう、痛いほど分かっているんですが、それでも、キレイなだけで終わってしまう合唱団って、本当に、キレイなだけなんです。キレイな中に、この曲をどう表現したい、こう表現することこそが、この曲を音楽たらしめる要因だ、そういった意思がなければ、音楽はいきいきと響いてこない。フレーズ一つ取ってもそうなんです。このフレーズがどう収まるべきか、そう収めるためには、前の音をどういう音色で鳴らしていけばよいか……その試行錯誤の末に生まれるのが、血脈流れる人間的な音楽。なにも、所謂無機的な音楽がアカンわけじゃないですし、それはそれで素晴らしい。でも、今たとえばコンクール音楽の限界のようなものが叫ばれるとき、多く共通するのは、このような無機的な音楽におけるグラス・シーリングなのではないでしょうか。
音楽は、常に主張とともにある。それは決してお題目でも、現代における理想でもなく、音楽における、現前する課題なのだと思いました。

・メシーコール
そば処さわえ庵「あわび茸ざるそば」
あんまり書いてなかったんですが、実は最寄りの安土駅周辺、食べ物屋がまるでありません笑 それこそ、デイ◯ーヤマザキすらない。いったいこの近辺に住む人々はどうやって飢えを凌いでいるのか……否まさか、皆が皆コメ農家ってわけではありますまい笑
ってことで、駅前になんとかあった蕎麦屋で昼食。「竜王そば」という郷土そばがあるそうで。そして、あわび茸という、珍しい地の絶品きのこを載せて。濃厚かつ歯ごたえのあるあわび茸と、爽やかであっさりとした竜王そばがよく合った、なんとも素朴な味わい。それでいて、蕎麦湯も蕎麦茶もよく香る竜王そば。まさに、旅の途上に食べる蕎麦は、主張しないながらも、それでいて、ほっこりと、心の奥底の印象に残るものであって欲しいのです。まさにそんな、安心できる味わいでした。あ、近江牛食べたい方、ご安心ください。この店、近江牛蕎麦ありますので!笑

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